小諸百句 高濱虚子 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)人日《じんじつ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)初蝶|來《く》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「禾+魯」、第3水準1-89-48] -------------------------------------------------------    序  昭和十九年九月四日鎌倉より小諸の野岸といふところに移り住み昭和二十一年十月の今日まで尚ほ續きをれり。鎌倉の天地戀しきこともあれど小諸亦去り難き情もあり。二年間此地にて詠みたる句百を集めたり。   昭和二十一年秋 [#地から3字上げ]小諸山廬 [#地から1字上げ]高濱虚子 [#改ページ] 何をもて人日《じんじつ》の客もてなさん 鷄にやる田芹摘みにと來し我ぞ 煎豆をお手の窪して梅の花 紅梅や旅人我になつかしく 薪を割る人に殘雪遠くあり 四方の戸のがた/\鳴りて雪解風 雛の家の門邊の雪の掃かれあり 紙折つて雛のあられを其上に 蓼科に春の雲今動きをり 物種をくれて腰かけ話し込み 春雷や傘を借りたる野路の家 玻璃内の眼を感じつゝ親雀 初蝶|來《く》何色と問はれ黄と答ふ 初蝶が來ぬ炬燵より首を曲げ 初蝶の其後の蝶今日は見し うるほへる天神地祗や春の雨 懷古園落花の萼《うてな》踏みて訪ふ ものかげの黒くうるほふ春の土 山國の蝶を荒しと思はずや やゝ赤く染めたりや此の櫻餅 桃咲くや足投げ出して針仕事 各々に注ぎて殘りぬ菖蒲酒 麥の出來惡しと鳴くや行々子 水車場へ小走りに用よし雀 早苗餐《さなぶり》やいつもの主婦の姉かぶり 蝙蝠に悲しき母の子守歌 誘はれて祭の客となりにけり 世話といふ言葉が嬉し胡瓜もみ 山と藪相迫りつゝ螢狩 木の形變りし闇や螢狩 螢火の鞠の如しやはね上り 螢見や聲かけ過ぐる澤の家 二度《ふたたび》の螢見に行く澤の家 見事なる生《なま》椎茸に岩魚《いはな》添へ 夏草に延びてからまる牛の舌 熱き茶をふくみつゝ暑に堪へてをり 淺間|嶺《ね》の一つ雷《かみなり》訃を報ず 虹立ちて忽ち君のある如し 虹消えて忽ち君の無き如し 虹を見て思ひ/\に美しく 人の世も斯く美しと虹の立つ 虹消えて音樂は尚續きをり 虹消えて小説は尚續きをり 俳諧の火は凉しとも暑しとも ラヂオよく聞こえ北佐久秋の晴 秋晴の淺間仰ぎて主客あり 諸君|率《ゐ》て小諸町出て秋の晴 案内の宿に長居や菌《きのこ》狩 停車場に夜寒の子守旅の我 垣の豆赤さ走りぬいざ摘まん 道草にゆふべの露の落しもの 稲妻にぴしり/\と打たれしと 顏撫でゝ冷たき鼻をあたゝめぬ 與良|氏《うぢ》の墓木《ぼぼく》拱《きやう》して紅葉せり 大根を干し甘藷《いも》を干しすぐ日かげ 大根を鷲づかみにし五六本 さかしまに樽置き上に冬菜置き 冬晴や立ちて|八ケ岳《やつ》を見淺間を見 木枯に淺間の煙吹き散るか 冬枯のこの道好きで今もとる 其邊を一とまはりして唯寒し 寒からん山廬の我を訪ふ人は 各々は小諸寒しとつぶやきて 我寒さ訪ひつどひ來る志 句も作り浮世話《うきよばなし》もして炬燵 炬燵出ずもてなす心ありながら 鎌倉は今さゝ啼《なき》に冬椿 水仙や母のかたみの鼓箱 此の家は何する家と寒鴉 見下ろしてやがて啼きけり寒鴉 寒燈の下に文章|口授《くじゆ》筆記 うせものをこだはり探す日短 冬ごもり座右に千枚どほしかな 思ふこと書信に飛ばし冬籠 改めて欄間見上げぬ冬籠 冬籠障子隔てゝ人の訪ふ 小包で届く藥や冬ごもり 里人はしみるといひぬ凍《いて》きびし 凍きびししみると言葉交はし行く 凍て衣昨日も今日も乾してあり 日凍てゝ空にかゝるといふのみぞ 一塊の冬の朝日の山家かな 蓆垂れ雪の伏屋といふ姿 山道に雪かゝれある小家かな 雪踏みて乾ける落葉あらはれぬ 屹度來ん果して來る雪の客 訪ひ來るや雪の小庭に人つゞき 地にとまる蝶の翅《はね》にも置く霜か 強霜に今日來る人を心待ち 何につけ霰《あられ》につけて暗き庵 風花《かざはな》は凡てのものを圖案化す 世の中を遊び心や氷柱折る 外に出て氷柱の我家佗しと見 ガラス戸の氷紋を見てうがひかな 耳袋とりて物音近きかも 年木屑《としきくづ》飛んで空打つ時もあり 里人の松立てくれぬかり住居 道ばたの雪の伏屋の鬼やらひ 一百に足らで目出度し年の豆 節分や鬼も醫師《くすし》も草の戸に 底本:「定本高濱虚子全集 第三巻」毎日新聞社    1974(昭和49)年1月30日発行 底本の親本:「小諸百句」羽田書店    1946(昭和21)年12月発行 入力:小川春休 2010年1月1日公開