飛騨紬 前田普羅 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)大洞《おほぼら》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66] ------------------------------------------------------- 春 [#ここから2字下げ] 雪解 [#ここで字下げ終わり] 雪とくる音絶え星座あがりけり 雪解風吹くや身をゆる葡萄蔓 人声の谺もなくて飛騨雪解 簗かけし岩もかくるゝ雪解かな 山吹にしぶきたかぶる雪解滝 商人が来りて歩く飛騨雪解 [#ここから2字下げ] 春日 [#ここで字下げ終わり] てり返へす峰々の深雪に春日落つ 一抹の雪雲はしる春夕日 [#ここから2字下げ] 春の夕 [#ここで字下げ終わり] 雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕 [#ここから2字下げ] 春の月 [#ここで字下げ終わり] 肥うつて棚田しづかや春の月 熊笹に虫とぶ春の月夜かな [#ここから2字下げ] 春の星 [#ここで字下げ終わり] 乗鞍のかなた春星かぎりなし 青々と春星かゝり頽雪れけり [#ここから2字下げ] 春寒 [#ここで字下げ終わり] 春寒し人熊笹の中を行く [#ここから2字下げ] 春雪 [#ここで字下げ終わり] 春雪や色濃き杣の雪眼鏡 春雪や神をいさめの赤き幡 [#ここから2字下げ] 残雪 [#ここで字下げ終わり] 残雪や飛騨番匠は庫たつる [#ここから2字下げ] 春山 [#ここで字下げ終わり] 雪つけて飛騨の春山南向き [#ここから2字下げ] 行春 [#ここで字下げ終わり] 行く春や旅人憩ふ栃のかげ [#ここから2字下げ] 蚕 [#ここで字下げ終わり] 蚕時や雪解を渉り相まみゆ 旅人の腰かけてゐる飼屋かな 鬚つけし商人きたり蚕仕度 蚕仕度斧の箱鞘うち鳴らし 鮎の瀬に漬けし蚕莚流しけり 鮎の瀬は遠音あぐるや蚕仕度 雷鳴つて蚕の眠りは始まれり [#ここから2字下げ] 春祭 [#ここで字下げ終わり] 祭して雪解雫を潜りけり 春祭寝雪につゞく二部落 雪解滝かしこみかゝり春祭 金縷梅や杣炭焼は祭顔 寝雪照るや昨日とすぎし春祭 谷々に乗鞍見えて春祭 [#ここから2字下げ] 春炉 [#ここで字下げ終わり] 春の炉に足裏あぶるや杣が妻 やわらかき杣の子の足春の炉に [#ここから2字下げ] 種俵 [#ここで字下げ終わり] 種俵あげたる飛騨の径かな [#ここから2字下げ] 厩出 [#ここで字下げ終わり] 頂につらなる雪に厩出し [#ここから2字下げ] 栃の花 [#ここで字下げ終わり] 早乙女の一群すぎぬ栃の花 [#ここから2字下げ] 蕗の薹 [#ここで字下げ終わり] 飛騨暮るゝ雪解湿りに蕗の薹 [#ここから2字下げ] 山吹 [#ここで字下げ終わり] 鷹と鳶闘ひ落ちぬ濃山吹 山吹を折りかへしつゝ耕せり 山吹や寝雪の上の飛騨の径 [#ここから2字下げ] ルリイチゲ [#ここで字下げ終わり] ルリイチゲ春の夕をとざし居り なだれたる祇の径にも瑠璃一華 [#ここから2字下げ] 花桐 [#ここで字下げ終わり] 花桐や重ねふせたる一位笠 [#ここから2字下げ] 藤 [#ここで字下げ終わり] 深山藤風雨の夜明け遅々として 藤さげて大洞《おほぼら》山のあらし哉 ふぢ白し尾越の声の遠ざかる 藤浪に雨かぜの夜の匂ひけり 砧石の落花の藤をうち払ふ 風澄むや落花にほそる深山ふぢ [#ここから2字下げ] 囀 [#ここで字下げ終わり] 紺青の乗鞍の上に囀れり さへづりや二筋はしる平湯径 [#ここから2字下げ] 八重桜 [#ここで字下げ終わり] 雷とほし頭を垂るゝ八重桜 [#改ページ] 夏 [#ここから2字下げ] 梅雨 [#ここで字下げ終わり] 白樺を横たふる火に梅雨の風 梅雨ごもる鳥は色音の揃ひけり 洪水ひきし高原川に梅雨の滝 蚕せはし梅雨の星出て居たりけり 奥飛騨や楠ひともとに梅雨荒るゝ 梅雨ながし静に燃ゆる白樺 空つゆの木蔭色こし丹生の里 梅雨寒やミズナラの葉を吹き返へし 荒梅雨に鶯啼けりヒメコマツ 伐木のひゞき日ねもす梅雨の山 地に下りし蔦の新芽に梅雨さはぐ 梅雨の松百億劫も雫して 梅雨草の花の中なる平湯径 杉の芽のあかるき梅雨の夕かな 青山に遠山かさね梅雨晴るゝ 梅雨鳥の籠りてゆるゝ翠薇かな 梅雨入りや山霧あほつ杣の顔 [#ここから2字下げ] 夏山 [#ここで字下げ終わり] 夏山や釣橋かけて飛騨に入る [#ここから2字下げ] 葉桜 [#ここで字下げ終わり] 葉桜や蓑きて通ふ湯治客 [#ここから2字下げ] 栗の花 [#ここで字下げ終わり] むせかへる花栗の香を蝶くゞる 蓑笠に栗の花つけ繭売りに 飛騨蒼し花栗かをり繭匂ふ [#ここから2字下げ] 新樹 [#ここで字下げ終わり] 新樹かげ朴の広葉は叩き合ふ [#ここから2字下げ] 花卯木 [#ここで字下げ終わり] 顔入れて馬も涼しや花卯木 [#ここから2字下げ] 草餅 [#ここで字下げ終わり] 草餅の色濃くかたく夜はふけぬ [#改ページ] 秋 [#ここから2字下げ] 稗 [#ここで字下げ終わり] ハツ/\と啼かぬ虫とぶ薙の稗 飛騨人や股稗かしぐかんばの火 人さやぎ飛騨の山稗熟るゝとふ 飛騨人や刈りこそいそげ股稗を 稗刈らな股稗刈らな飛騨山に 稗刈れば霜はさやかに降りにけり 股稗のその身重たく飛騨に伏す [#ここから2字下げ] 栗 [#ここで字下げ終わり] 生栗の上の干栗一と莚 美しき栗鼠の歯形や一つ栗 栗の毬山なす道に出でにけり [#ここから2字下げ] 栃の実 [#ここで字下げ終わり] 栃老ひて有るほどの実をこぼしけり あきらめて橡の実ころげ出でにけり [#ここから2字下げ] 葡萄 [#ここで字下げ終わり] 水上に熟るゝ万朶の山葡萄 [#ここから2字下げ] 紅葉 [#ここで字下げ終わり] いただきの一枚さわぐ紅葉かな 手ぐられて葡萄の紅葉うらがへし [#ここから2字下げ] 茸 [#ここで字下げ終わり] 赤埴に茸山の径十文字 [#ここから2字下げ] 唐辛 [#ここで字下げ終わり] かけ足して直ぐ赤らむや唐辛 [#ここから2字下げ] 花芒 [#ここで字下げ終わり] 花芒平湯の径にかぶされり [#ここから2字下げ] 下り簗 [#ここで字下げ終わり] 月に出て人働けり下り簗 下り簗さして径あり石の上 [#ここから2字下げ] 霧 [#ここで字下げ終わり] 秋霧やしづくとなりて人晴るゝ 霧朝や雫してゐる馬の腹 杣が妻にしづくしやまぬ狭霧かな [#ここから2字下げ] 秋雨 [#ここで字下げ終わり] 平湯径よべの秋雨湛え居り [#ここから2字下げ] 露 [#ここで字下げ終わり] 水上に置きたる露の流れけり 露とけて韋駄天走り葡萄蔓 [#ここから2字下げ] 雁 [#ここで字下げ終わり] 昨日今日飛騨とぶ鳥は雁ならし 水上の薙に沈みて雁渡る [#ここから2字下げ] 渡り鳥 [#ここで字下げ終わり] 吹きあがる落葉にまじり鳥渡る [#ここから2字下げ] 夜長 [#ここで字下げ終わり] 