華厳 川端茅舎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)昴《すばる》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)空|蹈《ふ》む [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「王+黎」、第3水準1-88-35] ------------------------------------------------------- [#ここから3字下げ] 昭和八年 [#ここで字下げ終わり] 蝉の空松籟塵を漲らし 芭蕉葉に水晶の蝉羽を合せ きりきりと眠れる合歓に昴《すばる》かげ 金龍のだらりと消えし花火かな 硝子戸に天鵞絨《ビロウド》の如蟲の闇 蚯蚓《みみず》鳴くうはの空|蹈《ふ》む闇路かな 芋の葉の滂沱《ばうだ》と露の面かな 尾をひいて芋の露飛ぶ虚空かな 露の玉走りて残す小粒かな 露の玉をどりて露を飛越えぬ 露|微塵《みぢん》忽《たちま》ち珠となりにけり 露|萬朶《ばんだ》日光浴をたのしみて 椎拾ふ一掬の風手のひらに 紅葉焚く煙の柱松を抽《ぬ》き 紅葉谷日蓮|茲《ここ》に荼毘《だび》に附し 紅葉谷日蓮御舎利のこしける ちりそめし紅葉日和の甃 夕紅葉我が杖月のかげをひき 蠅一つ良夜の硯|舐《ね》ぶり居り ひら/\と月光降りぬ貝割菜 雲割れて朴の冬芽に日をこぼす [#ここから3字下げ] 昭和九年 [#ここで字下げ終わり] 時雨来と大木の幹砥の如し 熊笹のさゝへり白し時雨ふる 星《ほし》亨《とほる》墓前に大き糞凍てぬ とび下りて弾みやまずよ寒雀 熊笹にやがて初音を調へし 熊笹の顫ひて初音まろびくる 庵雀初音の今朝をぞめき居り 寒月の砕けんばかり照しけり 石段を東風ごう/\と本門寺 足のうらそろへ給ひぬ涅槃像 土不蹈《つちふまず》ゆたかに涅槃し給へり 誰が懐炉涅槃の足に置きわすれ 花の奥鐘の響を撞きにけり 大空へ鳩らんまんと風車 風車赤し仁王の足赤し 風車赤し五重の塔赤し あか/\と彼岸微塵の佛かな ぼうたんや森を飛出す鐘の声 二三片烏雷雨にうたれ飛び いかづちに松籟どつと乱れ落つ でで蟲に瀧なす芭蕉広葉かな 一心にでで蟲進む芭蕉かな 刻々と天日くらきいづみかな 水馬辨天堂は荒れにけり 栗の花舗装道路は野を縦に 武蔵野を舗道はしれり青芒 火取蟲立正安國論を読む かんばせを日に照らされて墓詣 合歓《ねむ》の葉に蝉みん/\とこそばゆき 法師蝉しみ/″\耳のうしろかな 老鶯の谺《こだま》明るし芭蕉かげ 桔梗さき鶯の声且つ正し 鶯や夏ゆふぐれの光陰に 秋風に浴衣は藍の濃かりけり 中空を芭蕉葉飛べる野分かな 芭蕉葉や破船のごとく草の中 月の道捨てし芒の穂先より うち仰ぐ月さかしまに雲に乗り 天心の小さき月の錐を揉む かたつむり脊の渦巻の月に消ゆ はた/\や絶壁の上よき芝生 大露や芭蕉ほとぼる薄煙り 刀豆《なたまめ》の鋭きそりに澄む日かな 老杉の髪のごとくに良夜かな 鵙の野に鉄塔エレキ通はする 鉄塔に電線に鵙多摩遥か 芭蕉の脊嶮にして露ひし/\と 芭蕉葉の脊梁走り鶲《ひたき》飛ぶ 