【 小林タロー 選 】
○05
夜学子の 大学というより高校であろう、生徒には20代の若者もいる。なにがしかの稼ぎもあり社会に出て働いている、という自負もある。そんな感じが黒エナメルの長財布から感じ取られました。
○24
「撤収」と 声が聞こえるというから屋外、撤収というのであればハードな肉体労働系夜業であろう。その声が女の声だった、という意外性ときつい作業環境が伝わってくる。
○45
旅終へて 秋の収穫され貯蔵され冬に出荷されるのが「冬林檎」。旅を終えた充実感とこれから何かが湧き出してくるような期待感が季語で表現されているように思った。
○50
道草の 小学校の行き帰りに田んぼの脇を通る、というのは無さそうでかなりある。私の所は日本一の繁華街「新宿」から30分のところだが田んぼはある。そんな田んぼに子供が入れるのは稲刈りが済んだあとだ。ほんとの道草ですね。「踏み入る」はやや固い感じがしますが--。
【 伊藤笛吹 選 】
○33
立冬の日よ 果たして現実なのか、幻想なのか。幻想のようにも思えるが、不思議な実感のある句。
○43
行く秋の 太股つつむというところに、少々太すぎる股がリアルに感じられる。それが行く秋と奇妙に合っており、おもしろい。
○50
道草の 自然で素直な景が気持ちよい。
○52 小春日や 千切れた旗と青空が見えました。
【 森田遊介 選 】
○23
マスクから 笑っているのは私でしょうか?それとも目の前にいる恋人でしょうか?大口を開けて笑える間柄。思わせぶりな句です。
○28
しぐるるは 以前は鮮やかな赤だった煉瓦はもう変色してしまった。時雨で更にその色も落ちてしまっている。時雨とかっての赤煉瓦の取り合わせがよいと思います。時の流れも感じます。
○32
晩餐の 晩餐と言うからには何かお目出度い席なのでしょう。その場から屋外の美しい鮮やかな紅葉が見える。屋内と屋外の対比がよいと思います。冬紅葉が祝いの席を盛り上げるようです。
○41
雑炊の 多分焦げないようにつきっきりで雑炊を炊いていたのでしょう。鍋の中をよぉく見ています。観察力が素晴らしいです。
【 小早川忠義 選 】
○08
ワレモノと 宅配便などで貼るワレモノシールってのは「大事にしてもらいたいから」とかいう理由で割れ物が入っているわけでもないのに、はったりで貼ることも
あったりします。大事でないものを大事であるように扱って、目的は熨斗を付けて「返品」といったところでしょうか。
○17
式部の実 どんな状況なのか考えさせる不思議な句です。目にしてから見かけなくなるまでの時期の短い紫式部の実のツヤと「透き通り行く」父親の姿と作者の間
をさえぎるものには、手の入れられない宿命を感じます。
○24
「撤収」と とことん非日常の風景が織り成される斬新な句だと思います。個人的には、「撤収!」ってコールが似合うのは関口宏さんかいかりや長介さんかな、などと。
○37
小春日の サブレーは、なんで鳥の形がメジャーなんでしょうか。あのざっくりとした舌触りから急にさらっと溶けて消える後味。鳥の羽を撫でている感覚に似て
いるからでしょうか。小春日の縁側に鳥は来てないのにお茶請けの形だけは鳥。とても面白いです。
【 石川順一 選 】
○04 書割に 「森の抽象」に芸術を感じた。
○15
肌寒や 労働の良さを感じた。
○34 満月が 鴨の住家は大丈夫だろうか。
○50 道草の 大人も踏み入れたのだろう。
【 湯木ねね 選 】
(今月はお休みです。)
【 涼野海音 選 】
○05
夜学子の 観察眼がゆきとどいた一句。生徒の趣味からその風貌までも分かりそう。
○18
食卓に 無造作に置かれている二つのもの。関係がありそうな、なさそうな・・・。
○21
山茶花の 「日陰」から診療所の大きさまでも想いました。目立たない所にありながら、人が行き交っている様子も。
○23
マスクから ユーモアと不気味さが混在しています。
【 松本てふこ 選 】
○04
