ハルヤスミ句会 第十二回
2001年9月
《 句会報 》
01 手をかざし手の大きさの曼珠沙華 阿昼(む) 02 画鋲のみ壁に残され九月かな むかご (阿・◎呂・つ・春) 03 秋の風まだ琴線に触れぬこと 呂木 04 枝豆を食うて心身枝豆に つよし 05 秋雨や鉄のにほへる傘の骨 春休(ふ・呂) 06 秋雨に赤々とせし鳥居かな ふみ(春) 07 萩の葉の水をこぼさず揺れにけり 阿昼 08 はづされし風鈴のある机かな 春休(阿) 09 秋空はスキ風もすき雲も好き 呂木 10 稲刈りの手にせし鎌のピッカピッカ つよし 11 秋灯の真上を太き梁とほる 春休 12 秋分の猫のなかなか離れざる ふみ(つ) 13 葉も茎も荒々しかり紫苑咲く むかご 14 ベッドから手が垂れてゐる秋灯下 春休(ふ・む) 15 百年の糸瓜の水を取りに来よ 阿昼(つ・春) 16 不服げなキーパー切れるな初もみじ つよし 17 落ちてなほ朽ち葉の色の軽さかな 呂木 18 新蕎麦や酔ってもいまだ打ち解けず ふみ(阿・呂) 19 秋鯖の腸抜くや艶々と むかご(ふ) 20 底紅のぽかんとしてる雲の朝 つよし(む) |
【 中村阿昼 選 】 ○02 画鋲のみ 画鋲が留めていたのは、ポスター?写真?楽しかった夏休みが終わったという感じ。「九月」がやや説明的なので、他の季語のほうがよいかと。 ○08 はづされし 夏の名残のような風鈴ですね。秋の季語と「机の上の風鈴」とを取り合わせて、秋の句にしてもよいかも。 ○18 新蕎麦や 「新蕎麦」の軽さで、中七下五が暗くなり過ぎない感じ。「酔っても」はいらないかもしれない。 05 秋雨や 中七以降を生かすのなら、雨以外のものと取り合わせるほうがよいと思う。 11 秋灯の 「真上」というのが効いている? 秋灯と太き梁の取り合わせだけでもよいと思ったが。 【 中村ふみ 選 】 05.秋雨や 秋ってそういう季節ですよねえ。しみじみ。 14.ベッドから なんて、ぐでー、とした句。でも、内容はぐでー、としたままで、もう少し、言葉を締めた方がよかったかも、と考えてしまいました。いかがでしょう。 19.秋鯖の 腸という言葉につられてついついとってしまいました。 【 松尾むかご 選 】 01 手をかざし…手をかざしのフレーズがすごく効いている花が炎になっよう、写生でありながら、別の世界へ引きずり込む 14ベットから…死んでる訳ないけど、気持は死んでるかも 20底紅…なんだかばかばかしくて面白い、底紅て、もっと深刻に用いるよ 【 沼呂木 選 】 ◎02 画鋲のみ 読み手に、それぞれの夏のあの時を連想させます。「画鋲のみ」がいいですね。 ○18 新蕎麦や 『良くわかるなあ』という感じです。「新蕎麦」をさらに生かすために、個人的には「酔ひても」にしたいなとの感じです。 ○05 秋雨や 秋だから匂うんですよね。敏感なんだ。心も・・・・・・ 骨まで言わずにまとめるとかえって弱いですかね。「秋雨や鉄のにほへる透いた傘」 【 鋼つよし 選 】 2 画鋲のみ 夏休みが終わり、学校にもどると掲示板には画鋲だけの風景を思い浮かびました。 12 秋分の 秋分という寒くもない、暑くもないときに何故かとも推測しかねるおもしろさがある。 15 百年の ワガハイハカイミョウモナキススキカナ 虚子 のような、贈答句をおもわせて名句です。 選評。 7 萩の葉の 芭蕉の句に「しら露もこぼさぬ萩のうねりかな」があります。作者は、芭蕉様とおんなじ発想のようで、平成の芭蕉になれるかも、感心しました。 19 秋鯖の 驚き、発見を句にされて良い句ですが。中七が「や」できれる句について調べたことがあります。「大いなる春子そだつや水の神」のように名詞止めで終わる句が一番多く、「サーフインの板売る店や百足出る」など動詞完了形が二番、両方で百句のうち九十八句を占めています。これは、作家による片よりもないようです。上五、中七、十二文字を受けるには、どっしりした感じがよいのかと思っています。 【 小川春休 選 】 ○02 画鋲のみ きちっと物を詠んだ句は強い。 ○06 秋雨に これはぜひとも語順を考えてほしい句。言葉の流れが散文的になってるのが悔まれます。やはり、上五にどーんと「赤々と」を持ってきたほうが印象的になると思います。「せし」という2文字のせいで句がゆるくなってる感じも。中七でどう秋雨のことを言うか、推敲してみてください。 ○15 百年の 松山の旅行のパンフレットにこの句が書かれていたら、こころざしのある者だったらつい行きたくなっちゃいますよね。「よーし、取りに行ってやるぞ」って。 01 手をかざし 曼珠沙華の描写として、ここで大きさのことを言っても見えてこないと思う。描写には、意外性と妥当性の両方が必要。この両方がそろったときに描写に説得力が生まれるのだと思う。 03 秋の風 逆説的に述べているところに少しひねりがあるけど、やはり「琴線に触れる」という慣用句を使ってしまうと弱い。言い古されているフレーズを新鮮に見せるのは一筋縄ではいかない。 04 枝豆を これも表現の説得力の問題。奇抜な内容を読み手に届けるにはかなりの力技が必要です。この句の場合、内容の奇抜さに対して、表現が淡々としてしまってるので、迫力が生まれてこないのかもしれません。 07 萩の葉の これはやっぱり、芭蕉の焼き直しではないでしょうか。 10 稲刈りの 下五の思い切った擬態語にはチャレンジ精神を感じます。応援したいです。ただ、やるからには、その擬態語が最大限生かされるよう細心の注意を払いたいもの。二つの「の」でつないでいく流れがちょっと説明的に感じられるので、そのあたりを考えてみてください。 12 秋分の 中七下五、なかなか雰囲気があって好きなのですが、季語がちょっと漠然としている感じがします。もっとイメージしやすい季語の方が良いのではないでしょうか。 19 秋鯖の インパクトはあるのだけど、「艶々と」しているのが、秋鯖なのか抜かれた腸の方なのか、私には読み取りきれない。語順、切れの位置など推敲して表現の確かさが増せば、間違いなく○ 20 底紅の 見所は中七。漠然としているけどけっこう納得させられるものがある。しかし、一句全体で見ると、どうしても下五の「雲の朝」が蛇足っぽい気がしてしまう。それが残念。 |
来月の投句は、10月15日までに、3句お送り下さい・・・・・・投句はこちら |
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