春寒浅間山 前田普羅 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)溶岩《ラバ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39] ------------------------------------------------------- 浅間の巻 [#ここから3字下げ] 山麓 [#ここで字下げ終わり] 落葉松に焚火こだます春の夕 [#ここから3字下げ] 裾野の夜 [#ここで字下げ終わり] 春星や女性浅間は夜も寝ねず 春の宵噴煙の香を横ぎれり 浅間山きげんよし春星数ふべく 春の宵北斗チクタク辷るなり 浅間冴え松炭燃ゆる五月の炉 ひえ/″\と浅間がすわる春の宵 春星を静かにつゝむ噴煙か 狐舎の灯を木の間の闇に見て寝ねつ [#ここから3字下げ] 狐舎 [#ここで字下げ終わり] つかの間の春の霜置き浅間燃ゆ 有明に狐飼ふ子の春明くる 木の芽の香燕々われに飜へる 雉子啼き轍くひこむ裾野径 [#ここから2字下げ] 昨夜木の芽の庭に見たりしはこの家の灯なり [#ここで字下げ終わり] 灯の下に寝ねしは誰ぞやよべの春 春霜満地銀狐の餌はきざまるゝ [#ここから3字下げ] 鬼の押出し [#ここで字下げ終わり] 溶岩《ラバ》の瀬に径逡巡とかげろへり 鶯の下りて色濃し溶岩の盤 朝凪ぎし溶岩の滝津瀬蝶わたる [#ここから3字下げ] 溶岩をありく [#ここで字下げ終わり] 女性浅間春の寒さを浴びて立つ 浅間なる煙が染むる春の雪 栂の芽や法衣さびたる浅間山 浅間山涸沢かけて春踟※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39] 春の雪下りて噴煙北を指す [#ここから3字下げ] 山麓温泉 [#ここで字下げ終わり] 雉子啼く浅間がくれに菖蒲の芽 浅間山巽の水に山葵畑 [#ここから3字下げ] 沓掛町 [#ここで字下げ終わり] つばくらめ飛び交ひ霜は花咲けり 巣籠りの燕に見呆け日焼顔 巣籠れる妻の燕は巣にあふれ 巣籠りの妻より痩せて飛ぶ燕 沓掛のつばめ早起き朝菜摘み [#ここから3字下げ] 旧中仙道をひとり東に向ひて歩む [#ここで字下げ終わり] 吾妻の人と別れて蝶を追ふ 落葉松に高音鶯うしろ向き [#ここから3字下げ] 熊野権現 [#ここで字下げ終わり] 春立ちし国々の上の浅間山 浅間燃え春天緑なるばかり 春雲のかげを斑に浅間山 春の天浅間の煙お蚕のごと われと居て霞に堪ゆる浅間山 [#ここから3字下げ] 日本武尊の御遠征を偲び奉る [#ここで字下げ終わり] 国原の霞の中に皇子の道 [#ここから3字下げ] 鎌原《カンバラ》村 [#ここで字下げ終わり] 黒き翼からまつの海くゞるなる 慈悲心鳥おのが木魂に隠れけり 一すぢの径を浅間へキジムシロ 落葉松の珠がほぐれし去年の径 若葉して人に触るゝや毒卯木 浅間山蟹棲む水の滴れり 浅間なる幾沢かけて遅桜 [#ここから3字下げ] 新鹿沢の夜 [#ここで字下げ終わり] 山吹や昼をあざむく夜半の月 藤咲ける襞も夜明くる浅間山 高原の温泉匂はず梅雨入り月 花は飛び浅間は燃ゆる大月夜 [#ここから3字下げ] 裾野は五月 [#ここで字下げ終わり] 浅間田の月夜を騒ぐほととぎす 広々と径をゆづりぬ親子馬 瑠璃草やしと/\曇る浅間山 畦塗るや聖牛角を正しをり 浅間こす夕日に追はれ畦をぬる 水させば蛙ゐるなり浅間の田 浅間山月夜蛙にねざめ勝ち 掻き了へし鎌原の田の月夜かな 浅間なる照り降りさびし田植笠 ぬけ出でゝ蛙のあがる田植笠 [#ここから3字下げ] 浅間に向ふ [#ここで字下げ終わり] 霧こめし滝かゝり居り妙義山 うつろなる燕の巣あり古壺のごと 駅長の歩みきこゆる夜霧かな 炭竈のみな煙りをり秋の雲 [#ここから3字下げ] 三原にて [#ここで字下げ終わり] 絶壁に吹き返へさるゝ初時雨 [#ここから3字下げ] 蛾と落葉 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 昭和二十年十月三日朝、軽井沢駅頭に蛾の大群の死せるを見る、なほ生きて天に翔けんとして手足もて空を掻く。 [#ここで字下げ終わり] 顔見せて裏がへしなる大蛾かな 大蛾舞ひし夜も遠ざかる軽井沢 [#ここから2字下げ] 貴族某の来る日なりと [#ここで字下げ終わり] うらがへし又うらがへし大蛾掃く 舞ひ済みし大蛾もまじる落葉かな [#ここから3字下げ] 鳩の湯 [#ここで字下げ終わり] 大蛾舞ひ小蛾しづまる秋の宵 蛾の入りし袖におどろく宿浴衣 炭焼も神を恐るゝ夜長かな 浅間越す人より高し吾亦紅 もえあがる毒卯木あり浅間越 きり/″\す鳴くや千種の花ざかり [#ここから3字下げ] 流霧 [#ここで字下げ終わり] 霧迅しサラシナシヨウマ雨しづく 瘤山にぶつかる霧の渦まきて 瘤山も浅間も霧に逆らへり ひとゝころ八千草刈るや浅間山 吾亦紅枯首あげて霧に立つ 草刈も伏猪も霧にかくれけり きりしづくして枯れ競ふ千種の実 石上の長柄の鎌も霧がくれ [#ここから3字下げ] 河原の湯 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 昭和十九年一月十九日、其の「湯かけ祭」の神事を見る [#ここで字下げ終わり] 空山の常盤木に神いましけり 温泉の神の出で行きませし落葉の香 襟巻の中からのぞく夕日山 寒鯉や日ねもす顔を突き合せ 空谷のわれから裂くる氷かな 寒鯉の居ると云ふなる水蒼し 上つ毛や風花おろす山を並め [#改ページ] 白根の巻 [#ここから3字下げ] 三原の宿 [#ここで字下げ終わり] 山吹の中に傾く万座径 万座より落せる水の白菖蒲 落葉松に慈悲心啼けり白根の尾 春山の上に顔出す湯治客 [#ここから2字下げ] 中居屋に入る [#ここで字下げ終わり] 春の月さしこむ家に宿とりて [#ここから3字下げ] 春昼 [#ここで字下げ終わり] 松蝉や白根颪に鳴き揃ふ 尾根を越す柳絮の風の見えにけり ある時は柳絮に濁る山おろし 人に来て人に触れざる柳絮かな ひとすぢの柳絮の流れ町を行く 白雲の妬心にかくす春日かな 奥山の枯葉しづまる春夕 独活掘りの下り来て時刻をたづねけり 春昼や古人のごとく雲を見る この池は菱とりの池菱若葉 蛙なく入山村の捨て温泉かな [#ここから3字下げ] 牡丹祭 [#ここで字下げ終わり] 花小さき牡丹に祭来たりけり 牡丹切る祭心はたかぶりぬ 梅酒に身を横たふる松の風 葉がくれて月に染まれる牡丹かな 大空に牡丹かざして祭すむ 芍薬の蕾をゆする雨と風 [#ここから2字下げ] 人謂ふ、今年の麦は質よし [#ここで字下げ終わり] 戦するふんどしかたし今年麦 [#ここから3字下げ] 細径深春 [#ここで字下げ終わり] 深山藤蔓うちかへし花盛り 奥山に風こそ通へ桐の花 人来れば驚きおつる桐の花 雉子啼くや月の輪のごと高嶺雪 霧満ちて春鶯囀のやみにけり 春風に松毬飛ぶや深山径 花桐や越後の山に雪たまる 夏至鳥や啼くにも倦んで枝うつり [#ここから3字下げ] 幽谿採蕨 [#ここで字下げ終わり] 蕨採りいこへば巌もくぼみけり 蕨採りいくたり石に吸はれけむ 奥山の径を横ぎる蕨とり 蕨採り雲に隠れて帰りこず 蕨とる人を眺むる巌の上 蕨とりこの径入りぬ我も行かな ぐつたりと掌にまがりたる蕨哉 厨なる蕨の上に金指環 [#ここから3字下げ] 麻大黄 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 栗生の山に麻大黄を植う、不幸なる人に施薬のためなり [#ここで字下げ終わり] 大黄の疎枝大葉も尊けれ 大黄の広葉にたまる五月闇 大黄のかざす広葉に雨さわぐ 麻大黄おのれがこぼす花の音 広葉もてうなづき合へり麻大黄 [#ここから3字下げ] 栗生の神 [#ここで字下げ終わり] 蝶孵り祇の大前よぎりけり ひら/\と蝶孵り踏むべかりける 郭公の啼きしと思ふ栗生の山 萌え出づるヒトリシヅカを此処彼処 [#ここから2字下げ] 官舎加島邸の庭にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 足音の迫るをきけり接木人 松の花いつしか積る客の靴 [#ここから3字下げ] 四万街道 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 渋川を発つ、昭和二十年九月二十七日 [#ここで字下げ終わり] 落水の利根がかなづる夕かな [#ここから2字下げ] 中之条町着 [#ここで字下げ終わり] 秋雨やいづれを行くも温泉の道 吾亦紅くらし指す人もまた [#ここから2字下げ] 折田なる香雲居に入る 宵祭なり [#ここで字下げ終わり] 這ひ出でし南瓜うごかず秋の暮 四万川の瀬鳴り押し来る秋の雨 ラン/\と秋の夜告ぐる古時計 祭子の装なりぬ秋燈下 [#ここから2字下げ] わがための火燵方四尺なり [#ここで字下げ終わり] 