草城句集(花氷) 日野草城 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)館《たち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)甘木|市人《いちびと》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「木+要」、第4水準2-15-13]《かなめ》 -------------------------------------------------------  このさゝやかな第一の著書を  父上母上に捧ぐ [#地付き]克修   [#改ページ]       春       時候 立春   柱聯や古りて春立つ七文字      書に淫す人立春の野を知らず 早春   炉一つをたよりに病むや春浅き      早春や藪の穂並に風見えて      早春や風音移る四方の藪      美しき人を見かけぬ春浅き 如月 ◎○きさらぎの藪にひゞける早瀬かな      きさらぎや小夜のくだちのマンドリン        白川荘に久女を迎ふ      きさらぎの鐘のひゞきを聴き給へ 春めく ○寺の灯もなべて春めく宵なれや 冴返る  水餅の水の濁りや冴返る     ○冴返る面輪を薄く化粧《けは》ひけり      もみあげの剃刀疵や冴返る 春寒   春寒や雨のひと夜は夢ばかり      裸灯を齎す厠春寒き     ○閨怨のいまだも解けず春寒き      春寒の月皎として嵐かな      春寒し平沙の果に雲垂れて      あらぬ人に敵意見出でゝ春寒き      春寒や竹の中なる赫映姫《かくやひめ》      店の灯のきらゝきらゝに春寒き      言ひつのる唇《くち》美しや春寒く      くちびるをゆるさぬひとや春寒し      かんばしく紅茶のたぎる余寒かな     ○檄を書く余寒の紙の白さかな        洛北今福寺芭蕉庵     ○春寒の白き障子をあけてみる        同 翁の水     ○蹈みわたる余寒の苔の深みどり 春暁   春暁や人こそ知らね樹々《きゞ》の雨     ○春暁や病者めざめて大きな眼      春暁の衣垂れたる衣桁かな      春暁の一水迅し窓の下     ○春暁の窓を披いて眺めけり      春暁や夢に泣いたる頬《ほ》の涙     ○春暁や咄残灯の蔭に鬼     ○春暁の白きシーツにめざめけり      春暁や残灯を見て床に在る      春暁やくもりて白き寝起肌     ○春暁やほのかに覚めし寄寝妻      春暁や厳しく閉す院の門        徹宵      次ぎ/\て春暁の火となりにけり        新婚の某君に寄す     ○春暁や巫山の雲雨霽れやらぬ 春昼   春昼の松籟遠くきこえけり     ○|槽《ふね》の湯のしきりに沸くや春の昼      春昼の真砂を濡らす潮かな      春昼やひそかにひらく白襖      春昼の心あまゆる湯あみかな      春昼の人を秘めたり白障子        新婚の某子に寄す     ○春昼の妻の起ち居や日曜日 春の夕  吾妹子《わぎもこ》の小唄も春の夕かな 春の宵 ○妻もするうつりあくびや春の宵     ○古妻と言ひも棄てまじ春の宵      春宵のわれをよろこび歩きけり     ○妻といふかはゆきものや春の宵      春宵やソーファの上の名画集     ○おとなへばあろじ湯に在り春の宵      湯上りのあろじと話す春の宵      訪客に風呂の馳走や春の宵      もてあそぶ青き林檎や春の宵      面伏しの妹のかごとや春の宵     ○見るほどに描眉《かきまゆ》さびし春の宵     ○|妓《こ》のなかの浮かぬ一人や春の宵        京極即事     ○心うらぶれて春宵の人を看る 春の夜  春の夜や雨明りして外厠      春の夜の愁は払ふまでもなし      春の夜や足のぞかせて横坐り     ○春の夜やお染泣虫泣ぼくろ     ○春の夜の眉のびやかに眠りけり      魂を棄てゝ春の夜眠り痴《し》れ      春の夜や紅紫みだれて鏡帷《かゞみかけ》      春の夜やレモンに触るゝ鼻の先     ○春の夜の足の爪剪る女かな      春の夜や妓《こ》の蟀谷《こめかみ》の頭痛膏      春の夜や顔あまやかす牡丹刷毛     ○春の夜や坐り崩れて女たち      春の夜や悪魔に魂《たま》を盗まるゝ     ○春の夜や脱ぎぼそりして閨の妻      春の夜の更け渡りたる寝息かな      酔さめてしらけし頬や夜半の春      妻も覚めてすこし話や夜半の春      寝しひとの魂《たま》の行方や夜半の春      春の夜の明け放れたる寝顔かな 弥生尽 ○昼風呂に眉根明るし弥生尽     ○過つて鏡を破りぬ弥生尽      やみつきとなりて通ふや弥生尽 日永   楊州は柳に晴るゝ日永かな     ○永き日の机の疵をながめけり    ◎○永き日や何の奇もなき妻の顔     ○永き日やほのかに芽ぐむ恋ありて     ○手焙や遅日の火種灰の中      茫然と浮くや遅日の島二つ     ○厠出て遅日の褄を整ふる      暮遅き芝に鳥影流れけり 長閑   磬打つてあとの長閑を欠伸かな      庭草履鼻緒ゆるびも長閑なる 暖か   暖かや持ち曇りして塗の盆     ○暖かや魔の来てふとる乳二つ 麗か  ○麗かや卯月の空の軽気球      うらゝかやしきりにひゞく午下の磬      うらゝかやうすよごれして足の裏     ○うらゝかや昼をねむたき女にて     ○うらゝかや煙草の先の灰すこし      麗日や殊に草萌ゆ厠の根        秘苑     ○うらゝかや躑躅に落つる鶴の糞《(ふん)》 四月   四ン月や倦める心の据ゑどころ 啓蟄  ○啓蟄や葬の騒ぎのひとしきり 行春   春ゆくや翠はかなき東山     ○春ゆくや片親の子の才《ざえ》のほど     ○徂く春や無為にして化す志      ゆく春や羸弱の妻句を能くす     ○ゆく春のやはらかき手を握りけり      離愁あれど言はぬ女や暮の春     ○人妻となりて暮春の襷かな     ○雨降りて春惜む眉静かなり      春惜む唇紅しソーダ水        題自照     ○徂く春のさびしき顔に写りたり        恋愛墓誌銘     ○ゆく春やこゝに埋むる恋衣 春    白魚も子持になりぬ春寂し      仏光や末法の世の春うらゝ       天文 春雷   初雷の遠とゞろきや梅の花     ○にはかなる梅の嵐や春の雷      金閣の池の蒼さよ春の雷      老杉に梅鮮かや春の雷     ○入寂の師の大喝や春の雷     ○読上ぐる斬奸状や春の雷      春雷のあとの大雨となりにけり 東風  ○橋へ来て東風の強さを知る裳裾        鏡中の影に与ふ 涅槃西風○無性鬚病者めくなり涅槃|西風《にし》 春の日  篁を染めて春の日沈みけり        京都駅頭     ○春光や白髪殖えたる父と会ふ 春の月 ○春月や山尾の寺の深廂     ○春の月廂がくりに明りけり      春の月更けしともなく輝けり      居佗ぶるや春の月出て暈を召す      春月をけがして荼毘の煙かな      春月や裸椢の一ト木立 春の雲  濁り江に春の白雲《しらくも》映りけり      春の雲眺めて居ればうごきけり      望郷のあしたゆふべや春の雲     ○落ち来るは久米の仙人春の雲 春の雪  張り替へし三味の音じめや春の雪      淡雪や昼を灯して鏡|店《みせ》     ○淡雪やおほむね溶けて傘の上 春の雨 ○いつまでもある湯ぼてりや春の雨     ○|傾《くだ》つ夜の妻の脂粉や春の雨      きぬ/″\の裏戸春雨しぶくなり      湯疲れに解けゆくからだ春の雨     ○春雨や内輪に踏んで高からげ      春雨や恋ふとなけれどなつかしき      しら/″\と明くる磯曲《(いそわ)》や春の雨      春の雨杉の枯葉を濡しけり     ○春雨や雑魚寝びと夢おのがじゝ      むらさきに明けゆく閨や春の雨     ○春雨や思ひ沈めばとめどなき     ○ひとつ寝の夢は二つや春の雨     ○春雨や酔ひつぶれたる妓《こ》の寝息        琵琶湖      夕ざるゝ水の濶さよ春の雨        下宿      隣人《となりびと》更けて戻りぬ春の雨 [#ここから7字下げ]阿母慶伝寺の五重に参ず 阿母に代りて法悦を述ぶ[#ここで字下げ終わり]     ○春雨の土をうるほす御ン教 春の虹 ○水ぐんで土筆むらがり春の虹 霞   ○西山の髣髴として霞みけり    ◎○午下の柝四山いよ/\霞みけり     ○団参の旗押立てぬ山霞む     ○愛宕の灯霞がくれにちら/\と 陽炎   陽炎に没す豆人寸馬かな      陽炎うて大地|微笑《ほゝゑ》む我は地の子 花曇   研ぎあげし鎌の匂や花曇      厠出し眉のゆるみや花曇      三十六峰うね/\として花曇     ○|刺青《ほりもの》に通ふ女や花ぐもり      団参の宿は三条花曇      松原の中の小道や花ぐもり     ○伸び長けし松の新芽《みどり》や花曇      物怨《ものゑ》じて言はぬ妹なり花曇      金閣をおりて漫歩や花曇        踏切     ○しろ/″\と下がる横木や花曇 朧    朧夜や人にも逢はず木の間行く     ○大橋の向ふ細りに朧かな     ○公園の奥の茶店や朧月     ○京は宵音羽は更くる朧かな      灯一つありて林泉の朧かな      嵯峨に暮れて戻れば京は朧なる      朧夜や灯を提げて出し水車番      朧夜や忽焉灯る厠窓      残灯に物の怪の憑く朧かな     ○おぼろ夜や浮名たちたる刺青師《ほりものし》        平安神宮神苑      林泉の朧を劃《かぎ》る籬かな        祇園花見小路      こぼ/\の音が近よる朧かな 雑   ○|音《ね》には泣かぬ妹の嘆きや春の闇       地理 残雪   円山の灯ともし頃や残る雪      残雪に人の気はひや廟|青扉《(せいひ)》     ○残雪にこぼるゝ杉の枯葉かな      残る雪うす汚れして日和かな 水温む  浅き夜の池をめぐりぬ水温む [#ここから7字下げ]阿母慶伝寺の五重に参ず 阿母に代りて法悦を述ぶ[#ここで字下げ終わり]      身にしみて心も水も温むなり 春の水  古沼もされば日当る水の春     ○水栓をひねる即ち春の水 春の海  明るみて月夜となりぬ春の海      日かげりて浪曇りけり春の海      船を生む水平線や春の海 春潮   春の潮満ちて長汀曲浦かな 春山  ○春山や髣髴として雨後の碧      春山や木深《ぶか》に居たる杣一人        山中越      峠路に得たる湖景や春の山 春泥   春泥に刎泥《はね》を上げたる素足かな      春泥や履きおろしたる利休下駄      春泥や四条五条の人通り     ○瀬戸物の夜市立ちたり春の泥     ○南座の前の明るさ春の泥    ◎○丸善を出て暮れにけり春の泥 苗代田  霽れ際の明るき雨や苗代田       人事 春灯 ◎○春の灯や女は持たぬのどぼとけ      春灯や朱墨の濃さもこゝろよく      春の灯や眼尻のほくろつばらかに 春眠  ○腕白う伸べて春眠覚めやらぬ      春眠や枕さぐりてうつゝなき      春眠の名残りて重き瞼かな 春愁   春愁にたへぬ夜はする化粧かな      春愁や漫ろ踏む芝の青さにも     ○白日の夢に春愁うまれけり      春愁や葉ごもり椿ひそと落つ      春愁を消せと賜ひしキス一つ     ○春愁や次第に細る雨の音      酌むほどに酔ふほどに春の愁かな      春愁の面輪ほのかや傘の下      いたづらに春愁募る夜なりけり      春愁の身をいたはりてまろ寝かな      春愁と書いて春愁すゞろなる     ○春愁や鏡に沈むおのが顔     ○春愁や葉勝ちとなりし花の雨      読み倦みて春愁そゞろ生れけり     ○春愁に堪ふる面輪に灯りけり    ◎○春愁を巫山の夢に遺《わす》れけり 桜餅   子を産んでやつれし妻や桜餅      乾きたる葉のけうとさよ桜餅      餅肌を恋ふ葉はがしぬ桜餅     ○さくら餅うち重りてふくよかに      擱筆や番茶の出花桜餅 雛    更闌けて入る雛の間の明るさよ 白酒   白酒や色に出でたる薄瞼     ○白酒や姉を酔はさんはかりごと      白酒の酔のほめきに灯りたる      白酒の酔出し頬のゑくぼかな     ○たわやめのあえかに酔ひぬお白酒 治聾酒 ○治聾酒や狷介にして高踏す      治聾酒に酔うて唄へり節はづれ 種痘  ○播水にして貰うたる種痘かな      種痘医に寄する腕の肥瘠かな 二日灸 ○女房の我慢の眉や二日灸     ○触るゝ掌《て》のなまあたゝかし二日灸        美人絵を踏むの図に題す 絵踏  ○絵を踏まば足裏《あなうら》つひに硬からん 彼岸   お彼岸が晴れてうれしや喃《のふ》婆さ        動物園     ○花ちらほら鳥も獣も彼岸かな 御忌   髪を梳く女寂しうて御忌の鐘 二の替  座元とのいざこざもあり二の替      下ツ端に役の不平や二の替 都踊  ○春の夜や都踊はよういやさ      都踊の戻りを外《そ》れて酔ひにけり     ○そも/\は都踊で見染めけり 壬生念仏○うらゝかに妻のあくびや壬生念仏 花衣   じやんけんの白き拳や花衣      うつぶいて衣紋聳ゆる花衣 針供養  足なへの妻の晴着や針供養 出代  ○渋皮のむけて出代る婢《(をんな)》かな 入学  ○お妾の子の入学も祝ひけり 野火  ○遠野火や寂しき友と手をつなぐ      薄星や野火寂しがる人と居る      夕づゝをかき消す煙丘を焼く      妖星におびゆる野火の火色かな      野火今は月の光に衰ふる      