魚眠洞發句集 室生犀星 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)あそび妓《よね》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)篝|水子《かこ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#ローマ数字1、1-13-21] ------------------------------------------------------- [#改ページ]    [#大見出し]序文[#大見出し終わり]  自分が俳句に志したのは十五歳の時である。當時金澤の自分のゐた町裏に芭蕉庵十逸といふ老翁が住み、自分は兄と五六度通うて發句の添削を乞うたのが始である。十逸さんは宗匠だつた。併しどういふ發句を見て貰つたか能く覺えてゐない、只、十逸さんは宗匠らしい貧乏な併し風雅な暮しをしてゐたやうに記憶してゐる。  十六七歳の頃、當時金澤俳壇で聲名のある河越風骨氏に、毎週數十句を物して添削を乞うてゐた。自分の發句道を徐ろに開眼させて呉れたのも、その道に熱烈だつた河越氏に負ふところが多い。   焼芋の固きをつつく火箸かな  藤井紫影先生が北國新聞の選者だつた關係上、自分も投句して見て貰うた。或る早春の晩、紫影先生の散歩してゐられる姿を片町の通りで見て、詩人らしい深い感銘を受けた。   行春や蒲公英ひとり日に驕る   金魚賣出でて春行く都かな  記憶にある是等の句の外、まだどれだけあるか分らない。後に紫影先生は京都大學に轉任され、四高に繞石先生が後任された。自分はその頃「中央公論」の俳句欄にも投句して繞石先生に選をして貰うてゐた。四十句位書いて一句平均に入選した。爾來二十年、大谷先生にお目にかかる時に何時もその頃の拙い句を思ひ出した。  當時碧梧桐氏の新傾向俳句が唱導され、自分も勢ひ此の邪道の俳句に投ぜられた。従つて松下紫人氏、北川洗耳洞氏に作句を見て貰ひ、就中、洗耳洞氏には三年程その選句に預つてゐた。  これらの若い折の作句は年代に據つて明かにした。眞實の發句道に思ひを潛めるよりも、寧ろ一介の作句人たるに過ぎない自分の俳歴であつた。  二十五歳位から十年間、自分は俳道から遠ざかる生活をし、同時に詩も書かなかつた。自分は前の五年は市井に放浪し、後の五年は小説を書いて暮してゐたからである。  發句道に幽遠を感じたのは極めて最近のことであり、三十歳までは何も知らなかつたと言つてよい。幽遠らしいものを知つた後の自分は、作句に親しむことが困難であり少々の苦痛を感じた。芥川龍之介氏を知り、空谷、下島勳氏と交はり、發句道に打込むことの眞實を感じた。  俳友として金澤の桂井未翁、太田南圃氏等はよき先輩であつた。自分は發句道の奧の奧をねらひ、奧の方に爪を※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]き立て、耳を欹てる思ひがしたのも、極めて最近のことである。實際はまだ何も解つてゐない小僧に過ぎない。併乍自分の發句道も亦多少人間をつくる上に、何時も善い落着いた修養を齎してゐた。その美的作用は主として美の古風さを教へてくれたのだ。新鮮であるために常に古風でなければならぬ詩的精神を學び得たのは自分の生涯中に此の發句道の外には見當らないであらう。   