花影 原石鼎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鹿垣《しゝがき》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)門|鎖《とざ》し [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「巾+廚」、第4水準2-12-1] ------------------------------------------------------- [#ここから2字下げ] 深吉野篇 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] ―自大正元年秋至同二年秋― [#ここで字下げ終わり] 頂上や殊に野菊の吹かれ居り 空山へ板一枚を荻の橋 鹿垣《しゝがき》の門|鎖《とざ》し居る男かな 山川に高浪も見し野分かな 山の日に荻にしまりぬ便所の戸 鉞《まさかり》に裂く木ねばしや鵙の声 山人の眼に月明のかるもかな 猪《ゐのしゝ》の足跡のぞく猟師かな なつかしや山人の目に鯨売 山畑に月すさまじくなりにけり 蜂の巣を燃やす夜のあり谷向ひ 樵人《そまびと》に夕日なほある芒かな 川烏の喧嘩いつ果つ巌寒し こし雪の山見て障子しめにけり 月の堂《ど》鳩《ばと》禰宜を怖るゝ冬木影 鹿下りる橋と定まりぬ今朝の霜 日のさせば巌に猿|集《よ》る師走かな 巌によれば山のつめたき小春かな 追儺《おにやら》ふときにも見えし嶺の星 爆竹や瀬々を流るゝ山の影 谷底を一つ歩けり石たゝき 西窓に冬田見て二階掃きにけり かなしさはひともしごろの雪山家 山国の闇恐ろしき追儺かな 山をさの冬木ゆゝしく積まれけり 冬山やあけくれ通ふ背戸の納屋 山荻の日に出て埃叩きけり 山かげや水鳥もなき淵の色 杣が往来《ゆきゝ》映りし池も氷りけり 朴の木に低くとまりぬ青鷹《もろがへり》 銃口《つつぐち》や猪《しゝ》一茎の草による 山寺の冬夜けうとし火吹竹 [#ここから4字下げ] 山居片時、変現極まりなし [#ここで字下げ終わり] 月に侘び霰にかこつとぼそかな 雪峰の月は霰を落しけり 切株に虚空さまよふ枯尾花 猪《しゝ》食つて山便りせん鎌倉へ かゝる夜の雨に春立つ谷明り 堰とめて筏ひたせり枸杞の雨 若柴に山背風《やまぜ》吹きちる日となりぬ 谷杉の紺折り畳む霞かな 月うらとなる山越や露時雨 日南ありて山番作る南瓜かな 橋に来て谷の深さや月の虫 桑干すに借りる御堂や山家妻 風呂の戸にせまりて谷の朧かな 天そゝる嶺々《ねね》夜雨もてる蛙かな 花会式かへりは国栖《くず》に宿らんか やまの娘《こ》に見られし二日灸かな 囀や杣衆が物の置所 高々と蝶こゆる谷の深さかな 花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 花の戸やひそかに山の月を領す 石楠花に馬酔木に蜂のつく日かな やま人と蜂戦へるけなげかな 虎杖に蜘蛛の網《い》に日の静かなる 腰もとに斧《よき》照る杣の午睡かな [#ここから4字下げ] 深吉野の山人は粥をすゝりて活く [#ここで字下げ終わり] 粥すゝる杣が胃の腑や夜の秋 杉の葉をふすべて厨《ちゆう》に蕨あり 春の夜をうつけしものに火消壺 山国の暗すさまじや猫の恋 杣が戸の日に影|明《あか》き木の芽かな 杣が蒔きし種な損ねそ月の風 [#ここから4字下げ] 兄故郷へ帰り、我一人山に残る [#ここで字下げ終わり] 涙目に見ありく背戸や蕗の薹 黄梅や白雲杉にこぞる迫《さこ》 筏師に村あればある桃桜 蝶蜂に牡丹まばゆき山家かな 星天に干しつるゝ衣や杣が夏 或夜月にげん/\見たる山田かな しだかれし蜂土塊をかなしめり 或時の燕ひまなし淵の面 [#ここから4字下げ] 山中松山といふ所あり、その近くにて一句 [#ここで字下げ終わり] 春雨や山里ながら広き道 山の娘《こ》の風邪にこもれる蚊帳かな 山門の日に老鶯のこだまかな 杣が※[#「巾+廚」、第4水準2-12-1]の紐にな恋ひそ物の蔓 奥山に売られて古りし蚊帳かな 瀬をあらび堰《せき》に遊べる螢かな 苔の香や午睡むさぼる杣が眉 山冷えにまた麦粉召す御僧かな 黒栄に水汲み入るゝ戸口かな 真清水の杓の寄附まで山長者 雪にやけ日によごれ榾の夫婦かな よき河鹿痩せていよ/\高音かな 山の香の庵おそひ来る夕立かな 遇ふ人ごとみな旅人や梅雨入《ついり》山《やま》 短夜や梁にかたむく山の月 [#ここから4字下げ] 山居独房 [#ここで字下げ終わり] 燈置けば百合本箱に映りけり 山風の蚊帳吹きあぐるあはれさよ 山風に闇な奪《と》られそ灯取虫 馬盥の底|穿《あ》くばかり山の月 行く涼し谷の向の人も行く 老杣のあぐらにくらき蚊遣かな 山家人したゝかくべる蚊遣かな 崖錆にいたみし軒の蚊遣かな 朝日影横這ふ朴や深山蝉 蚊帳つりてさみしき杣が竈かな この山を夜すがらまもり雨螢《あまぼたる》 向日葵や腹減れば炊くひとり者 山墓や燈籠ひくゝ賑かに ひきかけて大鋸《おが》そのまゝや午寝衆 五月雨や筏つなぎし槻の幹 杣が頬に触るゝ真葛や雲の峰 蛇踏みし心いつまで青芒 檜笠着て頬の若さや山家妻 夜々あやし葎の月にあそぶ我は 藍干すに仮りの檜笠や山家妻 深山田に雲なつかしや早苗時 初夏や蝶に眼やれば近き山 山の色釣り上げし鮎に動くかな 夜振の火見て居る谷の草間かな 提灯を螢が襲ふ谷を来《きた》り 月さすや谷をさまよふ螢どち