杉田久女句集 杉田久女 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)簪《かんざし》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)日|斑《まだら》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「虫+原」、第3水準1-91-60] ------------------------------------------------------- 堺町 大正七年より昭和四年まで 春寒や刻み鋭き小菊の芽 麥の芽に日こぼす雲や春寒し 春寒の髮のはし踏む梳手かな 春寒やうけしまゝ置く小盞 揃はざる火鉢二つに餘寒かな 鳥の餌の草摘みに出し餘寒かな 春曉の窓掛け垂れて眠りけり 春曉の夢のあと追ふ長まつげ 春曉の紫玉菜抱く葉かな 草庵やこの繪ひとつに春の宵 小鏡にうつし拭く墨宵の春 春の夜のねむさ押へて髮梳けり 鐵瓶あけて春夜の顏を洗ひ寢し 春の夜や粧ひ終へし蝋短か 春の夜のまどゐの中にゐて寂し 吊革に春夜の腕しなはせて ゆく春やとげ柔らかに薊の座 ゆく春の流に沿うて歩みけり のぞき見ては塀穴ふさぐ日永かな あたたかや水輪ひまなき廂うら あたたかや皮ぬぎ捨てし猫柳 彌生盡日芥子こまごまと芽生えけり 淡雪にみな現はれし葉先かな 東風吹くや耳現はるゝうなゐ髮 船板に東風の旗かげ飛びにけり 春の雨苗すこやかに届きけり 春雨や土押し上げて枇杷二葉 春雨の畠に灯流す二階かな 春雨や疊の上のかくれんぼ 菓子ねだる子に戲画かくや春の雨 齒莖かゆく乳首かむ子や花曇 嵐山の枯木もすでに花曇 春泥に柄浸けて散れる木の實赤 浮きつづく杭根の泡や水ぬるむ ぬるむ水に棹張りしなふ濁りかな 水ぬるみ網打ち見入る郵便夫 少し轉げてとどまる蜷や水ぬるむ 土出でて歩む蟇見ぬ水ぬるむ 春著きるや裾踏み押へ腰細く 髷重きうなじ伏せめに春著かな 春襟やホ句會つゞくこの夜ごろ 鬢かくや春眠さめし眉重く 風をいとひて鬢に傾げし春日傘 道のべの茶すこし摘みて袂かな 嫁菜摘むうしろの汽笛かへり見ず 草摘む子幸あふれたる面かな 草摘むとしもなく子等を從へし 簷に吊る瓢の種も蒔かばやな 芥子蒔くや風に乾きし洗ひ髮 青き踏むや離心抱ける友のさま 姉ゐねばおとなしき子やしやぼん玉 [#ここから2字下げ] 私立女學校に圖畫を教ふ 一句 [#ここで字下げ終わり] 押し習ふ卒業式の太鼓判 入學兒鼻紙折りて持たせけり 燕來る軒の深さに棲みなれし 藪風に蝶ただよへる虚空かな 蝶來初めぬ北窓畠に開けてすむ もつれ映りて河を横切る蝶々かな 蝶の目に觸れてきびしき小花かな 蝶去るや葉とじて眠るうまごやし 蝶とまりて靜かに翅をたたむ花 すこし飛びて又土にあり翅破れ蝶 旭注ぐや蝶に目醒めしうまごやし 指輪ぬいて蜂の毒吸ふ朱唇かな さしゝ蜂投げ捨てし菜に歩み居り 椿流るゝ行衞を遠くおもひけり 木立ふかく椿落ちゐし落葉かな 褄とりてこゞみ乘る幌花の雨 バイブルをよむ寂しさよ花の雨 花衣ぬぐやまつはる紐いろ/\ 木々の芽の苞吹きとべる嵐かな 今掃きし土に苞ぬぐ木の芽かな 晴天に苞押しひらく木の芽かな 莊の道躑躅となりて先上り 花ふかく躑躅見る歩を移しけり 青麥に降れよと思ふ地のかわき 青麥ややたらに歩み氣が沈む 青麥に潮風ねばく吹き狂ふ 捨てである花菜うれしや逢はで去る 花畠に糞する犬を憎みけり 花大根に蝶漆黒の翅をあげて 月おそき畦おくられぬ花大根 活くるひま無き小繍毬や水瓶に 春蘭にくちづけ去りぬ人居ぬま 春燈消えし闇にむき合ひ語りゐし 大江戸の雛なつかしむ句會かな 雛菓子に足投げ出せる人形たち 手より手にめで見る人形宵節句 ほゝ笑めば簪《かんざし》のびらや雛の客 幕垂れて玉座くらさや雨の雛 函を出てより添ふ雛の御契り 古雛や花のみ衣《けし》の青丹美し 雛愛しわが黒髮をきりて植ゑ 古雛や華やかならず臈たけれ 髮そぎて臈たく老いし雛かな 古りつつも雛の眉引匂やかに 紙雛のをみな倒れておはしけり 雛市に見とれて母におくれがち 雛買うて疲れし母娘食堂へ 瓔珞搖れて雛顏暗し藏座敷 雛の間や色紙張りまぜ廣襖    * 縫ふ肩をゆすりてすねる子暑さかな 鬢の香のいきるる夜かな鳴く蛙 月の輪をゆり去る船や夜半の夏 日盛の塗下駄ぬげば曇りかな 旱魃の舗道はふやけ靴のあと 萱の中に花摺る百合や青嵐 一間より僧の鼾や青嵐 松の根の苔なめらかに清水吸ふ 衣更て帶上赤し厨事 みづみづとこの頃肥り絹袷 眉かくや顏ひき締る袷人 夏の帶廣葉のひまに映り過ぐ 夏の帶翡翠にとめし鏡去る 後妻《うはなり》の姑の若さや藍ゆかた 洗ひ髮かわく間月の籐椅子に 四季の句のことに水色うちわかな なつかしき水色うちわ師の句かな 照り降りにさして色なし古日傘 麻蚊帳に足うつくしく重ね病む 稻妻に面をうたす蚊帳かな 母の帶卷きつゝ語る蚊帳の外 コレラ怖ぢ蚊帳吊りて喰ふ晝餉かな 蚊帳の中團扇しきりに動きけり [#ここから2字下げ] 上阪 一句 [#ここで字下げ終わり] 母と寢てかごときくなり蚊帳の月 蚊帳の中より朝の指圖や旅疲れ 蒼海の落日とゞく蚊帳かな 蚊帳吊りて旅疲れなし雨後の月 縁側に夏座布團をすゝめけり 打水に木蔭濕れる茶店かな 水打つて石涼しさや瓜をもむ 玄海に連なる漁火や窓涼み 夕凪や釣舟去れば涼み舟 遊女らの涼める前を通りけり 遊船のさんざめきつゝすれ違ひ 灯せる遊船遠く現はれし 夏祭髮を洗つて待ちにけり 風鈴に黍畠よりの夜風かな 孤り居に風鈴吊れば黍の風 帽子ぬぐや汗に撚れあふもつれ髮 金魚掬ふ行水の子の肩さめし 虫干やつなぎ合はせし紐の數 さうめんや孫にあたりて舅不興 新茶汲むや終りの雫汲みわけて 枕つかみて起上りたる晝寢かな 夏痩のおとがひうすく洗ひ髮 夏痩や頬も色どらず束ね髮 ホ句のわれ慈母たるわれや夏痩ぬ 子らたのし夏痩もせず海に山に 歸省子に糸瓜大きく垂れにけり [#ここから2字下げ] 櫓山山莊 一句 [#ここで字下げ終わり] 水汲女に門坂急な避暑館 湖を泳ぎ上りし木蔭かな 羅を裁つや亂るゝ窓の黍 夕闇の中に蟇這ふけはひかな つれ/″\のわれに蟇這ふ小庭かな 晝灯すみ山燈籠やひきがへる 生き鮎の鰭《ひれ》をこがせし強火かな 笹づとをとくや生き鮎ま一文字 獺《うそ》にもとられず小鮎釣り來し夫をかし 鮎やけば猫梁を下りて來し 登り來ては杭をとび散る羽蟻かな 雌を追うて草に腹返す蠑※[#「虫+原」、第3水準1-91-60]の緋 ゐもり釣る童の群にわれもゐて 玉蟲や瑠璃翅亂れて疊とぶ 草に落ちし螢に伏せし面輪かな 螢籠廣葉の風に明滅す こがね蟲葉かげを歩む風雨かな 燕に機窓明けて縫ひにけり 訪ふを待たでいつ巣立ちけむ燕の子 むきかはる通風筒に蚊喰鳥 蝉時雨日|斑《まだら》あびて掃き移る 蝉涼しわがよる机大いなる 雨のごと降る病葉の館かな 夕顏に水仕もすみてたゝずめり 夕顏やひらきかゝりて襞《ひだ》深く 夕顏を蛾の飛びめぐる薄暮かな 逍遙や垣夕顏の咲く頃に 夕顏を見に來る客もなかりけり 假名かきうみし子にそらまめをむかせけり 忍び來て摘むは誰が子ぞ紅苺 苺摘む盗癖の子らをあはれとも 睡蓮や鬢に手あてて水鏡 おのづから流るゝ水葱《なぎ》の月明り 笑みをふくんで牡丹によせし面輪かな 黄薔薇や異人の厨に料理會 貧しき家をめぐる野茨月貴と 夏草に愛慕濃く踏む道ありぬ 月光搖れて夏草の間を流れかな 貧しき群におちし心や百合に恥づ 蕗むくやまた襲ひきし齒のいたみ 住みかはる扉の蔦若葉見て過ぎし 厨着ぬいでひとり汲む茶や若楓 傘にすけて擦りゆく雨の若葉かな 月見草に月尚さゝず松の下 茄子苗の日除し置いてまた縫へり 茄子もぐや日を照りかへす櫛のみね 茄子もぐや天地の秘事をさゝやく蚊 富家の茄子我つくる茄子に負けにけり 月に出て水やる音す茄子畠 牛蒡葉に雨大粒や竿入るゝ 葉がくれの星に風湧く槐かな [#ここから2字下げ] 