昭和四年二月  大森馬込村にて [#地付き]著 者 [#改ページ]  [#大見出し]新 年[#大見出し終わり]   元日 元日の山見に出づる薺かな 元日や山明けかかる雪の中   初日 寒竹の芽の向き初日さしにけり   若水 若水や人の聲する垣の闇   お降り お降《さが》りや新藁葺ける北の棟 世を佗ぶる屋根はトタンかお降りす   雜煮 何の菜のつぼみなるらん雜煮汁   鍬初 鍬はじめ椿を折りてかへりけり   買初 買初《かひぞめ》の紅鯛吊す炬燵かな   左義長 くろこげの餅見失ふどんどかな 坂下の屋根明けてゆくどんどかな   若菜 若菜籠ゆきしらじらと疊かな   ゆづり菜 ゆづり菜の紅緒垂れし雪※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]きにけり [#改ページ]  [#大見出し]春[#大見出し終わり]   春日 竹の風ひねもすさわぐ春日かな としよりの居睡りあさき春日かな   餘寒 ひなどりの羽根ととのはぬ餘寒かな   春寒 春寒や葱の芽黄なる籠の中 木いちごの芽のさき枯れて春寒き   水温む 石蕗《つはぶき》の莖起きあがり水ぬるむ   陽炎 [#ここから4字下げ]西新井村 平木二六居[#ここで字下げ終わり] 陽炎《かげろふ》や手欄《てすり》こぼれし橋ばかり   日永     金澤 はたはた干し日の永さを知る   麗か 麗かな砂中のぼうふ掘りにけり   別れ霜 苗藁をほどく手荒れぬ春の霜   殘雪 殘雪やからたちを透く人の庭     金澤 藪の中の一町つづき殘る雪   雪解     金澤、犀川 石斑魚《うぐひ》に朱いすぢがつく雪解かな   春雨 春雨や明けがた近き子守唄   行春 金魚賣出でて春行く都かな     金澤 おそ春の雀のあたま焦げにけり   若草     悼亡 若くさの香の殘りゆくあはゆきや   凧 凧のかげ夕方かけて讀書かな 凧の尾の色紙川に吹かれけり   畑打 春蝉や畑打ねむき晝下り   涅槃會 おねはんの忘れ毬一つ日暮かな   雛 ねこ柳のほほけ白むや雛の雨 あはゆきとなるひいなの夕ぐもり     金澤、川岸町 雪みちを雛箱かつぎ母の來る     母よりの贈物を得て 古雛を膝にならべて眺めてゐる   梅     金澤、川岸町 硝子戸に梅が枝さはり固きかな 遠つ峯の風ならん障子の梅うごく     高柳眞三君に 梅を机に置き君が母老いぬ 障子張るや艶《つや》吹き出でし梅の枝     新小梅町、堀辰雄の家 梅の束もたらせてある茶棚かな   蕗の薹 枯笹や氷室すたれし蕗の薹 日だまりの茶の木のしげり蕗の薹   木の芽 空あかり幹にうつれる木の芽かな     深谷温泉 山深くなり芽立ちまばらなる   下萌 芝燒いて下萌の風起りけり 下萌や薪をくづす窓あかり   すみれ 竹の葉を辷る春日ぞ藪すみれ     湯ケ島村落 壺すみれ茶をのむ莚しきにけり     澄江堂に うすぐもり都のすみれ咲きにけり   たんぽぽ 乳吐いてたんぽぽの莖折れにけり たんぽぽの灰あびしまま咲きにけり 行く春や蒲公英ひとり日に驕る   餅草     野田山村落 餅草の匂ふ蓆をたたみぬ   くわゐの子 慈姑《くわゐ》の子の藍いろあたま哀しも   囀り 森をぬく枯れし一木や囀りす   歸雁 屋根石の苔土掃くや歸る雁   春の鮴 子供らの魚籠の鮴《ごり》みな生きてゐる   つつじ 曲水の噴上げとなるつつじかな   菜の花 辛し菜の花はすこしく哀しからん   つくし     犀川 瓦屑起せばほめく土筆かな   竹     病中 藪中や石投げて見る幹の音   桃 [#ここから4字下げ]母より干鰈送り來る[#ここで字下げ終わり] 干鰈桃散る里の便かな   桃の花     長女登園 桃つぼむ幼稚園まで附添ひし [#改ページ]  [#大見出し]夏[#大見出し終わり]   暑さ 暑き日や桃の葉蝕はる枝ながら かくれ藻や曇りてあつき水すまし   日盛り 硯屏に日盛りの草うつりけり   鮓 鮓の石雨垂れの穴あきにけり   避暑 避暑の宿うら戸に迫る波白し   ゆとん 澁ゆとんくちなしの花うつりけり   蝉 朝ぜみの幽けき目ざめなしけり ふるさとや松に苔づく蝉のこゑ かたかげやとくさつらなる蝉のから     輕井澤 山ぜみの消えゆくところ幹白し   かいつぶり     