あはれさは鹿火屋に月を守《も》ることか 山風を怖るゝ※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]や葛の秋 蜩や今日もをはらぬ山仕事 秋天に聳ゆる峰の近さかな 深吉野に一とせすぎぬ秋の暮 秋とこそ山廬ゆさぶる夜半の風 杣が子の摘みあつめゐる曼珠沙華 秋晴やそこばくの銭《かね》に山稼 馬の鼻芒は食はで行きにけり をかしさはがらんと鳴りし猪威し 鉄砲を掛けて鴨居や杣が秋 [#ここから4字下げ] 山居 [#ここで字下げ終わり] 生節《なまぶし》をまたことづかる郵便夫 釜敷に飯のこぼれや今朝の秋 仲秋や土間に掛けたる山刀 寺の扉《と》の谷に響くや今朝の秋 穂黍まだ青きに早も山の霧 月見るや山冷到る僧の前 月さすや伐木乱雑に山の窪 母屋寝し納屋の大屋根や山の月 葛掘りし家のほとりや山の月 秋風や猿柿に来る山鴉 秋風や森に出合ひし杣が顔 山国のもの/\しさよ猪威し あさましく山にぞ明けし鹿火屋かな 淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守 鬚剃りて秋あかるさよ杣が顔 秋の日や猫渡り居る谷の橋 秬《きび》引きし谷の広さや月の虫 峰越《をごし》衆《しゆ》に火貸すなかばも打つ砧 蔓踏んで一山の露動きけり 諸道具や冬めく杣が土間の壁 [#改ページ] [#ここから2字下げ] 海岸篇 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] ―自大正二年秋至大正四年春― [#ここで字下げ終わり] [#ここから4字下げ] 山廬を払ひ、旅中博多港にて三句 [#ここで字下げ終わり] 船と船つなげる綱に野分かな 親船の艀そなへし野分かな 筑紫路はあれちのぎくに野分かな 秋雨や蜘蛛とぢて臥す枯れ葎 蘆の中雁色もなく日かげりぬ あら波や或は低き雁の列 [#ここから4字下げ] 放浪の身はまた深吉野を立出でゝ郷里出雲に仮の宿りを定む [#ここで字下げ終わり] 船で着く行李待つ我れに秋日かな 巌ひろ/″\根釣に飽きし兄の顔 島がくる帆に色強し小春灘 鰤網を干すに眼こはし浜烏 初鰤にこの灘町の人気かな 春雷や杵築の人の気のたかき [#ここから4字下げ] 大社 [#ここで字下げ終わり] 節分の高張立ちぬ大鳥居 炭部屋の中から見えし枯野かな 病める母の障子の外の枯野かな 浜風になぐれて高き蝶々かな 浜草に踏めば踏まるゝ雀の子 磯鷲はかならず巌にとまりけり 短日の磯を汚しゝ烏賊の墨 春風や吹かれこぼるゝ巌の砂 春風に捨てゝもどらん魚の腸《わた》 行春の浦に烏のこだまかな 磐石をぬく燈台や夏近し 梅雨暮るゝ潮《うしほ》の底の藻のうごき [#ここから4字下げ] 感あり [#ここで字下げ終わり] 蛙ともならまし悔や草朧 [#ここから4字下げ] 苦吟 [#ここで字下げ終わり] そゞろ出て日永に顔をさらしけり [#ここから4字下げ] 独身 二句 [#ここで字下げ終わり] 日永さに春菊摘まんなど思ふ 妻あらば衣もぞ掛けん壁おぼろ 花烏賊の腹ぬくためや女の手 この曲浦《うらわ》百家一長の幟かな 燈台の光さすとき海涼し 灯し置きて磯に涼めば宿恋し 涼しさに堪へて人あり磯しぶき 水打つて四神に畏る足の跡 命かけて壁虎《やもり》殺しゝ宿婦かな 心地よき腹の痛みや暑気くだし [#ここから4字下げ] 父母のあたゝかきふところにさへ入ることをせぬ放浪の子は、伯州米子に去つて仮の宿りをなす [#ここで字下げ終わり] 秋風や模様のちがふ皿二つ けさ秋の一帆《いつぱん》生みぬ中の海 松風にふやけてはやし走馬燈 干物の裾に影飛べり草の花 野分やむで人声生きぬこゝかしこ 野分あとの腹あたゝめむぬかご汁 [#ここから4字下げ] 瞑目して時に感あり [#ここで字下げ終わり] 秋風に殺すと来る人もがな 己《わ》が庵に火かけて見むや秋の風 見るうちに高まさる浪や秋の海 巨濤砕けてのこる水泡《みなわ》や初嵐 味噌汁に根深もすこし浮く秋ぞ 夕雁わたる磯好くことに懐ろ手 月明き障子の遠し秋の※[#「巾+廚」、第4水準2-12-1] 鰯引き見て居るわれや影法師 鰯網船かたむけて敷き競《あ》へり 廃れ行く港の檐や雨の雁 磯ばたに日こぼす雨や雁の声 蓼嗅いて犬いつ失せし水辺かな 眼前に人出て暑し浜の町 日かげりて帆消えし海や鷲翔る 汐木拾へば磯べに冬日したゝれり 冬の海に雲やけ見ゆれ懐しき 雪解や西日かゞやく港口 [#ここから4字下げ] 車中 [#ここで字下げ終わり] 凩や提灯もちて田舎人 凩や列車降りなば妓《ぎ》買はむ 犬呼ぶに口笛かすれ小春山 煤掃や日の当りたる庭の松 橋に出て屏風掃きけり煤払ひ 揚げ船の濡れひかり居る小春かな あさましく柚子落ちてあり冬の雨 [#ここから4字下げ] 放浪年久しく [#ここで字下げ終わり] おもひ見るや我屍にふるみぞれ 蝶々や真午来て飛ぶ裏戸口 藻に浮きて背筋光れる蛙かな 朧さは大社の松に鳴く蛙 [#ここから4字下げ] 父母の懐ろを再び出でゝ上京す [#ここで字下げ終わり] 接木してこち向かぬ父あはれかな 鶯やわかれをつぐる奥納戸 [#ここから4字下げ] 今市俳句会にて留別 一句 [#ここで字下げ終わり] 故郷去るや眼に一瞥す紙鳶 [#改ページ] [#ここから2字下げ] 都会篇(一) [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 牛込・麹町時代 ―自大正四年春至大正八年秋― [#ここで字下げ終わり] [#ここから4字下げ] 郷里を出でゝ始めて鎌倉に着く。