水上に薄雪おりて夜長なる [#ここから2字下げ] 三日月 [#ここで字下げ終わり] 簗崩す夜々の水勢に三日の月 [#ここから2字下げ] 月 [#ここで字下げ終わり] 水上を埋めし雲に月かゝる 月てるや薙の稗畑まさやけく 月てるや雲のかゝれる四方の山 干栗をつかみ食うべる月夜の子 幾月夜干栗甘くなるばかり 稗の月母児の寝屋はとざさるゝ 水上に薙の月夜のつゞきけり おち果てゝ鮎なき湍の月夜かな 道ばたにくづるゝ簗の月あかり [#改ページ] 冬 [#ここから2字下げ] 冬晴 [#ここで字下げ終わり] 冬晴や水上たかく又遠く [#ここから2字下げ] 冬日 [#ここで字下げ終わり] 水上は冬日たまりて暖かし [#ここから2字下げ] 冬日影 [#ここで字下げ終わり] からまつの散りて影なし冬日影 飛騨人の手に背に冬の日影かな [#ここから2字下げ] 短日 [#ここで字下げ終わり] キラ/\と栂の緑に日短かし [#ここから2字下げ] 雪 [#ここで字下げ終わり] 人住めば人の踏みくる尾根の雪 吹きたまる雪に径たえ鮎の宿 牝鶏はねむり牡※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]雪をかむ 霏々として雪積みつるむ鶏女夫 飛騨の山襟をかさねて雪を待つ 飛騨くらし人も歩かず雪つもる 雪おとす樹々も静まり鷽渡る 空つかむ冬芽の瓜も雪を待つ 燦爛と松明おけり雪の径 生み添へて疑卵をぬらす雪の鶏 肌すべる月におどろく雪の峰 樹々の雪蹴つて山鳥色つよし [#ここから2字下げ] 吹雪 [#ここで字下げ終わり] 鶏つるみ吹雪に顔をそむけゝり 吹雪来ぬ目鼻も分かず小商人 吹雪濃し荒瀬のひゞき遠ざかる 犬行くや吹雪の中に尾を立てゝ 松明はまばたき吹雪通りけり [#ここから2字下げ] 深雪 [#ここで字下げ終わり] 鳥とぶや深雪がかくす飛騨の国 吊橋の深雪ふみしめ飛騨へ径 飛騨人や深雪の上を道案内 兵を送る松明あらはるゝ深雪かな 鮎の炉の火かげとゞかず深雪の戸 駅凍てゝ曠野につゞく深雪かな [#ここから2字下げ] 晴雪 [#ここで字下げ終わり] 晴雪やうす紫の木々の影 晴雪や雫滝なす笹津橋 [#ここから2字下げ] 霜 [#ここで字下げ終わり] 厳しさや琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]折れて霜に伏す 密林にこぼるゝ炭も霜を着け 一文字にイチイの下枝霜つよし 霜置いてイチイが閉す山河哉 から松のおとす葉もなく霜を置く 霜ためて菊科の萼聳えたる もろ草やはりつくばかり霜に焦げ 老松のおきたる霜のとくるなり 霜柱ぐわら/\くづし獣追ふ 鶺鴒の鋭声に消ゆる霜の花 静かさや枝垂るゝ松も霜つけて 霜とけて陽炎あぐる深山歯朶 霜どけや漾ふばかり位山 [#ここから3字下げ] 水無神社 [#ここで字下げ終わり] 神の領大霜とけて濡れにけり [#ここから2字下げ] 凍 [#ここで字下げ終わり] 大凍に衆山径を交はしけり 冱は来ぬ熊は掌をなめもの謂はず 大凍や松をこぼるゝ黄鶺鴒 老松の枯葉を誘ふ凍つよし [#ここから3字下げ] 水無神社 [#ここで字下げ終わり] 大凍や棟領尾張よりのぼる [#ここから3字下げ] 宮峠南望 [#ここで字下げ終わり] 凍どけの南下りに飛騨古ぬ [#ここから2字下げ] 雪卸 [#ここで字下げ終わり] 雪おろす人の面を鷽わたる 雪卸し暮れており立つ深雪かな 暮れそむる奥山見えて雪おろす 雪おろす人の見てゐる遠頽雪 [#ここから2字下げ] 