【 伊藤笛吹 選 】
○19
蟻の運ぶ 情景が目に浮かびました。確かにひん死の蚯蚓は時折うねります。
○30
姑が これも目に浮かびました。姑の表情まではっきりと。確かに平泳ぎで泳ぐと真顔になっておもしろい。そして、それがほかでもない姑の真顔というところが、やはりミソでしょうか。姑が真顔で来るのはちょっとおそろしい。泳ぐ時の真顔と、姑の真顔という、ふたつの手柄が、ぴたり一致して、おもしろおそろしいのは、なかなか俳諧度が高いと思いました。
○46
初生りの 胡瓜の曲がりは愛嬌があります。この愛嬌をどう表現するか・・小気味良きというのはなるほどという感じです。ちょっとストレートに表現し過ぎかとおも思いましたが、でもやっぱり小気味いい曲がりという表現でぴたっと合っているので、仕方ないと思いました。
○51
清張も 一読目は、無常を詠んでいる平凡な句にも見えて、ちょっと読み過ごしました。でもなんだか気になって戻って読みなおしました。そうしたら、清張も司馬もいないというのは、昭和という時代がもう本当に終わっていくんだなという感慨にうたれました。「明治は遠くなりにけり」の句の昭和版でしょうか。派手な句ではないですが、心の襞に引っかかってくるような、読み返すほどに味が出てくるような、よい句だと思いました。
【 森田遊介 選 】
○17
夏掛けの 夏布団から聞こえる寝言は何なのか。部屋を開け放した夏の夜の様子が見えます。
○39
あめんぼの 確かにその通り!写生が生きています。小学校の理科倶楽部のレポートにあるような観察力です。でもそう簡単には俳句には収まらないのですがこの一句は見事に収まっています。
○45
しばらくは 暫くの時間蚊の生態を観察していたのでしょうか。見つけたらピシャリとやってもあげたらよいのでしょうが、写生したら暫くの時間が経ってしまった。愛らしい句と思いました。
○46
初生りの 曲がり胡瓜など期待してはいなかったけれど、何故か曲がってしまった。これが小気味よいとは育てた胡瓜に愛着があるのでしょうか。期待はずれの出来だけれど嬉しい収穫という作者の満足感を思いました。
【 小早川忠義 選 】
○15
明易や 明易、という言葉は四角がいくつも含まれていますね。それを狙われたんでしょうか。たまにはアーチ型の窓があったっていいですね。
○17
夏掛の 夏掛けでも肌寒い陽気はありますね。寝言って暑くない時ってはっきり聞こえるものなのでしょうか。ソレが興味深い。
○21
キャラメルに 暑い中でパラフィン紙を解くと、べたつかずにキャラメルが出てくる。これも製菓会社の創始者の苦労の賜物、だそうで。
○29
七夕の 短冊を書いた墨か、笹を持ち運んだ泥かで汚れた手を優しく洗い流してくれるのは、母が選んだちょっと上品な紙石鹸。それは年を経れば懐かしい匂い
となって記憶に残り続ける。
【 石川順一 選 】
○23
咲き満ちて 当たり前の状況を読んで居るだけかも知れませんが、素直な感動の表出を感じ良としました。
○29
七夕の これは七夕の願い事を書いた紙から石鹸の匂いなのか、「七夕の」で切れて人間の髪から石鹸の匂いがしたのか迷いましたが後者だと思い読むと、大変艶な事だと思いました。
○46
初生りの 「小気味よき」と感じた作者の主観がうまく詠まれて居るのではと思いました。
○53
感謝してます これは読心術なのか、それとも実際に「感謝してます」と言って居るのを聞いたのか、句中の「という」の意をとりかねて迷いましたが、どちらにしてもユーモラスなとらえ方だと思いました。俳句俳諧のもといを啓発してくれる作品だと思いました。
【 湯木ねね 選 】
○10
梅雨茸 心のなかにはえている景色がうかんだり。お天気に気持ちは左右されるなと思うこのごろ、映画とのとりあわせが不穏で好きです。
○27
点は線を そういった宿題でしょうか。長い雨の日の風景ですね。
◎46
初成りの 小気味よい、という感覚だったんだ、と感心しました。最近我が家でも目にする光景ですが、なんと表現したものか迷っていたので。
○39
あめんぼの へこむ、たしかにへこむね!と一人納得した次第です。
【 涼野海音 選 】
○04
半眼の 「河鵜」から「半眼の河鵜」になったという一瞬の変化に注目。「なりて」という言い方は少し回りくどいようにも思えましたが、「半眼の河鵜」の静的な状態を適切に表現しています。
○10