片山津温泉 波もない潟がくれるよかいつぶり   馬蠅 馬蠅の鏡すべり飛びにけり   蝸牛 蝸牛の角のはりきる曇りかな   螢 竹の葉の晝の螢を淋しめり 螢くさき人の手をかぐ夕明り   竹の子     草庵別離 竹の子の皮むく我もしばらくぞ   青梅 青梅や茅葺きかへる雨あがり     伊豆下田にて 青梅も葉がくれ茜さしにけり 朝拾ふ青梅の笊ぬれにけり     伊豆湯ケ島 炭ついで青梅見ゆる寒さかな     金澤 青梅や築地くえゆく草の中 青梅や足駄をさせる垣の枝     白鳥省吾を訪ふ 青梅やとなりの檜葉もさし交す   若葉     澄江堂金澤を去る 山房の灯《ひとも》らずなり若葉老ゆ   石榴の花 塗り立てのペンキの塀や花ざくろ   芥子の花 しら芥子や施米の桝にほろと散る   晝顏 晝顏に淺間砂原あはれなり 晝顏や海水あびに土手づたひ   芭蕉玉卷 芭蕉玉卷のぼる暑さかな   百合の花     輕井澤 ぽつたりと百合ふくれゐる縁の先   葱の花     伊豆街道 晝近き雨落着くや葱の花   藤 白藤に雨すこし池澄みにけり   藤の花     湯ケ島 藤の花|温泉《ゆ》どころの灯の見えにけり     湯ケ島の宿 やまめ燒く宿忘れめや藤の花   鬼齒朶 鬼齒朶の卷葉のはじく夏日かな   ぎぼし     田端草庵 ぎぼし咲くや石ふみ外す葉のしげり   杏 あんずの香の庭深いふるさと あまさ柔かさ杏の日のぬくみ となり家の杏落ちけり小柴垣   夏寒     輕井澤 夏寒き白粥煮るや古火桶 夏寒や煤によごるる碓氷村   秋近し 秋近や落葉松《からまつ》うかぶ風呂の中 竹の幹秋ちかき日ざし辷りけり あさがほや蔓に花なき秋どなり   新竹     悼澄江堂 新竹のそよぎも聽きてねむりしか   茨の花     澄江堂墓参 江漢の塚も見ゆるや茨の花 [#改ページ]  [#大見出し]秋[#大見出し終わり]   立秋     輕井澤 松かげや絲萩伏して秋の立つ   朝寒 朝さむや幹をはなるる竹の皮   夜寒 鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな きりぎりす己が脛喰ふ夜寒かな     動坂町 疊屋の薄刃を研げる夜寒かな しの竹や夜さむに冴ゆる雨戸越し   夜半の秋     金澤池田町 隣間にいとどを捨つる夜半の秋 秋の夜半風起きて行く枝葉かな   露     我が机置くとて 庭近く机つゆけきいとどかな   秋の風     輕井澤 裏山や枝おろし行く秋の風   行秋 秋ふかき時計きざめり草の家     兼六公園 雨戸しめて水庭を行く秋なれや   身にしむ 身にしむやほろりとさめし庭の風   秋の水 秋水や蛇籠にふるふえびのひげ   冬近し 固くなる目白の糞や冬近し   落し水 田から田の段々水を落しけり   渡り鳥 茶どころの花つけにけり渡り鳥   いなご ちんば曳いて蝗は縁にのがれけり   蟲 つゆくさのしをれて久し蟲の籠   虻 山虻の眼の透る茨かな   秋蝉 あきぜみの明るみ向いて唖《おおし》かな   秋の螢 燒砂に細るる秋の螢かな 山の井に螢這ひゐるやつれかな   きりぎりす     輕井澤 きりぎりす夜明くる雨戸明りかな きりぎりす白湯《さゆ》の冷えたつ枕上   栗 柴栗の柴もみいでて栗もなし   鬼灯 ほほづきや廓近き子の針子づれ   穂薄 青すすき穂をぬく松のはやてかな   零余子     金澤、池田町假寓 雨傘にこぼるる垣のむかごかな   茸     金澤、百姓町 白菊や茸もある店の灯のもとに   野菊 [#ここから4字下げ]小烏といへる犀川の石をあつめて[#ここで字下げ終わり] 小烏に野菊もすこし縁の端   豆の花     輕井澤 道のべは人の家に入り豆の花   蘆     片山津温泉 芦も鳴らぬ潟一面の秋ぐもり   柑子     