実南天曙楼は古びけり 冬薔薇やがらんどうなる梅の幹 寒雀もんどり打つて飛びにけり 日輪に寒雀皆|蝟《ゐ》のごとし [#ここから3字下げ] 昭和十年 [#ここで字下げ終わり] 笹鳴の隠密《をんみつ》の声しきりなる 荊棘《けいきよく》の冠かづき笹鳴けり 笹鳴や茨の刺の真紅 笹鳴の眦《まなじり》振つて向きにけり 朴落葉光琳笹を打ちにけり 泰山木楕円の雪の晴れにけり 寒詣白き袂の長さかな 如月《きさらぎ》や白菜の光沢《てり》鼈甲に 雪の上ぽつたり来たり鶯が 石上に廓然と雪残りをり 武蔵野を初蝙蝠《はつかうもり》は東風に乗り 枝垂梅初蝙蝠のひらめきぬ 三日月に初蝙蝠の卍澄み 蝙蝠の卍飛び出す伽藍かな 鶯の高音ひねもすチユーリツプ ぼうたんの芽と大石の影と濃し 一聯の目刺に瓦斯《ガス》の炎かな 常不軽菩薩《じやうふきやうぼさつ》目刺を焼きにけり 五月闇より石神井の流れかな 河骨の金鈴ふるふ流れかな 睡蓮に鳰の尻餅いくたびも 三宝寺池の翡翠《かはせみ》藤浪に 渉《かちわた》る鷭《ばん》の浮びて行きにけり 運河悲し鉄道草の花盛り 水底に見ゆ踏石や青嵐 茴香《ういきやう》の夕月青し百花園 月見草梟の森すぐそこに 月見草蘂さや/\と更けにけり 明易き梟に覚め庭を掃く ほう/\と梟近き門火かな 一面の苔|瑠璃《るり》玻《は》※[#「王+黎」、第3水準1-88-35]《り》や小瀧かげ 隠元を膝に娘や瀧の前 霊池とて四方に泉湧く音よ 林泉に浴する娘等の※[#「口+喜」、第3水準1-15-18]《き》々《き》と逃げ 芭蕉葉や秋白日を照返し 青芒御空は秋となりにけり 瀧の糸青き紅葉の透きて楚々 渉る子等皆瀧をマタノゾキ 水を打つ夕空に月白う刎《は》ね 父恋し夏さむ/″\と裘《かはごろも》 蟲干や父の結城の我が似合ふ 蟲干や襟より父の爪楊枝 瀧打つて行者三面六臂なす 忽ちに忿怒の那《な》[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]《た》や瀧行者 瀧行者蓑のごとくに打ち震ひ 瀧行者真言胸にしかと抱き 金輪際此合掌を瀧打てり 行者去り瀧光明をうしなひぬ 瀧行者今あつ/\の昆布茶飲む 芝ありてこれに萩咲く生駒山 秋郊の運河の芦の葉のよごれ 秋郊の葛の葉といふちさき駅 秋晴や打乗りたりしぼろ俥 お天守に鳶の鳴く日の墓詣 詣づればお天守見ゆる父の墓 ちゝはゝの墓に詣でゝ和歌めぐり 秋晴や鴎こぼれし水の上 秋晴れて鴎も眉毛あるごとし 秋晴るゝ絶壁波の相をなす 秋晴や波はなかりし片男波《かたをなみ》 する/\と月の幹あり谷覗く 通天の月の欄より谷覗く 鵙なくや袂はねたる矢大臣 鵙なくやきらり/\と紙屋川 此石に秋の光陰矢のごとし 龍安寺塀の矢印茸山へ 菊の香や芭蕉の襤褸《つづれ》金色に 枯木立月光棒のごときかな 葉生姜やかりゝかりゝと露の玉 杉襖小春の紅葉かこひけり [#ここから3字下げ] 昭和十一年 [#ここで字下げ終わり] 寒の土紫檀の如く拓きけり 矍鑠《くわくしやく》と手袋に鍬軽く提げ 糞壺と糞の日に寂び霜に寂び 枯芒脚下に樅の梢かな 月光に深雪の創のかくれなし 月光へ雪一とすぢや松の幹 