ハルヤスミ句会 第百二十七回

2011年5月

《 句会報 》

01 初蝶や己の影見よ日溜りに    波子(ね・あ)

02 バス停に道ふくらむや春まつり  春休(海)

03 のり弁の海苔の湿りや鳥の恋   佳子(幹・海・て・益・ぐ・波・春)

04 二昼夜も籠り卯の花腐しかな   忠義(ね)

05 春の夜を満喫出来ぬまま終わる  順一

06 土砂降りの雨の小止みやトマト咲く つよし(忠)

07 置き所なくば映画に田植寒    つよし

08 黄水仙ひねもす荒れる日本海   波子

09 あの日からふと恐ろしき磯遊び  益太郎(佳・あ)

10 風船や駅構内に留まりぬ     遊介(ぐ)

11 蝶今年いまだ見かけずさみだるる つよし

12 ひよめきに風の集まる立夏かな  佳子(幹・波)

13 スカーフにイギリス民話青葉風  幹子(ぐ・あ)

14 風評も風化も怖いつつじ咲く   益太郎

15 早蕨や頭擡げる萱の原      遊介

16 夏燕京都に市電ありし頃     海音(遊)

17 くれなゐの低温やけど豆の飯   波子

18 職安に卯の花腐し聞きゐたり   海音(て・佳)

19 母の日に歯の金属が外れけり   順一(益)

20 豆電球点けて眠るや五月闇    忠義(山)

21 電車来てヤグルマギクに懸想する 順一

22 残雪の照り輝ける駒ケ岳     山渓

23 おでかけ用おしりふき買ふ落花飛花 てふこ

24 豆の蔓おれそうにして折れもせず あたみ(益・鋼)

25 街の音きこゆる寺の若葉かな   海音(山)

26 夕涼や旅のはじめがもう遠き   春休(忠・て・佳)

27 足裏に田螺三つ四つ見つけたり  山渓(順・あ・鋼)

28 飛び込みたい衝動抑え麦の秋   ねね(順)

29 鉢底になめくぢ家族はつらつと  ぐり(春)

30 コンサートフランスオペラ茉莉花 あたみ

31 母手術(オペ)の実家(さと)に戻りて庭手入れ はなの(順)

32 葉桜や飽食の人ふと消える    益太郎(忠)

33 石楠花の咲きそろひたる別天地  山渓

34 目覚むれば新繭箱の隅なりき   忠義(遊・幹・春)

35 藤棚の下ひろびろと写生の児   山渓(順・ぐ)

36 挨拶で打倒に燃える夏は来ぬ   順一

37 受付の一輪挿しの薔薇香る    山渓

38 つばくろの胸ふかふかと飛び発ちぬ てふこ(遊・幹・山)

39 潜りゆく亀の子を見逃さじとぞ  春休(鋼)

40 初夏の自転車漕ぐやリハビリに  はなの

41 空港へ飛ばすタクシー薄暑なる  ぐり

42 藤棚や母と歩けば距離が出来(でき) 順一(ね・海・佳・あ・鋼・春)

43 鉄線花小さき花の色の濃く    あたみ

44 薇の綿毛や光り水はじく     遊介

45 あたみ市の句碑の拓本梅雨に入る あたみ

46 青嵐森はスーラの筆に追はれ   幹子

47 藤棚の下なるひとりぽつちかな  てふこ(遊・ね・山・波)

48 空蝉や青き線ある防護服     佳子(海・益・波)

49 聖五月病の床に伏せし母     はなの

50 湯につかり菖蒲鉢巻き妹も    ぐり

51 面舵いつぱい紫陽花青くなりし日は 幹子(忠・て)

52 雨の巣の主さえ愛し五月かな   ねね



【 森田遊介 選 】
○16 夏燕  燕を迎えたあの暑い京の街を懐かしむ。街を懐かしむと同時にそこに住んでいた若かりし頃の自分を思いだしている様かのようです。風景だけでなく内面へのノスタルジーを感じます。
○34 目覚むれば  一晩経つと繭が箱の隅っこに固まっている。箱の中がどうなっているのかをそぉっと覗いてみる。そのドキドキとする幼い子供のような気持ちが新鮮です。
○38 つばくろの  巣より飛び立つつばくろの形態が見えます。胸の毛が豊かな親燕が日々餌運びに一生懸命に餌を運び子燕を育てる親燕の慈愛が「胸ふかふか」で感れられます。
○47 藤棚の  豪華に咲き誇る藤棚に一人とは淋しいです。あまりに美しい藤を見ていたらいつの間にか一人取り残されてしまった。藤棚の下だけに静けさがあります。
 鑑賞するのを言葉に表現することは難しいです。これかもたくさん読んで心豊かにして鑑賞したいと思います。よろしくお願い致します。