梅雨茸 「映画は深夜まで」という当たり前のようなことですが、「梅雨茸」と取り合わせられると、何か危うい雰囲気を帯びています。
○13
恋をして 「馬鹿に」というとても大胆な表現と「あめんぼう」の軽さの妙。中七から下五への飛躍が面白いと思いました。
○21
キャラメルに キャラメルに網目が規則正しくついている。そこに涼しさを感じた。まっすぐに引かれた線が心地よいのと同様な心理でしょうか。
【 林 華 選 】
(今月はお休みです。)
【 松本てふこ 選 】
○13
恋をして あめんぼうの斡旋が効いています。水に散らばって動く姿を見ていて、自分をふと客観的に捉える視点が生まれたのでしょう。上五中七は俗っぽい言い回しだし使い古された感もありますが、憎めないです。
○21
キャラメルに キャラメルも保存場所を間違えると溶けてべっとべとになって食べるどころではなくなってしまうこの季節。でもこの句のキャラメルは形もきわやかさを保ち、とても美味しそう。網目を涼しい、と捉える作者の感覚に涼しさを覚えました。
○27
点は線を 意味深な言い回しの一句。点と線って雨粒のこと? 例えば何かの葉に点として落ちて、やがて線となって滑り落ちるってこと?
だなんて深読みをしたくなってしまいます。もう少し読みのヒントが欲しい気もしますが。「促し」「腐し」の脚韻が気持ちいいです。
○30
姑が 「姑が真顔で平泳ぎで泳いできた」ということですよね。貼り付いた笑顔を交わし合うような関係なのか、はたまた心から仲良く出来ているのか…どちらにしてもいつもと少し違う姑の顔。平泳ぎと姑、という取り合わせがなんとも滑稽です。
【 足立山渓 選 】
○02
かあちゃん 幼子ながらよく親を観察していて、おねだりするときは、言葉を使い分けているようだ。季語がいい。お母さんに甘える仕草が目に浮かぶ。
○04
半眼の 上五がいい。よく対象物を見ている。
○15 明易や 窓が四角なのは当たり前だが、そこが俳諧味があってすばらしい。
○51
清張も 二人の大文豪を並べ季語とのかみあわせになんともいえない良さがある。
【 川崎益太郎 選 】
○09
梅干して 梅を干すというごくありふれた日常と理想の家の間取りとの取り合わせが上手い。「など」とぼかしたところも憎い。
○13
恋をして 恋は盲目。馬鹿でも何でもいい。あめんぼうとの取り合わせもうまい。
○26
髪洗ふ 何にでもつく西行忌と言われているが、髪を洗って西行、なんでだと言われても困る作者。しかし、採らされてしまう句。
○45
しばらくは どんなお母さんか。いろいろ想像できる。蚊が止まっても気が付かない母・・・。しばらくも意味深である。
【 草野ぐり 選 】
○21
キャラメルに キャラメルはどちらかといえば夏むきではないと思うがあの網目に涼しさを感じるとは。独特のセンス。
○29
七夕の 紙石鹸のあの薄さと色合いと淡い匂いは七夕のあの笹ととても合うことに驚いた。あの薄っぺらさが短冊も連想させて面白い。
○30
姑が 真顔でなく泳ぐことの方が難しいだろうがこうしっかりと言われると妙に納得してしまう。しかも姑が。平泳ぎで。嫁をめざして一心不乱に泳いでくるのだ。鬼気迫るものとおかしみが同居する句だ。
○46
初生りの 家庭菜園だろうか、胡瓜の曲り具合さえも愛しい。収穫のよろこびがあふれている。
【 二川はなの 選 】
○04
半眼の 動物の姿に風格を感じることは多い。この河鵜、岩の上から何を見ているのだろう。
○20
食ひ意地の まるまると太った、よく眠る子が想像される。麦の秋の爽やかさが良い。
○32
箱庭の その丸の中にどんな企画が盛り込まれるのだろう。たのしい句。
○38
むかで出て 「音立てて」と言ったところから「音は立ててはいけない場所」だろうと想像される。
【 水口佳子 選 】
○09
梅干して 〈梅干す〉という季語は〈家〉というものへの連想へと繋がりやすい季語かもしれない。(そういう句を今までにも見たことがあるので)梅干しというのは日本的、かつ家庭的イメージなのだろう。〈理想の家の間取り〉の〈理想〉は〈間取り〉の方へかかっている言葉なのかもしれないが、〈家〉にもかかっているようでもあり、何か作者の家庭の中での満たされない気持がうかがえておかしい。
○21
キャラメルに 普段何気なく通り過ぎている物をしっかり捉えていて、ああやっぱり俳人はこういう目を待たなければと思わせてくれる句。〈涼しき網目〉がいいなあ。これはもしかして以前チョコレートに音符があると詠んだ人だろうか?