郷関を出づる月夜や遠野焼く      遠野火のとろ/\として暮れにけり      さびしさに堪へで野を焼く男かな 踏青   踏青や心まどへる恋二つ     ○さるほどに空は月しろ青き踏む      踏青や秘めて胸の香移る書《ふみ》 摘草   見てゐるや草摘みし野の暮るゝさま      藻刈女のけふは摘みゐる渚草 潮干狩  潮干狩|脛《はぎ》のふくらに刎泥《はね》上げて      潮干潟夫人はだしになり給ふ 物種   物種を握れば生命《いのち》ひしめける 麦踏   踏む麦の夕焼けて来し寂しさよ 菜を植う 昼蛙二つ鳴き合へり菜を植うる 石鹸玉 ○しやぼん玉こゝろもとなくふくれけり      ふり仰ぐ黒き瞳やしやぼん玉      父も来てをかしく吹きぬしやぼん玉      病閑やしやぼんだま吹く熱の口 凧    晩翠に白く浮びぬいかのぼり      落凧を引き寄す草の暮色かな      加茂川や洲草を踏んでいかのぼり 目刺   覇を称す大目刺より焼きにけり 雑   ○購ひし机鏡や顔の春 [#ここから7字下げ]慶伝寺岩本老師の還暦を賀す[#ここで字下げ終わり]     ○めでたさよ童子に還る法の春 [#ここから7字下げ]脇村義太郎君の父市太郎氏より紀州田辺の名産南蛮焼を贈らる[#ここで字下げ終わり]      一盞の春や肴はなんば焼       動物 蝶    しろ/″\と蝶の舞ひ出し杉生かな      群蝶を圧して烏揚羽かな 春の蚊  灯火にあり/\とべる春蚊かな      春の蚊になき寄られたる面輪かな 春の蠅  熱を知る肌に微風や春の蠅 蜂   ○蜂われを去らず山道細りつゝ     ○声曳いて猛蜂花を襲ひけり     ○落城の蜂群人に殺到す     ○独り往けば深山熊蜂なつかしき 蝌斗   掬はれて全きお玉杓子かな 蛙   ○夕蛙叡山実に淡いかな      原中の灯は仮事務所蛙鳴く      篁の雨賑はしや蛙鳴く      蛙鳴いて鏡寂しくなりにけり      泣きやみし稚子の眼寂し遠蛙     ○いわけなき妻うとましや遠蛙      ばつたりと鳴きやむ蛙藪の雨 帰雁  ○大学生明き灯に読み帰雁鳴く      三十で嫁《ゆ》かず雁行くきのふけふ [#ここから7字下げ]其十逝いて京鹿子同人八人に減ず[#ここで字下げ終わり]      帰る雁一つはぐれてしまひけり 鳥帰る  郊行やたま/\帰る鳥を見し      鳥雲に入るや李花村杏花村      暮れ悩む海の明るさ鳥帰る      払暁の井戸軋らすや鳥帰る     ○たましひの郷愁鳥は雲に入る 囀    囀や我家薄田十五頃    ◎○囀のほそり/\て樹の慕情 鶯    藪鶯そこともなくて啼きにけり      ほがらかに鶯啼きぬ風の中      鶯や朝の雨降る小篁      鶯に日闌けし手水つかひけり      鶯や覆刎ねたる十寸《ます》鏡     ○きさらぎのうぐひす寒き庵かな        山房      鶯の二タ声なきぬ夕まぐれ 雲雀   夕暮となりて旅情や揚雲雀 燕    つばくらに水音高く濯ぎけり     ○薄荷酒に口のすゞしさつばくらめ      飼ふとにはあらねつばくら深廂 雉子   防砂林の松苗荒す日々の雉子 猫の子  猫の子のつく/″\見られなきにけり      猫の子の親の背伸を仰ぎけり 蛤   ○大愚蛤而して口を開きけり 桜貝   たわやめの爪を拾ひぬ桜貝        刺青師 花烏賊  花烏賊のはだへに刺《はり》を立つるなり 桜鯛  ○妾宅と見たは僻目か桜鯛      水道の水のはげしさ桜鯛      庖丁の含む殺気や桜鯛     ○|醜男《しこを》ども手鉤な打ちそ桜鯛      桜鯛砂へ刎ねたるいさぎよさ       植物 木の芽  あづまやの灯にほつ/\と木の芽かな      隠れん坊が寂しくなりし木の芽かな      芽柳や光彩もなき昼花火     ○浜松の芽に濤ひゞく天気かな     ○夕晴や寒き木の芽のうすみどり 梅    梅が香や水豊かなる手水鉢      白梅に夕日あたれり人の声      白梅に月は冴えゐて嵐かな     ○白梅にはげしき鳥の羽音かな      青竹の手摺つめたし梅の茶屋     ○梅の雨椿の雨の小鳥かな      白梅にあたり佗びゐる西日かな     ○白梅や暗香庵の夜の客        兄を喪ひ洛東に葬る     ○梅が香や暮れて詣づる兄の墓      奥津城やたそがれつゝも梅白し     ○雨意慕情墓畔白梅両三樹        契りし妹と訣る      わが恋の果《はて》はありけり梅散りて 椿  ◎○永き日の上枝《ほづえ》の椿落ちにけり      蕊《しべ》の黄に負けて焦げたり白椿     ○大原路や椿落ち添ふ牛の糞      灯ともるや昭々として白椿      蕊《しべ》の根も明るう昼の椿かな     ○一水の迅きに落つる椿かな      咲き満ちてほのかに幽し夕椿     ○落椿ころがり佗びて根のほとり 花   ○あけぼのや霞がくれに花ざくら      灯を入れぬ紅提灯や夕桜      寝惜めば桜しへたぐ夜雨到る      明星や桜の蔭に夜の精      散りやまぬ桜一樹や庭の闇     ○けだるさに磬打ちに出ぬ八重桜      塋域や花を秘めたる松林      佐保姫の梢を渉る落花かな      松風に吹かれて白き桜かな      眠たうて静かな眉や花の雨      金谷の酒数めでたし花の酔      落花月遠し恋とはいはじ春の夢      夕風にいよ/\白き桜かな      青苔のふまへごゝちや夕桜      眼前の枝に風来て落花かな      夕影の苔に花降りやまぬかも     ○酔眼に夜の花散ることしきり      天津風末法の世の散華かな      夕空に寂しく咲ける桜かな     ○花過ぎて松翠旧の如くなり      匂《にほ》やかな月をあげたり花の山      夕づきて迎へ汽車着く花の山      花更けて篝落しぬ月あかり      浅き夜ややがての月に花静か      満月のそゞろ明るむ花の上      花影を身にふりかむる月夜かな     ○嬌※[#「目へん+眞」、70-5]や郎を鞭つ花の枝      迷はねば末世の花ものどかなり      ありがたや花は煩悩即菩提        憐佳人     ○花を見る双眸愁なきに似る        円山      既にして夜桜となる篝かな [#ここから7字下げ]六とせ住みなれし京を去る[#ここで字下げ終わり]      散りそめし京の桜にわかれかな 桃    甘えたき心しきりや桃の雨      緋桃白桃うらみつらみをならべけり 柳    晴晨の柳色動く軒端かな      欄前の春色闌けぬ青柳 木蓮   高々と雨意の木蓮崩れけり      木蓮の崩れ落ちたる廂かな      木蓮の殊に吹かるゝ光かな 松の花  天橋に風横さまや松の花 杉の花  高原の落日遠し杉の花 藤   ○そよ風の見ゆる白藤あふぎけり      垂り藤や澗水澄んで浅からず 桜桃の花 日あたりてぬくき素足やゆすら咲く 下萌   下萌や家の奥処《おくど》にピアノ鳴る 草萌   萌草にした/\児《ちご》のいばりかな      地に落ちて弾む轅や草萌ゆる 蕗の薹  梅の根や物あり貌に蕗の薹 蘆の芽  古蘆や並みの光に角ぐめる 春草   ちごのしゝ光りそゝぐや春の草        真葛原      夕冷えや紙屑散れる春の芝 ヒヤシンス○世に古りて男やもめやヒヤシンス      灯火の下の淡紅色《ときいろ》ヒヤシンス     ○眼を伏せてほくろが媚びるヒヤシンス      もゝいろの夢が咲いたかヒヤシンス チユーリツプ 黒絹のうすきくつたびチユーリツプ 桜草   人知れぬ思わりなしさくら草 菜の花 ○痩畑や菜の花咲いて春景色      咲き囃す花菜の中の庵かな 山吹  ○山吹にかはたれの雨しぶきけり      濃山吹なだれて桶屋明う居る        石工      ひねもすの石屑とぶや濃山吹        白川荘      流水に垂れて山吹静かなる 連翹  ○連翹に白き鳩ゐて動きけり        官舎街      連翹の垣を列《つら》ねて暖き 菫    廃宮や玉階朽ちて白菫 蒲公英  たんぽゝや下水を通ず小工事      蒲公英に迫りて太き轍かな      蒲公英の暮色に下りぬ馬車の客 薊    来てみれば百済野に咲く薊かな 春蘭   春蘭の垂り葉とゞける真砂かな      やるせなう長葉垂れたり春の蘭 芹    椀の芹野の気を吐いて衰へず      芹断つて一厨香る朝まだき 青麦  ○青麦やうすれ/\て朝の月      青麦のとみに明るき斜日かな 樒    奥津城の樒咲きをり寂しうも [#改ページ]       夏       時候 [#ここから7字下げ]関釜連絡船にて本土に入る[#ここで字下げ終わり] 水無月  水無月の故国に入れば翠かな [#ここから7字下げ]浅井啼魚氏水無月吟社を結びて三年あまり社友の作六千五百句を得たりすなはち鬼城翁の選を経て水無月句集成る[#ここで字下げ終わり]      水無月の一樹いよ/\茂るなり 麦秋   麦秋や日出でゝ霞む如意ケ嶽     ○女房の立小便や麦の秋 梅雨寒 ○梅雨寒の昼風呂ながき夫人かな 梅雨明 ○梅雨明の大神鳴や山の中      梅雨明の豪雨となりぬ松の庭 薄暑   苜蓿の花旺んなる薄暑かな      揚泥の乾く匂も薄暑かな 夏の夜  夏の夜や灯影忍べる廂裏 短夜   短夜や妹が仮寝の髪の艶      大阪や月の屋根屋根明け易き      短夜の郵便受にハガキかな      短夜やあすの教科書揃へ寝る      短夜の夢魔に負けたる哀れかな     ○短夜や男湯にゐる女の子      短夜や捌いて寝たる洗ひ髪      腰高に寝たる女や明け易き      生活に負けたる顔や明け易き     ○ふところをのぞける乳や明け易き    ◎○明け易き夜の夢に見しものを羞づ        産院      孕みたる女ばかりや明け易き        自憐     ○短夜や袴をたゝむ独りもの 暑    町暑う暮れてやんがて屋根の月 涼    夕風に涼しく撓むポプラかな      朝の海涼しく窓を領したり      涼しさや抜ける衣紋に触れぬ髱      涼しさや錨捲きゐる夜の船      涼しさや蚊遣線香の灯一点     ○後浪《(あとなみ)》を控へて聳《そゝ》る巌涼し      涼しさや鏡に写るおのが乳      朝すゞや肌すべらして脱ぐ寝間着    ◎○晩涼や朶雲明るく比叡憂欝     ○晩涼や奏楽を待つ人樹下に      晩涼や氷を削る音しきり      晩涼や消《け》なば消《け》ぬがに山の襞《ひだ》      夜涼極まりて三更の月高し        レストーラン      晩涼や皿を置く腕まのあたり        後楽園     ○夕影の青芝踏みて鶴涼し 土用   土用の父よ冷しビールの味如何に     ○あらゝかに掃くや土用の古畳 三伏  ○三伏の小屋を塗りつぶす白ペンキ      三伏や昼をまどろむ籐寝椅子 極暑   婦人会幹事極暑の鼻に汗      麻に出て大暑の星を仰ぎけり      江大暑戎克無風の帆を下ろす 夜の秋  尽※[#「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40]の余香ほのかや夜の秋      迷ひ出て寂しき蛾なり夜の秋     ○サイダーのうすきかをりや夜の秋      夜の秋やピアノに躍る腕二本      夜の秋や蚊帳吊る湯女に言はぬ恋        カフエー      白壁に在る花影や夜の秋        利一郎に      夜の秋ややがて忘るゝ一目惚 雑   ○人それ/″\吉凶ありて家の夏       天文 薫風   薫風の鏡に写す眉目かな      薫風やくゝし上げたる竹行李      烏丸みな薫風の甍かな      花鉢に水ねもごろや風薫る      薫風に飛ばさるゝもの原稿紙     ○薫風の素足かゞやく女かな      薫風や肘枕して肘尖る        野風呂第一句集成る      薫風やこゝに立ちたる一里塚        琵琶湖      薫風やほのかに暮るゝ湖と山 南風   南風に孕める薔薇の蕾かな      南風や化粧に洩れし耳の下 青嵐   天井の竜虎明るし青嵐      鬢張つて櫛の目粗し青嵐    ◎○青嵐の到ると見ゆる遠樹かな      青東風や豊鬢貌を小さうす      青東風の襲ひかゝるや大日覆 梅雨晴  梅雨晴や午後の屋上遊歩園 旱    しかすがに汲めば匂ふよ旱肥      野厠の旱肥汲む姉御かな        景福宮慶会楼     ○紅蓮に管弦ひゞく旱かな      ひそやかに茗荷花咲く旱かな        琵琶湖 夏霞   沖の島夏霞して晴れにけり 夏靄   対馬丸夏靄はるゝ沖へ/\      夏靄や衙門を開く八文字      浅漬の瓜断つ音や夏の靄 五月雨 ○さみだれやサロメ疲れゐる楽屋風呂      さみだれや痺れおぼゆる腕枕      更闌けて降り昂りぬ五月雨      五月雨や炭俵積む深廂      濡れそぼつ松の幽さよ五月雨      朝顔の葉に梅雨濺ぐひもすがら     ○霖《ながあめ》や濡れにぞ濡るゝ庭の芝        孤り病む 二句     ○梅雨を見て句を案ず粥の煮ゆるまで      さみだれやわが煮る粥の味如何に 夏の雨 ○囲ひものけふは櫛巻夏の雨      夏の雨白く降り込む杉生かな     ○うちひらく傘の匂や夏の雨        白川荘      東山見えぬさびしさ夏の雨 夕立   わだつみの夕栄遠き夕立かな     ○夕立の到りさゞめく塀の内      軒の灯《ひ》のはなやぎ灯る夕立霽      本願寺の屋根を襲へる夕立かな      木の影の生れて夕立名残かな      匂はせて魚煮る家や夕立霽      驟雨来てうごく句ごゝろ避暑に倦む      忽ちに山ン水暗き白雨かな        京城金谷園      驟雨去つて峰巒青し支那料理 雷    