雪の原犬沈没し躍り出づ 立春の雪白無垢の藁家かな 水盤や雪の銀環盛上る 松の曲麗日雪に遍照《へんぜう》し 芒枯れ細りきつたる麗かさ 霜除の※[#髟/逢]鬆と春立ちにけり 鵯の声松籟松を離れ澄む 閃々と鶲飛び来て神動き 春月のくまなき土に雪一朶 古萱に雪の円座の残り居り 春なれや満月上げし大藁家 春夕べ烏は朱ケに染まり飛び 目水晶入学の子のあはれかな 唐門のほとりに拾ふ櫻んぼ 森に入るより掃苔の匂ふかな 一斉に大掃苔の寂光土 梅雨久し野は雑草の階をなす 燕のさへづり宙にこぼれけり 大山門涼し群雀静まらず 涼しさや沙弥も不逞の面構へ 飛燕鳴き電線竹の穂に触るゝ 繽紛《ひんぷん》と飛燕の空となりにけり 青蛙ぱつちり金の瞼《まぶた》かな 螳螂や虻の碧眼かい抱き 堂々と露の柱の芭蕉かな りう/\として逆立つも露の萩 芭蕉葉に夕稲妻の火色かな 百日紅|面皰《にきび》は舎利を吹きいでぬ 粟の穂に韓紅《からくれなゐ》の葉先かな 掌に掬《すく》ふ陸稲《おかぼ》の垂《た》り穂軽きかな 黄昏れし顔の案山子《かかし》の袖几帳 がちやがちやや壺より黒き八重葎 赤のまゝそと林間の日を集め きのふけふ法師蝉絶え澄む日かな 烏羽玉の大石蟲の闇に凝り 月光の露打のべし芭蕉かな いざよひや露の梨子地の青芭蕉 大機和尚へと/\餅を搗きなさる [#ここから3字下げ] 昭和十二年 [#ここで字下げ終わり] 大銀杏|颪《おろ》しやまざる焚火かな 暦売南無観音の扉かげ 日輪に飛ぶ琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]の千鳥かな 洲に並ぶ千鳥に白帆矢のごとし 十五夜の寒月梅の南谷 寒月に光琳笹の皆羽撃つ 寒月や痛くなりたる承泣《なみだたり》 如月《きさらぎ》や十字の墓も倶会一処《くゑいつしよ》 鶯や桐里町へ小盗人 朝靄に梅は牛乳より濃かりけり 百千鳥映れる神の鏡かな 青炎の杉囀りを鏤《ちりば》めぬ 朧夜の尽きぬ話を垣に沿ひ 菖蒲の芽既に長鋏帰らんか 瑞々しぜんまい長《た》けて神ながら ぜんまいののの字ばかりの寂光土 さら/\と落花つかずよ甃《いしだたみ》 尾長来ていよゝたわゝの若楓 水馬青天井をりん/\と 水馬大法輪を転じけり 菖蒲葺く庇の上に香取かな 津の宮の鳥居に梅雨の鴎かな 水天に閃《ひらめ》く鰡《ぼら》か与田の浦 螢火に象牙の如き杭ぜかな 風薫る鹿島の杉は剣なす 牛頭《ごづ》没し葛の葉太く裏返り 岩清水|武甕槌《たけみかづち》も掬《むす》びけん 岩清水|寿《いのちながし》と杓を添へ 大雷雨ばり/\芭蕉八つ裂きに 雷撃つて電柱白磁飛ばしけり 十六夜の鋒鋩《ほうばう》薄き雲間かな 蟲の音のひりりと触れし髪膚《はつぷ》かな 鉦叩|驚破《すは》やと聴けど幽《かすか》かな 脊に腹に竈馬《いとど》とびつく湯殿かな 芭蕉葉や白露|縅《おど》し日に匂ひ 日のひかり露の微に入り細に入り 火を掛けし露|膏肓《かうくわう》の筵かな 露の宿附箋の手紙届きけり 紫の立子帰れば笹子啼く [#ここから3字下げ] 昭和十三年 [#ここで字下げ終わり] 散紅葉交へて離々と初氷 羽子板も法の盾かや観世音 鵯谺高杉の穂を逆落し 鵯や紅玉紫玉食みこぼし 