虚子先生御來關 下ノ關にて [#ここで字下げ終わり] 簀戸たてゝ棕梠の花降る一日かな 針もてばねむたきまぶた藤の雨 寂しがる庵主とありぬ唐菖蒲 子犬らに園めちやくちやや箒草 つれづれの小簾捲きあげぬ濃紫陽花 箒目に莟をこぼす柚の樹かな 蓮咲くや旭まだ頬に暑からず 水暗し葉をぬきん出て大蓮華 日を遮る廣葉吹きおつ日ごと/\ 汲みあてゝ花苔剥げし釣瓶かな 瓜一つ殘暑の草を敷き伏せし [#ここから2字下げ] 櫓山臨海學校 一句 [#ここで字下げ終わり] 麥湯湧かしくど日もすがら松の根に 親雀キャベツの蟲を喰へ飛ぶ 秋來ぬとサファイァ色の小鰺買ふ 秋のごと瞳澄めば嬉し鏡拭く 袂かむやまなじり上げて秋女 秋暑し熱砂にひたと葉つぱ草 障子しめて灯す湯殿や秋涼し 新涼や日當りながら竹の雨 新涼の雨吸ひ足りて砂畠 新涼やほの明るみし柿の數 新涼や濡れ髮ほのと束ねぐせ 新涼や障子はめある化粧部屋 秋涼し朝刊をよむ蚊帳|裾濃《すそご》 二百十日の月穩やかに芋畠 二百十日の月玲瓏と花畠 編物やまつ毛目下に秋日かげ 白豚や秋日に透いて耳血色 秋の日や鳴き疲れ寢し縛り犬 秋の夜の敷き寢る袴たゝみけり 汝を泣かせて心とけたる秋夜かな さみし身にピアノ鳴り出よ秋の暮 うそ寒や黒髮へりて枕ぐせ 朝寒の窯《くど》焚く我に起き來る子 朝寒や小くなりゆく蔓の花 朝寒や菜屑ただよふ船の腹 朝寒の杉間流るゝ日すじかな 朝寒に起き來て厨にちゞめる子 朝寒の峯旭あたり來し障子かな 汲みあてゝ朝寒ひゞく釣瓶かな 髷結うて前髮馴れぬ夜寒かな 掻きあはす夜寒の膝や机下 歸り路の夜寒くなれる句會かな 髮くゝるもとゆひ切れし夜寒かな 夜寒さやひきしぼりぬく絹糸《きぬ》の音 夜寒灯に厨すむわれを待つ子かな 先に寢し子のぬくもり奪ふ夜寒かな ひろ葉打つ無月の雨となりにけり 夜露下りし芝生を踏みて辭しにけり 秋晴や何を小刻むよその厨 秋晴や岬の外の遠つ洋 秋空につぶてのごとき一羽かな 湯さめして足袋はく足や秋の雨 秋雨に縫ふや遊ぶ子ひとりごと 秋雨に髮卷く窓を明けにけり 燈に縫うて子に教ゆる字秋の雨 秋雨や母を乘せ去る幌車 片足あげて木戸押す犬に秋の雨 よそに鳴る夜長の時計數へけり 髮卷いて夜長の風呂に浸りけり われに借す本抱へ來よ夜長人 いつつきし膝の繪具や秋袷 文使や子規忌に缺けしかの女より 走馬燈に木の間の月や子等は寢し 走馬燈俄の雨にはづしけり 髮すねて遂に留守しぬ秋祭 岐阜提灯うなじを伏せて灯しけり 岐阜提灯庭石ほのと濡れてあり 蟲なくや帶に手さして倚り柱 秋蝶の羽すり切れしうすさかな 玄海の濤のくらさや雁叫ぶ 西日して薄紫の干鰯 鯊煮るや夜寒灯にありし子等は寢て 花散りて甕太りゆく柘榴かな 降り足らぬ砂地の雨や鳳仙花 大輪の藍朝顏やしぼり咲き 朝顏や濁り初めたる市の空 摘み/\て隱元いまは竹の先 あてもなく子探し歩く芒かな 相寄りて葛の雨きく傘ふれし 白萩の雨をこぼして束ねけり 草刈るや萩に沈める紺法被 萱刈るや崎荒れてゐる濁り海 箒おいてひき拔きくべし※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]頭かな 葉※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]頭のいただき躍る驟雨かな 葉※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]頭に土の固さや水沁まず 草の花靡くところに井戸掘らん 草花にかげ澄む纜をほどきけり 穂に出でて靡くも哀れ草の花 露草や飯《いひ》噴くまでの門歩き 草むらや露草ぬれて一ところ 花蕎麥に水車鎖して去る灯かな 花蕎麥や濃霧晴れたる莖雫 淺間曇れば小諸は雨よ蕎麥の花 聖壇や日曜毎の秋の花 好晴や壺に開いて濃龍膽 龍膽や莊園背戸に籬せず 龍膽や入船見入る小笹原 この夏やひさご作りに餘念なく 咲き初めし簾越しの花は瓢垣 露けさやうぶ毛生えたる繭瓢 青ふくべ地をするばかり大いさよ 晩涼やうぶ毛生えたる長瓢 颱風に傾くまゝや瓢垣 枯色の華紋しみ出し瓢かな 反古入れの大瓢箪に左右の塵 唐黍を燒く間待つ子等文戀へり 紅葉狩時雨るゝひまを莊にあり 知らぬ人と默し拾へる木の實かな 髮よせて柿むき競ふ燈下かな 甕たのし葡萄の美酒がわき澄める くゞり摘む葡萄の雨をふりかぶり みがかれて櫃の古さよむかご飯 露けさやこぼれそめたるむかご垣 蔓起せばむかごこぼれゐし濕り土 むかごもぐまれの閑居を訪はれまじ 菊畠に干竿躍りおちにけり 菊苗を植ゑゐる母にきかすこと 菊の日に雫振り梳く濡毛かな しろ/\と花びらそりぬ月の菊 白菊に棟かげ光る月夜かな 日の縁に羽織ぬぎ捨て菊に掃く 夏菊に病む子全く癒えにけり 黄豆菊に汲みあぐる水や輝けり 野菊摘んで水にかゞめば愛慕濃し 咲きほそめて花瓣するどき野菊かな わが傘の影の中こき野菊かな 萬難に堪えて萱草五年振 日面に搖れて雪解の朱欒かな 塀そとの盧橘《たちばな》かげを掃き移り 落葉道掃きしめりたる箒かな わが歩む落葉の音のあるばかり 栗むくやたのしみ寢ねし子らの明日 ゆく年の忙しき中にもの思ひ 元旦や束の間起き出で結び髮 松の内社前に統べし舳かな 松の内海日に荒れて霙れけり 松とれし町の雨來て初句會 正月や胼の手洗ふねもごろに 戲曲よむ冬夜の食器浸けしまゝ 水焚や入江眺めの夕時雨 訪れて山家は暗し初時雨 初凪げる湖上の富士を見出でけり 更けて去る人に月よし北の風 北風に訪ひたき塀を添ひ曲る 夫留守や戸搖るゝ北風におもふこと 北風の藪鳴りたわむ月夜かな 寄鍋やたそがれ頃の雪もよひ 寒風に葱ぬくわれに絃歌やめ 寒林の日すぢ爭ふ羽蟲かな 枯野路に影かさなりて別れけり 冬川やのぼり初めたる夕芥 唇をなめ消す紅や初鏡 櫛卷に目の縁黒ずむ冬女 炭つぐや髷の粉雪を撫でふいて 炭ついでおくれ來し人をなつかしむ 足袋つぐやノラともならず教師妻 軒の足袋はづしてあぶりはかせけり 白足袋に褄みだれ踏む疊かな 絨毯に足袋重ねゐて椅子深く 椿色のマント着すれば色白子 遊學の我子の布團縫ひしけり 湯氣の子をくるみ受取る布團かな 六つなるは父の布團にねせてけり 右左に子をはさみ寢る布團かな 風邪の子や眉にのび來しひたひ髮 瞳うるみて朱唇つやゝか風邪に臥す 熊の子の如く着せたる風邪かな その中に羽根つく吾子の聲すめり 笑み解けて寒紅つきし前齒かな 寢ねがての蕎麥湯かくなる庵主かな 玻璃の海全く暮れし煖炉かな ホ句たのし松葉くゆらせ煖炉たく 凧を飾りて子等籠りとるかるたかな 胼の手も交りて歌留多賑へり 書初やうるしの如き大硯 縫初の糸の縺れをほどきけり 空似とは知れどなつかし頭巾人 橇やがて吹雪の渦に吸はれけり 雪道や降誕祭の窓明り な泣きそと拭へば胼や吾子の頬 柚子湯出て身伸ばし歩む夜道かな 緋鹿子にあご埋めよむ炬燵かな 眉根よせて文卷き返す火鉢かな 狐火や風雨の芒はしりゐる 我作る菜に死にてあり冬の蜂 掃きよする土に冬蜂這ひゐたり 牡蠣舟に上げ潮暗く流れけり けふの糧に幸足る汝や寒雀 枯芝に松影さわぐ二月かな 枯草に粉雪さゝやけば胼の吾れ 枯枝に殘月冴ゆる炊ぎかな 寒獨活に松葉掃き寄せ圍ふなり 思ひつつ草にかゞめば寒苺 木苺の寒を實れり摘みこぼす 葱ぬいて訪ひ來し婢をばもてなせり 葱植うる夫に移しぬ廂の灯 肥かけて冬菜太るをたのしめり わが蒔いていつくしみ見る冬菜かな 縫ひ疲れ冬菜の色に慰む目 肥きいて日を吸ひふとる冬菜かな 寒椿に閉ぢ住む窓のありにけり 炭ついで吾子の部屋に語りけり [#ここから2字下げ] 虚子先生歡迎句会 下關公會堂 二句 [#ここで字下げ終わり] 春の灯にこころおどりて襟かけぬ バナナ下げて子等に歸りし日暮かな [#ここから2字下げ] リオデジャネイロ丸入港 一句 [#ここで字下げ終わり] 上陸のたのしき學徒バナナ買ふ [#ここから2字下げ] 長女チブス入院 十二句 [#ここで字下げ終わり] 