雷や縁に相倚る瓜二つ      雷落ちて大杉燻る青田かな      遠雷や乾き足つたる竿のもの      棟梁や大臍もちて雷嫌ひ      玻璃窓の中の灯影雷雨かな      遠雷や福耳垂れて老法主      山谷の忽ち響く雷雨かな      雷に怯えて長き睫《まつげ》かな      神鳴の盗りそこねたる出臍かな     ○年甲斐もなき雷怖《らいお》ぢや古男     ○雷神※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]かなり風伯先づ到る        宮島      神鳴の七浦かけて響きけり        金剛 二句     ○一万の峰を駆けるやはたゝ神      迅雷やとよむ一万二千峰 朝曇   白蚊帳に覚めて佗び居つ朝曇 日盛   日盛の土に寂しやおのが影     ○たのもしく松風立つや日の盛     ○日盛や※[#「馬+史」、84-9]る電車を搏つ樹影      日盛や物を干す婢の赤襷      日盛や帳場俥のうす埃     ○日盛の壁を眺めて無聊なる      壁土を捏ねる匂や日の盛     ○松の葉のしんかんとして日の盛        淡路      鶏鳴くや漁家日盛の古簾 夏の露 ○起きぬけの肌の曇や夏の露     ○露涼し湯女《(ゆな)》と来て湯女裾からげ      ひとめぐりする草山や露涼し     ○露涼し裏戸竹割る音のして 虹   ○吾妹子《わぎもこ》や虹を見る眉あきらかに 夏の月 ○夏の月樹下に石上に人語かな [#ここから7字下げ]裸骨君の息を悼む[#ここで字下げ終わり] 夏の星  夏の星小さきが一つ流れけり 颱風   颱風やなき寄る猫もなつかしき       地理 夏の湖  大凪ぎに凪いで夏湖あさみどり 土用浪 ○大湾の呑吐の船や土用浪 泉   ○そよ風やしきりに湧ける夕泉      玉鏡|遺《わす》れたまへる泉かな 滝    大滝も小滝も暮れて響かな      夕滝の白さあり月まだ出ずや     ○滝の音こもりて夜の茂かな      知事閣下滝を仰げる隆鼻かな 清水   かゞまりて水皺《みしわ》親しき清水かな     ○仁丹を清水の中へこぼしけり 植田   夜雨こぼれそめぬ植田の水明り 青田   水汲めば青田暮れゆき覚束な       人事 夏痩   夏痩のこの身いとしき湯あみかな      如何に其十夏痩の句に佳句あらん     ○夏痩や所詮叶はぬ恋もして      夏痩の妻に馴染まぬ里子かな    ◎○面影も失するばかりに夏やつれ     ○山賤《(やまがつ)》の夏を痩せたるあぎとかな     ○夏痩も知らぬ女をにくみけり        憶亡嫂      おとゝしの夏を相痩せ別れしが        遭逢      夏痩の寂しき手なり握り合ふ        人に与ふ     ○汝が瞳あはれに明し夏やつれ        自憐      五尺七寸すゞしきばかり夏痩せて 避暑   避暑びとゝおぼしき都てぶりかな      避暑客のつらなり出づる夕戸かな 昼寝   たましひのほと/\わびし昼寝覚     ○昼寝して枕の赤き女かな      うつし世にかなしく覚めし昼寝かな      八十の尼前昼寝の仏顔      かつくりと枕はづして昼寝かな     ○夕風や昼寝さめたる人と猫      昼寝どち覚めたる声や青簾      しろ/″\とうなじを伸べて昼寝かな      煩悩の心疲れて昼寝かな      たかどのゝ風に飽いたる昼寝かな      方丈をなのめに断ちて昼寝かな 起し絵 ○起し絵や老いし妾の子煩悩 川狩   川狩にいつもの顔の揃ひけり      夜振の火ぽち/\として上の瀬に 中元   御中元と書いて墨痕淋漓たり 土用灸  土用灸艶なき肌を焦しけり 花火   遅月の出て終りたる花火かな      花火舟櫓音ときめき溯る      閑けさや花火消えたるあとの星 納涼   晴れし夜の紅提灯やすゞみ舟      水暗く櫓音生れぬ橋涼み     ○涼む娘《(こ)》にぞつこん惚れてしまひけり 踊    踊子のそれ/″\恋をもちにけり     ○七人の女に恋はれ音頭取 祭   ○祭の灯つきたる島や波の上 ビヤホール かりそめのビヤホールなり灯取虫 七夕 ◎○梶の葉やあはれに若き後の妻      馴れ染めて二どめの星を祭りけり    ◎○星祭おのが色香を惜みけり 大文字  大文字や漆のごとき闇の空 草市   暈召して月おとなしや草の市      湯もどりの妻に逢ひけり草の市      白き手に選る種々《くさぐさ》や草の市 灯籠   灯籠に寄せて明るき目鼻かな      灯籠を見る児いみじくゑまひけり 井戸替  井浚への砂浄らかに盛られけり      溝川への不時の氾濫井を浚ふ      井戸替のをはりし井戸を覗きけり 麦笛  ○高音吹いて麦笛青し美少年 黴    いとゞしく黴びたるつゞらあけにけり コレラ  月明や沖にかゝれるコレラ船 赤痢  ○昼顔に石灰《(いしばひ)》かゝる赤痢かな 帰省   馬鈴薯の花もうれしき帰省かな      帰省子を迎へて母や落着かぬ      帰省子やねびまさりたる話振      帰省すや母栽培の茄子の味      帰省子病んでいよ/\やさし父と母      帰省佗し母の白髪を抜くことも 日傘   水浅黄ほのかにひらく日傘かな      砂山に日傘畳んで遊びけり 幟    快晴や阜上家あり幟四五      はためけば幟いよ/\勇しき 汗    しみ/″\と汗にぬれたるほくろかな     ○汗の妻化粧くづれも親しけれ      たわやめや笑みかたまけし鼻に汗      うす汗や行李をくゝる力業 [#ここから7字下げ]客あり主人が近況を問ふ[#ここで字下げ終わり]      忙中の汗日月と申さばや 汗疹   白粉ののらぬ汗疹となりにけり 天瓜粉 ○天瓜粉打てばほのかに匂ひけり      天瓜粉刷かれ溜りし眉根かな      心得てさし出す顔や天瓜粉      晩年の子に鍾愛や天瓜粉     ○天瓜粉ところきらはず打たれけり      母|肖《に》なる瓜実顔や天瓜粉 稗蒔  ○稗蒔の嵐及べり洗ひ髪 花氷   くれなゐを籠めてすゞしや花氷      花氷ねむき給仕に融け痩する      客足のいよ/\繁し花氷      花氷痩せて深更の客を獲たり 風鈴  ○風鈴の遠音きこゆる涼しさよ      風鈴や遠くどよもすはたゝ神      夕風や風鈴吊ればすぐに鳴る     ○月の隈風鈴ありて鳴り出づる      風鈴や月光かくも更けわたり 釣荵   人知れず暮るゝ軒端や釣荵      庭下駄に雫落しぬ釣荵      夕風や空明に浮く釣荵     ○依稀《(いき)》として暮るゝ比叡と釣荵 岐阜提灯 月さして岐阜提灯を昏うしぬ      岐阜提灯うす色もちて灯りけり      あり/\と岐阜提灯の灯の穂かな      岐阜提灯まどかに灯る簷の闇 衣紋竹 ○衣紋竹のシヤツ風簷《(ふうえん)》に廻る/\ 扇風器  何もなき袂吹かれぬ扇風器      扇風器やゝに止れば無表情      ウエートレス昼を居眠り扇風器      静けさや音いきり立つ扇風器      扇風器の風に触れゐる金蓮花      扇風器に立ちはだかりて涼みけり 葭戸   雨だれや葭戸の中の灯一つ      古びたる葭戸取り出し嵌めにけり     ○浅酌の微醺葭戸の外は川 青簾   青簾片はづれして慕情かな      雨を見る白き面輪や青簾      灯ともりて色蘇る青簾《あをす》かな      妹がりはゆかしう垂れて青簾      灯を籠めてさやかに青き簾かな      青簾解き放ちたる音涼し      思ひ入る青簾ゆかしき妹の居間 簟    便腹を吹く夕風やたかむしろ      椶櫚の葉を打つ雨粗し簟 花茣蓙  愁ひつゝ坐る花茣蓙華やかに 籐椅子  籐椅子の清閑に得しホ句一つ      籐椅子に浅く掛けたる夫人かな      籐椅子やデツキゴルフのチヤンピオン        ばいかる丸船中      籐椅子や孤影横たふ夜のデツキ 打水   石段の水を打たれて高いかな     ○慴えゐる撫子に水太く打つ     ○板塀の応ふ音佳し水を打つ      水打つて茗荷の花も濡れにけり 菖蒲葺く 簷晴れてさや/\青き菖蒲かな 菖蒲太刀 将相の面魂や菖蒲太刀      就中腕白次男菖蒲太刀 菖蒲湯  菖蒲湯やなみ/\としてあごの下      菖蒲湯や芳芬鼻を衝くばかり      菖蒲湯や黒髪濡れて湯気の中     ○菖蒲湯を出てかんばしき女かな 行水   行水や籬暮れゆくまのあたり     ○行水の女に灯す籬越し     ○行水の涼しき乳を見られけり      行水のうしろで蟇の魔法かな      行水の妻も暮れゐる涼しさよ      行水の妻しろ/″\と立ち上る      行水の客に参らす豆ランプ      行水の大女房や灸の痕跡 肌脱   肌ぬぎやこともをかしく乳房もつ      夏痩の貧しき肌をぬぎにけり     ○肌ぬぎやうらはづかしき乳二つ      肌脱や七人の子に萎へし乳      肌ぬぎや乳も日焼の浜娘 跣    こそばゆく石に下り立つはだしかな 泳ぎ  ○夕潮に泳ぐ素裸蜑の家 海水着  大凪や乳房驕れる海水着      乳欲しき児につれなしや海水着      乳いまだ太らぬ少女海水着 団扇   白団扇一つ西日に置き放し      嬌羞や団扇を洩れて蛾眉二つ     ○愚かなる女媚び寄る団扇かな 扇    しろがねを畳み秘めたる扇かな     ○白扇や乾き乾かぬ墨の痕      いろ/\に扇子弄れど言ひ憎し      象牙扇骨こま/″\とひらかるゝ 蚊帳 ◎○初蚊帳のしみ/″\青き逢瀬かな      月さして山水浮ぶ絵蚊帳かな      夜半の蚊帳縹渺として寝乱るゝ      蚊帳越しの灯の明るさに読み更くる      吹かれつゝ人秘め貌の絽蚊帳かな      覚めきらぬ頬《ほ》に風の蚊帳触るゝなり      白蚊帳や雨の寝覚を佗びにつゝ      蚊帳の裾うなじを伸べてくゞりけり      清風の闇に白蚊帳ほのかなる 蚊遣   くつろげし胸の白さよ蚊遣香      くすべ足す蚊火にいよ/\雨気かな      蚊遣してけぶるそこらや夏の月      そよ風に浮足立ちぬ蚊火煙      眠たうてあごのまろさや蚊火の妻     ○神仙を夢みて覚めぬ蚊遣香      蚊火煙一抹胸のあたりかな      埒もなや蚊火焚く妻の大あくび      たましひの寂しくいぶる蚊遣かな      蚊火煙むら/\写る鏡かな      蚊遣火やみすぎよすぎの裏長屋      蚊遣香一※[#「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40]尽きて匂ふなり 衣更   在り慣れてうき世ともなし衣更     ○内縁の妻の誠や衣更      源氏名の昔もありぬ衣更 初袷   湯ぼてりの肌にそよ風初袷 袷    抜きすぎて衣紋いやしき袷かな 単衣   三子皆男で譲る単衣かな      わが好きの単衣つるせり寝ても見る 羅    うすものや袂の手巾|歴々《ありあり》と      翩翻と羅を解く月の前      うすものゝ裾や吹かれて埒もなし      うすものや乳のしみ出し二ところ      うすものに赤き湯文字を巻く勿れ 浴衣  ○人酔うて浴衣いよ/\白妙に    ◎○貸浴衣みな男もの妻も着る      降り濺ぐ灯影うれしき浴衣かな      令夫人ざつくばらんに浴衣がけ      糊利いて肌につれなき浴衣かな 甚平  ○甚平やすこしお凸で愛らしき 夏羽織 ○潮風に吹かれたかぶり夏羽織      旅果つや皺の出来たる夏羽織 一重帯 ○嵩もなう解かれて涼し一重帯      帯どめの翡翠は青し一重帯      水の粉や胴ほそ/″\と一重帯      通り雨に逢うて戻りぬ一重帯      夏帯や自ら疎む石の胎《はら》 白服 ◎○白服や循吏折目を正しうす      白服や五日の旅によごれたり ※[#「麩」の「夫」に代えて「少」、第4水準2-94-55]    はつたいの日向臭きをくらひけり 白玉   団々として白玉の七つ八つ      白玉や夏書疲れに参らする      白玉や朧々として水の底      しら玉の雫を切つて盛りにけり      白玉やひんやりとして舌の上 心太   ところてん煙の如く沈み居り     ○帷子《(かたびら)》の腋背《(えきはい)》涼しところてん      心太すゝる漢《をとこ》の真顔かな      心太喰うて涼しきのんどかな      水無月の落葉するなり心太      心太うす味もちて啜らるゝ 瓜揉   瓜揉や相透く縁《へり》のうすみどり      瓜揉の酢の利く月夜白団扇 冷奴   冷奴うけとる月の舌涼し      口中に漂ふ柚の香冷奴      うすまりし醤油すゞしや冷奴      古妻のすこし酔ひけり冷奴        恰堂に寄す      一盞に不遇は言はじ冷奴 漬茄子  漬茄子の一ト夜を惜む紫紺かな      糠味噌へ陥る茄子の紺|可惜《あたら》 胡瓜漬 ○移り香の衿になほあり胡瓜漬 鮓   ○鮓の香のほのかに寒し昼の閑      ちはやぶる神代の石や鮓の石      重代の鮓桶といふ他奇もなし      鮓桶のはしやぎ乾く二つかな      清風机詩経一巻鮓一鉢      破れたる真昼の夢や鮓馴るゝ      馴鮓の飯の白妙啖ひけり      鮓の香を慕うて出たる昼蚊かな      漫談や鮓に添へたる醴一壺     ○鮓いまだ馴れず鮓の句既に成る 新茶   とろ/\と舌に触れたる新茶かな 夏氷   割氷《かちわり》にゆがみて透けり鉢の綾 氷水  ○冷えわたる五臓六腑や氷水      削り氷《ひ》や汗冷えそむる腋の下      日あたりて午後の噴井や氷店      はらわたのひしとつめたし氷水 アイスクリーム やゝ融けてアイスクリーム冷たけれ ビール  談論やコツプのビールなほざりに      奔落すビールの音や大コツプ サイダー ○サイダーや繁《しゞ》に泡立つ薄みどり 