駅前に藁葺家の飯屋あり [#ここで字下げ終わり] 鎌倉の飯屋に食ひし田螺かな [#ここから4字下げ] 府下柏木、零余子舎 一句 [#ここで字下げ終わり] あるじよりかな女が見たし濃山吹 [#ここから4字下げ] 句会ある毎に、思ひ出、其他句帖に記しつくること多し、以下 [#ここで字下げ終わり] 梅干すやおどろの髪に白手拭 石《こく》の梅漬けて日くれぬ四囲の山 炎帝の下《もと》さはやかに蛭泳ぐ 母すでに昼寝さめたる流しもと 麦埃掃きて灯すや家広し [#ここから4字下げ] 起居 二句 [#ここで字下げ終わり] 衣更へし腰のほとりや袴はく 衣更へて一つとなりし行李かな [#ここから4字下げ] 余の上京間もなく兜羅夭死の報に遇ふ 一句 [#ここで字下げ終わり] 魂|蘇《かへ》れ花橘に時鳥 しろ/″\と古き浴衣やひとり者 池にまだ朝日さゝぬや蚊帳はづす 南風にほや焦したる鮓の宿 花合歓に四山曇るや鮓|熟《な》るゝ 緋目高のつゞいてゐるよ蓮の茎 眼のあたり怒濤相うつ日覆かな 簀日除を人馬潜らせ茶店かな [#ここから4字下げ] ホトヽギス千葉吟行、百穂、青峰、余の三人先発して宿を八幡ホテルに定め、後一行を町外れに迎ふ。七句 [#ここで字下げ終わり] 傘一つに寄る三人や秋の雨 秋雨に豪酒の酌婦見たりけり [#ここから4字下げ] 山崎青雨君、悪酔の余を看護すること慈母の如し [#ここで字下げ終わり] 秋雨や相抱き寝る男どち [#ここから4字下げ] 朝の眺め [#ここで字下げ終わり] 秋風に得体も知れぬこの干潟 われもきてよりかゝる窓や秋の海 藻青さに蟹居る秋の干潟かな 芭蕉高し雁列に日のありどころ 唐草の薄き蒲団や秋を病む 女房もなくて身を古る音頭取 杣が戸に霧降りかゝる野菊かな 崖草に鵙しがみつく尾羽根かな この秋や巷に住みて座敷掃く 蜻蛉に垢じみし己《わ》れと忘れ行く 秋風にわれと見出でし己れかな [#ここから4字下げ] 暫く愛姪と同居す [#ここで字下げ終わり] 物縫へる汝《な》とも忘れし夜長かな [#ここから4字下げ] 八戸高女へ赴任する姪を上野駅に見送りて [#ここで字下げ終わり] 秋風や北国《きた》に行く汝が小風呂敷 [#ここから4字下げ] 高商俳句会高尾吟行 浅川駅にて [#ここで字下げ終わり] 秋風や屋根一面にもゆる苔 [#ここから4字下げ] 高雄山にて 一句 [#ここで字下げ終わり] 鳥獣見よと野糞す秋の山 提灯に浪おそろしや浦千鳥 元日や軒深々と草の庵 時雨るゝや松にこぞれる浜烏 松林にまた朋《とも》追へり寒鴉 鞠のごとく狸おちけり射とめたる 山宿へことづかりたる狸かな 山茶花の落花とをどる霰かな 月の雪松をこぼるゝ千鳥かな たそがれて馬おとなしや稲を積む 落葉掃いて土に見出でし小草かな [#ここから4字下げ] ホトトギスにて売れる「小鼓」といふ酒の集金に [#ここで字下げ終わり] 街かげにわれも掛乞の一人なる [#ここから4字下げ] 大洗魚来庵にて 一句 [#ここで字下げ終わり] 春暁や大いなる鮫獲れしとふ 王鶯と廊下にかけて附音かな 袷着てほのかに恋し古人の句 梅雨の街に塵紙買うて戻りけり 老木に紅さす楓若葉かな 午寝人腰ほそ/″\と一重帯 [#ここから4字下げ] 甲州吟行、富士川下り 三句 [#ここで字下げ終わり] 鶺鴒を追ふ烏あり春の雪 何万の引鴨と舸夫の言ひあひぬ 旭に飛べる鴛鴦見たり甲斐の春 ほの/″\と曙色《あかね》ながらや春の雪 月夜かと薄雪見しや夜半の春 谷深く烏の如き蝶見たり 独活昃りて俄かにさむし谷のさま 稚児達に昼風呂わきぬ花の寺 蝶高く落ち来て草に分れけり 大風の日の朝顔に七面鳥 踞して友の額《ぬか》に微光や虫を聞く ほそ/″\とまた二ところ庵の虫 腰かけて框に人や茶屋夜長 首のべて日を見る雁や蘆の中 秋晴やあるかなきかに住める杣 けふの日の茸山はあり月の暈 菊剪るや燭燦爛と人にあり 日にとくる霜の白さや枯芒 花桐に二階の人の午寝かな 病葉や学問に古る白浴衣 秋風やこゝろに一つ冷えしもの 蜻蛉や隔心の門出て一人 [#ここから4字下げ] 水巴氏宅に泊る 一句 [#ここで字下げ終わり] 腹鳴りをきかれてさびし蚊帳の中 [#ここから4字下げ] 昨、山陰の海に親みし身の、今、東海の浪にさまよふ [#ここで字下げ終わり] 夜見が浜も由井が浜も同じ蜻蛉かな とんぼうの薄羽ならしゝ虚空かな 五月雨や水にうつれる草の裏 蓬髪の人過ぎゆきし花野かな 山茶花の葉滑る花や霜の上 貝屑に※[#「虫+車」、第3水準1-91-55]なきぬ月の海 [#ここから4字下げ] 高商南琴吟社水郷行 一句 [#ここで字下げ終わり] 船底に寝れば陸《くが》なし利根の冬 霜の大木《おほき》に映る竈火や初鴉 梅の闇千鳥遠まさり近まさり 白梅に情またこはし小夜千鳥 茶屋の燈の客は里人や橋夜長 大空に一鶴白し鷹はやる 菊に峰巒大霧に月のありどころ 冬山に一軒ありし鶏店かな 病雁幾夜落ちて荒れ居る湖上かな 磯巌にまた日かげりぬ冬の雁 土冷えを這うて跳ねたる螽かな 囀や鵄尾《しび》を抱きて枯るゝ杉 落椿に根のごと生えて蝌蚪うごく 暁の大地鎮めて木の芽かな 春猫の草より塀へ上りけり 森を出て妙《たへ》にも白し春の月 遅月《おそづき》のほの/″\として桜かな 青天に藤かけて巌や峰はどこ 葉の奥を落ちし花あり崖椿 青天の蔓にわかれし蝶々かな 蝶鳥に八重褪せそめし椿かな 藪かげにぬるゝ井桁や春の雨 曇日《どんじつ》に木瓜震はせて蜂這へり 木瓜を落ちて震へる蜂の細羽かな うろを出し金魚にひろし月の池 清水吸うて歯白く嶮《けん》を笑ひけり 清水飲んで頬つたふを雫拭かで立つ 日の石垣に蛇水曳いて上り終せぬ 切株に鶯とまる二月かな 萩の燈の一つ消えたるところかな 柿の蔕猿の白歯をこぼれけり 鶲来て色つくりたる枯木かな 鶲とんで色ひゞき逃げし枯木かな 暮るゝものに雪片くらくとまりけり 大鯉の押し泳ぎけり梅雨の水 草を出し雷蝶の恐ろしゝ 梅雨凝つて四山暗さや軒雫 梅天や生死《しやうじ》もわかず苫かゝる 門前の土に薔薇散りしとばかりの記憶にて 野の起隆に月出てかなし夏の草 濤声に簀戸《すど》堪へてあり鮓の桶 懐に蚊取線香や夜店見る 竈冷えて蠅爽かに遊びけり 頂上の道二すぢや秋の山 朝顔の裂けてゆゝしや濃紫 草へ出て鹿かげの如し風の月 蟷螂青く燈に来てやすき野分かな 草の井に釣瓶あか/\と秋の風 瑠璃鳥の瑠璃隠れたる紅葉かな 菊剪るや花花に沈みて離れぬ 蒼天に髻とけし相撲かな 蟷螂の子皆一色や秋の風 鹿二つ立ちて淡しや月の丘 絣着ていつまで老いん破芭蕉 秋燕の目に恐ろしき曼珠沙華 [#ここから4字下げ] 伯母も母も健なりし [#ここで字下げ終わり] 布団綴るや老いし腕をさし伸べて [#ここから4字下げ] 鞨鞭君大阪に転任す 二句 [#ここで字下げ終わり] 浪華江の寒さ見て来よまた帰れよ 燈の街のぼんてん君にさむからじ 百姓の頸くぼ深し大根引 二月の籠鶯の緋総かな 昼ながら月かゝりゐる焼野かな 金屏に灯さぬ間あり猫の恋 銭湯を出し人に立つ春の鹿 峰巒に月出てやみし落花かな 短日の梢微塵にくれにけり いつのまに塒《とま》りし※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]や夕枯木 冬嶺の頂|潰《く》えて翠《すゐ》濃さよ 大霜や壁に乾ける馬の沓 山の襞争ひ落つる枯木かな 斧さましあへず霰大空よりす 白鷺《はくろ》動かねば寒鴉《かんあ》汀を遠く歩む 椿掃きし瞳《め》に蕊の輪や弥生尽 落椿の尻少しあせし紅さかな 落椿を飛ぶ時長き蛙かな 欠《あくび》とぢて唇《くち》一線や春日猫 土と掃かれて木賊あはれや春日影 梅に来し繍眼児椿をのぼりをり 春鹿の眉あるごとく人を見し [#ここから4字下げ] 妻を迎ふ 一句 [#ここで字下げ終わり] われのほかの涙目殖えぬ庵の秋 露如何に流れ終りし竹の幹 襖絵の鴉夜長を躍り居る 鵜仕舞うて燈《ともし》消す時秋を見たり 障子洗うて池のほとりを汚しけり 元日の空青々と淋しけれ 元日の机によりて眠りけり 撃たれ落つ鳥美しや山枯木 水輪たつるどの蛙鳴くおぼろかな 尻の火に横筋もゆる螢かな 牛のせな僅かに見えぬ青芒 霍乱のさめたる父や蚊帳の中 蠅打つて眼にたれて白き老の眉 桑籠に子来てうれしや椹《みくは》畑 世は地獄よしはらすゞめほとゝぎす 道へ出て浴衣白さやほとゝぎす いつの間に壁に向きゐし午寝かな でゝ虫の腸《はらわた》さむき月夜かな 壁の蓑に梅の翠来て蝸牛 [#ここから4字下げ] 思ふこと多し [#ここで字下げ終わり] 見つめ居れば明るうなりぬ蝸牛 迅雷やおそろしきまで草静か 春雷や草に沈める松落葉 熾んなる日の筍に※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]つるむ 蟻土に今碧天を烏とぶ 一つ樹の一つところに雨がへる 庵のものに尺八《たけ》一管やわかれ蚊帳 閑かさや蜻蛉とまる火消壺 蠅とつてとんぼう背を丸うしぬ 新涼や火の穂透き見ゆ岐阜提灯 秋晴の滝玲瓏と落ちにけり 三日月に柿の梢の醜葉かな 春宵の灰をならして寝たりけり 下萌や籠鳥吊れば籠の影 二月や峰争うて雲の下 日を恋うて已《すで》に星ある霞かな 山住は日ぐれかなしき蕨かな 春暁や心《しん》をつゝみて松細葉 迅雷や天《あま》つる蔓に色もなし 春の蚤うすべり這うてかくれけり 足投げ出せば足我前や春の海 蛤の二つに割れて白いかな 儂が壁に誰ぞかく椹《みくは》すりつけし ゆづり葉に一線の朱や雲の峰 頤《い》に雫し泳ぎ冷えし子上りけり 汚れたる手拭もちて泳ぎかな 磐石に垂れて小さき簾かな 白燼の大塊うごく炭火かな 草花に或日霧降る都かな 雲二つに割れてまた集るそゞろ寒 清流に黒蜻蛉《きやんま》の羽や神尊と 高き鵙霧を怖れて落ちぬなり 日の鵙や霧の高木に尾垂れたる 秋風や燭とつて僧また廊へ 露草に黒蜻蛉《きやんま》翅開く時を見ぬ 日を怖れて得たる黒蜻蛉《きやんま》の紫金かや 我が心雲の心とそゞろ寒 虫なくやほのかに明き夜の雲 時雨るゝや蒲団の人の動きし如し 寒天へ掃き出す埃に歓喜あり 短日や或時ふとき我心 暮雪さびし道をそれ居る足跡も 大雪にほめき出る月ありにけり 廂より高き堤や十二月 臘月や檻の狐の細り面 水鳥の今日一日なき冬曇 下萌や※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]追ふ人の躍る如し 洋傘の影落ちやまず行く花野 鵜ならんか雲渡る時首長く 短日の大地にあげて※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]冠の朱 数の子や戸棚あくればすぐ見えし お篝を杉にあなどり初鴉 短日やいつまで澄みてくるゝ空 鴛鴦浮くや雌やゝに雄に隠れがち 竈火のどろ/\燃えて初御空 初空を映す磧や細り水 火鉢抱いて瞳落とすところ只畳 