童話よみ盡して金魚子に吊りぬ [#ここから2字下げ] 親ごころ [#ここで字下げ終わり] 梶の葉に墨濃くすりて願ふこと 七夕百句青き紙にぞ書き初むる 子等は寢し簷端の月に涼みけり 七夕竹を病む子の室に横たへぬ 水上げぬ紫陽花忌むや看る子に [#ここから2字下げ] 退院 [#ここで字下げ終わり] 面痩せし子に新らしき單衣かな [#ここから2字下げ] 昌子快復 [#ここで字下げ終わり] 七夕や布團に凭れ紙縒る子 庭木のぼる蛇見てさわぐ病兒かな 銀河濃し救ひ得たりし子の命 床に起きて繪かく子となり蝉涼し [#ここから2字下げ] 全快 [#ここで字下げ終わり] 初秋の土ふむ靴のうす埃 [#ここから2字下げ] 子等の幼時 四句 [#ここで字下げ終わり] まろ寢して熱ある子かな秋の暮 熱下りて蜜柑むく子の機嫌よく 熱とれて寢息よき子の蚊帳のぞく 熱の瞳のうるみてあはれ蜜柑吸ふ [#ここから2字下げ] 大正七年實父逝く 四句 [#ここで字下げ終わり] 父逝くや明星霜の松になほ 湯婆みなはずし奉り北枕 椀一つ足らずと探す寒さかな み佛に母に別るゝ時雨かな [#ここから2字下げ] 父の喪 一句 [#ここで字下げ終わり] 松の内を淋しく籠る今年かな [#ここから2字下げ] 耶馬溪羅漢寺一句外 五句 [#ここで字下げ終わり] 苔をまろく踏み凹めたる木の實かな 深耶馬の空は瑠璃なり紅葉狩 洞門を出れば濶し簗の景 濃龍膽浸せる溪に櫛梳り 茸やく松葉くゆらせ山日和 耶馬溪の岩に干しある晩稻かな [#ここから1字下げ] 信州吟 大正九年八月(病中吟とも百六十五句) [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 松本城山の墓地に父の埋骨式、弟の墓と並ぶ [#ここで字下げ終わり] 野菊はや咲いて露けし墓參道 墓の前の土に折りさす野菊かな 屋根石に炊煙洩るゝ豆の花 熟れきつて裂け落つ李紫に 父の忌や林檎二籠鯉十尾 夏雨に母が爐をたく法事かな 茄子煮るや爐邊りに伏せし大十能 夏爐邊に電燈ひきし法事かな 目にしみて爐煙はけず茄子の汁 雨暗し爐煙籠るすゝけ梁 風呂吹くや梁に漂ふ榾煙 茄子買ふや框《かまち》濡らして數へつゝ 夏雨に爐邊なつかしき夕餉かな 屋根石にしめりて旭あり花棗 紫陽花に秋冷いたる信濃かな 濃霧晴れし玻璃に映れる四葩かな 山冷に羽織重ねしゆかたかな 落ち杏踏みつぶすべくいらだてり 秋宮に髮むしり泣く女かな 障子締めて爐邊なつかしむ黍の雨 雨降れば爐邊の雜話黍を燒く 忌に寄りし身より皆知らず洗ひ鯉 爐ほとりに集りて雜話や青なんば燒く 新蕎麥を打つてもてなす髮鄙び 掘つて來し大俎板の新牛蒡 精進おちの生鯉料理る筧かな 芋汁や紙すゝけたる大障子 三軒の孫の喧嘩や青林檎 鬼灯やきゝ分けさときひよわの子 [#ここから2字下げ] 淺間温泉 鷹の湯 [#ここで字下げ終わり] 秋雨に翅の雫や網の鷲 つれ/″\に浸る湯壺や秋の雨 [#ここから2字下げ] 信濃に病む [#ここで字下げ終わり] 山廬淋し蚊帳の裾飛ぶ青蛙 霧雨に病む足冷えて湯婆かな 障子はめて重ねし夜着や秋の雨 [#ここから1字下げ] 病中吟 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 淺間温泉枇杷の湯 [#ここで字下げ終わり] 衰へて今蠶飼ふ温泉宿かな 簾捲かせて銀河見てゐる病婦かな 屋根石に四山濃くすむ蜻蛉かな 今朝秋の湯けむり流れ大鏡 林檎畠に夕峰の濃ゆき板屋かな 八月の雨に蕎麥咲く高地かな 行水の提灯《ひ》の輪うつれる柿葉うら 行水や肌に粟立つ黍の風 [#ここから2字下げ] 母病む [#ここで字下げ終わり] かくらんやまぶた凹みて寢入る母 かくらんに町醫ひた待つ草家かな 痢人癒えてすゝれる粥や秋の蚊帳 夏服や老います母に兄不幸 難苦へて母すこやかに障子張る 朝な梳く母の切髮花芙蓉 葉洩日に碧玉透けし葡萄かな 葡萄暗し顏よせ粧《つく》る夕鏡 落葉松に浮雲あそぶ月夜かな 葡萄投げて我儘つのる病婦かな 山の温泉や居殘つて病む秋の蚊帳 鏡借りて發つ髮捲くや明けやすき 草いきれ鐵材さびて積まれけり 病人に干草のいきれ迫りけり 馬車停る宿かと胸つく草いきれ 草いきれ連山襞濃く刻みけり 北斗爛たり高原くらき草いきれ 草いきれ妖星さめず赤きかな 赤き月はげ山登る旱かな [#ここから2字下げ] 東京へ歸りて [#ここで字下げ終わり] 蟲鳴くや三とこに別れ病む親子 西日して日毎赤らむ柿の數 頓に色づく柿數へつゝ病む久し こほろぎや鼾靜かに看護人 葉を打つてしぼみ落ちたる芙蓉かな おいらん草こぼれ溜りし殘暑かな [#ここから2字下げ] 松名にある昌子をおもふ [#ここで字下げ終わり] 鬼灯や父母へだて病む山家の娘 山馴れで母戀しきか三日月 [#ここから2字下げ] かな女樣來訪。十月振りの來訪とぞ嬉し。 [#ここで字下げ終わり] 秋雨や瞳にこびりつく松葉杖 [#ここから2字下げ] 入院隔日に食鹽注射 [#ここで字下げ終わり] 壁に動く秋日みつめて注射すむ 秋風やあれし頬へぬる糸瓜水 秋風の枕上なる櫛鏡 色どれど淋しき頬やな花芙蓉 蟋蟀も來鳴きて默す四壁かな 椀に浮くつまみ菜うれし病むわれに 窓掛をさす月もがな夜長病む 門限に連れ立ち去りし夜長かな 我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな 廊通ふスリッパの音夜長かな 仰臥して腰骨いたき夜長かな [#ここから2字下げ] 姉より柔かき布團贈られる [#ここで字下げ終わり] ふわと寢て布團嬉しき秋夜かな 仰臥して見飽きし壁の夜長かな 柿熟るゝや臥して迎へし神無月 病める手の爪美くしや秋海棠 我に逆ふ看護婦憎し栗捨てよ 我寢息守るかに野菊枕上 目ひらけば搖れて親しき野菊かな 閉ぢしまぶたを落つる涙や秋の暮 秋の灯をくらめて寢入る病婦かな [#ここから2字下げ] 看護婦をのゝしる句 [#ここで字下げ終わり] 椅子移す音手荒さよ夜半の秋 汝に比して血なき野菊ぞ好もしき 芋の如肥えて血うすき汝かな 我ドアを過ぐ足音や秋の暮 藥つぎし猪口なめて居ぬ秋の蠅 病む卓に林檎紅さやむかず見る 寢返るや床にずり落つ羽根布團 [#ここから2字下げ] 昌子を二月振りに病院に見る [#ここで字下げ終わり] にこ/\と林檎うまげやお下げ髮 扉の隙や土三尺の秋の雨 九月盡日ねもす降りて誰も來ず 雨降れば暮るゝ早さよ九月盡 終電車野菊震はし過ぎしかど よべの風に柿の安否や家人來ず 土が見たし日日に見飽きし壁の秋 寢返れば暫し身安き夜長かな 秋夕やいつも塀外を豆腐賣 よべの野分を語る廊人旭を浴びて [#ここから2字下げ] 光子來る [#ここで字下げ終わり] 朱唇ぬれて葡萄うまきかいとし子よ 野菊やゝ飽きて眞紅の花戀へり 秋晴や絽刺にこれる看護人 秋晴や寢臺の上のホ句つくり [#ここから2字下げ] 熱無し [#ここで字下げ終わり] 秋風や氷嚢からび搖るゝ壁 我いまだ帝都の秋の土踏まず 粥すゝる匙の重さやちゝろ蟲 咳堪ゆる腹力なしそゞろ寒 秋朝や痛がりとかす縺れ髮 [#ここから2字下げ] 夫出立 [#ここで字下げ終わり] 言葉少く別れし夫婦秋の宵 栗むくや夜行にて發つ夫淋し 父立ちて子の起伏《おきふし》や柿の家 長病や足荒れて掻く羽根ぶとん 許されてむく嬉しさよ柿一つ 野路の茶屋の柿下げて來ぬ日暮人 腹痛に醒めて人呼ぶ夜半の秋 外出して看護婦遲し夜半の秋 [#ここから2字下げ] 兄姉打連れ見舞はれて [#ここで字下げ終わり] 秋晴や栗むきくれる兄と姉 病む我に兄姉親し栗をむく ほつほつと樂しみむくや栗の秋 獨り居て淋しく栗をむく日かな 吾子に似て泣くは誰が子ぞ夜半の秋 秋の夜やあまへ泣き居るどこかの子 [#ここから2字下げ] 母上來る [#ここで字下げ終わり] 老顏に秋の曇りや母來ます 歸り路を轉び給ふな秋の暮 [#ここから2字下げ] 退院 二十五日振り目白へ歸宅 [#ここで字下げ終わり] 退院の足袋の白さよ秋袷 髮捲いて疲れし腕秋袷 面痩せて束ね卷く髮秋袷 病み痩せて帶の重さよ秋袷 帶重く締めて疲れぬ秋袷 躾とる明日退院の秋袷 歸り見れば芙蓉散りつきし袷かな 秋袷日日病院へ通ひけり 敷かれある臥床に入れば秋灯つく [#ここから2字下げ] 神田阿久津病院へ入院 [#ここで字下げ終わり] 看護婦つれて秋日浴びに出し露臺かな [#ここから2字下げ] 草合せの秋草の色々を、かな女せん女の御二方にてわざわざ病床へ御見舞下さる。 [#ここで字下げ終わり] 友染菊のかげ灯に浮きし敷布かな 秋草に日日水かへて枕邊に [#ここから2字下げ] みさ子樣の御文あり、萩の花を戴く [#ここで字下げ終わり] まどろむやさゝやく如き萩紫苑 毛蟲の子莖を這ひゐし芒かな 火なき火鉢並ぶ夜寒の廊下かな 枯野菊廊下に出して寢たりけり [#ここから2字下げ] 吾妻病院へ再入院 十月 [#ここで字下げ終わり] トランプや病院更けて石蕗の雨 子等を夢見て病院淋し石蕗の雨 菊の日を浴びて耳透く病婦かな [#ここから2字下げ] 始めて歩む日 [#ここで字下げ終わり] 病癒えて菊にある日を尊めり 菊もわれも生きえて尊と日の惠み [#ここから2字下げ] 退院 [#ここで字下げ終わり] 菊に掃きゐし庭師午砲に立去れり 山茶花や病みつゝ思ふ金のこと 泣きしあとの心すが/\し菊畠 母留守の菊にそと下りし病後かな 個性《さが》まげて生くる道わかずホ句の秋 妬心ほのと知れどなつかし白芙蓉 螺線《ねじ》まいて崖落つ時の一葉疾し 鷄頭大きく倒れ浸りぬに潦 櫛卷にかもじ乾ける菊の垣 夫へ戻す子等の衣縫ふ冬夜かな [#ここから2字下げ] 昌子猖紅熱 十二月 [#ここで字下げ終わり] 北斗凍てたり祈りつ急ぐ藥取り 燭とりて菊根の雪をかき取りぬ [#ここから2字下げ] 父の忌 二句 [#ここで字下げ終わり] 御僧に門の雪掻く忌日かな 御僧に蕪汁あつし三囘忌 [#ここから2字下げ] 柿の花 目白實家 五句 [#ここで字下げ終わり] 灯れば蚊のくる花柿の葉かげより 雨に來ぬ人誰々ぞ柿の花 花柿に簾高く捲いて部屋くらし 障子しめて雨音しげし柿の花 苑の柿まだ澁切れぬ會式かな [#ここから2字下げ] 櫓山山莊虚子先生來遊句會 四句 [#ここで字下げ終わり] 潮干人を松に佇み見下せり 花石蕗の今日の句會に缺けし君 秋山に映りて消えし花火かな 石の間に生えて小さし葉鷄頭 [#ここから2字下げ] 江津湖の日 十一句 [#ここで字下げ終わり] 遊船の提灯赤く搖れあへる 藻の花に自ら渡す水馴棹 水莊の蚊帳にとまりし螢かな 藻を刈ると舳に立ちて映りをり 藻刈竿水揚ぐる時たわみつゝ 湖畔歩むや秋雨にほのと刈藻の香 舟人や秋水叩く刈藻竿 水葱《なぎ》の花折る間舟寄せ太藺中 漕ぎよせて水葱の花折る手のべけり 藻に弄ぶ指蒼ざめぬ秋の水 羊蹄《ぎしぎし》に石摺り上る湖舟かな [#ここから2字下げ] 秋月とコスモス 五句 [#ここで字下げ終わり] 月の頬をつたふ涙や祷りけり 熱涙拭ふ袂の緋絹や秋袷 われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 コスモスくらし雲の中ゆく月の暈 コスモスに風ある日かな咲き殖ゆる [#ここから2字下げ] 大正十四年姉死去 二句 [#ここで字下げ終わり] 霧しめり重たき蚊帳をたたみけり 夏帶やはる/″\葬に間に合はず    * [#ここから2字下げ] 大正十四年 松山にて 五句 [#ここで字下げ終わり] 上陸やわが夏足袋のうすよごれ 夏羽織とり出すうれし旅鞄 替りする墨まだうすし青嵐 卓の百合あまり香つよし疲れたり 姫著莪の花に墨する朝かな [#ここから2字下げ] 昭和元年 箱崎にて 七句 [#ここで字下げ終わり] 病間や破船に凭れ日向ぼこ 間借して塵なく住めり籠の菊 炭つぐや微笑まれよむ子の手紙 筑紫野ははこべ花咲く睦月かな 山茶花の紅つきまぜよゐのこ餅 ゐのこ餅博多の假寢馴れし頃 ゐのこ餅紅濃くつけて鄙びたる [#ここから2字下げ] 橋本多佳子氏と別離 四句 [#ここで字下げ終わり] 忘れめや實葛の丘の榻二つ 芋畠に沈める納屋の露けき灯 遊船のみよしの月に出でたちし 脱ぎ捨てし木の實のかさもころげをり 山茶花の簷にも白く散りたまり [#ここから2字下げ] 京都吉田に鈴鹿野風呂氏訪問 一句 王城、草城、白川御夫婦、雄月氏等 [#ここで字下げ終わり] 節分の宵の小門をくゞりけり [#ここから2字下げ] 京都白川莊 一句 [#ここで字下げ終わり] 鶯や螺鈿古りたる小衝立 [#ここから2字下げ] 琵琶湖 二句 [#ここで字下げ終わり] 舳先細くそりて湖舟や春の雪 水鳥に滋賀の小波よせがたし [#ここから2字下げ] 若王子 一句 [#ここで字下げ終わり] 縁起圖繪よむ一行に梅さかり 春雪に四五寸青し木賊の芽 [#ここから2字下げ] 洛北詩仙堂 一句 [#ここで字下げ終わり] きこえ來る添水の音もゆるやかに [#ここから2字下げ] 京都にて 三句 [#ここで字下げ終わり] 芹すゝぐ一枚岩のありにけり 梅林のそゞろ歩きや筧鳴る 探梅に走せ參じたる旅衣 [#ここから2字下げ] 粟生光明寺歸途 [#ここで字下げ終わり] 時雨雲はるかの比叡にかゝりけり [#ここから2字下げ] 法然院 [#ここで字下げ終わり] 山かげの紅葉たく火にあたりけり [#ここから2字下げ] 豐後洋上にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 春潮に群れ飛ぶ鴎縦横に 春雷や俄に變る洋の色 [#ここから2字下げ] 昭和四年 松山にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 師に侍して吉書の墨をすりにけり 春雨や木くらげ生きてくゞり門 [#改ページ] 花衣 昭和四年より昭和十年まで 逆潮をのりきる船や瀬戸の春 教へ子に有無を言はせず家の春 春寒の銀屏ひきよせ語りけり 舟に乘りて眺むる橋も春めけり 春淺く火酒したたらす紅茶かな 梨畠の朧をくねる徑かな くぐり見る松が根高し春の雪 岩壁を離れし巨船春の雪 ぬかづいてねぎごと長し花の雨 野々宮《ののみや》を詣でしまひや花の雨 ぬかづきしわれに春光盡天地 春光に躍り出し芽の一列に 莊守も芝生の春を惜みけり 春惜む布團の上の寢起かな 佇めば春の潮鳴る舳先かな 春潮に流るる藻あり矢の如く いつとなく解けし纜《ともづな》春の潮 春の山暮れて温泉の灯またたけり 春の襟染めて着初めしこの袷 灌沐の淨法身を拜しける ぬかづけばわれも善女や佛生會 無憂華の木蔭はいづこ佛生會 葺きまつる芽杉かんばし花御堂 波痕のかわくに間あり大干潟 [#ここから2字下げ] 光子縣立小倉高女卒業 三句 [#ここで字下げ終わり] 靴買うて卒業の子の靴磨く 卒業やちび靴はくも今日限り 青き踏む靴新らしき處女ごころ [#ここから2字下げ] 光子女子美術卒業 一句 [#ここで字下げ終わり] 卒業の子に電報すよきあした 身の上の相似て親し櫻貝 春蘭の咲いてゐたれば木の根攀づ 炊き上げてうすき高竕ナ菜飯 かきわくる砂のぬくみや防風摘む 防人《さきもり》の妻戀ふ歌や磯菜摘む 元寇の石疊《とりで》はいづこ磯菜摘む 寇まもる石疊《とりで》はいづこ磯菜摘む 磯菜つむ行手いそがんいざ子ども 蕗の薹ふみてゆききや善き隣 甦る春の地靈や蕗の薹 蘆の芽のひらき初むれば初袷 水上へうつす歩みや濃山吹 百合根分鍬切りし芽を惜しと思ふ 筆とりて門邊の草も摘む氣なし 晴天に芽ぐみ來し枝をふれあへる 盆に盛る春菜淡し鶴料理る 鶴料理るまな箸淨くもちひけり 落椿の葉くぐり落ちし日の斑かな 蒼海の波騒ぐ日や丘椿 梅莟む官舍もありて訪れぬ 花見にも行かずもの憂き結び髮 盛會を祈りて花にゆく遠く 花影あびて群衆遲々とうごくかな 花ふかき館に徑ある夜宴かな 