書割に 書割という言葉が既に持っている抽象性が、それに続く「森の抽象」という表現と合わさることによって上五中七を「頭痛が痛い」みたいにしてしまっているところもあるのですが、そぞろ寒のさりげなさが効いてるなあ、と思って。
○05
夜学子の 長財布ってお金が貯まるんでしたっけ。私は黒エナメルでギャルみたいな女の子を想像したので、享楽的なんだけど勉強もやる気がないわけじゃないし堅実で縁起をかつぐ一面もある、そんな二面性のある人物を想像しました。夜学子にリアリティを感じさせた一句。
○08
ワレモノと 秋思をガラスや陶器のように透明感や冷ややかさがあり、凶器の要素もあるものと捉えた感覚が新鮮。下五に感じるちょっとした投げやりさにも共感。生活感と詩情のバランスが程よかったです。
○46
夜空より この感覚、分かるなとまず上五中七で思いました。下五はもうちょっとイメージというか舞台の転換があっても良かった気がしますが、広い視野で切り取った景と鎌鼬のスピード感と危険さとの取り合わせが面白かったので頂きました。
【 足立山渓 選 】
○13 こんもりに 落葉炊く一歩手前の景。目に浮かぶ。
○21
山茶花の 季語と「日陰の診療所」の措辞が合っている。
○32 晩餐の 「晩餐の窓辺」のフレーズと季語がぴったり。
○50
道草の 刈田に入って遊んでよく叱られた、子供の頃が懐かしく思い出されます。
【 川崎益太郎 選 】
○08
ワレモノと 自己の心情を、ワレモノと明示した。やや自虐的なところが気になったが上手い。秋思も効いている。
○18
食卓に 睡眠薬と椎の実の取り合わせ、異質の取り合わせであるが、似ているような気もしてくる。この微妙さが上手い。食卓に、は、食卓と、するのも一興か。
○23
マスクから マスクからはみ出すほど笑っている。大笑いをマスクから口が出るとしたところが上手い。
○24
「撤収」と 女も最近は深夜労働をするようになった。号令をかける地位の女もいるらしい。「撤収」がいろいろ想像させて上手い。
【 草野ぐり 選 】
○08
ワレモノと 不燃ごみに出した割れ物、秋思も一緒に出してしまえっ。でもまたすぐに物思いに沈んでしまったのではと何故か思わせる。一緒くたとまで言わずに感じさせられたらもっといいような気がする。
○49
電車待つ ひなびた駅だろうか、電車を待ちながらぼーっと花芒をみている。秋だ。
○51
冬木立 謎めいた句だ。それにしても人妻とみるサーカスというのはなかなかいいと思う。ちょっとエロティックだし。冬木立のたたずまいがまた二人の微妙な関係をあらわしているような。
○52
小春日や 旗がちぎれるほどのひどい風がうそのように今日は穏やかに晴れていて、旗もくったりとしているのだろう。
【 二川はなの 選 】
○03 踏み入るや蟲の跳ぶ跳ぶ草紅葉
○05
夜学子の黒エナメルの長財布
○12 よその子に爺と呼ばるる枯蟷螂
○46 夜空より電線黒し鎌鼬
【 水口佳子 選 】
○18
食卓に 〈睡眠薬〉などと言われると少々ドキッとさせられるが、不眠症の人って現代社会には案外多いのかもしれない。〈睡眠薬と椎の実〉、どちらかと言えば睡眠薬の方が非日常的で椎の実は日常的・・・以前は。しかし現代にあってはむしろ睡眠薬の方が日常で椎の実を拾うことの方が珍しいことなのかもしれない。余計なことを言わず読み手の想像に任せているところが良い。
○23
マスクから 笑える句。〈笑ひけり〉がやや喋り過ぎかとも思ったが、それが真っ赤な口紅を塗った口であったら・・・などと想像するとなんだか不気味な気にもさせられる。
○43
行く秋の 秋にいっぱい美味しいものを食べた結果の太股?〈網タイツ〉の網目の状態をあれこれ想像したくなる句。
○51
冬木立 〈冬木立人妻と〉・・・までは昼メロのような流れだが、その後に〈サーカスを見し〉という展開が意外で面白い。
その他
09
芒いま 芒の銀色の穂を〈鎌〉といったところ、たくさんの鎌が研がれていく景は怖いというより美しいと思う。
17
式部の実 これは父さんの幻なのかなあ。透き通るに作者の気持ちがうかがえる。