【 小早川忠義 選 】
○06 土砂降りの  「土砂降り」という強い雨が降り注ぐという大きな視点から、急に小さなトマトの花に凝視されていく様が圧巻でした。
○26 夕涼や  日が落ちるまで歩いたのであれば、さぞかし足も疲れて夕涼みが心地よいのでしょう。そんな感覚から出発した際の感情がもう記憶のかなたに消えていっている。
○32 葉桜や  飽食の人って、どんな人を言うんでしょう。葉桜になれば、確かに花人もいなくなって急に寂しくなりますね。解らないけれども気になる一句。
○51 面舵いつぱい  梅雨の晴れ間に漕ぐ自転車は気持ちも大きくさせるものなのでしょうか。それとも本当に紫陽花の色をした海原の表現なのでしょうか。メルヘンチック な句です。

【 藤幹子 選 】
○03 のり弁の  海苔弁の海苔の匂い、というだけで幾重もの思い出が蘇ります。どこか懐かしい気持ちで弁当をひらく、小鳥の声が聴こえる。デジャヴを繰り返しながら食べる弁当です。
○12 ひよめきに  ひよめきのあるかなきかの窪み、その辺りの髪がふわふわと揺れている。乳児特有の頼りなく柔らかな髪は少しの風でも動くでしょう、そのさまを風が集まるとした事で、立夏という、季節の大きな節目の特別さが際立つように感じました。
○34 目覚むれば  和製ザムザかと思いました。それだと早すぎた埋葬なみの恐怖の句になってしまいますね。睡眠中は時間の経過を意識できません。人にとってはその間の時間を失って居るとも言えるでしょう。しかしその時間の中で、確かに蚕は繭に変態している。繭は睡眠中の時間の存在を証明する、時間を可視化した特別な存在に見えます。
○38 つばくろの  小鳥の胸毛は本当に気持ちよさそう。期待感に満ちた巣立ちを感じます。
 19 母の日に  「は」の連続が面白い。母の日と関係なく事件は起こりますね。

【 石川順一 選 】
○27 足裏に  何気ない気付きに詩情を感じたのだと思います。詳しい背景は分かりませんが、ほのぼのとした詩情を感じました。
○28 飛び込みたい  単純に飛び込みたいほどに実った麦に美しさを感じたか、飛び込みたいほどにうまそうだと思ったのか知りませんが、すごく良く分かる様な気がしました。
○31 母手術(オペ)の  何かしっくりと来ました。現実の深刻さを感じさせない句の印象も手柄かと。
○35 藤棚の  これもただいいと思えた句です。あまり解説はいらないような感じがします。強いて言えば「ひろびろと」が効いて居ると思いました。(余計な解説になって居ないと感じられる所が手柄かと)

【 湯木ねね 選 】
○01 初蝶や  静かな一瞬を切り取られていて。自分が蝶だったのか、蝶が自分だったのか、とシンクロするようなイメージを覚えました。
○04 二昼夜も  長々とつづく雨が、いっそうやまぬ雨のように思われるこの頃が、きらいではありません。筆者も同様かと。
○42 藤棚や  かつては闊達であった母の姿を忘れられないのに、容赦なく現実は訪れる。母を振り向きながら、少しづつ歩幅をちぢめていくだろう筆者の心情を想像しました。
○47 藤棚の  延々とつづく藤の下に、まぼろしのような孤独はあるのかな、と感じました。

【 涼野海音 選 】
○02 バス停に  「道ふくらむ」という把握の仕方が面白く、「春まつり」に相応しく思えました。
○03 のり弁の  「海苔の湿り」は見逃しがち。なるほどと思わず相槌を打ちなくなりました。
○42 藤棚や  「距離が出来」に共感。お母様と会話が途切れたとか、心理的な距離も感じられました。
○48 空蝉や  「空蝉」から防護服の危うさも見えるような気がしました。

【 林 華 選 】
(今月はお休みです。)