花莟む梢の煙雨ひもすがら 襟卷に花風寒き夕べかな たもとほる櫻月夜や人おそき 神風にこぼれぬ花を見上げけり 故里の藁屋の花をたづねけり せゝらぎに耳すませ居ぬ山櫻 花|腐《くだ》つ雨ひねもすよ侘びごもり 船長の案内くまなし大南風 翠巒を降り消す夕立襲ひ來し 旱魃の舗道はふやけ靴のあと 夜毎たく山火もむなしひでり星 汲み濁る家主の井底水飢饉 水飢饉わが井は清く湧き澄めど 夏の海島かと現れて艦遠く 煙あげて鹽屋は低し鯉幟 大阪の甍《いらか》の海や鯉幟 目の下の煙都は冥し鯉幟 男の子うまぬわれなり粽結ふ 櫛卷の歌麿顏や袷人 ミシン踏む足のかろさよ衣更 蒼朮《そうじゆつ》の煙賑はし梅雨の宿 焚きやめて蒼朮薫る家の中 おくれゐし窓邊の田植今さかん 早苗水走り流るゝ籬に沿ひ おくれゐし門邊の早苗植ゑすめり 一人寢の月さへさゝぬよき蚊帳に 踏みならす歸省の靴はハイヒール 寮の娘や歸省近づくペン便り 歸省子の琴のしらべをきく夜かな 歸省子やわがぬぎ衣たゝみ居る いとし子や歸省の肩に繪具函 歸省子と歩むも久し夜の町 遊園の暗き灯かげに涼みけり 起し繪の御殿葺けたる筧かな 大樹下の夜店明るや地蔵盆 涼み舟門司の灯ゆるくあとしざり 羅に衣《そ》通る月の肌かな 遠泳の子らにつきそひ救助船 潮あびの戻りて夕餉賑かに 潮あびの子ら危險なし旗たてゝ 上つ瀬の歌劇明りや河鹿きく 水疾し岩にはりつき啼く河鹿 河鹿きく我衣手の露しめり 河鹿なく大堰の水も暮れにけり 病快し河鹿の水をかふるなど 忘れゐし河鹿の蜘蛛を捜さばや 蛙きく人顏くらく佇めり 蝉涼し長官邸は木がくれに ひきのこる岩間の潮に海ほうずき 薔薇むしる垣外の子らをとがめまじ 藁づとをほどいて活けし牡丹かな 牡丹を活けておくれし夕餉かな 牡丹やひらきかゝりて花の隈 牡丹や揮毫の書箋そのまゝに 牡丹にあたりのはこべ拔きすてし 端居して月の牡丹に風ほのか 隔たれば葉蔭に白し夕牡丹 紅苺垣根してより摘む子來ず 牡丹芥子あせ落つ瓣は地に敷けり 凌霄花《のうぜん》の朱に散り浮く草むらに 流れ去る雲のゆくえや青芭蕉 晴天に廣葉をあほつ芭蕉かな 夕顏や遂に無月の雨の音 かへり見ぬ葡萄の蔓も花芽ぐむ 霖雨や泰山木の花墮ちず 活け終へて百合影すめる襖かな 上げ潮にまぶしき芥花|楝《あふち》 籐椅子に看とり疲れや濃紫陽花 窓明けて見渡す山もむら若葉 歸り來て天地明るし四方若葉 新樹濃し日は午に迫る鐘の聲 欄涼し鎔爐明りのかの樹立 葉櫻や流れ釣なる瀬戸の舟 降り歇まぬ雨雲低し枇杷熟れる わがもいで愛づる初枇杷葉敷けり わがもいで贈る初枇杷葉敷けり 手折らんとすれば萱吊ぬけて來し 稻妻に水田はひろく湛えたる 書肆の灯にそゞろ讀む書も秋めけり 語りゆく雨月の雨の親子かな ジム紅茶すゝり冷えたる夜長かな 領布《ひれ》振れば隔たる船や秋曇 掘りかけし土に秋雨降りにけり ヨットの帆しづかに動く秋の湖 走馬燈灯して賣れりわれも買ふ 燈を入れて今宵もたのし走馬燈 走馬燈いつか消えゐて軒ふけし ころぶして語るも久し走馬燈 一人居の岐阜提灯も灯さざり 星の竹北斗へなびきかはりけり うち曇る空のいづこに星の戀 板の如き帶にさゝれぬ秋扇 わが描きし秋の扇に句をしるす 蟲をきく月の衣手ほのしめり 籠の蟲夜半の豪雨に鳴きすめり 蟲籠をしめし歩みぬ萩の露 放されて高音の蟲や園の闇 草むらに放ちし蟲の高音かな 鳴き出でてくつわは忙し籬かげ 椅子涼し衣《そ》通る月に身じろがず 月涼しいそしみ綴る蜘蛛の糸 流れ越す水田の月に涼みゐし 大波のうねりも去りぬ鯊《ふるせ》釣る 鯊釣る和布刈の礁へ下りたてり 野菊むらかゞめば風の強からず 八十の母手まめさよ萩束ね 山萩にふれつゝ來れば座禪石 塀外へあふれ咲く枝や萩の宿 門とざしてあさる佛書や萩の雨 唐もろこしの實の入る頃の秋涼し 唐黍を焼く子の喧嘩きくもいや 不知火の見えぬ芒にうづくまり 戻り來て植ゑし萱草未だ咲かず 佇ちつくすみ幸のあとは草紅葉 大なつめ落す竿なく見上げゐし 人やがて木に登りもぐ棗かな なつめ盛る古き藍繪のよき小鉢 銀杏の熟れ落つひゞき嵐くるらし 銀杏をひろひ集めぬ黄葉をふみて 旅たのし葉つき橘|籠《こ》にみてり 蜜柑もぐ心動きて下りたちぬ 掃きよりて木の實拾ひや尉と姥 わけ入りて孤りがたのし椎拾ふ 邸内に祀る祖先や椋拾ふ [#ここから2字下げ] 門弟をつれて 二句 [#ここで字下げ終わり] 邸内の木の實の宮に歩みつれ 木の實降るほとりの宮に君とあり 菊花摘む新種の名づけたのまれて 菊摘むや廣壽の月といふ新種 菊摘むや群れ伏す花をもたげつゝ 摘み移る日かげあまねし菊畠 添竹をはづし歩むや菊も末 菊干すや東籬の菊も摘みそへて 菊干すや日和つゞきの菊ケ丘 菊干すや何時まで褪せぬ花の色 日當りてうす紫の菊筵 今日はまた白菊ばかり干しひろごえ 縁の日のふたたび嬉し菊日和 朝な朝な掃き出す塵も菊の屑 大輪のかわきおそさよ菊筵 今年ゐて菊咲く頃の我家かな 門邊より咲き伏す菊の小家かな ひろげ干す菊かんばしく南縁 愛藏す東籬の詩あり菊枕 ちなみぬふ陶淵明の菊枕 白妙の菊の枕をぬひ上げし ぬひあげて菊の枕のかほるなり [#ここから2字下げ] 萬葉|企玖《ぎく》の高濱根上り松次第に煤煙に枯るゝ 一句 [#ここで字下げ終わり] 冬濱のすゝ枯れ松を惜みけり 冬凪げる瀬戸の比賣宮ふしをがみ 初凪げる和布刈の磴に下りたてり 嚴寒や夜の間に萎えし卓の花 如月の雲嚴めしくラヂオ塔 ほのゆるゝ閨のとばりは隙間風 眉引も四十路となりし初鏡 たらちねに送る頭巾を縫ひにけり 遊學の旅にゆく娘の布團とぢ かざす手の珠美くしや塗火鉢 筆とればわれも王なり塗火鉢 ひとり居も淋しからざる火鉢かな 銀屏の夕べ明りにひそと居し 色褪せしコートなれども好み着る 句會にも着つゝなれにし古コート アイロンをあてゝ着なせり古コート 身にまとふ黒きショールも古りにけり 鶺鴒に障子洗ひのなほ去らず かき馴らす鹽田ひろし夕千鳥 首に捲く銀狐は愛し手を垂るゝ 牡蠣舟や障子のひまの雨の橋 君來るや草家の石蕗も咲き初めて そののちの旅便りよし石蕗日和 冬ごもる簷端を雨にとはれけり [#ここから2字下げ] 悼柳琴 一句 [#ここで字下げ終わり] 莖高くほうけし石蕗にたもとほり [#ここから2字下げ] 越ケ谷附近御獵地 一句 [#ここで字下げ終わり] 耕人に雁歩むなり禁獵地 [#ここから2字下げ] 英彦《えひこ》山 六句 [#ここで字下げ終わり] 谺して山ほととぎすほしいまゝ 橡《とち》の實のつぶて颪や豐前坊 六助のさび鐵砲や秋の宮 秋晴や由布にゐ向ふ高嶺茶屋 坊毎に春水はしる筧かな 三山の高嶺づたひや紅葉狩 [#ここから2字下げ] 廣壽山の老僧林隆照氏遷化 四句 [#ここで字下げ終わり] 木の實降る石に座れば雲去來 蕗味噌や代替りなる寺の厨 櫻咲く廣壽の僧も住み替り お茶古びし花見の縁も代替り [#ここから2字下げ] 馬關春帆樓 三句 [#ここで字下げ終わり] 薫風や釣舟絶えず並びかへ 釣舟の並びかはりし籐椅子かな 晩涼や釣舟並ぶ樓の前 [#ここから2字下げ] 和布刈の鼻枕潮閣にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 新船卸す瀬戸の春潮とこしなへ 新艘おろす東風の彩旗へんぽんと [#ここから2字下げ] タラバ蟹を貰ふ 二句 [#ここで字下げ終わり] 大釜の湯鳴りたのしみ蟹うでん 大鍋をはみ出す脚よ蟹うでる [#ここから2字下げ] 或家の初盆に 四句 [#ここで字下げ終わり] うつしゑの笑めるが如し魂迎へ 美しき蓮華燈籠も燈を入るゝ 玄關を入るより燈籠灯りゐし 露の灯にまみゆる機なく逝きませり [#ここから2字下げ] 出生地鹿児島 五句 [#ここで字下げ終わり] 朱欒咲く五月となれば日の光り 朱欒咲く五月の空は瑠璃のごと 天碧し盧橘《ろきつ》は軒をうづめ咲く 花朱欒こぼれ咲く戸にすむ樂し 風かほり香欒《ざぼん》咲く戸を訪ふは誰ぞ 