25
本直立 音読の景がよく見える句。干大根でいいのかなあと。
46 夜空より 好きな句。〈より〉が句を曖昧にしているように思う。
【 喜多波子 選 】
○08 ワレモノと 秋思を一緒くた がとてもリアルです。
○17
式部の実 母でなく、父が透き通るが発見です。
○43 行き秋の 大股で網タイツのいきいきした女性が頼もしく。
○46
夜空より 鎌鼬に拍手です。
【 鋼つよし 選 】
○24 「撤収」と 言葉から力仕事の現場が想像され勢いがある。
○30
牧閉す 年月を経た村の湯、出来たころは先進的なものだったのではと思わせる。
○47
銀杏散る 下五の五平餅が裏切りとユーモアに感じられた。
○50
道草の 刈田があれば踏み入りたくなるのが子供の自然ではないだろうか、いい景色と思う。
選に入れたい句 28 しぐるるは、42
茎漬や
【 中村阿昼 選 】
(今月はお休みです。)
【 小川春休 選 】
○04
書割に この森の抽象は、きっといくらかは花も咲いているし、もしかすると小鳥も描かれている、芝居の背景として使用されるようなものを想像しました。その森と、実際の季節とのギャップが「そぞろ寒」に表れています。
○05
夜学子の 妙な存在感のある句です。持ち主はどんな人だろう、と気にかかります。「夜」「黒」「長」と印象的なキーワードがさりげなくちりばめられているのも、ただ事のようでありながら不思議な存在感を醸し出すのに一役買っています。
○37
小春日の 何にも言っていないようでいて、雰囲気や景が浮かんでくる。サブレー自体小春日と相性が良いようですし、形状もキュート、「ひよこサブレー鳩サブレー」と並ぶことで、選べる喜びも。
○51
冬木立 何でしょうこの所在無い感じ。とても印象に残った句です。サーカスを見終えて、冬木立を歩いている、それだけなんですが、句またがりも相俟って、微妙な心理が垣間見えます。
01
聖堂の もう収穫も終わっているのでしょうね。日本とはまた異なる情景をきちんと句にされています。かつてワインは教会の大きな収入源だったらしいですね。有名なドン・ペリニョンというのも僧侶の名だそうですし。
03
踏み入るや 虫というと辞書的には「人獣鳥魚貝以外の小動物(主に昆虫)」で、秋の季語としては美しい声で鳴く松虫・鈴虫を指します。この句の「蟲」はどちらでしょう。「蟲」よりも、蝗などの具体的な虫の名の方が良いような気がします。
06
銀杏落葉 俳句は書き手が見たり思ったりしたことを書く場合が多いので、「見る」「思ふ」は蛇足になりがち。しかもこの句の場合、その前にある「似る」が「書き手がそう思った」という内容を含んでいるので、いろんな意味でダブっている。「思ふ」を省くことで空いた字数でディテールを描きたいところです。例えば「銀杏落葉あひるの足似地に張り付き」とか。
07
屋上に 屋上ということは、いわゆる卓上地球儀より大きいのでしょうか。私自身屋上の地球儀というのを見たことがないため、景としてちょっとピンときませんでした。申し訳ない。地球と憂国という響き合いは面白そうだと思ったのですが…。
08
ワレモノと ごみを詰めているのか、宅急便でも詰めているのか、おそらく前者だと思いますが、何か愁思の元になるものをごみと一緒に袋か箱に詰めているのでしょう。要らない物を片付けるという作業自体、悩み事を軽くしてくれることもありますね。句全体の調子がリズミカルで言葉がこなれている点も良いです。採りたかった句。
10
不機嫌に ボジョレー・ヌーボーのことだと思いますが、不機嫌な店員が並べてると買う気なくしますね。ワインやワイン生産者には罪はないですけども。呑むこと即ち喜びさ、酒はこうありたいものです。
11
本にある 間に「の」を入れても良い季語とそうでない季語があって、「木の葉の髪」は私としてはアウトではないかと思います。
12