冷酒  ○冷酒に澄む二三字や猪口の底      冷酒に刀筆の吏の韻事かな     ○冷酒の利いていよ/\舌足らず      糟糠の妻に冷酒薦めけり       動物 老鶯  ○老鶯《(らうあう)》啼いて山行の余情かな 翡翠 ◎○かはせみや水つきかゝるふくらはぎ 蛇    蛇を見て寒き心や日のさかり 河鹿   鳴きやんでまなこ寂しき河鹿かな 青蛙  ○青蛙ちま/\とゐる三五匹      いとしさに堪へて見てゐる青蛙      いとしさに見つゝし飽かね青蛙      青蛙乗りゐし如露をはづしけり     ○枝蛙青く跳びけり砂の上 蟇    物恋へば気もそゞろ蟇踏みつけし 蜥蜴   ひらめきし蜥蜴の背や苺畑      瓜番が雷死の葬や青とかげ 守宮   蚊を呑んで大やもり眼をしばたゝく 蝸牛   でゞむしのいとしく這へる※[#「木+靈」、第3水準1-86-29]子かな     ○濡れきりし幹にでゞ虫居るわ/\ 海月   朝潮のさや/\青きくらげかな      海月流る流る曳舟の綱緊張      夕潮にほかり/\と海月かな      夕凪やまどかに浮ける大海月      沈璧の浮み出でたる海月かな 蟹    大き蟹愚かなまなこもちにけり ほとゝぎす 松明《たいまつ》の長き煙やほとゝぎす      月しろのにはか明りやほとゝぎす      林檣によろばふ月やほとゝぎす      風前の灯の穂危うしほとゝぎす      待ち出づる月は端山やほとゝぎす      ほがらかに月夜更けたりほとゝぎす 鹿の子 ○苑《その》日々に草深うなる鹿の子かな      女しきりに鹿の子を愛づる暮色かな      丘越えて親に逢うたる鹿の子かな 金魚  ○明易き鉢に飼はるゝ金魚かな     ○金魚飼ふ母に童心ありにけり      月さすや金魚居らざる金魚鉢     ○熱の瞳《め》に金魚の紅も不興かな      月させばさゞれ波あり金魚池      夜の金魚静かに游ぐまくれなゐ      べろ/\と金魚遊べり玻璃の鉢      灯ともりて愕然赤き金魚かな 蝙蝠   かはほりや晒布《さらし》襦袢の肌ざはり     ○かはほりか夜の魔か飛べる軒端      かはほりの翅風《はかぜ》受けたる額かな      かはほりや仄かに居たる縁の妻      淡路への終ひ蒸汽や蚊喰鳥 夏の蝶  日盛の松閑かなり夏の蝶 百足   小百足を搏つたる朱《あけ》の枕かな      小百足に殺気を含む柳眉かな 蚰蜒  ○げぢ/″\や風雨の夜の白襖      げぢ/″\に発止と飛びし火箸かな 紙魚   筐底の闇に沈めり紙魚の銀     ○曝書変|蠹魚《とぎよ》乱帙の嶮に拠る ※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]    松籟に誘はれて鳴く※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]一つ      石に沁む石工の汗や※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]時雨     ○※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]遠し午下の倦怠茶を淹れよ      ※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]鳴いて名残雨降る木立かな      飛ぶときの※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]の薄翅《うすは》や日照雨     ○鳴き添うて高音張る※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]雨霽るゝ      日かげりて※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]鳴き澄めり高梢 空※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]   うつせみをとればこぼれぬ松の膚 蟷螂の子 いとほしや蘆の末葉《うらは》の子かまきり 玉虫   玉虫やたゝみあまりし薄翅 蛍   ○隠《こも》り沼《ぬ》にひそみて飛ばぬ蛍かな      瀬がしらに触れて高飛ぶ蛍かな      大沼の夜の光や蛍狩      山容も分かぬ闇夜や蛍飛ぶ      篁をつひに出でざる蛍かな      昼蛍神妙にゐる籠の隅 灯取虫  湯上りの人の機嫌や灯取虫     ○夕飯やすでに来てゐる灯取虫      博覧の濶き額や灯取虫      耽読の眉を掠めぬ灯取虫     ○見てゐるや眠られぬ夜の灯取虫      気の向かぬ縁談にして灯取虫      終列車送りし駅や灯取虫      火蛾とぶや選句疲れに暫し在る      灯虫佗ぶ父に贈るや虚子句集      灯取虫に遠く居て縫ふ悲嫁の裳 金亀子  こがねむしばさりと落ちて静かなる 蠅  ◎○蠅一つ夜深き薔薇に逡巡す      蠅遅々と供華の白蓮渉りけり      添乳寝の忘れ乳なり蠅とまる      いねがてにしてをれば蠅にとまらるゝ     ○昼深し懶《ものう》き蠅の花移り 蚊    添乳寝の蚊にくはれたる乳房かな [#ここから7字下げ]王城嵯峨に別墅を持つ[#ここで字下げ終わり]     ○王城さん嵯峨の藪蚊は大きかろ      蚊柱に澄むや夕の東山      蚊を搏つや丁と音して玉の膚     ○蚊柱に夕空水のごときかな 蚤   ○わが臍を襲ひし蚤を誅しけり 蟻    山蟻に這はるゝ足のあえかなる 毛虫  ○曇り日の青苔を這ふ毛虫かな      焼くべくと毛虫のまなこ見据ゑたり まひ/\ ○まひ/\の面白うなる無聊かな      昼の池凪いでまひ/\癇性持ち     ○まひ/\やきのふの沼の情死人       植物 夏木立  天駆ける一飆ありぬ夏木立      曳き連れてどれも汗馬夏木立      そよ風に日影さゞめく夏木かなk 新樹   大風にはげしく匂ふ新樹かな    ◎○星屑や欝然として夜の新樹     ○日かげりて風色澄める新樹かな     ○湧きあがり膨れあがりて新樹かな      雨ながら暁色到る新樹かな      翠緑も夜来の雨の新樹かな      大池の汀の新樹聳えけり      雨意やがてひそと降り出し新樹かな      払暁の風の烈しき新樹かな 新緑   新緑や松は黝《くろず》む東山        銀閣      新緑にいよ/\古き伽藍かな 若葉   寂しさや若葉にそゝぐ昼の雨      若葉あまりに明るうて鳥囀らず 病葉  ○わくらばやぶら/\病いつまでも     ○病葉や淫祠なりとて毀たるゝ 木下闇  下闇に白くつかへる扇子かな      下闇や目睫に在る煙草の火 若竹   若竹に古竹色を収めけり    ◎○古竹|参差《(しんし)》たりその中の今年竹 [#ここから7字下げ]播水医学士となる[#ここで字下げ終わり]     ○朝風や藪の中なる今年竹 泰山木の花 ばらりずんと泰山木の花崩る 桐の花  紫や朝風に散る桐の花 百日紅  夕栄にこぼるゝ花やさるすべり 若楓   葉先早や燃えて微風の若楓 夏草   夏草のほとぼり冷むる月夜かな     ○夏草に砕けて赤き煉瓦かな      夏草に日落ちて馬車が迅くなる      夏草の中の湯小屋へ路ほそ/″\     ○夏草や心中者の下駄二足 草茂る  しこぐさの茂りておぞや刈られけり 草いきれ 高牧《たかまき》へ道うねくねや草いきれ      汗馬の筋張る腹や草いきれ      馬子茶屋にいつもの馬子や草いきれ      回避線に貨車四五輛や草いきれ 早苗   そよ風を受くる早苗のいとしさよ 青稲  ○しみ/″\と青稲暮るゝ身のまはり 麻    麻負うて一にん来る夕日かな      月明や廃墟このあたり麻茂る      城門を出て坂道や麻の月      棄猫のないて麻畑月夜かな 青薄   さら/\と蝮隠れぬ青すゝき 石菖   石菖にすがりて昼の白蛾かな      すは/\と石菖生へり水ほとり 藻の花 ○青沼のとばかり昃る花藻かな 牡丹  ○ぼうたんや眠たき妻の横坐り      うたゝねの覚めしたまゆら牡丹散る     ○白猫の眠りこけたる牡丹かな      外《と》つ国も女は情白牡丹      ぼうたんやたわ/\として三五輪      着るときの裾風受けし牡丹かな        船中      ぼうたんにひゞく玄海のうしほかな 芍薬  ○芍薬に頭痛はげしき女かな     ○芍薬を剪るしろがねの鋏かな 花芥子  薄月や風に触れゐる芥子の花    ◎○ひなげしや妻ともつかで美しき 薔薇   ゆあみしてほのかに眠し薔薇匂ふ      廃園やあけぼのひらく薔薇の花      閨怨のいまだも解けぬさうびかな      黄なる蝶来て白薔薇を白うしぬ      湯上りの思明るく薔薇を見る      湯上りや薔薇の香と搏つしやぼんの香      露台風ありや宵のさうびに月ありや      皿を待つナイフフオークや薔薇匂ふ      夕月や薔薇のかをりのそことなく     ○白日や少女提げたる薔薇の紅      おのづから更くる灯影や白しやうび    ◎○たわやめのさうびを摧《くだ》く瞋《いかり》かな 百合   清閑や香を吐きやまぬ百合の花      白百合の芳芬を聞く静こゝろ      句座更けてやゝに紊れぬ百合匂ふ      白百合のりん/\として匂ふなり      しみ/″\と百合のかをりや昼寝覚      須弥壇の真夜を香高し供華の百合      山百合に嵐気みだるゝ夕かな      百合白し夜の魔払うて凛然と      白百合を畏れて飛べり蠅一つ     ○百合買うて朝の花屋を立ち出づる      卓の百合真向きに匂ふ鼻の先      白百合に黒くとまりぬ夜の蠅        釈王寺      大雄殿の背山鬼百合犇ける 蓮    紅|蓮《はちす》靄を払うてひらきけり      べにはすや日闌けし水に悩ましき      朝風や相搏ちひらく蓮の花     ○流れ矢の蓮田へ落ちし暮色かな あやめ  一茎の白あやめなりいさぎよき      短夜の灯影更けけり白あやめ 金蓮花  日おもての薄葉明るし金蓮花 葵    一もとの葵花咲き葵の句 松葉牡丹 上※[#「囗<睛のつくり」、第3水準1-15-33]日盛松葉牡丹の黄に赤に      九十度を超えて風無し日照草 花瓜   花瓜や鱗乾きて烏蛇      空華《あだばな》のあはれに落つれ花胡瓜 馬鈴薯の花 おたよ[#「おたよ」に傍点]可愛やじやがたらいもの花盛り 朝顔   朝顔に涼しくあたる朝日かな     ○朝顔も世話女房の風雅かな      朝顔やそゞろ覚ゆる宿酔《ふつかゑひ》     ○空よりも碧き朝顔咲きにけり      道のべの昼朝顔はしぼみたり      物蔭の昼朝顔や小洗濯 昼顔   昼顔に日はたゞ燬くる高麗野かな      昼顔の咲いて高麗野の油照 夕顔   納屋裏へ来て夕顔の花盛り      夕顔の花暮れ残る籬かな      夕顔の晩涼謡ひ来るは誰《た》そ 紫陽花  あぢさゐの月夜となりぬ外厠 月見草  夜振火に浮みいでたり月見草 撫子   月よりも夏の灯強し撫子に      常夏や軋りて止る貨物汽車 [#ここから7字下げ]さる方へ林檎を贈りて[#ここで字下げ終わり] 林檎  ○思ひごと青き林檎にうちあけよ        母病む バナヽ ○切望のバナヽ二つで足る寂し 夏蜜柑  夏蜜柑※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]くや明眸しばたゝき      しみ/″\と溶くる砂糖や夏蜜柑      夏蜜柑ぐいとむかれて匂ひけり      夏蜜柑ざつく/\とむかれけり      夏蜜柑|骸《むくろ》となりて匂ひけり 水蜜桃  しろがねの水蜜桃や水の中      水蜜桃※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]く手つき見る見るとなく 瓜    そぼ濡れて縞鮮やかや真桑瓜 西瓜   大西瓜一刀にして両断す      両断の西瓜東西に倒れけり 青梅   竿疵もありて青梅うまさうな      あら塩をつけて青梅喰ひ飽かぬ 桜の実  くちびるに触れてつぶらやさくらんぼ     ○舌に載せてさくらんぼうを愛しけり      夜深き卓のさくらんぼうに聖くゐる      逢へぬ夜のさくらんぼうを踏み潰す 苺    苺食む朱唇ミルクに濡れそぼち 新藷   新藷やうす皮※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]いて玉の肌 茄子   初生りの紫紺かしこき茄子かな [#改ページ]       秋       時候 秋    深草の秋や艸山瑞光寺      秋高く元政庵は古びたり      うち倚るや秋色暮るゝ汽車の窓      手を洗ふ水の音しぬ秋の閑 [#ここから7字下げ]白川荘に淹留すること数旬、辞して北白川なる草城山房へ帰る 二句[#ここで字下げ終わり]      みなかみの秋を慕うて帰るなり      山房も秋なめり主《あるじ》ゐぬまゝに        観心寺      楠の木のとはの翠や秋高し 立秋  ◎秋立つや一片耿々の志      秋立ちしその夜の友の佳句一つ      秋立つや翠巒の翠今朝殊に      長病癒えで秋立ち秋なかば      心の疲れ、秋が立つても青い田よ      明石海峡朝ぐもりして今朝の秋        憫老嬢      秋立つと乳のかごとを聴く夜かな        金剛 八月   八月の停雲白し彩霞峰      わが葉月世を疎めども故はなし 残暑   青々と夕空澄みて残暑かな      竿のものしきりに乾く残暑かな      松大樹残暑の影を横たふる      赤屋根に日の当りたる残暑かな      波を蹴て駛る残暑の白ランチ      