木《こ》のもとに草青々と暮雪かな 蒲団敷く尻当りたる襖かな 一霰こぼして青し松の空 鬚剃りてふだん羽織や年忘 年々や風よけの外《と》の葱畑 電車降りしはわれひとりなり冬曇 蝶の影二つとなりし土筆かな 雨の若葉にうつら移りす鹿の脚 足場行き交ふ足のみ見ゆる若葉かな 門の花静かに白し花曇 這ひ上り蛙眼まろし夕汀 葉と落ちて紫金まどかや金亀子 うす/\と幾つもあげぬ石鹸玉 春の※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]孟宗藪のかなたより 簾巻くや風鈴星をしたひ鳴る 白緑の茎さめ/″\と芥子もゆる 虫の音にやみの輪いくつ秋の雨 草花にあはれ日のさす出水かな 戸の口にすりつぱ赤し雁の秋 髪に浮く雪片一つ夜の煖炉 コスモスに蛙とぶ見て秋淋し 色鳥に乾きてかろし松ふぐり 月を仰いで霧頬にあたる思ひかな 月の面消えんばかりに霧迅し 青天に飼はれて淋し木兎の耳 梟淋し人の如くに瞑《つぶ》る時 日の輪かなしたかぶり怒るづくの羽に 松籟に日はかくれたる落葉かな ひら/\と金箔はげて大熊手 猿曳の肩にまたゝく猿なりし 猿廻し去る時雪の戸口かな 春昼の僧形杉にかくれけり 見ひらけば豁然と物や秋の風 肩へはねて襟巻の端《はし》日に長し 襟巻に一片浮ける朱唇かな 藻を秘めて浪騒がしや雪夕 春猫の暮雪に逢うて失せにけり 敷石をわたりて失せぬうかれ猫 星星をよぶかに猫の恋はげし [#改ページ] [#ここから2字下げ] 都会篇(二) [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 龍土町時代 ―自大正八年秋至昭和二年初夏― [#ここで字下げ終わり] うれしさの狐手を出せ曇り花 のどをかく肢《あし》のはやさや二月猫 春もはやうこん桜に風雨かな 掌に掬へば色なき水や夏の海 獅子の顔に暗き影あり雲の峰 檻の獅子歩き廻りぬ夕立風 口臙脂のたまむし色に桜んぼ 紅もゆる団扇の紐や天瓜粉 仏花すてゝまさご尊し梅雨明り 芭蕉一葉に銀蠅のつて梅雨入かな 梅雨曇る心の底にひびくもの 老毛虫の銀毛高くそよぎけり 鯉の眼に朱の輪黄の輪や幟店 一つ来て三つになりぬ水馬 初夏の瞳海《どうかい》を飛ぶ蝶一つ 麦の穂にわが少年の耳赤し 炎天や白扇ひらき縁に人 行水の老尼はなげく二日月 稗草の穂に蜻蛉や霧の中 夕さればしづまる風や秋日影 とび石を踏みも外さず月夜人 出水川かな/\鳴いて日当りぬ 石二つ相よる如し秋のくれ 神は皆べに葉によりぬ秋の暮 菊剪るや提灯もすこしあげよといふ 柿食ふや俳諧我に敵多し 雨にぬれ日にあたゝみて熟柿かな 老鹿に僧つきつけし拳かな 老鹿の毛のふさ/\とちりもなし 楼門の扉に老鹿は美しき 鶴冠にもえつく日あり秋の晴 満月をあげて晩秋《おそあき》くれにけり 晩秋の雲|七色《なないろ》にくれにけり 鹿にそふ神|消《け》もあへず落葉風 月の面の穢《ゑ》の鮮かに落葉かな 時雨るゝや空の青さをとぶ鴉 太陽に黒点出来し蕪かな 踝《くるぶし》高く爪の厚さや焚火翁 炭ひくや薄日の中に切れてゆく 切口へ日あたる炭や切り落とす [#ここから4字下げ] 浪華江のさるお寺にて [#ここで字下げ終わり] 寺の子に鴨の羽ほしき霜夜かな 朴の月霜夜ごころにくもりけり うたれ雉子を灯によせて見る霜夜かな 水鳥やマントの中のふところ手 [#ここから4字下げ] 句会席上吟 [#ここで字下げ終わり] 寒月やわれ白面の反逆者 雪雫五色はなつて落つもあり 天《あま》つ日と我とまつはる枯野かな 佝僂に遇ひし心をかしみ枯野の日 氷上や雲茜して暮れまどふ 氷上やわが口笛の哀しくて 日の子われ日の下《もと》にして玉霰 山霊のむさゝびなげて春の月 昼摘みし芽の木は見えず春の月 春の月銀杏にそうてかくれがち 紅梅の花のすくなに恋ごゝろ 綿蔽うてあるに雛の口笑まし この朧海やまへだつおもひかな 囀やあはれなるほど喉ふくれ 囀や一羽のために揺るゝ桑 近き星を明るう照らし春の月 映《うつ》る日に王者の心水は春 春雷やどこかの遠《をち》に啼く雲雀 春暁や次第にたかくなく雀 ひとよさの梅雨ざめごゝろほとゝぎす くれの鐘撞くだけついて毛虫寺 梅天や筍竹にならんとす 南風や棟に見えつゝ沈む雲 葉の雫風におくれて蝸牛 小松山越ゆる火の穂に蛾のこゝろ 昼寝僧の肩に沈み裾へ浮く蚊かな 籠《こ》の螢みなあるきでし嵐かな 二つの燈明さちがふに蛾の心 [#ここから4字下げ] 日比谷にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 人去つて猿|臀《しり》を掻く夕立雲 夕立めく空見つ猿奴またゝきつ 人間に日はゆふべなる裸かな 蝉の背の紺青にして檻の風 蜥蜴青し氷片べつと吐いて掌《て》に 畑物に大地さびしや雲の峰 炎天や梅干食うて尼が唇 沼神の老いやさらぼひ菱の花 流れ来るものに波紋や五月川 西瓜食む鴉に爪と嘴とあり 滝をのぞく背をはなれゐる命かな 新涼や削りし土と苔を箕に 僧二人ともに酔ひ居る蓮かな 夕べ打つて日に染む水やもつたいな 割られたりはじめてうごく大西瓜 ひる寝ふかく蠅の翼をゆめみたり 夜の雲のみづ/\しさや雷のあと 昼月に眼の輪の数やめじろ押 眼の輪張つてすぐに逃げたるめじろかな 嘴深く熟柿吸うたる眼白かな 水ぎはを松火《まつ》焦がしゆく出水かな 蟷螂の横に倒れて死にゐたり 撞木はじいて鐘ばんじやくや暮の秋 笑まんとすまゝに眠りぬ夜半の春 こゝの巌みな横襞や谷紅葉 