【 松本てふこ 選 】
○03 のり弁の  湿りと「鳥の恋」はつきすぎでは? と一瞬思ったのですが、ちょっとうがった見方過ぎかも。性的なイメージの広げ方として共感はしました。「のり弁」と「海苔」の表記の区別など、さりげなく気の利いた一句。
○18 職安に  意外とカ行が効いている気がする。鬱陶しく降り続く雨、決まらない仕事、でも作者(?)には雨音を「聞きゐた」る時間はある。そのことが、私にはほんの少し羨ましい。
○26 夕涼や  旅が終わりに近づく頃の切なさに、あえて夕涼なんてベタベタな季語を持って来たところをあえて評価したい。素直な感慨を素直な季語に乗せることも大事なのだな、と思った。
○51 面舵いつぱい  「面舵いつぱい」という言葉の解放感がたまらない。青くなりし、という表現は曖昧だが(色の変化と取るのが正攻法だろうが、影が濃くなった結果、青くなったように見えた、という解釈でも可能ではないのか?)、あえて象徴性を出すことが作者の狙いなのかも。

【 足立山渓 選 】
○20 豆電球  豆電球と季語とがマッチしている
○25 街の音  街中からは離れたお寺の若葉の鮮やかな景が目に浮かぶ
○38 つばくろの  ふかふかと飛ぶのフレーズが、子燕の巣立ちの景をおもいださせる。
○47 藤棚の  あの美しい藤棚の下に一人ぽっちということは、なにかしらいろいろ想像を掻き立てられる。

【 川崎益太郎 選 】
○03 のり弁の  のりの湿り感と、鳥の恋、あのじわっとした感触が鳥の恋か、なるほどと納得。
○19 母の日に  母の日と歯の金属が外れる、この取り合わせにいろんなことが想像され,想像させらる。
○24 豆の蔓  言われて納得の句。こんな人が本当に強い人なのであろう。
○48 空蝉や  防護服の青十字、底知れぬ恐怖を、空蝉の背中感じた。まったく同感。

【 草野ぐり 選 】
○03 のり弁の  外でのランチか。のり弁が好きか嫌いはあの海苔の湿りが好きか嫌いで分かれるのではないだろうか。鳥の恋と取り合わせがよかった。
○10 風船や  子供が手を離してしまった風船が駅の待合室か通路の天井に留まっている。私は大きな駅をイメージしたが持ち主の子供ももうおらず、人は慌ただしく行き交い風船に気づく人も少ない。風船という明るく可愛らしい季語にもかかわらず何か閉塞感やアンニュイな印象を持った。それも春の一面だなあと。
○13 スカーフに  イギリス民話というと何だろう。「ジャックと豆の木」かな?「金の腕」という怖い民話があったがまさかそれではないだろう。スカーフが風に吹かれてと、ちょっとつきすぎかもしれないが気分のいい句。イギリス民話がいい。
○35 藤棚の  どんなに大きな藤棚だろう。子供たちがてんでに好きな方向をむいて、おしゃべりに夢中な子や一心不乱に描いてる子や、情景が浮ぶ。
 その他
 16 夏燕京都に市電ありし頃
 17 くれなゐの低温やけど豆の飯
 38 つばくろの胸ふかふかと飛び発ちぬ

【 二川はなの 選 】
(今月は選句お休みです。)

【 水口佳子 選 】
○09 あの日から  このたびの震災、大津波のことだと思う。海辺に行くとあの津波はどのくらいの高さまであったのだろうかとつい思ってしまう。磯遊びという本来なら楽しいはずのもにさえ、ふっと不安が押し寄せる。〈あの日〉から誰もそうである。
○18 職安に  何だかわびしい句。職安に通い詰めているのに一向に明日が見えてこない・・・しかも毎日雨・・・日本は今こういう人であふれている。〈職安〉はあまり詩的でない言葉だが、現代そのものでもある。 
○26 夕涼や  〈旅のはじめがもう遠き〉という多くを語らないゆるやかな言葉に惹かれた。どんな旅か想像が膨らむ。
○42 藤棚や  距離ができるのは歩巾だけではない。気持の上での距離のことも言っているのだろう。藤棚の花も密集しているようで、ある距離を保っているようだ。風によって揺れるとき、その揺れ方も一様ではない。そんなところが作者の心理を表わしているようにも。〈出来〉はこのばあい、平仮名がいいと思いましたが如何でしょう。
 その他
 02 バス停に  〈バス停へ〉とすると景がはっきりすると思うのですが。
 10 風船や  〈や〉でなく〈の〉だったらいただいたのですが。〈や〉で切れているので留まっているのは作者ということでしょうか。
 17 くれなゐの  ちょっと惹かれた句。季語がこれでいいのかと・・・
 21 電車来て  線路端のヤグルマギクはよく見かけますので、景はよく見えてきますが、〈懸想〉でなくもっとやさしい言葉がいいかと思いました。
 34 目覚むれば  面白い詠み方で好きな句です。〈なりき〉では過去のことになってしまいますのでそこが気になりました。

【 小津無三 選 】
(今月はお休みです。)