よその子に この句を読もうとすると、作中主体の年代や、よその子と作中主体との関係性を読むことがどうしても必要になるのですが、そこがよく読み取れない。作中主体の年代も無記名だから分からないし(二十代で爺と呼ばれたらショックですよね…)、もしかしたら女性かもしれない(これまたショック)。もう少し、場の状況をフォローして伝えてくれるような季語なら良いのですが、「枯蟷螂」はそれほど効いていないと思う。
13
こんもりに 落葉掻きとはそもそもこういうもの、という気がしますし、「こんもりに」の「に」は不自然。「と」ではないでしょうか。
15
肌寒や 肌寒だから、水が冷たいから、と理が付いてしまっています。中八も必然性のあるものとは思われません。再考を。
16
露草の 「心」と「瞳」、比喩の二段構えは少し作り過ぎのように思います。
17
式部の実 直接的には描かれていませんが、日差し、木漏れ日を感じる句です。
23
マスクから 昔の童子ってこういうユーモラスな句がたくさんあったなぁ、と懐かしく読みました。
24
「撤収」と 威勢の良い女性、勢いのある場面ですが、中七の末でぷっつり句が途切れています。かな止めの句は、途中で切らずに一息に行きたいものです。さ変動詞は「せ・し・す・する・すれ・せよ」、連体形なら「声する」としなくてはならない。それぐらいなら「「女の声や夜業果つ」などとした方が良いような気もしますが、もっと良い句形がないか推敲してみてください。
27
枯どぐい 「枯どぐい」とは枯れた虎杖のことらしいですね、ネット検索してみたところ。しかし、「村に赤ちゃん居ずなりぬ」というのは新聞の記事のような内容で、具体的に何も景が浮かんできません。「村に赤ちやんひとりなり」ならまだしもその赤子という実体がありますが…。
30
牧閉す 村民湯、一度入ってみたいですね(よそ者ですが…)。ただ、もう少し、かろやかな、華やかさのある季語でも良いのではないですか。秋だからといって、わびしささびしさばかりを詠む必要はないと思います。
33
立冬の 「立冬の日」の「日」はday、それとも日差しでしょうか。dayの方なら立冬という語に既に含まれています。
36
寒の水 寒いから外せぬのか、寒の水でびしょぬれになって手にぴったり張り付いたから外せぬのか、どちらでしょう。あまり細かいことを述べて説明句になってしまうのも良くないですが、これでは内容がよく読み取れません。季重ねの意図もよく分からず、「手袋」とあれば「寒」は不要と思います。
42
茎漬や うまそうです。
44 鶏頭や 五五六の破調は解消したいところですね。
45
旅終へて 数年前の童子の大会にて、主宰の住む青森の林檎を記念にいただいて帰ったのを懐かしく思い出しました。林檎は日持ちもし、香りも強く、しばらく食べずに飾っておこうかと思わせますね。
47
銀杏散る 最初非常に惹かれた句だったのですが、五平餅を食べているのか焼いているのかが曖昧で次点としました。中七を贅沢に使ってあるので、そこの字数で何とか出来そうです。ぜひ再考を。
48
短日の 季語ごとに、その指し示す時間帯があります。夜長や日盛りなどは言うまでもなく、蝶なども読み手の心には昼の日差しを伴って現れます。短日という季語は、時間帯でいうと日が暮れ始める頃から完全に暮れ切る前ぐらいを思わせ、暮れ切ってしまうともう短日という季語の範疇から外れるように思います。俳句を作る上で、季語の本意というものの存在は大きく、本意をなぞったような俳句は面白くないですが、本意から外れると句自体が破綻してしまう。本意というものを少しずつ広げていくことが、俳句を作る、ということなのではないかと私は思っています。
49
電車待つ 「電車待つ」は「ホーム」の枕詞みたいなもので、あまり意味をなしていないと思うのですが(ホームだけで十分)。もっと花芒について描写を肉付けすべきでは。
50
道草の 「道草」「踏み入る」いずれも動きを生き生きと描くというよりは、状況説明に近いように思います。
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