秋暑し古びつくせる旧校舎        神戸埠頭      目もあやに残暑のテープうちみだれ [#ここから7字下げ]瀬戸なる愛しき人のもとに遊ぶこと数日 帰阪して安着の通知に代へ電送す[#ここで字下げ終わり]      別れきし身に大阪の残暑かな 新涼  ◎新涼や女に習ふマンドリン      新涼や種茄子日々の捨て太り      新涼の繊き手摺にもたれけり      新涼や生姜すり込む濃甘酒      新涼や目覚煙草の煙の色      新涼や寝くたれ髪に日の光      新涼の釣瓶漏りつゝ上り来る [#ここから7字下げ]東京へ転任の紫雲郎に寄す[#ここで字下げ終わり]      新涼やあづまへ下る月のころ        鶴村家      女将《おかみ》の歯一つ抜けゐて秋涼し 爽か   爽かに山近寄せよ遠眼鏡      爽かや木蔭暗みの竹の幹      机辺やゝ乱れたれども爽かに      爽かや乱帙に処す書淫の士 二百十日 おだやかな二百十日や鶏の声 秋深し  妹痩せて/\今年の秋深し        慈光院夜泊      秋深き大和に雨を聴く夜かな        奉天北陵      甃甎に青瓦砕けて秋深し 秋冷   秋冷の瀬音いよ/\響きけり      秋冷喉にあり繊きあごを引く      冷やかや畳に触れぬ足心《つちふまず》        海港夜泊      時鐘一点球灯冷えて真くれなゐ 朝寒   朝寒や白粥《しらかゆ》うまき病みあがり      朝寒やそゞろに日射す苔の庭      朝寒やきりゝとかけし緊襷《かただすき》      朝寒や夜行汽車着く海の駅      朝寒やうす煙上げて火葬場      朝寒や匂ふ白木に縄墨《すみ》を打つ        白川荘      朝寒の水の音聴く寝覚かな      朝寒の青草にする尿かな      朝寒や玻璃曇らせて牛乳《ちゝ》熱し      朝寒やほつれ毛もなく結ひ上げて      朝寒や寄り寝の妹の白き顔     ◎朝寒や木の間満ち来し日の光      朝寒やことつかせゐる台所     ◎朝寒や歯磨匂ふ妻の口 肌寒   肌寒の提灯赤き踊かな      肌寒やまなこそらして相対ふ      肌寒やぷつゝり切れし三の糸      肌寒やあか/\として朝湯の灯 [#ここから7字下げ]そのかみ睦み合へりし友のこの頃とみに疎くて[#ここで字下げ終わり]      肌寒や同じ左の手のほくろ うそ寒  うそ寒や月しろに浮く如意ケ嶽      死を図りて遂げぬ友ありうそ寒き 秋の暮 ◎塵取をこぼるゝ塵や秋の暮      幽冥へ消ゆる風あり秋の暮      芥火に風定めなし秋の暮      白川の秋の暮なる瀬音かな      たはぶれに妻を背負ひぬ秋の暮      門《と》に居れば家内《やぬち》灯りぬ秋の暮      人住まぬ家大いなり秋の暮      厠出し妻の真顔や秋の暮      秋の暮おのが家居を一めぐり        旅順      廃砲にうち跨りぬ秋の暮 秋の夜  秋の夜やたのしみて書く文《ふみ》長し      秋の夜や紅茶をくゞる銀の匙      掛け馴れし古籐椅子や秋の夜      秋の夜や歔欷《すゝりなき》するマンドリン      秋の夜や渺々として二百畳        山端の茶屋平八      秋の夜の酒盃にひゞく瀬音かな 夜長   敷寝腕痺れて覚めし夜長かな      夜長寝てその後の雁は知らざりき      夜光珠の埃かむりて夜長かな      既にしてパンの焼けたる夜長かな      大水盤夜長の水を湛へたり      黒髪の蛇ともならで夜長かな      こゝろよく疲れて眠る夜長かな      疑へばとめどもあらぬ夜長かな      長き夜や茫然として古畳      夜長風呂人語の中に目を瞑《つむ》る      碗の湯の徐かに冷ゆる夜長かな      灯火や歇んでまた降る夜長雨      長き夜や善い哉|夫《ふ》は愚|妻《さい》は凡      長屋の灯一つ欠けたる夜長かな      埒もなや夜長の客の馬鹿話      雨来るや長夜の飲の果つる頃      つれ/″\や夜長の書架の金文字      満足を抱き締めて寝る夜長かな      空閨や夜長の灯消さで寝る      落籍《ひか》されしのちのぽんた[#「ぽんた」に傍点]が夜長かな      思ひ立つて髪を洗ひぬ夜の長さ      長き夜や女夫喧嘩もおさまりて      自動車に抜かれし夜長電車かな      長き夜や指の小疵をいたはりて      夜長の灯煌々として人在らず        病舎      白壁の更くるにまかす夜長かな        白川荘      あろじ居ぬ白川荘の夜長かな 夜寒   鞘刎ねて筆の白穂も夜寒かな      裸灯に浮いて夜寒の目鼻かな      聴き澄す水のひゞきも夜寒かな      夜寒さや歌劇見て来て今は寝る      瀬の音の心にひゞく夜寒かな      ※[#「さんずい+發」、第3水準1-87-9]墨に夜寒の紙の白さかな      まだ吊りて夜寒風鈴鳴りにけり      犬|耄《ほ》けてあろじに吠ゆる夜寒かな      拗ね合うて夜寒更けたり姉妹      筆擱いてにはかに募る夜寒かな      腹鳴りを羞ぢてたわやめ夜寒かな      興来ねば筆持つ指も夜寒かな        大連      夜寒馬車鷹揚馭者は美髯公 行秋   ゆく秋や河内国原煙立つ      ゆく秋や灯影に見ゆる馬の糞      夕栄や秋もきはまる菜に暮靄 雑    捨石に腰かけて瞰る野路の秋      瓜の花秋を蕾みてあはれなり       天文 秋声   中流へ出て水寂し秋の声 秋風  ◎秋風や雲の影徂く東山      秋風や清涼寺いま門を閉づ      漕ぎ出でて扁舟遠し秋の風      朝湯出て空を仰ぎぬ秋の風      秋風や子無き乳房に緊《かた》く着る      秋の風竹の幹吹く光かな     ◎秋風や物慾きざすほの/″\と      秋風やつまらぬ男髪を分く      秋風の一灯煌と灯りけり      おだやかに暮れゆく比叡秋の風      俳諧に生きて男の子や秋の風      秋風に棄てどころなき旅愁かな      秋風に募る句ごころ夜のほどろ      秋風や吹かれほどけの瓜の花      楼《たかどの》の古き欄《てすり》や秋の風      秋風や寝くたれ髪は藻のごとし      秋風や花を生けざる大花瓶      山々の藍おとなしや秋の風      秋風や夕月色をもちそむる      金風や珊々と鳴る軸の鎮      秋風《(しうふう)》の一路狭斜へ通じけり      病み馴れて妻の機嫌や秋の風      秋風や玲瓏として美少年      秋風やそゞろに暮るゝ本願寺        本渓湖戦蹟      秋風や靡き揃ひて草離々|矣《たり》        平八      秋風の郊行こゝに極《きは》まりぬ        自憐      秋風に痩せ尽したる男かな [#ここから7字下げ]風気の冒すところとなり入浴叶はず香水湯にて払拭す[#ここで字下げ終わり]      秋風に生けるミイラが薫るなり 野分   野分していよ/\遠き入日かな      花畑の花みな靡く野分かな      血の色の月をあげたる野分かな      月しろやゆゝしく動く野分雲      痛快に芭蕉裂けたる野分かな      小夜更の厠すさまじ野分吹く 秋の雲  水天の一髪秋の雲湧きぬ      秋の雲太虚の風に動きけり 鰯雲   空湾や夕さりて湧く鰯雲 稲妻   稲妻に射られて松の青さかな      稲妻に明るむ傘の水浅黄      稲妻を怖れて長き睫かな      稲妻の射とほす蚊帳に眠りけり 秋の陽  雲切れて秋陽にはかや玉の雨 秋晴   秋晴や姉の墓山たゞ歩りく        遊子      秋晴や父母と距つる幾山河      秋晴やはる/″\来つる旅行団      秋晴や人語瞭らかにうしろより      秋晴の午後の講義の睡魔かな      秋晴や木蔭冷えして坂なだら      秋晴やのどかに通る貨物汽車      秋晴や枯れ/″\垂るゝ物の蔓        楠妣庵      秋晴や堂縁|乾《か》れて観世音 秋の雨  傘買うて即ちさすや秋の雨      秋雨や静かに人を恋ひわたる      秋雨や面輪暮れゐる傘の下      黄昏の木々の容チや秋の雨      秋雨や女役者の眉の険 露    静けさや蘭の葉末の露一つ      高葎打てば晴天の露はらゝ      果樹園を守る灯影や露しぐれ      唇のあはれに紅し露の客      高々と布を晒せり露の空      新墓に早も露添ふあはれかな      白露《しらつゆ》や病顔かくも朗らかに      露に病んで思無邪の面輪玉かとも      白露や吾妹子《わぎもこ》ながら観世音      竹伐るや竹の白露うちかぶり      朝露や相隣りして花圃菜圃      磬一打露の渓山谺かな      草の露素足に落ちて砕けゝり      草山の露をふくみてほがらかな      日昇るや渓山の露七いろに      灯穂の乱れも露の小提灯      眠られぬ病もちけり露の宿      白露や竹を流れてとゞまらず      白露や眠り足つたる二重瞼《ふたかわめ》      みさゝぎや響き落ちたる松の露      朝露や碧《みどり》ほのかに蛍ぐさ      病み合うて別れ話や露の秋      有明や露の閂真一文字      いたづけば露も心に沁むばかり      昼深き露を秘めたる葎かな      そゞろ出て露に駭く露台かな      従《つ》いて来し犬の嚔《くさめ》や露時雨        深草元政上人墓      三幹の竹に白露置くことぞ        晒布場      夜は晒さで棚の高さよ露けさよ 霧    鳥啼くや狭霧うするゝ金閣寺      静けさや霧に陽のさす杜の中      虫籠をかき消す霧や深廂      嵐峡の狭霧はれゆく日向かな      舷の近くの浪や霧の海      朝霧や船出払へる大埠頭      すぐそこに船居て答ふ霧笛かな      なつかしやうするゝ霧に星一つ      閭に倚れば連山霧を啣みけり        北白川      暁冷いとゞ霧の花売眉秀づ 月    衝きあけて月光を断《き》る扉かな      月さして帳の綾を浮かせけり      かひもなう砕くる月の辺波《へなみ》かな      出航や忽ち騒ぐ月の潮     ◎船の名の月に読まるゝ港かな      泊船や月にかゝれる細煙      たましひのそゞろ明るむ月夜かな      月の河|目路《めぢ》のはろかに曲りけり      戸締りを犬が見てゐる月夜かな      静けさや白猫渉る月の庭      わがゆばり月の葎を濡しけり      月しろのやがて月出て歓喜かな      心遠く君に在り月光芝に在り      野糞して寒うなりたる月夜かな      水車月にてら/\廻りけり      尿して稲城を出づる月夜かな      伐る一々月に飛沫きぬ水辺竹      荒海や沈みかねたる月一つ      深き夜の瀬靄こめたり月の竹      くちびるや月に湛へし美酒の岸      如意ケ嶽と月とがありて月に暈      月添へる廃墟の草を踏みにけり      末生《うらなり》の瓜揉むことも月夜かな      瀬頭や月に盛り上り/\      髪の香や緑酒に沈む月の影      月明や歩々に句を得つ渚まで      裏へ出し僕月佳しとおらびけり      月の夜すがら裏瀬萩零る人知らじ      さるほどに砧もやみぬ峯の月      みそか児の眉目《みめ》誰に似る月の秋      君を想ふ月夜の芝に彳《たゝづ》みて      月明や心にかゝることもなく     ◎篁の月影風にみだれけり      月明り篁こめて更けにけり      灯を消して月に駭く夜半の窓      残月や天地の声に片破るゝ      三日月に媚びて薄星光りけり      薄着して肌寒を言ふ月夜かな      水棄てゝ月の廂を濡しけり      わがふかす煙草の煙秋の月      月光《つきかげ》も心の疵にしむ夜かな      散策や野末に得たる月まどか      深き夜や風にみだるゝ月あかり      つきよみの月のしたびの妹背かな [#ここから7字下げ]広州山城憲兵隊に泊す[#ここで字下げ終わり]      憲兵の炊爨をかし山の月 [#ここから7字下げ]病みて久しき人に寄す[#ここで字下げ終わり]      満月にたちまち癒えよ汝が宿痾 [#ここから7字下げ]愛しき人病みて久し[#ここで字下げ終わり]      哀しさはわれ知る月に笑み給へ        宮島廻廊      月影に負けて灯籠ほのかなり 無月   寄らで過ぐ港明るき無月かな      襟脚の灯影に浮ぶ無月かな 十六夜 ◎十六夜や石にたぐひて亀の甲      十六夜やすい/\として竹の幹 後の月  なつかしや後の月夜の早火鉢      物の怪《け》に吠え立つ犬や後の月      まらうどに後の月夜の風呂沸きぬ      後の月寺領は黍の不作かな      湯ざめして君のくさめや十三夜 星月夜  砂山をのぼりくだりや星月夜      相語る星ちら/\や星月夜      玻璃盞の相触れて鳴る星月夜 天の川 ◎天の川寥廓として風露かな      俳諧に惑はず銀河南北に      秋思夜々に募り銀漢濃かに      盞を乾せ銀漢描く弧の形      銀漢や露営人出て歩きゐる      銀漢や語り飽きたる三五人      銀漢や酔余の漫歩とゞまらず        ホテル      銀漢や大廈まだ寝ぬ窓一つ        遊歩甲板      籐椅子のこゝにも一つ天の川 [#ここから7字下げ]湯崎なる愛しき人の別れ船に乗り夜半田辺湾を出づ[#ここで字下げ終わり]      湯崎の灯見えて儚なし天の川       地理 秋の山 ◎ひもじさに杉の香を聞く秋の山 秋の水  大川のいつもの濁り水の秋      迎賓に秋の真清水打たれけり      