【 喜多波子 選 】
○03 のり弁の  海苔の湿りと・・鳥の恋との取り合わせが見事だと思います
○12 ひよめきに  赤ちゃんのひよめきがぴくぴくして居て元気 汗も風も 人までも集まって見ている嬉しい句です。
○47 藤棚の  藤棚のしたは、がらんどうです。そこに・・ひとりぽっちでいる至福の時です。藤の香に包まれながら・・
○48 空蝉や  青い線入りの防護服をきて 自宅に戻ったのかもしれません 空蝉が 色々と未来を感じさせて不安になる・・句です。

【 梅原あたみ 選 】
○01 初蝶や己の影見よ日溜りに
○09 あの日からふと恐ろしき磯遊び
○13 スカーフにイギリス民話青葉風
○27 足裏に田螺三つ四つ見つけたり
○42 藤棚や母と歩けば距離が出来

【 鋼つよし 選 】
○24 豆の蔓  詩人はこんな感性を持ち続けることが大切と思う。
○27 足裏に  裸足なんでしょうか、驚きと楽しさが読み取れます。
○39 潜りゆく  亀の子を追う子供を見つめている親でしょうか。
○42 藤棚や  母の老いを表現していますが、藤棚が綺麗で良い句と思います。
選外ですが
14風評も風化も**風評、風化と決まっていて、
18職安に卯の花腐し**取り合わせに惹かれた良い句と思いました。

【 中村阿昼 選 】
(今月はお休みです。)