南國の五月はたのし花朱欒 [#ここから2字下げ] 琉球をよめる句 十三句 [#ここで字下げ終わり] 常夏の碧き潮あびわがそだつ 爪ぐれに指そめ交はし恋稚く 栴檀の花散る那覇に入學す 島の子と花芭蕉の蜜の甘き吸ふ 砂糖黍かぢりし頃の童女髮 榕樹|鹿毛《かげ》飯匙倩《ハブ》捕の子と遊びもつ [#地付き](榕樹―熱帯樹にて枝より髭根地に垂る―編者) ひとでふみ蟹とたはむれ磯あそび 紫の雲の上なる手毬唄 海ほうづき口にふくめば潮の香 海ほうづき流れよる木にひしと生え 海ほうづき鳴らせば遠し乙女の日 吹き習ふ麥笛の音はおもしろや 潮の香のぐん/\かわく貝拾ひ [#ここから2字下げ] 八幡製鐵所起業祭 三句 [#ここで字下げ終わり] かき時雨れ鎔爐は聳《た》てり嶺近く 群衆も鎔爐の旗もかき時雨れ おでん賣る夫人の天幕訪ひ寄れる  櫻の句 [#ここから2字下げ] 一 延命寺(小倉郊外) 三句 [#ここで字下げ終わり] 釣舟の漕ぎ現はれし花の上 花の寺登つて海を見しばかり 花の坂船現はれて海蒼し [#ここから2字下げ] 二 阿部山五重櫻(花衣所載) 四句 [#ここで字下げ終わり] 傘をうつ牡丹櫻の雫かな うす墨をふくみてさみし雨の花 雨ふくむ淡墨櫻みどりがち 花の坂海現はれて凪ぎにけり [#ここから2字下げ] 三 八幡公會クラブにて 六句 [#ここで字下げ終わり] 掃きよせてある花屑も貴妃櫻 風に落つ楊貴妃櫻房のまゝ 花房の吹かれまろべる露臺かな むれ落ちて楊貴妃櫻房のまゝ むれ落ちて楊貴妃櫻尚あせず きざはしを降りる沓なし貴妃櫻 [#ここから2字下げ] 花衣時代 一句 [#ここで字下げ終わり] 春晝や坐ればねむき文机 [#ここから2字下げ] 昭和七年昌子東上 五句 [#ここで字下げ終わり] 春寒の毛布敷きやる夜汽車かな いつくしむ雛とも別れ草枕 寮住のさみしき娘かな雛まつる 健やかにまします子娘等の雛祭 寢返りて埃の雛を見やりけり [#ここから2字下げ] 昌子よりしきりに手紙來る 三句 [#ここで字下げ終わり] 春愁の子の文長し憂へよむ 望郷の子のおきふしも花の雨 春愁癒えて子よすこやかによく眠れ [#ここから2字下げ] 蒲生にて 五句 [#ここで字下げ終わり] 杜若雨に殖えさく高欄に 杜若映れる虹をまたぎけり 柚の花の香をなつかしみ雨やどり 降り出でし矼をかへしぬ杜若 杜若またぐ矼あり見えがくれ [#ここから2字下げ] 深耶馬溪 六句 [#ここで字下げ終わり] 大嶺に歩み迫りぬ紅葉狩 自動車のついて賑はし紅葉狩 打ちかへす野球のひゞき草紅葉 [#ここから2字下げ] 青の洞門を見て [#ここで字下げ終わり] 洞門をうがつ念力短日も 嚴寒ぞ遂にうがちし岩襖 鎚とれば恩讐親し法の秋 [#ここから4字下げ] 洞門をうがちし僧禪海の像及び碑が青の洞門の入口にある。人間の一心は遂に何事も成就するといふことを感知せらる [#ここで字下げ終わり]  鶴の句 [#ここから2字下げ] 一 鶴を見にゆく [#ここで字下げ終わり] 月高し遠の稻城はうす霧らひ 並びたつ稻城の影や山の月 鶴舞ふや日は金色の雲を得て 山冷にはや炬燵して鶴の宿 松葉焚くけふ始ごと煖爐かな 燃え上る松葉明りの初煖爐 ストーヴに椅子ひきよせて讀む書かな 横顏や煖爐明りに何思ふ 投げ入れし松葉けぶりて煖爐燃ゆ 菊白しピアノにうつる我起居 霜晴の松葉掃きよせ焚きにけり 向う山舞ひ翔つ鶴の聲すめり 舞ひ下りてこのもかのもの鶴啼けり 月光に舞ひすむ鶴を軒高く [#ここから2字下げ] 二 孤鶴群鶴 [#ここで字下げ終わり] 曉の田鶴啼きわたる軒端かな 寄り添ひて野鶴はくろし草紅葉 畔移る孤鶴はあはれ寄り添はず 雛鶴に親鶴何をついばめる ふり仰ぐ空の青さや鶴渡る 子を連れて落穂拾ひの鶴の群 鶴遊ぶこのもかのもの稻城かげ 遠くにも歩み現はれ田鶴の群 畔ぬくし靜かに移る鶴の群 一群の田鶴舞ひ下りる刈田かな 鶴の群屋根に稻城にかけ過ぐる 一群の田鶴舞ひすめる山田かな 親鶴に從ふ雛のやさしけれ 鶴の影ひらめく畔を我行けり 好晴や鶴の舞ひ澄む稻城かげ 群鶴の影舞ひ移る山田かな 鶴の影舞ひ下りる時大いなる 遠くにも群鶴うつる田の面かな 舞ひ下りる鶴の影あり稻城晴 枯草に舞ひたつ鶴の翅づくろひ 歩み寄るわれに群鶴舞ひたてり 大嶺にこだます鶴の聲すめり 近づけば野鶴も移る刈田かな 群鶴を驚かしたるわが歩み 翅ばたいて群鶴さつと舞ひたてり 大空に舞ひ別れたる鶴もあり 三羽鶴舞ひ澄む空を眺めけり 學童の會釋優しく草紅葉 冬晴の雲井はるかに田鶴まへり 旅籠屋《はたごや》の背戸にも下りぬ鶴の群 舞ひ下りて田の面の田鶴は啼きかはし 彼方より舞ひ來る田鶴の聲すめり 軒高く舞ひ過ぐ田鶴をふり仰ぎ 啼き過ぐる簷端の田鶴に月淡く 田鶴舞ふや稻城の霜のけさ白く 田鶴舞ふや日輪峰を登りくる 鶴なくと起き出しわれに露臺の旭 鶴舞ふや稻城があぐる霜けむり 鶴鳴いて郵便局も菊日和 家毎に咲いて明るし小菊むら 鶴の里菊咲かぬ戸はあらざりし 稻城かげ遊べる鶴に歩み寄り 好晴や田鶴啼きわたる小田のかげ 舞ひあがる翅ばたき強し田鶴百羽 鶴の群驚ろかさじと稻架かげに 近づけば舞ひたつ田鶴の羽音かな この里の野鶴はくろし群れ遊ぶ [#ここから2字下げ] 水郷遠賀 十一句 [#ここで字下げ終わり] 菱の花咲き閉づ江沿ひ句帳手に 菱刈ると遠賀の乙女ら裳を濡すも 菱の花引けば水垂る長根かな 水ぬるむ卷葉の紐の長かりし 水底に映れる影もぬるむなり 青すゝき傘にかきわけゆけどゆけど 泳ぎ子に遠賀は潮を上げ來り 千々にちる蓮華の風に佇めり 藻鹽焚く遠賀の港の夕けむり もてなしの蓮華飯などねもごろに [#ここから2字下げ] 企玖の紫池にて 三句ならびに五句 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 豐國の企玖の池なる菱のうれをつむとや妹が御袖ぬれけむ    萬葉集豐前國白水郎歌 [#ここで字下げ終わり] 菱摘みし水江やいづこ嫁菜摘む 萬葉の池今狹し櫻影 [#ここから2字下げ] 池の傳説 [#ここで字下げ終わり] 夕づゝに這ひ出し蛙みな唖と 摘み競ふ企玖の嫁菜は籠にみてり 嫁菜つみ夕づく馬車を待たせつゝ 里人の茅の輪くぐりに從はず 一人強し夜の茅の輪をくぐるわれ 萬葉の菱の咲きとづ江添ひかな [#ここから2字下げ] 水郷遠賀 三句 [#ここで字下げ終わり] 菱實る遠賀の水路は縱横に 菱採ると遠賀の娘子《いらつこ》裳《すそ》濡《ひ》づも 菱摘むとかゞめば沼は沸く匂ひ [#ここから2字下げ] 遠賀《をんが》川 十一句 [#ここで字下げ終わり] 菱|蒸《うむ》す遠賀の茶店に來馴れたり すぐろなる遠賀の萱路をただひとり 生ひそめし水草の波梳き來たり 添ひ下る塢舸《おか》の運河はぬるみけり 土堤長し萱の走り火ひもすがら 風さそふ遠賀の萱むら※[#「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88]《ほ》鳴りつゝ 蘆むらを燒く火はかなく消えにけり ※[#「火+稻のつくり」、第4水準2-79-88]迫れば草薙ぐ鎌よ野燒守 もえ迫る野燒の草を薙ぎ拂ひ 蘆の火の燃えひろがりて消えにけり 蘆の火に天帝雨を降《くだ》しけり 蘆の火の消えてはかなしざんざ降り [#ここから2字下げ] 昭和八年光子東上 三句 [#ここで字下げ終わり] 子のたちしあとの淋しさ土筆摘む 降り出でし傘のつぶやき松露とる 娘がゐねば夕餉もひとり花の雨 [#ここから2字下げ] 宇佐櫻花祭 三句 [#ここで字下げ終わり] うらゝかや朱のきざはしみくじ鳩 三宮を賽しおはんぬ櫻人 櫻咲く宇佐の呉橋うち渡り [#ここから2字下げ] 宇佐神宮 五句 [#ここで字下げ終わり] うらゝかや齋《いつ》き祀れる瓊《たま》の帶 藤|挿頭《かざ》す宇佐の女《によ》禰宜は今在さず 丹の欄にさへづる鳥も惜春譜 雉子鳴くや宇佐の盤境《いはさか》禰宜ひとり 