砲車 長谷川素逝 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)征《ゆ》け |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)薬筒|抛《ほ》られ [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#ローマ数字1、1-13-21] ------------------------------------------------------- 夏灼くる砲車とともにわれこそ征《ゆ》け 頑躯汗すこやかあだをうたでやまじ [#地から1字上げ]以上、内地 雨さむし日本の海とわかるる日 渤海の秋の落日けふも見き [#地から1字上げ]以上、船上 [#ここから2字下げ] 上陸、ただちに戦闘、石家荘の方向をさして進む。 [#ここで字下げ終わり] ゆたかなる棉の原野にいまいくさ 原をゆきわたれる雁をふりあふぐ 星空のさむき夜明よ地《つち》に寝て 鵲《かち》なくや霜天いまだくらきより かきくもり雷鳴雹をたたきつけぬ 探照燈の光芒下むきに地の枯草 月たかく小さく叉銃して寝まる 夜の雷雨砲車に光りては消ゆる をのこわれいくさのにはの明治節 友をはふりなみだせし目に雁たかく 雁たかく空のひかりの中をゆく 空しろくくもりていくさ冬は来ぬ つち風のあらし地平より起る つち風のあらしもくもくと兵らゆく [#地から1字上げ]以上、河北 [#ここから2字下げ] 南京方面に転戦、揚子江岸に敵前上陸、雨と泥濘。江岸にあることしばし。 [#ここで字下げ終わり] かりがねのこゑとあふぎぬ雨空を かりひくく雨あしとざす江上を 雨さむく湖沼地帯のあしたゆく [#ここから2字下げ] 南京国道を急追す。 [#ここで字下げ終わり] 星さゆる遠き夜空を染む兵火 枯野ただ大き起伏をして果てず 城市遠く枯野の波のかなたかな 城壁にあれば冬日が野に落つる 家まれに枯野のうねり道のうねり 焼けあとの壁と冬木とのみの村 わが馬をうづむと兵ら枯野掘る 木枯が遠くの森をわたる音 稲の山にひそめるを刀でひき出だす [#ここから2字下げ] 常熟陥ち、無錫落ち、常州をぬく。 [#ここで字下げ終わり] 寒夜くらし喊声は壕をぬきたるか 凍る夜は馬より下りてあるくなり あるきつつ靴の底ひに足は凍つ 犬が鳴き寒夜まくらき部落ゆく 寒夜くらしたたかひすみていのちありぬ ねむれねばま夜の焚火をとりかこむ たま来ると夜半の焚火を靴で消す 凍る夜のらふそくを土間に兵ねまる 寒夜銃声ちかしと目覚め服を著る [#ここから2字下げ] 急追、いよいよ南京は近し、敵の防戦又いよいよ頑。 [#ここで字下げ終わり] 影ふかくかたきら捨てし壕凍てぬ 霜おきぬかさなり伏せる壕の屍に 酷寒の野をゆく軍旗縦隊つづき かつがれて濃霧のなかへ消えてゆく 胸射ぬかれし外套を衣《い》を剪りて脱がす 凍て土にほろほろと日のあたりそむ 枯草に友のながせし血しほこれ かかれゆく担架外套の肩章は大尉 あしたより霧雨さむくくらく降る [#ここから2字下げ] 南京はあと半里といふ。いくさますますはげし。 [#ここで字下げ終わり] 寒夜くらし暁けのいくさの時を待つ 地図をよむ外套をもて灯をかばひ 雪くろくよごれ砲兵陣地なり 観測は屋根の傾斜の雪に臥し 砲据うとかつかつ凍てし地を掘る 凍土揺れ射ちし砲身あとへすざる 凍土揺れ砲口敵を獲つつ急 凍て土に射ちし薬筒|抛《ほ》られ抛られ 北風すさびたまとび瓦ふるひ落つ 壁射たれ凍てたる土をこぼすなり [#地から1字上げ]以上、江蘇 [#ここから2字下げ] つひに南京陥つ。 [#ここで字下げ終わり] 寒風のつよければ振る旗おもし 昼くらく北風つよき日なりけり [#ここから2字下げ] しばらく南京城内にありて警備。 [#ここで字下げ終わり] 南京を屠りぬ年もあらたまる 福寿草掘るとて兵ら野をさがす 南京城内にして鳥の巣のかかる樹を [#ここから2字下げ] 宿舎。 [#ここで字下げ終わり] しづかなる空がまいにち枯木の上 [#ここから2字下げ] 小包つく。 [#ここで字下げ終わり] 防寒靴下妻あみしかとおもひてはく [#ここから2字下げ] 市内にて某国国旗をかかげほこる家あまた見たり。 [#ここで字下げ終わり] かの旗を靴もて春泥にふみにじらんか [#ここから2字下げ] 南京城外。 [#ここで字下げ終わり] たんぽぽやいま江南にいくさやむ やけあとに民のいとなみ芽麦伸ぶ [#ここから2字下げ] 宿舎にてある夜。 [#ここで字下げ終わり] 目をつむりはろばろ来ぬる枯野あり かの丘にこれの枯野に友ら死にき 彼をうめしただの枯野を忘るまじ [#ここから2字下げ] はげしきいくさなりし中山陵、明孝陵にある日遊ぶ。 [#ここで字下げ終わり] 朝濡るる落葉の径はひとり行かな 落葉ふかしけりけりゆきて心たのし さくらはやかたき小さき芽をもちぬ [#地から1字上げ]以上、南京 [#ここから2字下げ] ふたたび海をわたりて北支へ転戦。 [#ここで字下げ終わり] 流氷のかがやきのなかを航くしづか 氷の海むらさきはしり日のぼる 氷の原春はちかしと日を浴ぶる [#地から1字上げ]以上、船上 [#ここから2字下げ] 京漢線を南下す。 [#ここで字下げ終わり] 対陣の雪が野に降る壕に降る つちふるや一天くらく林鳴り つちふるや日輪たかく黄に変じ 雪に伏し掌あはすかたきにくしと見る 雪の上にけもののごとく屠りたり 水得んと涸れたる沼の底を掘る 酷寒とうゑとのかたきあはれまず 土色の冬ひしひしと野にきびし みいくさは酷寒の野をおほひ征く 凍る野に部落は土壁めぐらせる 酷寒が戦禍のすぎし焼けあとに 酷寒のたうべる草もなき土民 いくさゆゑうゑたるものら枯野ゆく 村を捨てこの酷寒をどこへゆきし 酷寒は家なきものらにも来たる おづおづと氷雨にぬれてかたまれる あはれ民凍てしいひさへ掌に受くる 民うゑぬ酷寒は野をおほひけり 酷寒はかたきを土匪となし果てぬ [#ここから2字下げ] 宣撫。 [#ここで字下げ終わり] 宣撫班酷寒の野をとらつく駆り 北風がときに宣撫の声をさらふ 酷寒とうゑとの貌があつまり聞く 食を乞ふかじかめる掌の指をひらき 食を乞ふ少年あばら骨さむく 宣撫ぽすたあに冬あたたかき顔をよせ [#ここから2字下げ] 黄河ほどちかき新郷県城警備。 [#ここで字下げ終わり] 凍る野に城門をあけ民ら迎ふ 雪に立ち治安維持会員と写真撮る 山ねむるかたきこもると指すは遠く ねむりたる谷にかたきは匪とこもる 地《つち》凍る漢民族の大き国土 赭土の断崖のもと凍る黄河 凍る断崖黄河文明起りし地 [#地から1字上げ]以上、河北 [#ここから2字下げ] 討伐。 [#ここで字下げ終わり] 進軍はつらなる嶺々の雪を越え 馬ゆかず雪はおもてをたたくなり 雪の上に焚くべきものもなく暮れぬ 足ふみをして暖をとるばかりなり 雪の上にうつぶす敵屍銅貨散り [#地から1字上げ]以上、山西 [#ここから2字下げ] 新郷にて警備。 [#ここで字下げ終わり] 春聯やいくさは遠く山に去り いくさややひまに氷を割りて釣る 日が永くなりしとおもふ丘の影 春なれや戎衣のよごれ目にはたつ 麦の芽や黄河は遠く目に消ゆる 野はたのし芽麦のみどりあはけれど おぼろめくしづかなしづかな枝の空 麦の芽とおぼろの暈をもつ月と おぼろめく月よ兵らに妻子あり 思ひあまたいくさする身のおぼろ夜は [#ここから2字下げ] ふたたび討伐に出づ、黄河北岸を掃討す。 [#ここで字下げ終わり] 匪ら棲むと李花咲く村をとりかこむ 李花咲いて平和な村のすがたなれど おぼろ夜のいくさのあとのしかばねよ 麦の芽をしとねと君がかばねおく おぼろ夜のはふり火に立つわれ隊長 おぼろ夜の頬をひきつらせ泣かじ男 [#地から1字上げ]以上、河北 [#ここから2字下げ] 徐州戦線に参加。 [#ここで字下げ終わり] むし暑く馬のにほひの貨車でゆく かをりやんの上ゆく貨車の屋根にも兵 大兵を送り来し貨車灼けてならぶ [#ここから2字下げ] 大部隊、こぞつて徐州へ南下。 [#ここで字下げ終わり] かげろふにうかび地平を縦隊が うれしまま戦禍の麦のくたるなり [#地から1字上げ]以上、山東 [#ここから2字下げ] 徐州いよいよ近し。 [#ここで字下げ終わり] 麦の穂にたふれしづみしが起きて駈く 向日葵畑ぷすとたま来て土けむり 地図の上に汗を落して命令聞く おほ君のみ楯と月によこたはる [#ここから2字下げ] 徐州の包囲成りしと聞く。 [#ここで字下げ終わり] けふもまた穂麦のなかに砲を据う 空は朝焼砲兵陣地射角そろひ 輜重らの汗砲弾の箱を割る もりもりと裸身砲弾をいだき運ぶ 砲車はをどり砲手は汗を地におとし [#ここから2字下げ] 九里山のかなたは徐州なり。 [#ここで字下げ終わり] 炎熱の山のとりでをよぢて攻む 炎熱のいただきたまが四方より来 すべる砲車を裸身ささふる汗を見よ 石ころとあか土と灼け弾痕焦げ 汗に饐えし千人針を彼捨てず 彼を負ひ彼の汗の手前に垂れ 汗は目に傷兵の銃と二つ負ひ 血を止めんと軍医は汗を地におとす 横たはり酷暑の血しほかわく胸 かをりやんの葉もて担架の顔を覆ふ 月落ちぬ傷兵いのち終りしとき [#ここから2字下げ] かくて徐州は陥ちぬ。その夜われら西進。 [#ここで字下げ終わり] 風あつくいくさのにはの夜を吹く [#地から1字上げ]以上、徐州 [#ここから2字下げ] 隴海線を西へ急追。 [#ここで字下げ終わり] かをりやんに大陸の雨そそぐなり 大陸の雨かをりやんの葉を流れ 戦場は沼のごとくに雨季に入る 雨季泥濘戦禍に追はれゆくものに 雨季泥濘砲車の車輪肩で繰る 雨季泥濘|埋《う》もる敵屍を車輪にかけ おくれつつかをりやんの中に下痢する兵 脚気患者雨季のいくさを敢てゆく たばこ欲りあまきもの欲り雨季ながし 雨さむし軍旗は覆とらず立つ さむく痛く腹をぬらして雨やまず [#ここから2字下げ] 帰徳陥ち、さらに西へ西へと敵を追ふ。 [#ここで字下げ終わり] 雨季のあと家畜をたふす酷熱来 酷熱のおのが砂塵のなかをゆく ぎじぎじと熱砂は口をねばらする かをりやんの影濃ゆしその土ひび割れ 水なければ行きつつかをりやんの葉を噛みぬ 胸に掌に歩兵はあごの汗おとす 汗の目はかがやき黄塵の頬はとがり 目にはひる汗はこぶしでぬぐふのみ われ暑ければかたきも暑し暑にはまけじ [#ここから2字下げ] 尉氏をおとし、京漢線を目前にす。黄河の堤防敵によつて断たる。 [#ここで字下げ終わり] かをりやんの中を黄河の水奔り 氾濫の黄河の民の粟しづむ 空は旱氾濫の黄河野をひかず 氾濫のともしき穂麦干して食ふ [#ここから2字下げ] 隴海線の内黄城にて警備。内黄の城壁は土なり。 [#ここで字下げ終わり] かをりやんがたかくて歩哨さまたぐる 城外の四囲のかをりやんを刈らしむる 夜も暑くねられずと壁に穴あくる 土の家なればむしあつくさそり棲む [#ここから2字下げ] 三ケ月ぶりで郵便の授受をなすを得なり。 [#ここで字下げ終わり] 暑にも耐へよ君は不死身と師より給ふ 夏に弱き妻なりき妻への手紙に書く 酷熱にまけぬわれなりき無事と書く 暑しと書きたつきはくるしからずやと書く [#ここから2字下げ] 城外。 [#ここで字下げ終わり] 疫病は雨季の汚物とともに来ぬ 日々死にて土民コレラを知らず怖づ コレラ怖ぢ土民コレラの汚物と住む 野に捨てしコレラにからす群れ駆くる 城門の出で入り厳にコレラ入れじと 月の巡邏ま夜の魍魎地にあふれ たたくわれに月の大扉はひたと閉づ てつかぶと月にひかると歩哨に言ふ 匪襲あり月が地平に落ちしとき [#ここから2字下げ] 討伐。敗残兵多し。 [#ここで字下げ終わり] かをりやんの高ければ村を匪をかくす 討伐はかをりやんのなかをわけてゆく かをりやんの中ゆく銃に日の丸を かをりやんの中よりわれをねらひしたま かをりやんの中よりひかれ来し漢 てむかひしゆゑ炎天に撲《う》ちたふされ 汗と泥にまみれ敵意の目を伏せず 月あかるければ歩哨にさとられな 月は空より修羅のいくさをひるのごと [#地から1字上げ]以上、河南 [#ここから2字下げ] 入院。 [#ここで字下げ終わり] 秋の日は病衣にあはしとぞおもふ ゆふやけのさめつつおもひはろかなる 月に佇つ白き病衣の肩ほそく [#ここから2字下げ] ある戦友。 [#ここで字下げ終わり] 秋白く足切断とわらへりき [#ここから2字下げ] 戦地より、あすは内地へ送らるるなり。 [#ここで字下げ終わり] 明日は発つこころ落葉を手に拾ふ [#地から1字上げ]以上、山東 病院船酷熱看護婦らめまひ 夜は暑く看護婦をよぶ声あちこち [#地から1字上げ]以上、船上 底本:「現代俳句大系 第三巻」角川書店    1972(昭和47)年8月30日再版発行 底本の親本:「砲車」三省堂    1939(昭和14)年4月10日発行 ※高浜虚子による序文及び素逝による後記は省略した。 入力:小川春休 2009年7月17日公開