鷹(春日井建抄出) 松本たかし ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)温泉《ゆ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)夏野|恵下《ゑげ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)[#ここから3字下げ] ------------------------------------------------------- [#ここから3字下げ] 昭和九年 [#ここで字下げ終わり] 山裾に寄せある柴や春の雪 かりそめの菊の根分に小半日 境内の余花の小家の植木棚 川上へ山吹靡きなびくなり 雪を消す雨の降りをり落椿 我が門の蒲公英採られ尽きし春 蜥蜴の子這入りたるまま東菊 これよりの百日草の花一つ 麦打の遠くの音の眠たけれ 多摩川の河原の内の夏野かな 燕の飛びとどまりし白さかな 燕の飛びとどまりて返しけり 山裾に葛刈る姥よやすみやすみ [#ここから2字下げ] 箱根姥子観月 十二句 [#ここで字下げ終わり] 厩ある姥子の宿の秋の暮 芋の露姥子の宿ははや寝たり 月待つや指さし入るる温泉《ゆ》の流 雲近く通る姥子の月を見たり 大富士の現れゐるや望の宿 池に落つ温泉のたちけぶる良夜かな 高原の薄みぢかき良夜かな 山畑に霧一沫の良夜かな 冠着しかんむり山や望の空 山に彳《た》ち山山見つる良夜かな 山山を統べて富士在る良夜かな 十五夜の遅き温泉壺に宿の者 [#ここから2字下げ] 鶴ケ岡八幡宮 三句 [#ここで字下げ終わり] 杉戸閉ぢ蔀戸下りて野分かな 大木の揉まれ疲れし野分かな もの書ける禰宜の夜長を垣間見し [#ここから2字下げ] 北鎌倉・明月院 三句 [#ここで字下げ終わり] 呆《ほう》けたる芒が囲む山畑 山畑の空《から》になりたる柿一本 山畑に何もなくなる冬日かな 古屏風の剥落とどむべくもなし ちらちらと動く人ゐる遠蘆火 師へ父へ歳暮まゐらす山の薯 [#ここから3字下げ] 昭和十年 [#ここで字下げ終わり] 弾初や古曲を守る老女あり 寒紅をさしてやるとて顎に手を 砂風に椿飛ぶ日や避寒宿 鴨を得て鴨雑炊の今宵かな 白白と脆き岩なり枯芒 古葦に著いてゐる葉の春の風 池に浮く鴨もそぞろや草萌る 篝火に飛込む雪や白魚舟 芝を焼き山に登りて一日かな 屋根替へてうしろの山の梅咲きぬ 叔父の僧姪の舞妓や大石忌 [#ここから2字下げ] 川甚 三句 [#ここで字下げ終わり] 水亭の腰窓の辺の菖蒲の芽 蘆焼くと対岸に人散らばれる 蘆を焼く火先を追うて人走る 事務室や石炭箱の大いなる 蛤を買うて重たや春の月 この雨はつのるなるべし春惜む 山吹に暮春の風雨強からず 田楽の味噌ぽつたりと指貫《さしぬき》に 謡講《うたひかう》すむぞ田楽焼かさしめ 麦笛を吹けば誰やら合せ吹く 麦笛を吹くや手賀沼筑波山 苗代の二枚つづける緑かな 鳰の子に水走りくる親のあり あまり小さき鳰の子なれば可笑しけれ [#ここから2字下げ] 鎌倉山 三句 [#ここで字下げ終わり] 風落ちて谷底の百合動く見ゆ 起《た》ち上る風の百合あり草の中 草山に浮き沈みつつ風の百合 [#ここから2字下げ] 茅舎居 四句 [#ここで字下げ終わり] 片脚の草雲雀飼ひ茅舎あり 我訪へば彼も達者や夏衣 青蔦やこれなる石を金縛り 甘草の咲き添ふ石の野中めき [#ここから2字下げ] 箱根行 七句 [#ここで字下げ終わり] 蘆の湖の桟橋に佇つ夜の秋 山宿の夜の秋なる読書室 夜の秋箱根土産をひやかしぬ 稲妻の四方に頻りや山の湖 目覚むれば潮騒ぎをる野分かな 打しぶく野分の湖に釣りにけり 新涼や膳に上《のぼ》りし湖の魚 [#ここから2字下げ] 八月中旬より岐阜県苗木町塚本哄堂邸に滞在す 二十句 [#ここで字下げ終わり] 山人は客をよろこぶ夏爐かな 短夜の爐火のほとりに旅日記 起出れば秋立つ山の八方に 木曽人は雨寒しとて夏爐焚く 木曽川の出水告げ去る小作かな 木曽川の出水を見んと著たる蓑 木曽川の出水を苗木城趾より 流木を上げんと待てり秋出水 