○30
姑が 平泳ぎだけは誰にも負けないわよ、もちろん嫁にも・・・と言いたげな姑の顔が想像できておかしいやら、怖いやら。でもこの姑に自分の姿を重ねたりもして・・・
○45
しばらくは 何だか変だなあと思う。しばらくとはどれくらいかは分からないが、その間作者はそれを黙って見ていたということになる。ふつう手で払うとか、パチンとやるか・・・なのに作者はただしばらく蚊が止まっているその光景を見ていた。いつも何も意識しないで見ていた〈母のうなじ〉がその時は特別に見えたのかもしれない。
【 喜多波子 選 】
○06
枇杷の皮 枇杷の実の小ささが「ちゃつちゃつと剥いて」で言い尽くしている上手い句で戴きました。
○21
キャラメルに キャラメルに必ずある網目・・涼しいと言われる着眼点が良いです。
○35
ぶらんこの 当たり前の事ですが 鉄臭さを言った句は初めて出会いました。
○46
初生りの 嬉しい初生りの胡瓜・・それも小気味良く曲がっている 小気味よき曲がりが、上手いと思いました。
【 鋼つよし 選 】
○39 あめんぼの 楽しんでいる様子が良く見える。
○46
初生りの 句またがりうまく効いて小気味よさがよく出ている。
○49 昼寝する どんな爆発か楽しみ。
○53
感謝してます どういう場面であれうまい瞬間を句にされた。
そのほかの佳句 04 半眼の、09 梅干して、30 姑が真顔、35
ぶらんこ、47 十薬の、51 清張も、みな良い句と思います。
【 中村阿昼 選 】
◎21
キャラメルに 夏はチョコもキャラメルも溶けて包み紙にひっついて困る。なので、「キャラメルに涼しき網目」とは意外だった。きっと冷蔵庫に冷やしておいたキャラメルをもらったんだろう。そんなちょっとした心遣いが嬉しい。
○30
姑が ちょっと怖くてちょっと滑稽。秀逸の姑句。
○39 あめんぼの 確かに、確かに。あめんぼを見るたびに思いだしそうな句。
○53
感謝してます 季語が複雑な感情の一端を代弁していて、上手い。30の句の後に読むと、相手は姑?とか連想してしまう。
他に好きな句がいっぱいありました。
09
梅干して理想の家の間取りなど
13 恋をしてつくづく馬鹿にあめんぼう
16 お社の梅の実配りまうまぢか
17
夏掛の下のくぐもる寝言かな
24 春蝉の声しはがれになりゆけり
32 箱庭の砂に描かれし丸なりけり
41
植田いっぱいの水ふっと汚染水
46 初生りの胡瓜に小気味よき曲がり
52 石敢當泡盛に舌痺れさせ
【 小川春休 選 】
○02
かあちやんとも 時により母のことを「かあちやん」とも「ママ」とも呼ぶ、「ママ」と呼ぶのが少し恥ずかしくなってくる年頃なのでしょう。いつまでも子供だと思っていても、自然と成長していくものなのですね。ゆったりとした「枇杷熟るる」も良いです。
○09
梅干して この句が巧みなのは、「梅干して」で現在の家のたたずまいがある程度見えてきて、その現在の家への不満(と愛着)を下敷きにした上での「理想の家の間取り」の話であるところ。なかなかに重層的です。景も人の姿もよく見えてくる。
○32
箱庭の 眼前の景の描写に徹した叙述に好感を持ちましたが、もしかすると虚子の〈春の浜大いなる輪が画いてある〉を下敷きにした句なのかもしれませんね。
○39
あめんぼの 言われてみれば確かにそうですね。よく見て描写されています。あめんぼは脚に細かい毛が密生しており、水の表面張力を利用して水面上を移動します。水がきれいでないと、表面張力がなくなってしまい、沈んでしまうのだそうです。
01
幽霊か 言い回しというか語順というか、この形だと先に答えが出てしまっている感じがします。「ほの白き顔幽霊か紫陽花か」とした方が、「ほの白き顔」がしっかり浮き上がってくるのではないでしょうか。
04
半眼の せっかく良い所に着目しているのに「となりて」でゆるくなっているのがもったいないです。絶対もっと良くなる句、ぜひ推敲を!