山里やところかへつゝ高音鵙 霧かんで猛りし鵙や口赤し 日に深く工夫寝てゐし芒かな うがひして谷あがる杣や夕芒 刈れば根に水ふくみゐし薄かな 木兎なくや月の大路に轍あと 山茶花の花よれ/\の小春かな 木枯に日はありながら庵の木々 北方に北斗つらねし焚火かな 聯り燃えし草鞋のひげや焚火|熱《あ》つ 焚火つよしつちをへだてゝもゆる物 夜焚火に焔落して神は嶺《ね》に 千鳥仰ぐ眉あはれしる焚火かな さゝ啼のとぶ金色や夕日笹 田のへりの水に蜂鳴く小春かな 門松のやゝかたむくを直し入る 大年の日のさしてゐる小草かな 厨より水捨つる女《め》や除夜の鐘 大雲も小雲もあゆむ年のくれ 大いなる月よごれ居る除夜の鐘 氷上のものこま/″\と暮れにけり 残雪やほろ/\とんで田面鳥 老い雛の白髪もありぬ雛くづに 家建ちて星新しき弥生かな 菜の花の弁に光やうす霞 麦の芽や指さし値ぶむ桶の鯉 障子内に梳く黒髪や落葉雨 蛙子の風ある方へ泳ぎけり 残雪や紅き実による日ぐれ鳥 杣が瞳にくれてしまひぬ蕗の薹 春暁の一枝に来し日影かな [#ここから4字下げ] 那須にて 五句 [#ここで字下げ終わり] 鶯や高原かけて日が当る おそろしや芽近き木々としりしとき 過ぎしもの蝶かあらぬかおそろしゝ 石はみなわれて芽近き枯木かな 赤芽咬んで一鳥叫ぶ火山灰《よな》曇り たにぐゝの日ねもすなきぬお中日 お彼岸の巣から啼き居る鴉かな 大いなる暮春の落花眼前に 戸口より尾をひろげ入る燕かな 神輿荒れもみにもみたる柳かな boat勝ちて泣く選手あり草の春 競漕の赤ばかり勝つ日なりけり [#ここから4字下げ] 蘇子庵 [#ここで字下げ終わり] 大桜こゝより平地大傾斜 芽を追うて出る葉のはやさほとゝぎす 朴の月霜夜ごゝろに曇りけり [#ここから4字下げ] 隣家空きたれば更に借り受く。部屋数間になりたれども仏壇も神棚もなし [#ここで字下げ終わり] 神仏もなくて庵や更衣 老い毛虫うす日を這うて憤り 苗売の過ぎて親しや塀の空 初夏の風げん/\の花を吹く 一度吐きし餌にまたもよる金魚の瞳 ほの/″\とうす藻と浮きてある金魚 しづまれど金魚をどれるさまにあり [#ここから4字下げ] 雑司ケ谷坤者庵よりの帰途 一句 [#ここで字下げ終わり] 烈風や月下にさわぐ緋桃あり 烈日やころげし雹に草の影 掃きよせて雹二やまや御山内 大雹やつながり浮いて浪の腹 [#ここから4字下げ] 奈良にて、眼前即景 九句 [#ここで字下げ終わり] 人の前に産み落されし鹿の子かな ふるひ落つ一片の葉に鹿産る 産まるゝや親にねぶられ芝|麑《かのこ》 神の瞳とわが瞳あそべる鹿の子かな 苔と陽のみどりに育つ鹿の子居る 鹿の子跳ぶよ杉の張り根を越え/\て 鹿の子よ歯朶踏みはづすことなかれ 雨の日の親をはなれぬ鹿の子かな 雨に立つ親をかぎたる鹿の子かな 遠雷の一枝に来し蝶々かな 潮木ふむ鴉の爪や雲の峰 薔薇を見るわれの手にある黒扇 百合かぐや忽ち走る仔馬かな 百合かいでは親をめぐれる子馬かな 高原や雷を落として草の丈 炎天や土をかむつて小草の芽 炎天の蝙蝠洞を出でにけり とぐろ巻く蛇に来てゐし夕日かな 風に破れし網《い》を喰ひ怒る蜘蛛なりし 汲み去つて井辺しづまりぬ鳳仙花 青蛙花屋の土間をとびにけり かの家に青田曇りのさだめなき わが行くにつれてうね見ゆ青田道 萩の夜や高原の秋にあるこゝろ 紺青の夕空やわが秋の暮 蓬髪の乞食にあひぬ土用波 この浜や雲ばかりなる土用波 打水や蕾来てゐる鳳仙花 雷やんで夕陽《せきやう》雲の下にあり 巣から飛ぶ燕くろし五月晴 風に起きる蓮の浮葉の大いさよ 新涼や子とつれあそぶ大山蟻 枯れ黄ばむけしきに萩の盛りかな 白萩の葉よりとびたる虫は何 朝まだき枝の日に来し蜻蛉かな 颱風の萩へ飛んだる新聞紙 虫籠に朱の二筋や昼の窓 塀内におごる庵燈や虫の秋 朝顔の瑠璃に愕く燕かな でゝ虫の腹やはらかに枝うつり 新涼や蕾してゐる庭菫 枝豆の毛の狐《きつね》色峰をかし 日沈むや黙りこくつて鵙あはれ 日沈むや鵙忘れたる山河あり 大杉の幹を後ろに露の鹿 蒼海や旭のさすところ露の色 [#ここから4字下げ] 奈良にて 三句 [#ここで字下げ終わり] 秋風やみなぬれひかる鹿の鼻 夕栄や鹿の高音を松林に 露に伏してこち向く鹿の鼻濡れて 秋晴のあえかに白しくだけ浪 ゆさ/\と波に蘆荻や昼の露 金屏に昼の一間や露の宿 鹿のゐて露けき萩と見たりけり 秋風やつぶれしまゝの蟻の穴 新涼や実をむすび居る庭菫 荒鵙の白鵙にして※[#「木+國」、第3水準1-86-6]原 日に跳んで鵙の餌となる蛙かな 初猟の雲賑かにくれにけり 霧終に音たてゝ降る旭かな 暮れんとす縁にふたゝび秋日かな 鶏山に雉子ともならで梅いまだ ぬきすてしかまつかの紅惜しからず 春昼や法廷に泣く人の声 白魚の小さき顔をもてりけり こくめいに生きて句に住む寒椿 雨を来し人ひとくさし桜餅 春泥やみち行く人を蔀より 閑さや畑打つ人の咳払ひ 木の芽嗅ぐ蹄やほそり鹿の脚 水温む奈良はあせぼの花盛 高原や朝からうつる春の雲 廂より落花をあげし暮春かな 蜂とんで廂の塵のうごきけり 行春の棕櫚の古毛に埃かな とり出す蚊帳のみどりや梅雨の晴 梅天や色さめ/″\と杜若 鮎の背をこがして滝の螢かな 大風に泥《ひぢ》をはげとぶ落花かな 袷着て聴き入るものに螻蛄《おけら》など そむきふたぐ人の背見ゆれ若葉窓 初夏の三日月金や雲の中 短夜や戸のうちを行く燈の見えし 初夏の夜ごろとなりぬ谷のさま 高原に雲の臭ひや湧く泉 