恵那山の麓の夏野|恵下《ゑげ》と云ふ 山荘の露の桔梗や主病む 木曽ははや朝寒の鳧来そめけり 逗留の我に客ある爐辺かな 一辺は框につづく大爐かな 逗留や立待月に立まじり [#ここから2字下げ] 同 苗木城趾へ登る 三句 [#ここで字下げ終わり] 頂上へ達するまでの幾清水 その昔《かみ》の清水門とて岩清水 搦手《からめて》の木曽川へ落つ露の径 鮎釣と乗りし渡舟や恵那の秋 親子馬ひいて戻るや黍の月 木曽谷の奈落に見たる銀河かな [#ここから2字下げ] 品川土蔵相模にて 二句 [#ここで字下げ終わり] 潮ひけば汚れて立てり葦の秋 遊女屋の使はぬ部屋の秋の暮 [#ここから2字下げ] 浦和在太田窪 三句 [#ここで字下げ終わり] 藁積んで落葉して納屋はなつかしき 納屋にあるもの砧などみな親し 一俵も実を拾ふとか榧大樹 相似たる鶏頭二本唯立てり 芭蕉より芒が高し門の秋 大家族詣で遊べり山の墓 舟着けば人登りくる冬堤 小春日や耕牛耕馬孜孜として 耕人に山の落葉の飛ぶ日かな 離れんとしてあたりをる焚火かな 境内の冬日を追うて遊ぶ子等 [#ここから3字下げ] 昭和十一年 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 亡き父のゆかりの人へ [#ここで字下げ終わり] 寒牡丹挿して淋しさ忘るるか 椿咲き木瓜咲きやがて百ケ日 雪残る汚れ汚れて石のごと 竹山に残雪沈み見ゆるかな 人ひとり入れて閉りぬ野分の戸 大入日野分の藪へ轟然と 遠き家の朝な夕なや葉鶏頭 稲妻に夜坐美しや草の宿 月明の道あり川ともつれつつ 粟の穂のみなゆつたりと動きをり 粟畑のあたり明るし山の裾 粟畑をつつ切る道の天気かな 打ち止めて膝に鼓や秋の暮 [#ここから2字下げ] 隣人 二句 [#ここで字下げ終わり] 夜もすがら博奕打つなり蟲の宿 子を愛し菊を培ひ博奕打つ [#ここから2字下げ] 父が最後の能は砧なりければ [#ここで字下げ終わり] 俤やいつも砧を打ち打ちて 前山の竹伐る音に主客かな 竹山の竹伐りはじむ秋の風 一日や竹伐る響竹山に 色菊の相もつれつつ枯れそめし 枯菊やこの赤菊の枯れ遅れ 家家の枯菊捨てぬ滑川 [#ここから3字下げ] 昭和十二年 [#ここで字下げ終わり] 病む我を頼みてあはれ妹の春 枯芝の黄に松濃ゆし避寒宿 藪の穂の春光こぼれ交しつつ 我宿の裏山よりす探梅行 春寒く伐り乱しあり岨の杉 春泥に映りてくるや町娘 籠り飛ぶ小鳥あるらし大椿 春潮の彼処に怒り此処に笑む 春潮に棹し出でて櫓を取りぬ 浜淋し打上げし藻に蠅生れ 春昼や洗ひ洗ひて白子乾《しらすぼし》 春光や若布と乾く櫻蝦 立仕事|坐《すわり》仕事や浜遅日 腹這うて椿の枝に乗れる子よ よき庭によき子遊べり暮遅し 夕月の既に朧や藪の空 囀るや妹背ながらの朝寝宿 世にまじり立たなんとして朝寝かな 連翹の花に葉が出てまぎれあり 愁あり歩き慰む蝶の昼 吊革に並べる腕や花疲 松原に家あり四方の揚雲雀 雲雀みな落ちて声なき時ありぬ 一本の櫻大樹を庭の心《しん》 もの淡し葱の坊主に蝶とまる 行春や暗きもの行く海の面 庭すこし荒れて好まし葉山吹 [#ここから2字下げ] 小坪 二句 [#ここで字下げ終わり] 鰺舟の戻り賑はふ浜に来し 一籠の鰺を抱へて戸に戻る [#ここから2字下げ] 駒沢・水竹居邸、筍句会 三句 [#ここで字下げ終わり] 筍に大勢客をする日かな 茶室あり筍藪の径清め 花桐に大きな家の裏手かな 一条の激しき水や青薄 泳ぎ出て飛沫《しぶき》も見えずなりにけり 帷子を軒端に干せば山が透く [#ここから2字下げ] 真鶴、大敷網見物 三句 [#ここで字下げ終わり] 泳ぎ子のぴかぴか光り岩に上る 泳ぎ子のひとり淋しや岩に上り 秋晴や何かと干せる村の橋 [#ここから2字下げ] 諸磯 [#ここで字下げ終わり] 秋雨や小屋より出でし舟の舳《さき》 白露や何の果なる寺男 僧房へ少し山路や曼珠沙華 山墓の春の椿の今は実に 穂薄に埋《うづも》れ居れば風起る をりをりに沼輝けば薄また 庭薄かげりて沼もかげりけり 釣橋を通ひ路なれば崩れ簗 山を出て街まで行くや崩れ簗 末枯の草を離れて靄はあり 遠焚火束の間池に映り消え [#ここから2字下げ] 十一月十三日、上州四萬温泉行 十七句 車中 [#ここで字下げ終わり] ひろびろと桑末枯れて家乏し 末枯の桑の果なる町灯る [#ここから2字下げ] とつぷり暮れ果てて四萬に着く、目差す宿は日向見と云ふところにて、それより尚七八丁奥なり。