霜柱崖は毛細根を垂り 殺生の目刺の藁を抜きにけり 唐門に消えんばかりの雪の婀娜《あだ》 初観音紅梅焼のにほひかな 紫の氷かなしや虎落笛 びびびびと氷張り居り月は春 百千鳥|※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくばせ》あちらこちらかな 繕ひも正しき梅の障子かな ギヤマンの如く豪華に陽炎へる 陽炎の道がつくりときりぎしへ 菫咲き松の根峨々と走りけり 振袖に卒都婆抱き来る櫻かげ 青淵に妙にも白き落花かな 花の雲谷は鉄橋千鳥がけ 平林寺門前竹の秋の関《くわん》 魚貫して囀り飛ぶよ杉の雨 甃《いしだたみ》あら菫咲き蕨萌え 蝟《ゐ》の如く怒れる鳩や八重櫻 蛙早や流転の調べえごの花 昼蛙ラ行幽かにえごの花 杜若濡鼠の子叱り抱き 蓑|刎《は》ねて垂乳さぐりぬ五月闇 まひ/\や雨後の円光とりもどし ふわ/\と蛍火太く息づきぬ 反射炉を守りて薔薇を剪り呉れし 渓流に薔薇垣垂るゝ水車かな 棕櫚蓑を着て薔薇垣を立ち出づる 絶壁に弓張の畦塗られけり 炭竈の卯の花腐し恐ろしき 梅雨雲に炭竈の火ぞ黄なりけり 二三言涼しき老師旅立ちぬ 明易き渓流を掃く箒かな 湯壺青葉光明皇后あれたまへ 黄鶺鴒瀬を渡り裸婦うしろむき どくだみや真昼の闇に白十字 向日葵の眼は洞然と西方に 月の寺|鮑《あはび》の貝を御本尊 甃硯のごとき良夜かな 鶏鳴きて起き※[#茲/子]《し》々《し》として露を見る 八ケ嶽露の御空を噛みにけり 芋の葉や露の薬研の露微塵 葉月汐鴎の袂《たもと》長きかな 芋の露直径二寸あぶなしや 青芭蕉一丈露を飛ばしけり 露打つて翔りし影は天の鵙 鵙猛り柿祭壇のごとくなり 一※[#「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40]の霧立昇る十三夜 十三夜隴まつすぐに霧の這ふ 霧の森島のごとくになりにけり 少年よ芋の葉を打擲する勿《なか》れ 白菊に今宵の酒をそとふくみ 時雨来と脊の鉄兜撫で別れ [#ここから3字下げ] 昭和十四年 [#ここで字下げ終わり] スキーの子※[#「口+喜」、第3水準1-15-18]々と華厳の瀧の上 スキーの子バスに会釈や追縋り 大華厳瑠璃光つらら打のべし 絶壁につららは淵の色をなす 雪のせし流木岩にはさまりぬ 蘭の根に蘭の如くにつららたれ 寒月の岩は海より青かりき 寒凪の夜の濤一つ轟きぬ 紀三井寺漁火の上なる春灯 蕩々と旅の朝寝や和歌の浦 絶壁にもたれて杣の今朝の春 山葵《わさび》の芽水ちよろ/\と喜ばし 山葵の芽青き心臓石に触れ 山葵の芽砂に暦日ありやなしや 澎湃と霞み石川島響き 深川の濁れる春の日は酸つぱ 乳母車降りて転びぬ暖かき 春の土に落とせしせんべ母は食べ 底本:「川端茅舎 松本たかし集 現代俳句の世界 3」朝日新聞社    1985(昭和60)年2月20日第1刷発行 底本の親本:「華厳」龍星閣    1939(昭和14)年発行 ※献辞、序文及び跋文は底本において省略されている(高浜虚子の一行八字からなる序「花鳥諷詠真骨頂漢」は余りにも有名)。 入力:小川春休 校正:(未了) 2008年11月1日公開