夏鹿の大路《たいろ》かけりしすねの音 杣が子に日中さみしき清水かな こめかみに汗二すぢや花圃の人 魂《たま》守《も》りて怒れる虫や岩清水 から梅雨や閂さして門の内 ほろと散る松葉や落ちて組んでゐし たそがれの細水のぼる目高かな 衣とりし壁にとまりし昼蚊かな 青梅を洗うて置きし井桁かな 岸の蛇草を潜れば錦かな 蜥蜴去つてまこと久しき大地かな 大いなる蚊帳つつて門のやすらかに かゞやかに夕立雲ののぞいたり 鍬をもつて農夫ひろげし泉かな 炎天や枳殻をわたる烏蝶 水泳着しぼりほそめぬ月見草 死にしふりして蟹あはれ土用浪 [#ここから4字下げ] 九月一日震災を避けて三聯隊前桜樹の下に一夜を明かす 一句 [#ここで字下げ終わり] いづこよりか桜一葉のちりにけり [#ここから4字下げ] 震災当時 [#ここで字下げ終わり] 秋の人呆然として灰の中 しけあとの朝からふかし秋日和 穂すゝきの茎むらさきや霧の中 うす霜やほの/″\として微雨の中 霜つよき芝生を構へ松の内 耳すこし遠き婢としる雪夜かな 白梅に陽炎もゆる畑かな 二つづゝ芽をつけてゐる楓かな 夕月の裾の光りや雪のこる 虫壺の緋房や褪せて夜半の冬 吹きあげて花ちりしづむ光かな 花房へかゝりちる花ありにけり ほとゝぎすなくかとばかり花の闇 春雷やうす日来てゐる蓬原 我肌にほのと生死や衣更 青嵐広葉の笛をひるがへし たそがれの人通りけり梅雨の門 落し文夕日の中にひろげ見し 音たてゝ落ちてみどりや落し文 螢火の光芒ながし梅雨さなか 梅雨闇へ出てあくびせし夜の人 競泳の猛者《もさ》にあひけり夜の町 かたことゝ肥くみすゞし日の盛 黒扇膝にたゝみて芥子をみる 目覚めなば父惶ろしき午寝かな 明月の小鹿に会ひぬ町の陰 手うら足うら後へかへす踊かな 寝ころべば見ゆる月ある大暑かな [#ここから4字下げ] 墓参 [#ここで字下げ終わり] 我墓やわが来しのみの下駄の跡 翡翠の光りとびたる旱かな 秋晴の強き芒にふれにけり 鹿すでに冬毛に出でゝ雲の秋 もゆる目にひげふつてゐぬ暁の虫 糸滝を吹きたわめたる野分かな 秋晴の音にひきゆく稲車 こつねんとたゝく水鶏や夕旱 露終に流れ出でたる芭蕉かな 露しぐれ右に左にばた/\と 山雀の眉間の白や秋曇 且つちるや欅ばかりのうす紅葉 秋晴の藁屑ちれる路辺かな 秋晴や門よりみゆる竈の火 書き終へし状を畳へ夜長かな うす月を雁なきたつる霜夜かな 寒菊の茎にまことや今朝の霜 離れとぶ焔や霧の夕焚火 昼たかし霜に十夜の鐘がなる 竹馬の羽織かむつてかけりけり 師走閑に羽つくろへる孔雀かな さゝなきの谷に起るや一ところ 日あたりて笹鳴近くなきにけり さゝなきのふとわれを見し瞳かな 厠出し人に笹鳴つゞくかな 葉牡丹の一枚いかる形かな ゆづり葉の美事にたれて霰かな 藁屑のほのぼのとして夕霰 山一つ海鼠の海とへだちけり 天地の凍てし中なる情かな 一つ一つ磐へこぼるゝ千鳥かな 午ちかく雀なき出し深雪かな 春光や土龍のあげし土もまた 信念のもえ出づるとき揚雲雀 桃の枝映りてありし水辺かな 柴折戸のかくまでぬれて春の雨 [#ここから4字下げ] 塩原に病を養ふ 二句 [#ここで字下げ終わり] 泳ぎ子に雲影走る山家かな あらあぶな石などなげて泳ぎの子 [#ここから4字下げ] 伊香保にて 三句 [#ここで字下げ終わり] 深山木を黄蝶こぼるゝ秋とこそ 秋風や黄蝶とびたつ樹下の石 大萩を押し吹く風やまのあたり 逆立ちて藻を出し魚や秋の水 風の鳰きほひなきつゝ進みけり 林中に径幾すぢや秋日和 浮けば鳴く晴れがましさよ鳰の秋 四十雀つれわたりつゝなきにけり 大煙あげて黄葉をたく人よ 秋風や土龍の土に蟻の塔 かはり来し雀の声や今朝の冬 小がらめと笹子とあそぶ時雨かな みなぎれる日輪みよや冬の海 はれんとてむらだつ雲や雪の富士 子をつれて蘆刈る人に日和かな 地へ下りる羽音や庵の寒雀 立春の大蛤をもらひけり 淡雪のつもる白さや夕まぐれ 洗髪に緋の羽織着て春の人 烈風の虎の尾桜夕ばえて 三つとんで風に巴の蝶々かな 杣が戸に鉞光る桜かな 牡丹蕾みて幾度掃きし庭面かな 曇り日の弁をとぢ居る牡丹かな あしたより大地乾ける牡丹かな 弁に触れし蝶高空へ牡丹かな けふ咲きし牡丹にふるゝ蝶々かな 蝶白く蕊に羽ばたく牡丹かな 中空を蝶落ちて来し牡丹かな 夜のおけら耳朶を聾するばかりなり おけら鳴く夜をふるさとにある心 塵風のつゞきて椿落つること 香水の人さ緑の若葉より 夏川や一つ瀬やがて二た流れ 午まへの烈日にしる夕立かな あるときをひろごりもゆる雲の峰 もれ出でて螢いくつも籠の紗に 風鈴のむせび鳴りして夜半さびし [#ここから4字下げ] 日和山 一句 [#ここで字下げ終わり] 炎天や彷彿として伊良子崎 地の闇を這ひなく猫や夜の南風《まぜ》 書架をあさる燭炬の如し夜半の春 脇息を倒して春の枕かな けふの海いとゞ濁りて揚雲雀 紫や昼の色なる杜若 [#改ページ] [#ここから2字下げ] 都会篇(三) [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 本村町時代 ―自昭和二年初夏至現在― [#ここで字下げ終わり] 星仰ぐ頬に雨粒や庭若葉 火星いたくもゆる宵なり蠅叩 水無月の枯葉相つぐ梧桐かな 男霊《なんりやう》は陽に女霊《によりやう》は月にひでりかな 夜のかなた甘酒売の声あはれ 一方に月さしかゝる雷雨かな 明月や道を曲ればあからさま 頂きに花一つつけ秋茄子 夏の蝶こぼるゝ如く風の中 すて扇ひろつていづち置くべしや 