二人居て橋の修理や水の秋      秋水に高く架れる小橋かな      秋水蕩々として慕情※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]の音 秋出水  門灯の低く灯りぬ秋出水      流されて吼え立つ牛や秋出水 花野   山暮れて寂しうなりし花野かな      晩鐘のひゞきけぶらふ花野かな 花畑   花畑に久しき妻を呼びにけり 刈田   道暮れて右も左も刈田かな 初潮   初潮に物を棄てたる娼家かな      浅く浮いて沈みし魚や葉月汐      暮れきらぬ灯台の灯や葉月汐 不知火  不知火に酔余の盞を擲たん       人事 秋の灯  秋の灯の明るさに堪へぬ心かな      絵襖の波のしろがね秋の灯に      寂しさは秋の灯に出し鼠かな      さびしくば秋の灯消さで眠るべし      秋の灯の隈もなければ寂しうて [#ここから7字下げ]外人某氏のサロンにて[#ここで字下げ終わり]      秋の灯に東洋人の額かな 夜学   夜学すや机の面ひろやかに      ※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]涙|堆《うづたか》し夜学の子の脹眼《はれめ》      頼もしき六尺《りくせき》の孤の夜学かな 秋祭   秋祭すみし田舎の日向かな      ほか/\と背あたゝかし秋祭      山路来てこゝに村あり秋祭      里親の心づくしや秋祭        白川      裏戸なる如意は閑かや秋祭 地蔵会  地蔵会の提灯赤し雨催ひ        山端平八 月見   思ひきやかゝるところに月見茶屋 十夜   裏の寺十夜の鉦をならしけり      お十夜やすこし化粧《けは》ひて寺の妻      八日目のかゝる月夜や十夜寺 新酒   明き灯に新酒の酔の発しけり      袖口の綻び紅し新酒つぐ      早稲酒や魂《たま》遥かなる酔心地      早稲酒に樽の木の香もありにけり      きよらかに白盃や今年酒      手力《たぢから》や新酒の樽に錐を立つ      呑口をほとばしりたる新酒かな 新豆腐  そのかみの恋女房や新豆腐 新米   今年米土にこぼれて輝けり 栗飯   栗飯や寮生卓に目白押      栗飯やほの/″\として塩加減 零余子飯 寂しくばたらふく食《お》しねむかご飯 茸飯   きのこ飯ほこ/\として盛られたる      色気より食気のおのれきのこ飯 柚味噌  過ちし柚釜ころげてとゞまらず 秋扇   うちひらく白妙寒し秋扇      秋扇二本閑居す小抽斗      帯解くや秋扇落ちて音|疎《うと》し 秋袷  ◎淪落の底の安堵や秋袷 ※[#「酉+余」、第4水準2-90-36]※[#「酉+縻」、156-3]漉  どびろくや而も藩儒のなれのはて      どびろくや相酔うて知る汝《な》が雄志      どびろくやその日/\の悲喜に生く 秋蚊帳  日あたりて覚めし女や秋の蚊帳      熟睡《うまい》して白き面輪や秋の蚊帳      古蚊帳の別れとなりて恙かな      けふぎりで別るゝ蚊帳を釣りにけり      うらぶれて釣るや雨夜の九月蚊帳      きぬ/″\や青さ眼にしむ九月蚊帳 砧    砧打二人となりし話声      ほと/\と砧たゝけば愁湧く      砧女に灯影遮り来し情夫      草ばくち砧女も来て交りけり      嫂《あによめ》とよくうまのあふ砧かな      冷え性の蓆重ねて砧かな      高々と月を打上げし砧かな      後れ毛をふるはせて打つ砧かな      縁遠き姉妹《おととい》二挺砧かな 鳴子   縄尻を控へて縫へり鳴子引 稲刈   如意ケ嶽を去らぬ雲影稲を刈る      日かげりて愁ふる稲を刈りにけり      稲刈やわが家灯りて夕心 虫売   虫売や虫の諸音につゝまれて      虫売の来て賑かな門辺かな      虫売や軽く担うて小刻みに 秋の庭  植込を移る日影や秋の庭      生垣の外は夕日や秋の庭      秋の庭思ひ沈めば昃るなり      人散りて秋苑に句を案じけり      秋苑や草木静かに人動く       動物        奈良 鹿    なつかしく鹿に逢ひけり夜の町 雁    天つ雁遠ざかりつゝ鳴きにけり      雁鳴いてひし/\夜の心かな      かりがねや閨の灯を消す静心      かりがねや重たうなりし膝枕      かりがねや眠り弛みに妻の唇      雁聴くや更けし灯を守りゐて      かりがねや酔うて気沈む小夜くだち 稲雀   夕栄に起ちさゞめけり稲雀      追ふ声のあはれに暮るれ稲雀 鶉    野鶉の籠に飼はれて鳴きにけり 啄木鳥  きつゝきの幹移りして暮れすゝむ 鵙    邸内に在る一藪や夕の鵙      けぶり来し夕藪に鳴く鵙一つ 秋燕   秋つばめ名残の糞を落しけり      江畔居燕帰つてよりの雨 渡り鳥  物を干す白き腕や渡り鳥 鯊    鯊釣るや既に散りそめ柳の葉      竿伝ふ濃き夕栄や鯊を釣る      鯊釣や川を白めて暮の雨 鰯    海光の一村鰯干しにけり 蜻蛉   つよ風に羽薄く飛べるとんぼかな      脇の下明るう飛べるとんぼかな      盛砂へ来て赤蜻蛉とまりけり      大やんま漂ふ月の垣穂かな      女の童一人まじれり蜻蛉釣 秋の蝶  白々と松にとまりぬ秋の蝶      陰晴の松をめぐりて秋の蝶      秋の蝶晴れし廂にまつはりて 秋の蚊  秋の蚊の白紙《しらかみ》へ墜つ最期かな     ◎秋の蚊のほのかに見えてなきにけり 秋蛍   夜の比叡へ登る人あり秋蛍 螽    ※[#「禾+魯」、第3水準1-89-48]田をあはれ跳び交ふ螽かな 虫    かゞまりて虫の音をきく日和かな      虫なくや灯影隈なき籠の中      遠き虫に声を浮かせてそこの虫      更けし灯に形影離れ飛ぶや虫      と見る虫裾を捌いて鳴きにけり      うらぶれて虫のまなこに眺め入る      昼の虫しら/″\しくも鳴きにけり      草晴れてかすかに虫の声すなり      虫時雨わきて今宵は親恋し      須弥壇の真昼虫鳴く廃寺かな ちゝろ虫 泣きほけし妻の目鼻やちゝろ虫      飽食のかろき疲れやちゝろ虫      酔ざめの水のうまさよちゝろ虫      湯冷めしてしらけし肌やちゝろ虫 きりぎりす 古籠に飼はれて青しきり/″\す      更闌けて鳴かぬ青さやきり/″\す      寂しさやしら/″\明けのきり/″\す 法師※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]  後庭の草木晴れたり法師※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]      幽篁や一つ鳴き澄む法師※[#「虫+單」、第3水準1-91-66] 蜩    蜩に刻々松の暮色かな      蜩に夕べの池をめぐりけり      蜩や鏗々として鳴き澄める 秋蛙   藪蔭の小田も稔りぬ秋蛙       植物 紅葉   紅楓にひえ/″\落つる小滝かな      夕水の光あへなき紅葉かな      碧潭に紅葉|襲《かさ》ねて夕寒き      かさこそと瑠璃鳥のゐる紅葉かな      今は早酔絶え/″\や夕紅葉      夕冷の到る紅葉を手折りけり      常盤木に叛意ほのめく楓かな 竹の春  横日して明るき藪や竹の春      深草へ来て三幹の竹の春 破芭蕉  天晴るや蓬々として破芭蕉 木犀   木犀の匂かくれぬ日和かな     ◎香を尋《と》めて来て木犀の花ざかり 桐一葉  朝風に大弧描いて一葉かな      乾きたる砂のけうらや桐一葉      学堂に充つ※[#「口+伊」、第4水準2-3-85]唔の声桐一葉      一葉散るきのふが千秋楽《らく》の劇場《こや》の前 木の実  椎の実のはすかいに飛ぶ嵐かな      椎の実に鼻はたかれぬひきがへる      庭古りて日にけに落つる木の実かな      今落ちし木の実拾ひぬうすみどり      あひゞきに尽きぬ話や木の実降る      持つて寝る母の乳房や木の実雨 柿    柿を※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]く鈍刀にして大いなり      青空に熟柿崩るゝ天気かな      豆柿のこま/″\熟るゝ天気かな      高枝柿夕日まぼしくもぎにけり      渋柿の色艶栄えてあはれなり      渋柿のわりなき艶をながめけり      百姓の厠すさまじ柿の秋        野風呂庵      客あればすなはち※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]ぐや庵の柿        啼魚庵 瓢※[#「竹かんむり/單」、第3水準1-89-73]   青ふくべ一つは月にさらされて 秋草   遠きより晴れ寄る原や秋の草      一廓は市営住宅秋の草      水筒の水が鳴るなり草の秋        瑞光寺      山号を艸山といふ草の秋 草の花  妻さびて紅の襷や草の花      まゝごとの父にされけり草の花        遊子      草の花あはれに咲きぬ親遠し 草紅葉  一雨に濡れたる草の紅葉かな 末枯   末枯れて草静かなる大地かな      末枯れて芝もなつかし鳥の影      末枯や知足の人の広額      末枯の萩に風出ぬ昼さがり      末枯や馬出払へる大厩舎      煩悩を抜く一念や末枯るゝ      いつ癒ゆる妹がいたづき末枯るゝ      末枯や詠み棄つ羇旅の両三句      病めばものゝはかなさ草も末枯るゝ      鬼ごとの鬼は寂しや末枯るゝ      末枯れて叢高き水辺かな 菊    菊咲くやわすれがたみの眉似たる      臼の音籬落の菊にひゞきけり      暮れ悩む白菊にある旅情かな      湯冷めして菊の白さよ寂しさよ      豊の日に酔へるさまなる黄菊かな      白菊や昧爽《まだき》花屋に客一人      かの大臣《おとゞ》菊にうきみをやつしけり      白菊や風邪の名残の小しはぶき      白菊や風邪気の妹に濃甘酒      花店の朝を白菊薫りけり      紅菊の色なき露をこぼしけり      星飛んでそゞろに冷ゆる菊の白      筆擱けば真夜の白菊匂ひけり      菊の香のそゞろなる間へ通さるゝ      わが業にいしくも咲ける黄菊かな      鬼検事菊を作りて好々爺 萩    朝月の萩むらを立つ雀かな      吹きさます甘酒の湯気や朝の萩      萩の葉のこま/″\として雨冷ゆる      白萩の生ひに生ひたる落花かな      来合せて萩に恋めくおとめかな      夕月やうちかぶり剪る萩白し      萩の花夜目のほのかにこぼれけり      雪洞のこゝに尽きたり園の萩      深更の一咳萩に月高し 鶏頭   鶏頭に紛れゐる鶏鳴きにけり      鶏頭やひしめき生えに花盛り      鶏頭を裂いても怒とゞまらず      鶏頭や花の端《は》焦げて花盛り [#ここから7字下げ]嫁かずして三十路の秋を迎へし女あり[#ここで字下げ終わり] 葉鶏頭  齢《とし》を問へば雁来紅に目をつむる 芙蓉   人妻を恋へば芙蓉に月嶮し      黒髪を梳くや芙蓉の花の蔭      鰯焼く煙芙蓉を犯しけり      夕冷えに白さ極まる芙蓉かな      逢ひにゆく袂触れたる芙蓉かな        憶亡嫂      面影は風に吹かるゝ白芙蓉      芙蓉咲いて面影胸に甦る 蘭    この谷にいつも霧あり蘭の秋      小机の閑日月や蘭の秋        悼 蛍草   凋んでも月がさすなり蛍ぐさ 桔梗   白桔梗一輪凛とひらきけり コスモス コスモスや籬溢れに咲き闌くる      降られゐて牛おとなしや秋桜      コスモスや茶室を罷る三五人      コスモスや夜目にもしるき白ばかり      引き据うる古び盥や秋ざくら      コスモスや客に恋はるゝ湯女頭 曼珠沙華 むらがりていよ/\寂しひがんばな      曼珠沙華茎の脆さよ折り散らす      赤々と咲いてま哀しひがんばな      夕風やへら/\笑ふしびとばな 薄    川波の音夕づける薄かな      肥馬の尾の薄払うて垂れにけり      穂薄に居てはるかなる旅情かな 鬼灯   うら若き妻ほゝづきをならしけり      虫の好かぬ仲居鬼灯ならしけり 蕎麦の花 暮れはてゝ提灯つけぬ蕎麦の花 敗荷   亀の居て破れ蓮の水うごきけり      地に平和敗荷の水は澄みとほる 女郎花  夕冷えや切石に置くをみなへし 藤袴   大原女の恋をきかばや藤袴 稲    藪蔭を出てあたゝかし稲の秋      豊稲《とよしね》に如意が掲ぐる朝日かな      掛稲に青のさゞらの晩稲かな      稲晴れて蒼き煙を上ぐる家      建ちてまだ住まぬ一棟稲の秋      案山子かと見れば人なり稲熟るゝ      早稲は黄に晩稲は青き日和かな 黍    天つ日の入りし嘆きや黍畑      斜雨太く来て黍畑の薄暮かな      川霧の更けて及べり月の黍 茸    茸山の麓を通る天気かな      茸山や夫人晴着に襷がけ      あとがけの痛き女や菌狩      雑茸も採れば皆|貫《ぬ》く笹の茎      貧厨に松茸を焼く香かな      肉鍋や松茸白く介在す 葡萄   寂しさに葡萄を握る月夜かな      月さしてむらさき煙る葡萄かな      傾いて月まどかなり葡萄棚 芋    芋の葉の水玉載せて晴れにけり 梨    妹と居て梨※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]けば足る恋ごゝろ      梨※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]くやいまだもけむる湯上り手 