澄江堂句集 芥川龍之介 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)蝶《てふ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)夕|明《あか》り [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「虫+車」、第3水準1-91-55] ------------------------------------------------------- [#ここから1字下げ] 発句 [#ここで字下げ終わり] 蝶《てふ》の舌ゼンマイに似る暑さかな 木がらしや東京の日のありどころ 暖かや蕊《しべ》に蝋《らふ》塗る造り花 癆咳《らうがい》の頬美しや冬帽子《ふゆばうし》 夏山や山も空なる夕|明《あか》り 竹林や夜寒のみちの右ひだり 霜どけの葉を垂らしたり大八つ手 木がらしや目刺《めざし》にのこる海のいろ 臘梅《らふばい》や枝まばらなる時雨《しぐれ》ぞら お降《さが》りや竹深ぶかと町のそら [#ここから3字下げ] 一游亭来る [#ここで字下げ終わり] 草の家の柱半ばに春日かな 白桃や莟《つぼみ》うるめる枝の反《そ》り 薄曇る水動かずよ芹《せり》の中 炎天にあがりて消えぬ箕《み》のほこり 初秋の蝗《いなご》つかめば柔かき 桐の葉は枝の向き向き枯れにけり [#ここから3字下げ] 自嘲 [#ここで字下げ終わり] 水涕《みづばな》や鼻の先だけ暮れ残る 元日や手を洗ひをる夕ごころ [#ここから3字下げ] 湯河原温泉 [#ここで字下げ終わり] 金柑《きんかん》は葉越しにたかし今朝の霜 [#ここから3字下げ] あてかいな あて宇治の生まれどす [#ここで字下げ終わり] 茶畠《ちやばたけ》に入り日しづもる在所かな 白南風《しらばえ》の夕浪《ゆふなみ》高うなりにけり 秋の日や竹の実垂るる垣の外《そと》 野茨《のいばら》にからまる萩のさかりかな 荒あらし霞の中の山の襞《ひだ》 [#ここから3字下げ] 洛陽 [#ここで字下げ終わり] 麦ほこりかかる童子の眠りかな 秋の日や榎《えのき》の梢《うら》の片なびき [#ここから3字下げ] 伯母《をば》の言葉を [#ここで字下げ終わり] 薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな 庭芝に小みちまはりぬ花つつじ [#ここから3字下げ] 漢口 [#ここで字下げ終わり] ひと籃《かご》の暑さ照りけり巴旦杏《はたんきやう》 [#ここから3字下げ] 病中 [#ここで字下げ終わり] あかつきや※[#「虫+車」、第3水準1-91-55]《いとど》なきやむ屋根のうら 唐黍《たうきび》やほどろと枯るる日のにほひ しぐるるや堀江の茶屋に客ひとり [#ここから3字下げ] 再び長崎に遊ぶ [#ここで字下げ終わり] 唐寺《からでら》の玉巻芭蕉《たままきばせう》肥《ふと》りけり 更《ふ》くる夜を上ぬるみけり泥鰌汁《どぢやうじる》 木の枝の瓦にさはる暑さかな 夏の日や薄苔《うすごけ》つける木木の枝 蒲《がま》の穂はなびきそめつつ蓮《はす》の花 [#ここから3字下げ] 一游亭を送る 別情愴然 [#ここで字下げ終わり] 霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉《かな》 [#ここから3字下げ] 園芸を問へるひとに [#ここで字下げ終わり] あさあさと麦藁《むぎわら》かけよ草いちご 山茶花《さざんくわ》の莟《つぼみ》こぼるる寒さかな [#ここから3字下げ] 菊池寛の自伝体小説 「啓吉物語」に [#ここで字下げ終わり] 元日や啓吉《けいきち》も世に古箪笥《ふるだんす》 [#ここから3字下げ] 高野山 [#ここで字下げ終わり] 山がひの杉|冴《さ》え返る谺《こだま》かな 雨ふるやうすうす焼くる山のなり [#ここから3字下げ] 再び鎌倉平野屋に宿る [#ここで字下げ終わり] 藤の花軒ばの苔《こけ》の老いにけり [#ここから3字下げ] 震災の後増上寺のほとりを過ぐ [#ここで字下げ終わり] 松風をうつつに聞くよ夏帽子 朝顔や土に匐《は》ひたる蔓《つる》のたけ 春雨の中や雪おく甲斐《かひ》の山 竹の芽も茜《あかね》さしたる彼岸かな 風落ちて曇り立ちけり星月夜 小春日や木兎《つく》をとめたる竹の枝 切支丹《きりしたん》坂を下り来る寒さ哉《かな》 初午《はつうま》の祠《ほこら》ともりぬ雨の中 [#ここから3字下げ] 金沢 [#ここで字下げ終わり] 簀《す》むし子や雨にもねまる蝸牛《かたつむり》 乳垂るる妻となりつも草の餅 松かげに鶏はらばへる暑さかな 苔《こけ》づける百日紅《ひやくじつこう》や秋どなり [#ここから3字下げ] 室生犀星金沢の蟹を贈る [#ここで字下げ終わり] 秋風や甲羅《かふら》をあます膳の蟹《かに》 [#ここから3字下げ] 一平逸民の描ける夏目先生のカリカテユアに [#ここで字下げ終わり] 餅花を今戸《いまど》の猫にささげばや 明星の銚《ちろり》にひびけほととぎす [#ここから3字下げ] 寄内 [#ここで字下げ終わり] ひたすらに這《は》ふ子おもふや笹ちまき 日ざかりや青杉こぞる山の峡《かひ》 [#ここから3字下げ] 越後より来れる婢《ひ》、当歳の児を「たんたん」と云ふ [#ここで字下げ終わり] たんたんの咳を出したる夜寒かな [#ここから3字下げ] 久米三汀新婚 [#ここで字下げ終わり] 白じらと菊を映《うつ》すや絹帽子《きぬばうし》 臘梅《らふばい》や雪うち透かす枝のたけ 春雨や檜《ひのき》は霜に焦《こ》げながら [#ここから3字下げ] 偶坐 [#ここで字下げ終わり] 鉄線の花さき入るや窓の穴 [#ここから3字下げ] 車中 [#ここで字下げ終わり] しののめの煤ふる中《なか》や下の関 庭土に皐月《さつき》の蝿の親しさよ [#ここから3字下げ] 悼亡 [#ここで字下げ終わり] 更けまさる火かげやこよひ雛《ひな》の顔 唐棕櫚《たうしゆろ》の下葉にのれる雀かな [#ここから3字下げ] 鵠沼 [#ここで字下げ終わり] かげろふや棟《むね》も沈める茅《かや》の屋根 さみだれや青柴《あをしば》積める軒の下 糸萩の風軟かに若葉かな [#ここから3字下げ] 破調 [#ここで字下げ終わり] 兎《うさぎ》も片耳垂るる大暑かな 朝寒や鬼灯《ほほづき》垂るる草の中 [#ここから3字下げ] 金沢 [#ここで字下げ終わり] 町なかの銀杏《いてふ》は乳も霞《かすみ》けり [#ここから3字下げ] 旭川 [#ここで字下げ終わり] 雪どけの中にしだるる柳かな [#ここから2字下げ] 計七十七句。大正六年より昭和二年に至る。 [#ここで字下げ終わり] 底本:「芥川龍之介全集6」筑摩書房    1971(昭和46)年8月5日初版第1刷発行 底本の親本:「澄江堂句集」文芸春秋社    1927(昭和2)年発行 ※本書は、大正十四年九月の「改造」に掲載された五十句に遺志により二十七句を加え、芥川龍之介死後「澄江堂句集」として文芸春秋社より帙入和本の装丁で刊行されたものである。 ※底本において、序文及び跋文は存在しない。 入力:小川春休 校正:(未了) 2009年3月21日公開