捨団扇万朶の露の下にかな 華やぎてわれこゝにあり暮の秋 早梅に人風塵を避けてあり 初冬のすでに羽子うつ音すなり 炉開いて人を讃へん心かな 下りたちて天地尊とき若葉かな 美しき風鈴一つ売れにけり ほろ/\と雨つぶかゝる日傘かな 青梅をぬうてさまよふ梅雨螢 雲際の鳶に颱風去る日かな いづかたもともりてうれし梅雨の暗 こもり音に啄木叩くまた叩く 啄木鳥の羽美しくうつりけり 東《ひんがし》に夕焼雲や萩の園 山川や両岸の露乾くころ 月明の障子のうちに昔在 梨番の茣蓙の上なる筑紫琵琶 朝かげにたつや花野の濃きところ 空をとぶ蝶々壁に映りけり [#ここから4字下げ] 帰省 [#ここで字下げ終わり] 梅白し暖かき日も寒き日も 枯木影月の干菜にかゝらうとす 風折々月の干菜をうごかしぬ 鶯の今しがたにて春の月 おもひ羽を高くあげたり雪の鴛鴦 大風の萱の中より初音かな 鶯や大いなる昼を玉の声 さゝなきの眉あらはしゝ夕日かな 春陰《しゆんいん》や眠る田螺の一ゆるぎ 麦笛を吹く子に雲の美しき 子守子の白粉つけて薔薇の園 賤が家に飼はれて老いし金魚かな 山田植う人のほとりの薊かな 青芒目には見えねど神の影 噴水へすゝむ白扇ひら/\と 葛水や夜陰の苔をまのあたり 枝うらに三たびも鳴きぬ法師蝉 銀貨一つ掌に朝顔を買ひに出し ごう/\と秋の昼寝の鼾かな 瑠璃鳥《るり》去つて月の鏡のかゝりけり 門の燈をそがひに仰ぐ無月かな 朝顔の濃紫なる野分かな 山茶花の落映銀のあぶみより 横むけば靡ける角や月の鹿 たんぽぽの北にこぞりて枯れゐたり 水かぶりたかぶりをどり鳰しばし 初山の頂に立つ男かな おしひらく傘新しき深雪かな 柴折戸を押すすべもなき深雪かな 春暁のからたち垣や深緑 まき落ちて浪とどろける霞かな 雪の日の火鉢に鯣炙けるは/\ 花烏賊にそゝげば走る水の玉 籠《こ》の内の紗をもえのぼる螢かな よく晴れて遠雷や雲の中 日暮見ぬ十一月の道の辺に 大いなるべに葉芒にはさまりぬ 蓑虫の躍るがごとくうつりけり 若駒の親にすがれる大き眼よ 口うつす親子雀に日照雨《そばへ》かな 幼《をさな》より憂ひしる子の団扇かな 朝涼やとうすみとんぼ真一文字 美しき鳥|来《く》といへど障子内 梅雨あけの日を感じつゝ籐椅子に 秋蝶の驚きやすきつばさかな 黄葉の落葉ばかりの夕かな 玄英や門の柊青々と つむ/\と障子に影や初日鳥 衣紋着し客と鴛鴦飼ふ二日かな 大雪に来て肥を汲む男かな 青空をしばしこぼれぬ春の雪 雛壇にすがりまどろむ男かな 淡雪に一点の穢や紅の凧 雛の家ほつ/\見えて海の町 雲雀飼ふ隣のありて都かな 苗売の濃き眉ぞ見せ笠のうち 苗売の踏み去る道に日の力 水ひいて畦縦横や金鳳華 雲の峰風になびけるごときかな 鵜篝の火心まぶしく見えたりけり 鵜篝の烈火に躍る鵜匠かな 鵜篝の鵜匠は闇の王者かな 如何におもふも月より降りし露なりし はゞひろき片われ月や秋のくれ この流れ一樹の木の葉両岸に 一すぢの滝のこゝろや枯木山 耳たてし耳木兎顔のうすきかな 啼きあうて鵯いとけなき二月かな 雪に来て美事な鳥のだまり居る もろ/\の木に降る春の霙かな 月の出とやゝへだたりて大樹の芽 ぎく/\と乳《ち》のむあかごや春の潮 鉄橋の人青蘆を見てゐたり ふけて来し雲に情《こゝろ》や夏の月 淋しさは船一つ居る土用浪 花氷頂の色何の影 とけそむる稜《かど》にふれみぬ花氷 蜩や蒼茫として夕茜 ばり/\と干傘たゝみ梅雨の果 白栄やある夜の雲の霽れぎはに 曇る日のいつまで置きて夏の露 棹もちて走るはみんな鰍捕 けつけけろと啼く蛙ゐて明易き 洪水に映り陽焔|騰《あが》りけり 梅の青葉ふとこぼれつぎ一驚秋 薄く濃く立つ夕煙も霧の中 今の幹大きかりけり冬野ゆく [#ここから4字下げ] 二月七日母危篤の報により即刻帰省、母屋より母の病室へ通ふ 一句 [#ここで字下げ終わり] 月影に春の霰のたまり居り 春宵や人の屋根さへみな恋し [#ここから4字下げ] 三月二十八日母逝く 一句 [#ここで字下げ終わり] 花の月枝がくれ母の心かも 春の水岸へ岸へと夕かな 花房の滴や春の雨の中 惜春の眼に蝙蝠のはゞたきよ 雹をかしことりと動き消えんとす なぶる子をしりて啼きけり鴉の子 苗売に白猫《はくめう》梅をまつさかさ 夫人来ておどけ行きしも梅雨入かな 白栄やカステーラなどくひこぼし 朝戸出や溝《どぶ》板踏んで鳴るも夏 短夜のひとあり朴の花を活く 四五本の撫子うゑてながめかな かな/\や紫金ちらして飛びうつり 秋暑とは簾《す》裾にとまる蜻蛉かな [#ここから4字下げ] 草庵即事 一句 [#ここで字下げ終わり] 干し蚊帳に蓑虫移りゐたりけり 霞み来てなほうるはしき何々ぞ 木の芽ごろ炊煙時にみごとなる [#ここから4字下げ] 北海道にゆくとて東京に立ち寄りし老いたる姉に 一句 [#ここで字下げ終わり] 大姉よそれ/\まゐれ初若魚 青天や白き五弁の梨の花 梅雨晴れんと好日夕の雲間より 鮎の背に一抹の朱のありしごとし 美しき空と思ひぬ夏もまた 梅雨夜長しいつの世よりの木菟の声 ちりゐたる一葉の笹に冬の露 ※[#京+鳥]《むく》のぬくみのこりてや月の照る枯木 みだれにも着て衣はしき余寒かな 踵かへして海をそがひや春の空 底本:「現代日本文學大系95 現代句集」筑摩書房    1973(昭和48)年9月25日初版第1刷発行 底本の親本:「花影」改造社    1937(昭和12)年6月発行 ※石鼎による奥書は省略した。 入力:小川春休 校正:(未了) 2009年3月7日公開