初炉の火いくたび継ぎて春のごと 小豆鍋しばらくたぎつ初炉かな たのめ来し折田泊りや秋の雨 名月の色におどろく旅寝かな 四万川に一樹の栗はこぼれけり [#ここから3字下げ] 田舎は楽し [#ここで字下げ終わり] 丹波栗笑みたる下の地主径 昼風呂や千貫めざす薯の主 昼風呂に小野子の片頬夕焼けて 松茸にあらざる木の子歯朶にさし 障子入れて雨の祭の夜となりぬ 豊なる堆肥にゆるゝ祭の灯 踊り子の揃ふ飼屋の虫の声 祭鍋そゝぐ秋水山より来 鍋つけし野川を渉る祭客 奥四万の月にいつまで祭笛 樫の木の蔭も古りけり秋祭 [#ここから3字下げ] 炉辺にありて [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 父母と云ふことを思ふ [#ここで字下げ終わり] 榾を折る音ばかりして父と母 母の顔父の顔ある榾火かな 父母は目出度きことに炉火にあり [#ここから3字下げ] 神詣 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 九月二十八日折田神社の大前にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 秋祭蝶々小さくなりにけり 蝶々の木の間はなるゝ秋日かな [#ここから2字下げ] 神をいさめの踊見んとて成田原に上る [#ここで字下げ終わり] 踊り子の踏めば玉吐く沢清水 祭笛四万のさぎりに人遊ぶ 踊見る色傘しづむおかぼ畑 麻ひたす其処より濁る沢の水 群巒にひとり神なる秋祭 秋祭人語四方の峠より ねづみ茸もゆる木の間を神詣 頂上や月に乾ける薯畑 [#ここから3字下げ] 秋蝶 [#ここで字下げ終わり] うつり行く蝶々ひくし秋の山 秋晴や一点の蟻嶽を出づ 秋山の人に堕ち来る蝶々かな 漂へる蝶々黄なり秋祭 ひるがへる力も見ゆる秋の蝶 蝶々のおどろき発つや野菊の香 [#ここから3字下げ] 土産ぞろへ [#ここで字下げ終わり] 旅人が着物に包む蕎麦粉かな シヤラ/\とサヽゲをこぼす霧の宿 唐黍を焼く火を煽ぐ古ハガキ 唐黍や強火にはぜし片一方 [#ここから3字下げ] 栗生の山 [#ここで字下げ終わり] 高原にゼンマイ枯れてかぶされり 熊笹のさゝやき交はす狭霧かな 笹竜胆草馬の脊を滑りけり 主人より烏が知れる通草かな [#ここから2字下げ] 癩者耕す 三句 [#ここで字下げ終わり] 顔ふせて植えし葱苗揃ひけり 顔かくす耕し人に秋の風 秋山や人が放てる笑ひ声 [#ここから3字下げ] 蛾と林檎 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 昭和二十年九月二十九日夜、吾妻川畔の宿にあり、一壺は八分を剰して小酔 [#ここで字下げ終わり] 舞ひ果てゝ旅着におつる大蛾かな 宵闇をはためき出づる女夫の蛾 大蛾きし障子の外の浅間の夜 舞ひ果てゝ大蛾の帰へる闇夜かな 破れたる翅もたゝむ蛾の踊 夜はふかし翩翻として大蛾の舞 ビロードの夜会服つけ大蛾来 一と踊り命がけなる大蛾かな 女夫なる大蛾の闇も夜明けなん 舞ひすみし大蛾の腹に浪うてり 吾妻の夜は虫絶えて水枯れて 舞ひ果てゝ林檎をすべる大蛾かな 大蛾去りし林檎は寂し青磁色 林檎青く山河の情とゝのへり 長き夜や饐えつゝ並ぶ青リンゴ [#ここから2字下げ] 家に留守せる明子 [#ここで字下げ終わり] 青林檎むいてかしづく父の酔 [#ここから2字下げ] 又、世相を思ふ [#ここで字下げ終わり] 世の中に忘らるゝ頃大蛾去る [#ここから3字下げ] 草津の宿 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 昭和十八年一月十七日、楽泉園の人々に小話、盲俳人白葉君を見る [#ここで字下げ終わり] 見えぬ目に我を見んとす人寒し [#ここから2字下げ] 十八日大吹雪、大阪屋に滞留、この月二十三日妻とき死す [#ここで字下げ終わり] ひとり居や映るものなき寒の水 吹雪やみ木の葉の如き月あがる 一と吹雪前山丸く月に澄む [#ここから2字下げ] 昭和二十年九月進駐軍草津視察 [#ここで字下げ終わり] 秋晴の白根にかゝる葉巻雲 秋晴や草津に入れば日曜日 底本:「現代俳句大系 第六巻」角川書店    1973(昭和48)年2月10日初版発行 底本の親本:「春寒浅間山」(増訂版)靖文社    1946(昭和21)年12月8日発行 ※序文及び後記・追記は省略した。 入力:小川春休 2009年4月25日公開