金澤、川御亭 秋の日や柑子いろづく土の塀 [#改ページ]  [#大見出し]冬[#大見出し終わり]   初冬 初冬や庭木に乾く藁の音   冬 まるめろ一つ置いてある冬の床の間   時雨 消炭のつやをふくめる時雨かな 山あひに日のあたりゐるしぐれかな 金澤のしぐれをおもふ火桶かな 竹むらやややにしぐるる軒ひさし     大宮に遊ぶ しぐるるや飴の匂へる宮の内 しぐるるや煤によごれし竹の幹 菊焚いて鵞鳥おどろく時雨かな 鷄頭のくろずみて立つしぐれかな   冬の日 冬日さむう蜉蝣《かげろふ》くづれぬ水の面 枝に透いて鳥かげ迅き冬日かな     十四年一月歸京 冬日さすあんかうの肌かはきけり   あられ しんとする芝居さい中あられかな 水仙の芽の二三寸あられかな   氷 まんまるくなりたるままの氷なり   寒の水 寒の水寒餅ひたしたくはへぬ   小春 塀ぎはに萌黄のしるき小春かな   雪     繞石先生別莚 一句 雪のとなり家はカナリヤのこゑ 羽ぶとん干す日かげ雪となる かはらの雪はなぎさから消える   寒さ ふるさとに身もと洗はる寒さかな     空谷山人に 一句 あるじ白衣の醫に老ゆ寒さかな 魚さげし女づれ見し寒さかな   霜 燐寸買ふ霜ふけし家の蔀かな 栗うめて灰かぐはしや夜半の霜 竹の葉の垂れて動かぬ霜ぐもり きざ柿のしぶのもどれる霜夜かな   氷柱     川御亭 つらら折れるころ向ふ机かな   冬ざれ 冬ざれや日あし沁み入る水の垢 [#ここから4字下げ]輕井澤の虫、十二月に死にければ[#ここで字下げ終わり] 籠の虫亡きがらとなり冬ざるる   短日 短日や小窓に消ゆる魚の串   行年 行年や葱青々とうら畠 行年や笹の凍てつく石の水   暮鳥忌 暮鳥忌の書屋の埃はらひけり 朝日さす忌日の硯すりにけり   莖漬 莖漬や手もとくらがる土の塀   炬燵     山中温泉 庭石の苔を見に出る炬燵かな   冬ごもり 烏瓜冬ごもる屋根に殘りけり   燒芋 燒芋の固きをつつく火箸かな   水涕 水涕や佛具をみがくたなごころ   北窓閉す 豆柿の熟れる北窓閉しけり   榾 そのなかに芽の吹く榾《ほだ》のまじりけり   冬がまへ 飛※[#「馬+單」、第3水準1-94-20]に向ふ軒みな深し冬がまへ   春待 春待つや漬け殘りたる桶の茄子 串柿のほたほたなれや春隣 春待や花もつ枝の艶ぶくれ   寒餅 寒餅やむらさきふくむ豆のつや   草枯     大森新居 佗び住むや垣つくろはぬ物の蔓     犀川 野いばらの實のいろ焦げて殘りけり 草の戸や蔦の葉枯れし日の移り 草枯や時無草のささみどり   鱈 藁苞や在所にもどる鱈のあご   冬の蝶 [#ここから4字下げ]故郷に草房をゆめ見て[#ここで字下げ終わり] 冬の蝶|凩《こがらし》の里に飛びにけり   笹鳴     大森即事 笹鳴や馬込は垣も斑にて 日もうすれ閑《しづ》まる家ぞ笹鳴す 笹鳴や落葉くされし水の冴え 山吹の黄葉のちりぢり笹鳴す   山茶花 藁ぬれて山茶花殘る冬の雨 山茶花に筧ほそるる日和かな 山茶花や日のあたりゆく軒の霜 冷かや山茶花こぼる庭の石   梅もどき     川御亭 梅もどきの洗はれてゐるけさの雪   寒菊     金澤と別る 寒菊の雪をはらふも別れかな 消炭に寒菊すこし枯れにけり   冬すみれ     北聲會別莚 石垣に冬すみれ匂ひ別れけり 石垣のあひまに冬のすみれかな   春近し 朝ぬれし雨の枝々春近し   冬木 目白籠吊せばしなふ冬木かな   落葉 坂下の屋根みな低き落葉かな   干菜 足袋と干菜とうつる障子かな 底本:「室生犀星全集 第八巻」新潮社    1967(昭和42)年5月10日発行 底本の親本:「魚眠洞發句集」武藏野書院    1929(昭和4)年5月発行 著者:室生犀星(1889(明治22)年8月1日〜1962(昭和37)年3月26日) 入力:小川春休