春惜む納蘇利の面ンは青丹さび [#ここから2字下げ] 昌子歸省 二句 [#ここで字下げ終わり] 元旦の阜頭に瀬戸の舟つけり 北風寒き阜頭に吾子の舟つけり [#ここから2字下げ] 花の旅 六句 [#ここで字下げ終わり] まだ散らぬ帝都の花を見に來り [#ここから2字下げ] 茅舍庵 [#ここで字下げ終わり] 訪れて暮春の縁にあるこゝろ [#ここから2字下げ] 鎌倉虚子庵 [#ここで字下げ終わり] 虚子留守の鎌倉に來て春惜む [#ここから2字下げ] 由比ケ濱 [#ここで字下げ終わり] 身の上の相似でうれし櫻貝 種浸す大盥にも花散らす [#ここから2字下げ] 茅舍庵 [#ここで字下げ終わり] 水そゝぐ姫龍膽に暇乞ひ [#ここから2字下げ] 横濱外人墓地 一句 [#ここで字下げ終わり] ばら薫るマーブルの碑に哀詩あり [#ここから2字下げ] 筑前大島 十二句 [#ここで字下げ終わり] 大島の港はくらし夜光蟲 濤青く藻に打ち上げし夜光蟲 足もとに走せよる潮も夜光蟲 夜光蟲古鏡の如く漂へる 海松《みる》かけし蟹の戸ぼそも星祭 [#ここから2字下げ] 大島星の宮吟咏 [#ここで字下げ終わり] 下りたちて天の河原に櫛梳り 彦星の祠は愛しなの木蔭 口すゝぐ天の眞名井は葛がくれ [#ここから2字下げ] 玄界灘一望の中にあり [#ここで字下げ終わり] 荒れ初めし社前の灘や星祀る 大波のうねりもやみぬ沖膾 星の衣《きぬ》吊すもあはれ島の娘ら [#ここから4字下げ] 星の衣は七夕の五色の紙を衣の形に切り願事をしるして笹に吊すもの [#ここで字下げ終わり] 乘りすゝむ舳にこそ騒げ月の潮 [#ここから2字下げ] 母の句 五句 [#ここで字下げ終わり] 八十の母てまめさよ雛つくり 母淋しつくりためたる押繪雛 娘をたよる八十路の母よ雛作り 扶助料のありて長壽や置炬燵 雛つくる老のかごとも慰めり  出雲旅行 四十三句 [#ここから2字下げ] 一 出雲御本社 [#ここで字下げ終わり] 水手洗の杓の柄青し初詣 雪解の雫ひまなし初詣 仰ぎ見る大〆飾出雲さび 巨いさや雀の出入る〆飾 神前に遊ぶ雀も出雲がほ 椿落ちず神代に還る心なし 斐伊川のつゝみの蘆芽雪殘る 斐伊川のつゝみの蘆芽萌え初めし [#ここから2字下げ] 二 宍道湖(松江大橋) [#ここで字下げ終わり] 蘆芽ぐむ古江の橋をわたりけり 蘆の芽に上げ潮ぬるみ滿ち來たり 上げ潮におさるゝ雜魚蘆の角 若蘆にうたかた堰を逆ながれ [#ここから2字下げ] 三 美保關に向ふ途中 [#ここで字下げ終わり] 目の下に霞み初めたる湖上かな 立春の輝く潮に船行けり 春潮の上に大山雲をかつぎ 若刈干す美保關へと船つけり [#ここから2字下げ] 四 日の見磯に至る途上風景絶好 [#ここで字下げ終わり] 群岩に上るしぶきも春めけり 潮碧しわかめ刈る舟木の葉の如し [#ここから2字下げ] 五 出雲神話をよめる。稻佐の濱 [#ここで字下げ終わり] 群岩に春潮しぶき鰐いかる 虚僞の兎神も援けず東風つよし 春潮の渚に神の國讓り [#ここから2字下げ] 稻佐の濱国讓りの故事――高天原から天孫降臨の爲、この濱で出雲族と國讓りの議について神々相會し、遂に亂を好まぬ大國主命は賢明にも國土を全部獻上。その爲、天照大神大いに喜び給ひ、御子を出雲につかはし、大國主の宮を造營して仕へせしめ給ふとある。 [#ここで字下げ終わり] 椿咲く絶壁の底潮碧く 春潮に眞砂ま白し神ぞ逢ふ 春潮からし虚僞のむくいに泣く兎 潮浴びて泣き出す兎赤裸 兎かなし蒲の穂絮の甲斐もなく 春潮に神も怒れり虚僞兎 春寒し見離されたる雪兎 ゆるゆると登れば成就椿坂 雪兎援けず潮にわがそだつ [#ここから2字下げ] 六 小泉八雲の舊居 [#ここで字下げ終わり] 春寒み八雲舊居は見ずしまひ 燈臺のまたたき滋し壺燒屋 [#ここから2字下げ] 七 出雲御本社寶物 [#ここで字下げ終わり] 春光や塗美しき玉櫛屋 [#ここから2字下げ] 八 八重垣神社 [#ここで字下げ終わり] 處女|美《うま》し連理の椿髮に挿頭《かざ》し [#ここから2字下げ] 九 境内に鏡の池 [#ここで字下げ終わり] みづら結ふ神代の春の水鏡 日表の莟も堅しこの椿 椿濃し神代の春の御姿 春の旅子らの縁もいそぐまじ [#ここから2字下げ] 十 出雲八重垣 [#ここで字下げ終わり] 神代より變らぬ道ぞ紅椿 節分の丑滿詣降られずに 東風吹くや八重垣なせる舊家の門《と》 煖房に汗ばむ夜汽車神詣 [#ここから2字下げ] 筑紫觀世音寺三句外九句 [#ここで字下げ終わり] さゝげもつ菊みそなはせ觀世音 菊の香のくらき佛に灯を獻ず 月光にこだます鐘をつきにけり かゞみ折る野菊つゆけし都府樓址 道ひろし野菊もつまず歩みけり こもり居の門邊の菊もしぐれ 菊の簇れ落葉をかぶり亂れ伏す 簇れ伏して露いつぱいの小菊かな 遂にこぬ晩餐菊にはじめけり 菊根分誰ぞわが鏝を使ひ失す 菊の根に降りこぼれ敷く松葉かな 日の菊に雫振り梳く濡毛かな [#ここから2字下げ] 飛鳥みち [#ここで字下げ終わり] 稻架の飛鳥みちなり語りつゝ [#ここから2字下げ] 大和橘寺の鐘樓所見 [#ここで字下げ終わり] つらね干す簷の橘まだ青く [#ここから2字下げ] 國寶信貴山縁起繪卷源氏車爭之圖 [#ここで字下げ終わり] 爭へる牛車も人も春霞 [#ここから2字下げ] 清朝翡翠香爐 [#ここで字下げ終わり] 春怨の麗妃が焚ける香煙はも [#ここから2字下げ] 抱一四季花鳥繪卷極彩色 [#ここで字下げ終わり] 花鳥美し葡萄はうるみ菖蒲濃く [#ここから2字下げ] 旅かなし 九句 [#ここで字下げ終わり] 歇むまじき藤の雨なり旅疲れ 蕨餅たうべ乍らの雨宿り くちすゝぐ古き井筒のゆすら梅 わが袖にまつはる鹿も竹柏の雨 公園の馬醉木愛しく頬にふれ 拜殿の下に生れゐし子鹿かな 鹿の子の生れて間なき背の斑かな 旅かなし馬醉木の雨にはぐれ鹿 旅衣春ゆく雨にぬるゝまゝ [#改ページ] 菊ヶ丘 昭和十年より昭和二十一年まで 大いなる春の月あり山の肩 春曉の大火事ありしかの煙 春寒の樹影遠ざけ庭歩み 庭石にかゞめば木影春寒み 新らしき春の袷に襟かけん 新調の久留米は着よし春の襟 春の襟かへて着そめし久留米かな 花も實もありてうるはし春袷 春の風邪癒えて外出も快く 戀猫を一歩も入れぬ夜の襖 冬去りて春が来るてふ木肌の香 土濡れて久女の庭に芽ぐむもの 故里の小庭の菫子に見せむ ほろ苦き戀の味なり蕗の薹 蕗の薹摘み來し汝と爭はず 移植して白たんぽぽはかく殖えぬ 空襲の灯を消しおくれ花の寺 近隣の花見て家事にいそしめる 掘りすてゝ沈丁花とも知らざりし 船客涼し朝潮の鳴る舳に立てば 蝉涼し汝の殼をぬぎしより この頃は仇も守らず蝉涼し 羅の乙女は笑まし腋を剃る 壇浦見渡す日覆まかせけり 日覆かげまぶしき潮の流れをり おびき出す砂糖の蟻の黒だかり 植ゑかへし薔薇の新芽のしほれたる 英彦より採り來し小百合莟むなり 冷水をしたたか浴びせ躑躅活け 實梅もぐ最も高き枝にのり 目につきし毛蟲援けずころしやる 鍬入れて豆蒔く土をほぐすなり 千萬の寶にたぐひ初トマト 處女の頬のにほふが如し熟れトマト 母美しトマトつくりに面痩せず 朝に灌ぎ夕べに肥し花トマト 降り足りし雨に育ちぬ花トマト 新鮮なトマト喰ふなり慾もあり この雨に豆種もみな擡頭す 朝な/\摘む夏ぐみは鈴成に 青芒こゝに歩みを返しつゝ たてとほす男嫌ひの單帶 張りとほす女の意地や藍ゆかた 秋耕の老爺に子らは出で征ける 鳥渡る雲の笹べり金色に 菱實る遠賀にも行かずこの頃は 菊の句も詠まずこの頃健かに 雲間より降り注ぐ日は菊畠に 龍膽も鯨も掴むわが双手 解けそめてますほは風にせ高けれ 蔓ひけばこぼるゝ珠や冬苺 [#ここから2字下げ] 上京、丸ビルにて [#ここで字下げ終わり] 一束の緋薔薇貧者の誠より [#ここから2字下げ] 歸宅 三句 [#ここで字下げ終わり] 去年よりあまた實をもちプラタナス