寒山 [#ここで字下げ終わり] 寒山に谺のゆきゝ止みにけり [#ここから2字下げ] 山眠る [#ここで字下げ終わり] 帯のごと頽雪どめして山眠る 大いなる足音きいて山眠る 山吹の黄葉ひら/\山眠る [#ここから2字下げ] 雪山 [#ここで字下げ終わり] 頭たれて月に覚め居り雪の山 雪山は月よりくらし貌さびし [#ここから2字下げ] 冬山 [#ここで字下げ終わり] 十銭のあきなひするや冬山家 雨ためて冬山の径つくるなし 冬山や径あつまりて一と平 押し合ひて冬山は日を恋ひにけり 色変へて夕となりぬ冬の山 [#ここから2字下げ] 冬の川 [#ここで字下げ終わり] 渦解きて荒瀬のり越す冬の川 [#ここから2字下げ] 冬水 [#ここで字下げ終わり] 冬水や一つの渦にめぐり居り [#ここから2字下げ] 水痩 [#ここで字下げ終わり] 水落ちて目鼻正しき巨巌かな 簗の水痩せて濃藍七曲り [#ここから3字下げ] 水無の神の大前は神通川の源初にして、神威かしこく、水も地下を潜る。 [#ここで字下げ終わり] 水痩せて水無の神を畏れけり [#ここから2字下げ] 頽雪 [#ここで字下げ終わり] 四方の山頽雪のあとを天辺より 頽雪かけて日暮るゝ早し打保《うつぼ》村 遠なだれ山鳥の尾を垂れて飛ぶ 杣がくゞり熊が通れる頽雪どめ [#ここから2字下げ] 落葉 [#ここで字下げ終わり] 旅人は休まずありく落葉の香 吐き出して落葉を惜しむ滝の渦 板屋根の泥になるまで楢落葉 [#ここから2字下げ] 草木枯るゝ [#ここで字下げ終わり] 稗枯れて月にも折るゝ響きせり 鉦叩しきりに叩き飛騨枯るゝ 綬をたれて枯るゝや聖者サワグルミ [#ここから2字下げ] 雪あかり [#ここで字下げ終わり] 鮎焼きし大炉の灰に雪あかり [#ここから2字下げ] 霜焼 [#ここで字下げ終わり] 鮎の炉や霜焼の子は掌を抱く [#ここから2字下げ] 炉火 [#ここで字下げ終わり] 大榾にかくれし炉火に手をかざす 炉の炎杣の白髪も数へらる [#ここから2字下げ] 炭 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 水無神社 [#ここで字下げ終わり] 巫女白し炭をつかみし手をそゝぐ [#ここから2字下げ] 襟巻 [#ここで字下げ終わり] 襟巻につゝみ余れる杣の頬 [#ここから2字下げ] 厚着 [#ここで字下げ終わり] 水上を横ぎる杣の厚着かな [#ここから2字下げ] 枯芒 [#ここで字下げ終わり] 枯芒洩れ日あたりてそよぎけり [#ここから2字下げ] 雪沓 [#ここで字下げ終わり] 鮎焼きの炉辺の雪沓うつくしき [#ここから2字下げ] 冬芽 [#ここで字下げ終わり] 飛騨人の培ふ桐の冬芽かな 木々冬芽凍のゆるみに濃紫 水上や雄々しく太き冬木の芽 [#ここから2字下げ] 越冬 [#ここで字下げ終わり] 青々と山吹冬を越さんとす [#ここから2字下げ] 雑炊 [#ここで字下げ終わり] 雑炊にぬくもり口は一文字 [#改ページ] 新年 [#ここから2字下げ] 正月 [#ここで字下げ終わり] 正月の下駄の音する飛騨の峡 正月や杣の遊びのふところ手 [#ここから2字下げ] 松飾 [#ここで字下げ終わり] 松立てゝ古き馬屋の雀の巣 底本:「現代俳句大系 第六巻」角川書店    1973(昭和48)年2月10日初版発行 底本の親本:「飛騨紬」靖文社    1947(昭和22)年6月30日発行 ※序文及び後記は省略した。 入力:小川春休 2009年4月26日公開