【 小川春休 選 】
○03 のり弁の  のり弁の描写と季語の力だけで、春の行楽の気分の良い広がりのある景を読み取らせてくれる。なかなかに見事な句です。
○29 鉢底に  「はつらつ」という言葉を詠み込むのはなかなか難しそうですが、この句はのびのびとした馬鹿馬鹿しさ(もちろん褒め言葉)のある句で良いですね。母音のあ音の多用も、句の印象を明るくするのに一役買っています。単純な内容の句とも見えますが、こういう句こそ確かな技量がないと詠めない句かもしれません。
○34 目覚むれば  眠っている間に全く違う環境に移されてしまう蚕の立場を描いていて、なかなかに面白い句です。目覚めると繭の箱に、というと、ちょっとカフカの『変身』を髣髴とさせますね。俳句では、主語を省略しても文脈から読み取ることができればOKですし、その省略された主語が詠み手とイコールでなくてもOKな訳です。
○42 藤棚や  単に母の歩みが遅いからというのではなく、藤に見入って立ち止まる母の姿も浮かんできます。やさしい句ですが、べたべたした句ではないところが良いと思います。
 01 初蝶や  上五と中七の末がどちらも切れになっているため句のまとまりがありません。それに、「影」という言葉から日差しの強さは十分読み取れるので、下五は蛇足という気がします。
 06 土砂降りの  上五中七、どうも説明的な印象です。
 07 置き所  置き所とありますが何を置くのでしょう? それも映画に。言うべきことを言い足りていないのではないでしょうか。身の置き所のことであれば、「身の」を省略しては意味が通じないと思います。
 10 風船や  何でもないところに詩を見出した点には好感を持ちましたが、「や」と「ぬ」で切れが二つになってしまっており、もっと焦点を絞れそうです。
 11 蝶今年  そういえば今年は蝶が少ないような気がするな、とも思いましたが、ただ単に、私が日中野外にいることが少ないだけかもしれませんね。平日は寝に帰るだけ、休日は家から出ずにぐったりしてることが多いですから。これって愚痴ですね、失礼しました…。
 12 ひよめきに  上五中七、ちょっと「詩的表現」すぎるのではないでしょうか。季語にもっと具体性があればその甘さも緩和されるかもしれませんが…。
 13 スカーフに  助詞の一文字以外は全て名詞という句ですが、しっかりと物が存在感を持って見えてくる点が良いです。
 14 風評も  句の中で「怖い」とは言っていても、下五に「つつじ咲く」とあるので、私は何だか平和な印象を受けてしまいます(それが書き手が意図したことかどうかはまた別問題です)。そういう読みだって成立する、そういう曖昧さを韻文というものは持っている。確かに季語が入って五七五にはなっていますが、私はこういう句を読むとどうしてももどかしい気がしてなりません。私自身は、こういう内容は、きちんと散文で論理的に読み手に届けるべきだと考えています。
 15 早蕨や  頭を擡げたのは萱でしょうか、早蕨でしょうか。書き手が意図したのが早蕨であれば、この位置に切れがあると分かりにくい。また、萱の方を意図したのであれば、「頭擡げる」という特定の一本に対する描写と「原」という複数の萱を示す言葉が並存しているため、くっきりとした映像を結びません。すっきりと簡潔にして余韻のある表現を目指して、推敲してみてください。
 16 夏燕  俳句は必ずしも現在のことを書かなければならない、という訳ではありません。ただし、過去の内容を句にすると、「たった今」の句よりもどうしても鮮度の点で劣ってしまいがち。特に、この句の末の「頃」でまとめる叙述は、個人的にはとてもゆるく感じてしまいます。たとえば、「夏燕かつて京都に市電あり」とすれば、昔の京都に思いを馳せながらも、現在の町並みと燕たちの活発な姿が二重映しになるのではないでしょうか。響きもきびきびして夏燕らしさが出るように思います。
 17 くれなゐの  もっと面白い句になりそうなのですが、言い回し等、坦々としすぎているように感じます。例えば「豆飯や低温やけどくれなゐに」等、切れ字を入れて、上下を入れ替えるだけでも印象はかなり違ってきます。
 20 豆電球  「豆電球点けて眠る」で暗いことは分かるので、下五の季語は蛇足という感じがします。
 22 残雪の  中七の描写は少々甘いのではないでしょうか。「照り」や「輝き」よりも、もっと残雪そのものの姿を読みたいです。
 23 おでかけ用  「おしりふき」という俗な句材を詠み込もうとした意欲は良いと思いますが、「買ふ」ではドラッグストアのレジの風景などが見えてくるばかりでつまらない。「落花飛花」もあまり活きてきません。句の中で実際に使ってやってこそ、「おしりふき」は活きるのではありませんか?
 24 豆の蔓  素直な写生句で、好感を持ちました。
 27 足裏に  足跡に、ではなく足裏にくっついていたのですか? 踏んづけて砕いてしまいそうな気がしますが…。
 31 母手術(オペ)の  言葉が多くごちゃごちゃした印象です。それぞれの言葉が原因・結果を述べてしまっているのも気になります。
 32 葉桜や  花見のシーズンが終わった印象を、独自の視点から捉えられた句と思います。花見客を「飽食の人」と捉える批判精神が込められています。上中下の始めに配された、は行音の頭韻がなかなかに巧みです。
 33 石楠花の  上五中七の描写である意味「別天地」的なところだということは分かるので、下五は言わずもがなといった印象です。
 36 挨拶で  動詞や動詞に準ずる語(挨拶・打倒というさ変動詞になる名詞)が多く、まとまりのない印象です。下五は動詞ではない季語にできないものでしょうか。上五中七も具体的にどういうことなのかよく分かりません。挨拶すると打倒に燃えられるというのでは、物騒で挨拶もしにくくなると思うのですが…。
 38 つばくろの  中七の描写と下五の動きとを、「と」でつなぐのは少々無理があるのではないでしょうか。例えば「子燕の胸ふかふかや飛び発てる」のようにすれば、切れ字の働きによって、上五中七の静(状態)から下五の動への場面の切り替えとして無理なくつなげられそうです。
 41 空港へ  目的地がはっきり分かっているということは、タクシーに乗っている際の句ということでしょう。しかしそうなると、タクシーはお客様第一なので、薄暑になればしっかりクーラー効かせてあると思うんですよね(実際最近利用したタクシーはいずれもそうでした)。なので、「薄暑」を実感する場面としてはそれほど適さないと思いました。
 43 鉄線花  誠実に対象を描かれていると思いますが、描写に少しメリハリがあれば、とも思われます。例えば「鉄線花小さき花は色を濃く」とすれば、「は」の働きで他の大きな花たちも見えてきて、色の濃い薄いのコントラストも言外に伝わってきます。
 48 空蝉や  中七下五の内容からすれば、なかなかすっとぼけた季語と合わせることも難しそうですが、空蝉では書き手の意図が見えすぎてしまうように思います。
 51 面舵いつぱい  とても印象に残る句ですが、下五の叙述はもっとシンプルな方が上五中七の見所が活きてくるかもしれません。面舵を切る動作や紫陽花の色の変化を、なるべく瞬間の出来事とした方が印象が鮮明になると思いますが、「日は」というと時間的な範囲が広く、ムードに流れてしまっている感じがします。着想が良いだけに、こういう点は気になります。
 52 雨の巣の  雨の巣とは、低気圧か何かでしょうか。となると主とはカミナリ様でしょうか(ドリフ?)。「さえ」によるつながりも曖昧で、よく読み取れませんでした。


来月の投句は、6月15日までに、3句お送り下さい・・・・・・投句はこちら

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