栗    山家昼闌け埒もなう栗落つことよ 南瓜   ぺちやんこの南瓜可笑しくなりにけり 秋茄子  秋なすび小さき実つけて木の如し 散柳   夕風に散りさゞめける柳かな      起きぬけの冴えぬ面輪や散柳 花茗荷  人知れぬ花いとなめる茗荷かな      咲けりとも人は知らじな花茗荷 [#改ページ]       冬       時候 初冬   初冬や手ざはり寒き革表紙      藪の穂のさやぎひそかや冬はじめ        野々宮      初冬や大竹藪に陽こもりて 神無月  空畝《からうね》に月の小さゝよ神無月      降り凪にひそと出舟や神無月 冬めく  炉開いてとみに冬めく畳かな      せがむ児に出すや冬めく乳一つ 冬ざれ ◎冬ざれや青竹映る手水鉢      炭火ふく朱《あけ》の唇冬ざれて      冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな        光悦寺      冬ざれや房々として実南天 寒さ   寒き夜の白煙《はくえん》空を流れけり      寒き夜や足にかけたる空バケツ      道ならぬ恋の芽をつむ寒さかな      空《そら》※[#「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40]《だき》や歳寒うして句心澄む      襟脚を守りて襟の紺寒し      寒柝に昂る月の光かな      はろ/″\と沖べ蒼みて寒さかな      廃艦の名前変りし寒さかな      ストーヴの焼けも爛るゝ寒さかな      灰色の艨艟据り浪寒し      鏡寒く縮緬皺を見つけたり      糞坑の闇にまたがる寒さかな      麓の灯寒く灯れば山の灯も        安東      鴨緑江《ありなれ》を越えて支那なり寒さかな        住吉      反橋の反りかへりたる寒さかな        悼白川令嬢      柩寒く仏顔玉の如くなり        同 文曰且紅顔夕白骨      紅顔の夕を知らぬ寒さかな        悼九品太      面影の静かに浮ぶ寒さかな [#ここから7字下げ]下村利一郎の遺訳「社会心理学」上梓[#ここで字下げ終わり]      歳寒く遺稿に落す涙かな 冱    映りたる夜明の顔や冱鏡        四条深更      生活の眠りて街《まち》は冱てにけり 小春   裏山に人語きこゆる小春かな      芥火に誰も居ぬなり背戸小春      大淀や水の光も小六月      小六月藁打つ嫗藁の中      毛のぬけし毛布干したり小六月 短日   短日の大いなる樹を※[#「石+斤」、178-6]り倒す      白面の子に短日の詩集かな      短日や裁物板は傷だらけ      拭込んで縁つやゝかや日短き 冬の夜  かさこそと※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]餅焼くや冬の夜      冬の夜の硯乾かず更けにけり      冬の夜の湯槽の底を踏まへゐる      火のまはる炭閑かなり冬の夜 師走   おでん屋に溜る払も師走かな      若者を轢きし師走の電車かな      師走人水を見て居り橋の上      極月や張り替にやる三味二挺      句座を成す市井の閑士十二月      閑居士に番茶の出花十二月      句座に居て師走人ともなかりけり        大阪      橋々に師走の川や流れけり 年の暮  向学の心しきりや年暮るゝ      忌中札貼りて早寝や年の暮      読むものに八笑人や年の暮      歳晩や大原へ帰る梯子売      歳晩や白川女なる飾売      歳晩の衢《まち》に現れ犬殺し      歳晩や裏町にあるホ句の会      行く年や白紙《しらかみ》残る俳句帳 大三十日 韋駄天の後姿や大三十日      大年や茶の間の客は俳諧師      大年の客に酌まるゝ番茶かな      大年や既に日失せし庭の松 寒    灯ともるや寒の内なる青畳 [#ここから7字下げ]妹は遠く南海に病を養ふ吾亦風気の冒すところとなり起たざること旬日に余る[#ここで字下げ終わり]      大寒やわかれ/\に妹背病む 春近し  春近き庵の小溝を浚へけり       天文 冬空   冬の空青し嵐山《らんざん》寂びたりな 冬の陽  冬の陽や枯木の中の竹二本      囚人《めしうど》の墓に冬の陽うすれけり 冬晴   冬晴やむげに枯れたる大芭蕉      冬晴や雪解けてゐる音羽山      冬晴や出づべくとして汽車長し 寒風   寒風の凝つて星斗と砕けゝむ [#ここから7字下げ]閉居閑散自ら問うて自ら答ふ[#ここで字下げ終わり]      竹藪に北風騒ぐ音ぞかし 木枯   木枯や翠も暗き東山      木枯の煙を払ふ落暉かな      木枯や今か灯りし瀬戸物屋     ◎凩や堕胎草《おろしぐさ》煮は煮たれども        悼其十      凩に生木《なまき》の折るゝ音すなり 冬の月  渺々として空畝《からうね》や冬の月      月寒く疾風草を吹きやまず      寒月に一つら灯る野末かな      冬の月寂莫として高きかな      寒月やいたく更けたる公孫樹        碧蹄館露営      寒月に七つの焚火大きうす 冬の星  庇合《ひあはひ》に一つ見ゆるや冬の星 冬の雲  冬雲の流れもあへぬ月夜かな      夕栄もなうて暮れけり冬の雲      北風に流れそめけり冬の雲 冬の雨  生垣の杉錆びはてぬ冬の雨      鋸のにぶき響や冬の雨      杉苔の寒き緑や冬の雨      さむ/″\と濡れし甍や冬の雨      更闌けてしみゝに降るや冬の雨      音やみていまだも降れり冬の雨      うしみつや音に出でたる冬の雨 時雨   しぐるゝや嵯峨の廂に星もなし      大時雨して霜月のはたゝ神      浅き夜の藪に音してしぐれけり      にひはりの埴の赭さよ大時雨      しぐるゝや土曜の宵の灯明か/\      化粧《けはひ》濃き人の傘うつ時雨かな      建て急ぐ赤き煉瓦にしぐれけり      かゝる処に六波羅密寺しぐれゐる      とかうして咳おさまりぬ小夜時雨      しぐるゝや更けに更けたる慈光院      しぐるゝや真夜を灯して刀鍛冶      藪の穂に星は見えゐてしぐれけり      宵時雨霽れて星出ぬ藪の上      松が枝に触りたる音や時雨傘      時雨雲しづかに山を離れけり      叢雲をこぼれて青し時雨星        清水坂紫雲郎居      京の灯の見えてしぐるゝ手摺かな        新義州      国境の河を見にゆく時雨かな        真如堂      晩翠に浮いて堂塔しぐれけり        草城山房      しぐるゝやこゝは白川下池田 [#ここから7字下げ]播水児を儲け数日にして之を喪ふ[#ここで字下げ終わり]      時雨星かゞやくひまもなかりけり [#ここから7字下げ]大和慈光院に茨木城の城門あり[#ここで字下げ終わり]      城門をこゝに移して時雨かな 霰    戸格子を漏れて降り込む霰かな      玉霰竹に当つて竹青し      小心の鴛鴦に霰の水柱 霙    門前の霙に来たり郵便夫      かゝる日は汨羅の鬼に霙かな 雪    初雪の忽ち松に積りけり      初雪を踏みもけがさず庭広き      湯戻りの袖に初雪かゝりけり      初雪や妓《をんな》に借りし絵入傘      初雪を見るや手を措く妻の肩      雪を来て目鼻厭へる男かな      雪の原一樹の蔭に尿かな      朱《あけ》の柵とざして廟の深雪かな      雪の山夕映えてをり馬を練る      枝落ちの雪相搏つてはらゝかな      雪の夜の紅茶の色を愛しけり      酒場既に灯雪山遠く日当りて      雪積んで樹容定まりぬ松柏      松風に雪横さまや鷹ケ峰      枯枝に刻々つもる粉雪かな      一つ寝のはじめての夜の粉雪かな 霜    初霜に流るゝ馬の尿かな      犬老いて嚔《くさめ》落しぬ月の霜      霜冴えてけはしく啼ける鴉かな      高浪に霜の舷濡れにけり      寒林の一戸覚めたり霜柱      着膨れて霜草に下駄小き子よ      霜晴や干し足らぬ衣けふも干す        京城中学      寒き生徒校庭の霜に乱れ歩く       地理 水涸   川涸れておのづからなる径かな      流木のこゝに溜れり水涸るゝ      水涸れて汚き磧歩きけり      ごろ/\と瀬石たゞ在り水涸るゝ      あさましく涸れたる川を眺めけり        音羽の滝 冬の水  冬の水滝と呼ばれておほけなき 冬の潮  朝船や寒潮を抽く朱一抹 冬の浪  舷をどたりと打つや冬の浪 氷江   西仁川に到る漢江氷りけり      氷江やしみつたれたる牛車の灯      氷江の上の橋行く暮色かな        平壌      氷江の西日となりぬ浮碧楼        会寧      図満氷れば狄《えびす》の山に近いかな 冬の山  日あたりて物音もなし冬の山      山神のくさめ響くや冬の山      冬の山峠に人の白地《あからさま》      冬の山赤い夕日に照されて      冬山を鈴賑やかに越す荷馬      漫談の障子あけゝり山眠る      人を焼く煙立ちゐて山眠る 枯野   夜の枯野きらゝに通る電車かな      この先に待つ女あり枯野行く      枯原や一路腹立つ程真直      唇の紅さ枯野を粛殺す 冬田   冬田風たゞちに襲ふ垣穂かな 雑    虹やがて消ゆれば冬の比叡山      捨石の凝らす思念《おもひ》や土の冬      何の葉のつや/\青し冬清水       人事 冬の灯  寒灯や試験近づく広机      寒き灯に鼻低う寝し女かな      しろ/″\とつれなき壁や冬の灯に      出帆の銅鑼に色めく冬灯かな      寒き灯におぞましう泣く醜女《しこめ》かな        ミルクホール      寒灯やコーヒー熱き欠茶碗 冬籠   早寝して夢いろ/\や冬籠      庵ぬしが夜々の手酌や冬籠     ◎日の当る紙屑籠や冬ごもり      じやがたらの友の便りや冬籠      急霰にあけし障子や冬籠      どぼ/\と筧の音や冬籠        玄琢山荘 二句      日当りて北山近し冬籠      叡山を隔つ障子や冬籠 [#ここから7字下げ]播水妻をめとる妻の名は八重となむ[#ここで字下げ終わり]      新妻と八重垣結うて冬籠 [#ここから7字下げ]妹は遠く南海に病を養ふ[#ここで字下げ終わり]      吾妹子《わぎもこ》と夢に逢ひけり冬籠 煤払   あさましや五十路の妻の煤はらひ 年の市  宵過ぎの雪となりけり年の市      明るさやこゝの辻より年の市      帰るさの荷嵩となりぬ年の市 掛乞   掛乞や月のしたびの小提灯      掛乞の倨傲鮮腆懲すべし 年忘   ひとゝせのゆくへを知らに年忘      ひとゝせの悲喜を祀らむ年忘      どろ/\に酔うてしまひぬ年忘      そのかみの恋を興がる年忘      年忘酔うてしまへば仏かな 藪入   藪入や寝ものがたりの夜半の雨      藪入や親の知らざる隠し夫《づま》 クリスマス クリスマスの鐘が鳴り出す月夜かな      クリスマスツリーぶらさがる何々ぞ      クリスマスの靴磨きゐる牧師かな      東《ひんがし》の星の光やクリスマス 白朮詣  鳥居出てにはかに暗し火縄振る      白川へはる/″\戻る火縄かな      火縄振るや妹背伴れ立つ大輪小輪 師走狂言 小一座の師走狂言|不如帰《ほとゝぎす》 餅搗   老居士のえいおうと餅搗きにけり      餅搗や鉢巻すべるおびんづる ※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]八会  ※[#「虫+鑞のつくり」、第3水準1-91-71]八会かすかに光る心かな 顔見世  顔見世の前景気とはなりにけり 網代守  物の怪に細る灯や網代守 追儺   酒気少し帯びて年豆鷲※[#「てへん+國」、第3水準1-84-89]み [#ここから7字下げ]其十立春を俟たずして逝きぬ[#ここで字下げ終わり]      豆撒いて病魔払はしよと思うたに 獵    銃|斜《はす》に負うて獵夫《さつを》の優男 竹馬   竹馬や落馬将軍伝太郎      竹馬の背より高きを騎りこなす      竹馬や技癢そゞろぐ女の童 海※[#「羸」の「羊」に代えて「虫」、第4水準2-87-91]廻し 出次ぐ洟のごひもあへず海※[#「羸」の「羊」に代えて「虫」、第4水準2-87-91]廻し 柚子湯  白々と女沈める柚子湯かな 日向ぼこ わが影のみす/\失せぬ日向ぼこ      枯れはてし芝に坐りぬ日向ぼこ 褞袍   星移り物変りどてら古びけり 冬帽   冬帽や愁かくろはぬ広額 肩掛   肩掛を除れば襟出て臙脂かな      灯に映えて琥珀いみじきシヨールかな      うなだれて襟脚寒きシヨールかな      白シヨールすこしよごれて温かき 襟巻   白妙の襟巻胸を流れけり マフ   マフを出し手にぬく/\と握らるゝ 手袋   手袋の赤き手振りて歩きけり 足袋   白足袋をあやにも白く穿ちたり      足袋ぬぎし足につれなき畳かも 毛布   抜くる毛を疎めど毛布あたゝかき      支那毛布うち舒べて画虎躍り出づ 風邪   風邪の子の枕辺にゐてものがたり      一枚の毛布親しや風邪心地      昼の雨見てゐるや風邪引き佗びて      店の灯の明るさに買ふ風邪薬 水洟   水洟のとめどもなうて味気なや      糟糠の妻水洟をすゝりけり      水洟や盤踞す鼻の大いなる      白紙《しらかみ》にしたたかかむや水ツ洟 胼薬   