プラタナス多く實をもち芽ぐむなる 仰ぎ見る吾に鈴懸惠むなり [#ここから2字下げ] 大乘寺 十句 [#ここで字下げ終わり] 一椀の餉にあたゝまり梅雨の寺 實桑もぐ乙女の朱唇戀知らず 旅に出て病むこともなし栗の花 栗の花うごけば晴れぬ窓の富士 栗の花そよげば箱根天霧らし かな/\に醒めて涼し午前四時 雲海の夕富士あかし帆の上に ヨット見る白樺かげの椅子涼し 草の名もきかず佇み苑の夏 苔庭をはくこともあり梅みのる [#ここから2字下げ] 山中湖 七句 [#ここで字下げ終わり] 漕ぎ出でゝ倒富士見えず水馬 栗の花紙縒の如し雨雫 おくれゆく湖畔はたのし常山木《くさぎ》折る 柿吊す湖畔の茶店淵に映え 湖ぞひの道なが/\と小春凪 うねりふす伏屋の菊も明治節 雨つよし辨慶草も土に伏し [#ここから2字下げ] 墓參 六句 [#ここで字下げ終わり] 信濃なる父のみ墓に草むしり 城山の桑の道照る墓參かな 母屋から運ぶ夕餉や栗の花 厨裡ひろし四眠ごろなる蠶飼ふ 繭を煮る工女美しやぶにらみ ゆるやかにさそふ水あり茄子の馬 [#ここから2字下げ] 松本にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 健やかな吾子と相見る登山驛 高嶺星出てうれし明日登山  英彦山雜吟 百十二句(昭和十二年) 神前の雨洩りかしこ秋の宮 上宮は時じく霧ぞむら紅葉 上宮は雨もよひなり柿の花 谿水を擔ひ登ればほとゝぎす 橡の實や彦山《ひこ》も奥なる天狗茶屋 絶壁に擬寶珠《ぎぼし》咲きむれ岩襖 色づきし梢の柚より山の秋 よぢ登る上宮道のほとゝぎす わが攀づる高嶺の花を家づとに 霧淡し彌宜が掃きよる崖紅葉 坊毎に懸けし高樋よ葛の花 花葛の谿より走る筧かな 幣《ぬさ》たてゝ彦山踊月の出に 初雪の久住と相見て高嶺茶屋 蕎麥蒔くと英彦の外《と》山を燒く火見ゆ [#ここから2字下げ] 北岳にて 三句 [#ここで字下げ終わり] はりつける岩|萵苣《ちしや》採の命綱 岩萵苣の花を仰げば巖雫 岩萵苣の花紫に可憐なる [#ここから2字下げ] 彦山辨天岩 [#ここで字下げ終わり] 美しき神蛇見えたり草の花 ごそ/\と逃げゆく蛇や蕨刈 手習の肩も凝らざる日永かな 彦山の早蕨太し萱まじり 筆とりて肩いたみなし著莪《しやが》の花 汚れゐる手にふれさせずセルの膝 春服の子にさはらせず歩み去る [#ここから2字下げ] 豐原氏より墨を戴く [#ここで字下げ終わり] 石楠花によき墨とゞき機嫌よし 全山の木の芽かんばし萌え競ひ [#ここから2字下げ] 豐前坊 [#ここで字下げ終わり] 仰ぎ見る樹齡いくばくぞ栃の花 奉納のしやもじ新らし杉の花 [#ここから2字下げ] 英彦山九大研究所 八句 [#ここで字下げ終わり] 捕蟲器に伏せたる蝶は蛇の目蝶 捕蟲器に伏せ薊の蝶白し 蝶の名をきゝつゝ午後の研究所 芋蟲ときゝて厭はし黒揚羽 芋蟲ときいて戀さむ蝶もあり 捉へたる蜻蛉を放ちやりにけり 捕らまへて扶けやる蝶の命あり 葵つむ法親王の屋敷趾 天碧し青葉若葉の高嶺づたひ 六助の碑に戀もなし笹粽 北岳を攀ぢ降りるなり岩躑躅  雉子 愛しさよ雉子の玉子を手にとりて 奪られたる玉子かなしめ雉子の妻 雉子かなし生みし玉子を吾にとられ 雉子たちし草分け見ればこの玉子 雉子鳴くや都にある子思ふとき 雉子の妻驚ろかしたる蕨刈 今たちし雉子の卵子を奪り來たり 杉の月佛法僧と三聲づゝ 若葉濃し雨後の散歩の快く つなぎ牛遠ざけ歩む蓮華かな 南へは降りず躑躅を眺めけり 杉くらし佛法僧を目のあたり [#ここから2字下げ] 奉幣殿にて 一句外 [#ここで字下げ終わり] 疑ふな神の眞榊風薫る 病快し雨後の散歩の若葉かげ 杖ついて誰を待つなる日永人 平凡の長壽願はずまむし酒 物言ふも逢ふもいやなり坂若葉 會釋して通る里人蕨摘む 先生に逢うて蕨を分け入れし 燒けあとの蕨は太し二三本 歩みよる人にもの言はず若葉蔭 若葉蔭佇む彼を疎み過ぐ 宮ほとり相逢ふ人も夏裝ひ よぢ下りる岩にさし出て濃躑躅 里の女と別れてさみし芽獨活掘る やう/\に掘れし芽獨活の薫るなり 芹摘むや淋しけれどもたゞ一人 竹の子を掘りて山路をあやまたず 百合を掘り竹の子を掘る山路かな 百合を掘り蕨を干して生活す ふと醒めて初ほとゝぎす二三聲 かたくりにする山百合を掘るといふ 魚より百合根がうまし山なれば 一人靜か二人靜かも摘む氣なし 杉の根の暗きところに一人靜か 彦山の天は晴れたり鯉幟 滿開のさつき水面に照るごとし 早苗束投げしところに起直り 雨晴れて忘れな草に仲直り 逢ふもよし逢はぬもをかし若葉雨 花散るなようらく[#「ようらく」に傍点]躑躅心あらば 日が照れば登る坂道鯉幟 菖蒲ふく軒の高さよ彦山《ひこ》の宿 美しき胡蝶なれども氣味惡く 秋蝶とおぼしき蝶の翅うすく 枯色の品よき蝶は蛇の目蝶 蝶追うて春山深く迷ひけり 美しき胡蝶も追はずこの山路 道をしへ法のみ山をあやまたず 道をしへ一筋道の迷ひなく 何もなし筧の水に冷奴 花過ぎて尚彦山の春炬燵 なまぬるき春の炬燵に戀もなし 風呂に汲む筧の水もぬるみそむ 風呂汲みも晝寢も一人花の雨 咲き移る外山の花を愛で住めり 梨花の月浴みの窓をのぞくなよ 窓叩く鮮人去りぬ梨花の月 日が出れば消ゆる雲霧峰若葉 田樂の燒けてゐるなる爐のほとり 田樂に夕餉すませば寢るばかり 田樂の木の芽をもつと摺りまぜよ 田樂の木の芽摺るなり坊が妻 苔庭に散り敷く花を掃くなかれ 石楠花に全く晴れぬ山日和 花の戸にけふより男子禁制と掟て棲む 垣間見を許さぬこの扉山櫻 風に汲む筧も濁り花の雨 ひろげ干す傘にも落花乾きゐし 齒のいたみ衰へ風邪も快く 石楠の恥ろふ如く搖れ交す [#ここから2字下げ] 昭和十二年秋長女昌子を嫁入らす 四句 [#ここで字下げ終わり] 菊薫りまれ人來ますよき日かな 新妻の厨著|愛《めで》たしさんま燒く 新婚の昌子美しさんま燒く 實をもちて鉢の萬年青の威勢よく [#ここから2字下げ] 寶塚武庫川にて 昭和十四年 十句 [#ここで字下げ終わり] 熟れそめし葉蔭の苺玉のごと 露の葉をかきわけ/\苺つみ 朝なつむ苺の露に指染めむ 漉tにかくさうべしや紅苺 朝日濃し苺は籠に摘みみちて 手づくりの苺食べよと宣す母 病む母に苺摘み來ぬ傘もさゝず 初苺喰ませたく思ふ子は遠く 村孃に夕燒あせぬ苺摘 刈りかけて去る村童や蓼の雨 [#ここから2字下げ] 温室 六句 [#ここで字下げ終わり] 温室訪ふやゴムの日向をたのしみに 温室訪へばゴムは芽ほどき嫩葉照り パパイアの雄花いづれぞ温室の中 温室ぬくし女王の如きアマリヽス 百合の香に愛する子らとあるこゝろ むろ咲の花の息吹きに曇る玻璃 [#ここから2字下げ] 別府 三句 [#ここで字下げ終わり] 佇ちよれば湯けむりなびく紅葉かな [#ここから2字下げ] 海地獄 [#ここで字下げ終わり] 湧き上る湯玉の瑠璃や葛の雨 這ひかゝる温泉けむり濃さや葛の花 [#ここから2字下げ] 横濱にて 三句 [#ここで字下げ終わり] 寸陰を惜み毛糸を編む子かな クリスマス近づく寮の歌稽古 毛糸卷く子と睦じく夜の卓に [#ここから2字下げ] 税關にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 屋上の冬凪にあり富士まとも 北風吹くや月あきらかに港の灯 [#ここから2字下げ] 昭和十七年光子結婚式に上京 三句 [#ここで字下げ終わり] 歌舞伎座は雨に灯流し春ゆく夜 蒸し壽司のたのしきまどゐ始まれり 鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな 底本:「杉田久女読本」角川書店    1982(昭和57)年9月15日発行 底本の親本:「杉田久女句集」角川書店    1952(昭和27)年10月20日初版発行 ※高浜虚子による序句及び序文、石昌子による「母久女の思ひ出」、年譜は省略した。 入力:小川春休 2010年6月18日公開