05
下闇に 本人にとっては純粋な景の描写なのかもしれませんが、日当たりが悪いから咲き遅れた、と読めてしまう面があるのも否定できません。写生句を書く上では、そのような理がついてしまわぬように、自分が自作の第一の読者として、チェックする必要もあるのだと思います。私自身それができているかといわれると、なかなか難しいのですが…。
06
枇杷の皮 中八にする必要性があまり感じられませんでした。二つ目の「つ」は無くても良いような…。もしくは「ちやつちやつと皮剥いて枇杷一口に」などと語順を変えるのも手かと。
10
梅雨茸 「梅雨茸」と深夜までやっている映画の取り合わせはとても良いと思いますが、「増えて」はあまり効いてないのではないでしょうか。最近のシネコンではなかなか成立しない世界で、昔ながらの映画館が目に浮かびます。
13
恋をして 下五の離れ具合、言いっぱなした感じが良いですね。
15
明易や 「家の窓」全てを一度に見ることは難しく、恐らく観念として「みな四角」と言っているのだと思いますが、その観念という点がこの句の弱点になっているように感じました。
16
お社の 恒例の催しが例年通り催されるというだけでもありがたいですね。特にこの震災以来そう思うようになりました。
19
蟻の運ぶ しっかり写生しようとする意志が感じられる点に好感を持ちましたが、「時折」や「たる」は必ずしも必要でない言葉だと思います。特に「時折」はせっかくの写生句が間延びしてしまう弊害が大きい。例えば「蟻の運ぶみみず大きくうねりたる」などとした方が、運ばれまいとするみみずの生命力の強く感じられる句になるのではないでしょうか。
23
咲き満ちて なかなかに真正面から花を描写することは難しいことです。この句もきちんと書けてはいますが、もう一歩深く踏み込んでほしいとも思います。よりよく見ること、たくさん書くこと、たくさん読むこと、結局のところ、それが自分の句を深めていく確実な道なのだと思います。
26
髪洗ふ 西行という人はいろいろと逸話がありますが、どの西行を思い浮かべたのでしょう。西行のように、家を出て自らの信ずる道を行ってみたいと思ったのかもしれませんね、髪を洗いながら。
27
点は線を ちょっと読み切れませんでした。「促し」の読みが難しいです。
29
七夕の 「かみせつけん」の薄くて洗うと消えて無くなってしまう点が、七夕とよく響き合っていると思います。
31
えぞにうや 今回は沖縄っぽい句もあれば北海道の句もあり、バラエティに富んでますね。地名の具体性が句を強くしてます。「一輌車」も良いですね。ちなみに「増毛」という地名の由来はアイヌ語の「マシュケ」(カモメの多いところ)からだそうです。
38
むかで出て 動詞が多く、まとまりがない印象です。
41
植田いっぱいの 水も米も魚も、汚染を気にしなくてはならないとは、かなしいですね…。
42
早乙女や 「や・けり」になってしまっているだけでなく、すっきりさせることのできそうな点のある句です。「はにかむ」と言えばわざわざ「笑顔」と言わなくても笑っていることは読み取れます。推敲してみてください。
45
しばらくは 不思議な句。母の首に蚊がしばらく止まっていたら、退治するか追い払うかしそうな気がしますが、ただただ見ている。
46
初生りの 多分に書き手の好みの範疇でもあるのですが、私なら「や」で切りたいです。例えば「初生りの胡瓜や小気味よく曲がり」のように。
48
筍や あたかも自然科学のドキュメンタリー番組のような決定的な瞬間。私も実際に見てみたいものです。
50
芍薬の 蕪村の〈方百里雨雲よせぬ牡丹かな〉と近い趣向なのではないでしょうか。
51
清張も 「曝書」という季語から往年の作家に思いを馳せるという形は、自然といえば自然ですが、句としての広がりには欠けるようにも感じます。
52
石敢當 石敢當とは沖縄や鹿児島で見られる魔除けのようなものらしいですね。中七下五の描写も生き生きとしています。
53
感謝してます この感謝の主が、どのような感情を抱いているか、明確には書かれていませんが、その重みのようなものは描写から感じられます。句またがりも成功していると思います。
|