胼薬さやかに澄めり罎の中 寒紅   寒紅をさしもするなり古娘      古妻の寒紅をさす一事かな 蒲団   一人寝の夜々の蒲団や美しき      美しき蒲団着て寝る孀かな 障子   簷影の下《お》り来し朝の障子かな 焚火   朝なさな焚火の映る障子かな      豊鬢に焚火埃を厭《いと》ひけり      焚火消えなんとすその色哀し      いつとなく夕靄罩めし焚火かな      夕闇にあらがひ猛る焚火かな      一ところ闇を崩して焚火かな      あめつちの闇の裾なる焚火かな      夕栄を濁す焚火の煙かな      夜焚火に明るう開く柴戸かな      夜焚火の闇に怯ゆる※[#「火+陷のつくり」、第3水準1-87-49]かな      杣が嬬髪もおどろに焚火かな      青空に※[#「火+陷のつくり」、第3水準1-87-49]吸はるゝ焚火かな      朴の葉の焚火へ落ちて燃えにけり        其十病む 湯婆   冷えてゆく湯婆《たんぽ》はさぞや寂しかろ 置炬燵  のぼせたる頬美しや置炬燵      独り居て睡魔に負けぬ置炬燵 火鉢   友去りて灰も寂しき火桶かな      念頭の一事火桶に現《うつゝ》なく      わが思夜半の火桶に沈みけり      咄睡魔火桶の灰に潜みたる 炭   ◎見てをれば心たのしき炭火かな      炭の香や独り居更けし夜のほどろ     ◎静けさや炭が火となるおのづから      炭つぐや銀の火箸のほそ/″\に      炭ついで更に夜読の興|昂《たか》し      炭を挽く心静かや夜の雪      小き暈被て月寒し炭車 助炭   世に古りて紙のすさびも助炭かな      昼の火の如何に佗しき助炭かな 炉    俳諧に捨てしこの身や炉を開く      名聞をうとみて大炉開きけり      炉開きや市井に隠れ句を能くす      炉火はぜて面そむけぬ二日酔      炉に倚れば暮るゝ山河もなかりけり      炉框に日当りて浮く微塵かな      炉ぼてりの面テを挙げて申すには 榾    榾の火にとろりと酔ひし眼かな 埋火   埋火や閑かに湛ふ夜半の灰      埋火や思ひこだはる一つ事 [#ここから7字下げ]其十故山に帰臥して遂に再び起たず[#ここで字下げ終わり]      埋火のそのまゝ消えし寒さかな 藁灰   藁灰の面影もなうなりにけり 懐炉   古妻の懐炉臭きをうとみけり      母の湯に在る間預る懐炉かな      きぬ/″\の懐炉して呉れし情かな      さるほどに温もりそめし懐炉かな      いぶさるゝ臍の不平も懐炉かな 温石   温石や鎮座まします臍の上 ストーヴ 汽車去れば孤駅に復《かへ》る暖炉かな 玉子酒  岡惚で終りし恋や玉子酒      酔へる眼も年増盛りや玉子酒      玉子酒おのが眉目に慊らぬ      閨門に洩るゝ大事や玉子酒      なんぢの目とろんこ[#「とろんこ」に傍点]となんぬ玉子酒      わぎもこのはかなく酔ひぬ玉子酒      嬌瞋の眉美しや玉子酒      謀られてくやしく酔ひぬ玉子酒 [#ここから7字下げ]対面共語心距千山[#ここで字下げ終わり]      対ひ居て心は知らじ玉子酒 熱燗   熱燗に※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57]忽の酔到りけり      熱燗の酔や眼となく頬となく      熱燗や胃の腑へ注ぐ筒抜けに      熱燗や大章魚の脚※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]みしだき      熱燗に応へて鳴くや腹の虫      熱燗をキウとひつかけ出掛けゝり 湯豆腐  湯豆腐や紫檀の筥の女夫箸      湯豆腐の浮沈を縫うて朱《あけ》の箸      さゝ濁りして湯豆腐の湯の熱さ      湯豆腐やへな/\挾み上げらるゝ 牡蠣船  牡蠣船の少し傾《かし》げる座敷かな      牡蠣船や静かに居れば波の音      牡蠣船や今は煮え立つ味※[#「口+曾」ばかり 寄せ鍋  寄せ鍋や打ち込みし妓《こ》のうす情        大連 焼栗   栗を焼く漢子容貌魁偉かな 焼芋   焼芋や月の叡山如意ケ嶽 乾鮭   乾鮭の鱗も枯れて月日かな 寒餅   寒餅に胸の痞へや囲ひ者 酒の粕  心こゝに在らで焦しぬ酒の粕      金婚式が明日の酒粕焼き合へる      粕汁に酔ひし瞼や庵の妻      粕汁の湯気かんばしく騰《あが》りけり 歳暮売出 歳暮売出大原女も来て買ひにけり      歳暮大売出京の田舎まで 雑    窓|形《なり》に日向出来たり冬畳       動物 千鳥   酔ひ足りて心閑かや遠千鳥      千鳥鳴いて夜深き盃《はい》を措きにけり      千鳥鳴いて雲に隠るゝ北斗かな      薄星の光り出でたる千鳥かな      千鳥聴くや襟の紫紺に頷|埋めて      梅花膏「千鳥が鳴く」と貼りにけり      荒磯波《ありそなみ》くだけて月の千鳥かな      自動車のうしろは真闇小夜千鳥      おぼめける水の光や小夜千鳥      鴨川千鳥|自棄酒《やけざけ》利かぬ夜なりけり      対ひ居て君が酔知る千鳥かな      つれ/″\に在れば雨夜の千鳥かな      千鳥趁うて月に擡ぐる浪頭      流連《ゐつづけ》や裏は加茂川昼千鳥      酌の手をとめて千鳥が鳴くといふ      夜を深みしるく聴えし千鳥かな      生酔本性たがはず千鳥聴きつけし 水鳥   水鳥の葦に隠れて生む水輪      水鳥や真夜の鐘鳴る泊り船 梟    梟鳴くや月に背いて長尿      夜に入りて近き尿や梟なく      寝そびれて梟の声をきくや夜々 寒雀   寒雀遠くは飛ばぬ日向かな 笹鳴   笹鳴や燗を過せし朝の酒      笹鳴や手沢出でたる桐火鉢      こゝに返す逍遥の歩や笹子鳴く      から/\の大つくばひや笹子鳴く 鴨    銃口《つゝぐち》にかゝる命や空の鴨 冬の蠅  飯櫃の箍の光や冬の蠅 牡蠣   おしきせの二合を超ゆる酢牡蠣かな      牡蠣割の女に惜む縹緻かな 凍鯛   凍鯛の鱗を※[#「てへん+蚤」、第3水準1-84-86]けば飛びにけり 鮪    ひや/\と鮪に垂らす※[#「將/酉」、第3水準1-92-89]油かな 河豚   男の子われ河豚に賭けたる命かな      河豚の味忘れぬ舌に呪あれ      玉の緒よ絶えなば絶えね河豚汁《ふぐとじる》      死神のうすら笑ひやふぐと汁 海鼠   古びたる舟板に置く海鼠かな      酢海鼠や妻に阿《おもね》る第五燗 鯨    大鯨潮吹き分けよ壱岐対馬       植物 落葉   高きよりひら/\月の落葉かな      落葉踏む音の寂しさ犬を呼ぶ      街灯に夜の落葉や烏丸      さびしさは素足に触るゝ落葉かな      火移りてはかなく燃ゆる落葉かな      ※[#「媾」の「冉」に代えて「冉の4画目左右に突き出る」]曳やちらりほらりと夜の落葉      独り行くや落葉蹈む音身にしめて      お百姓落葉鳴らして大尿      葉を降らす木あり後庭夜深く      更けし灯にあり/\落つる木の葉かな      落葉木へなぐれて蒼き煙かな      孫康の雪にまじれる木の葉かな        釈王寺      いかにこの寺を落葉寺《らくえふじ》と呼ばん 蜜柑   つれ/″\に※[#「碌のつくり+りっとう」、第3水準1-15-94]いたる蜜柑あまかりき      思ひつめし心ほどけぬ蜜柑むく      燻《いぶ》れるは蜜柑の皮と睨んだり 葱    北風にあへなく折るゝ葱ばかり      葱の青吹雪がくれにちら/\と      濡葱を握るてのひら夕心      裏畑は葱の緑に暮るゝかな      葱断つて強き香に在る目鼻かな      寒厨や心貧しく葱を断つ      女房の待ちゐし夕餉ねぶか汁      うとましく冷えてしまひぬ根深汁      貧厨や葉先枯れたる葱一把      葱断つて目鼻厭へる女かな      日かげりて緑冷えたり葱畑        閑居偶々野に出づ      青葱に慰められて戻りけり 冬菜   ※[#「さんずい+發」、第3水準1-87-9]溂と霜に驕れる冬菜かな 虎落笛  空林の落葉明るし虎落笛 冬薔薇  冬薔薇や陽を失うてあえかなる        悼 寒牡丹  花遂に霜に負けたり寒牡丹 寒菊  ◎寒菊やころがり佗びて石一つ      一茎の寒菊石をたよりにて      寒菊や宵寝覚めたる老二人      弱りつゝ当りゐる日や冬の菊 水仙   水かへて水仙影を正しけり      水仙や羸弱の身にこの寒さ      水仙に軸の渓山奇峭なり      水仙やかりそめに挿す一瓶子 枯草   枯草のほのかに光る月夜かな      草枯れて一|畝《ぽ》の葱を青うしぬ      蔭の芝陽の芝枯れてあはれなり      土車軋み通るや草枯るゝ      草枯れて断礎に鬼の哭く夜かな      枯れ/″\の葎に深き夕日かな      有難き師走日和や枯葎      礎の磊塊として草枯るゝ      草枯ると見ゆる比叡の天気かな      晴天やレール光りて草枯るゝ        満洲      草枯や列車いつまで野を駛る        加茂川      枯草に紅友禅を晒すなり 枯蓮   よろ/\と枯れたる蓮に霙れけり      枯蓮に雪のつもりし無残かな      枯蓮に落ちてけむるや鶴の糞        天竜寺      枯蓮や名残る緑も寂び果てゝ 冬椿   冬椿乏しき花を落しけり      咲き張らでうつろふ花や冬椿      枯苔に一つ落ちをり冬椿      夕月やひそかに咲ける寒椿 寒梅   寒梅の香や月の花蔭の花      寒梅や痛きばかりに月冴えて 山茶花  大花の白山茶花や朝の雨        慈光院      たそがれや白山茶花に幾しぐれ 茶の花  茶の花に宇治は師走の天気かな      朝雨に英《はなぶさ》滋き茶の木かな 返り花  日あたりてまこと寂しや返り花      苑《その》やがて寂れまさらむ返り花 [#ここから7字下げ]紅葉の句会に欠席して其十に会はずじまひにて其十逝く[#ここで字下げ終わり]      返り咲くしばしがほども見たかりき 散紅葉  散るのみの紅葉となりぬ嵐山      晴天の紅葉古びて散りにけり      黒髪に紅葉散るなり山の寮 枯芭蕉  大芭蕉従容として枯れにけり 冬木   まのあたり静かに暮るゝ冬木かな      みづうみに寒き谺や冬木樵る      オンドルの煙まつはる冬木かな      わが庭の夕べを澄める枯木かな 枯柳   枯柳条々として昼深し 枯黍   枯黍の一ト葉は青き哀れかな 雑    一鳥のたもとほる音や冬の藪 [#改ページ]       新年       時候        元旦より禁煙 おらが春 煙草やめて手持無沙汰やおらが春 三ケ日  拗ね者や炭火護りて三ケ日 元日   元日や異人の妻の日本人        白川荘      元日や影を静めて飾太刀 元旦   元旦や古色めでたき庵の妻      元旦の餅を焦せしあろじかな      元旦や二十五年のひとりもの      元朝や起されてゐる宿の夫《つま》      元朝や去年《こぞ》の火残る置炬燵 松の内  更けて焼く餅の匂や松の内      落ちてゐる金簪や松の内      古妻の化粧栄えして松の内       天文 初空   初空や一片の雲耀きて      初空やこれはこれわが草の庵 初日   潮騒の明るうひゞく初日かな お降   お降の八ツ手に煤もなかりけり      宗右衛門町お降の傘紺蛇の目      お降や障子あくれば縁の艶       人事 初便り  逢状もまじりて今朝の初便り 初風呂  湯をつかふ音もときめく初湯かな      初風呂の煙突が吐く火の粉かな 弾初   炬燵出て弾初の三味外しけり      弾初の撥を秘めたる袱紗かな 初鏡   ほの/″\と初鏡より明けにけり      鏡かけ払へば澄めり初鏡      低鼻の永久《とは》の嘆きや初鏡 初手水  行く年の髭も剃らなく初手水 門松   一人子と閑かに住めり松飾 春着   古びたるおばしまに倚る春着かな 年玉   年玉や妾に出せる娘より 歌留多  羞らへどとても歌留多の妖手にて      歌留多取化粧崩れも顧みず      歌留多取粉雪ふるとはよも知らじ      歌留多夫人に孔雀といふ名奉る 羽子   なか/\にそらさぬ羽子を嫉み見る      きり/\と舞ひ落つ羽子に添ふ瞳      恋ふとにはあらねど羽子の娘《こ》と居たり トランプ トランプやテーブルクロスクリムゾン 双六   ぱり/\と附録双六ひろげゝり 屠蘇   ちゝはゝやめでたく屠蘇に酔ひ給ふ      あてびとやくちびる濡れて屠蘇の酔      埒もなう屠蘇に酔ひけり女客      膝へ落すまなこうるみて屠蘇の酔       植物 福寿草  在りし日の御指南番や福寿草 底本:「日野草城全句集」沖積舎    1996(平成8)年10月30日発行 底本の親本:「草城句集(花氷)」京鹿子発行所    1927(昭和2)年6月発行 ※高浜虚子・水原秋桜子・楠目橙黄子・鈴鹿野風呂・日野静山による序文、竹下静廼・土屋愛子による跋文、草城による「扉を開く」「扉を閉づ」は省略した。 ※「草城句集(花氷)」の句については、これに全面的な改訂がほどこされ、そのうち、春・夏の部の句については、そのなかから選んで「春」「夏」の二句集が刊行されている。これは草城が将来の定本「花氷」にそなえたものであり、「春」「夏」に収録された句には、句の頭部に○を付した。 ※「草城三百六十句」に収められた句は、草城が最晩年において、過去の句業のなかから三六〇句を自選したもので、草城にとって、もっとも愛着のあるものと思われ、代表作と見なされるものであり、「草城三百六十句」に収録された句には、句の頭部に◎を付した。 入力:小川春休