乗物なしとのことにて詮方なく歩く。案内の者の提灯に足許を照らして、四萬川添ひにおぼつかなき歩みを運べば、折から時雨れきたる [#ここで字下げ終わり] 温泉《ゆ》を恋ひて辿る山路や小夜時雨 濡れてゐる朴に月あり小夜時雨 温泉に入りて遊ぶ男女や小夜時雨 [#ここから2字下げ] 同 十四日快晴 [#ここで字下げ終わり] 朝寒の淵に下り来し日ざしかな 朴の木の忘れし如く落葉せる 朝寒く夜寒く人に温泉《いでゆ》あり 伊香保の灯見えて夜寒や榛名山 [#ここから2字下げ] 同 十五日水上温泉 七句 [#ここで字下げ終わり] 温泉《ゆ》手拭欄を吹き落ち紅葉飛ぶ やすらへば時雨れにけりな谷紅葉 紅葉濃し谷川嶽の雪照りて 紅葉山高くそそりて利根細る 紅葉山づかと塞ぎて國境 嶺の雪に月照りそめぬ夕紅葉 流れゆく紅葉も見ゆれ月の淵 [#ここから2字下げ] 同 夜帰鎌 [#ここで字下げ終わり] 冬に入る温泉《ゆ》町《まち》温泉町や上州路 我が凭《よ》りし銅の火鉢や菊を彫《ゑ》る 庭広し彼方に冬菜一ならび 鵯《ひよどり》の声の長さや冬の山 身辺や年暮れんとす些事大事 [#ここから3字下げ] 昭和十三年 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 鶴ケ岡八幡宮初詣 二句 [#ここで字下げ終わり] 古馬車を拾ひ得たりや初詣 古馬車に痩馬つけて御者の春 微禄《びろく》しつつ敢て驕奢や寒牡丹 寒牡丹挿すやはなはだ壺貧し 調度みな之にふさはし寒牡丹 磊塊と朱欒《ザボン》盛られて籠歪む 朱欒の黄あたたかにして団欒す よごれゐてあたたかきかな冬の浜 鎌倉はすぐ寝しづまり寒念佛 風邪熱の冷《さ》めて夜深し水仙花 [#ここから2字下げ] 伊豆網代 三句 [#ここで字下げ終わり] 櫓を取りて漕ぐや春光そこにあり 橙の木の間に伊豆の海濃ゆし 濃かりける日蔭日向や蜜柑山 誰をかも待つ身の如し春炬燵 長い文書いてゐるなり春炬燵 岸草に残る雪あり一つづり [#ここから2字下げ] 久米正雄邸にて [#ここで字下げ終わり] 庭先の梅にすぐある山路かな 杉の花こぼれし磴や物詣 [#ここから2字下げ] 藤沢・鴻乙居 [#ここで字下げ終わり] 青麦の丘の近道知りて訪ふ 人来ねば鼓打ちけり花の雨 めりがちの鼓締め打つ花の雨 花散るや鼓あつかふ膝の上 春愁や稽古鼓を仮枕 鵯の踏みこぼしつつ峡の花 大空へうすれひろがる落花かな 青籬や落花の庭をたち囲ひ 昼の客夜の客あり家櫻 座敷には鼓出されて花に月 チチポポと鼓打たうよ花月夜 踏み歩く夜の文目《あやめ》の落花かな 籬根に濃かりし夜の落花かな 夏場所のはねし太鼓や川向う 菖蒲田の真中あたりに咲きそめし 池を廻る人に下闇ところどころ 菖蒲より菖蒲へ蜘蛛の絲長し 卯の花のかむさり咲ける茂かな みみず鳴く闇じつとりと草の宿 芥子も一重衣も単《ひとへ》風渡る 竹の皮落ちて音する人のごと 昼顔の花びら斬つて草一葉 苗代田一枚にして大いなる 早苗とる一人きりなる音をたて [#ここから2字下げ] 宝生会 [#ここで字下げ終わり] 十薬の花に涼むや楽屋裏 月見草咲くと襷や夕炊ぎ [#ここから2字下げ] 杉本寺 二句 [#ここで字下げ終わり] 四萬六千日の門前の蚊火に宿 [#ここから2字下げ] 小動(こゆるざ) [#ここで字下げ終わり] 泳ぎ子や光の中に一人づつ [#ここから2字下げ] 岡崎・倉橋青村居滞在五日 七句 [#ここで字下げ終わり] 短夜の廓ぞめきに隠栖す 銀河濃し廓はづれの野の上に 稍固き昼寝枕や逗留す 虹の中を人歩きくる青田かな 雲赤し黄なる稲妻ほとばしる 泳ぎ子の投げかけ衣葛の上 泳ぎ子に萩咲きそめぬ山の池 [#ここから2字下げ] 三崎・本瑞寺二泊 三句 [#ここで字下げ終わり] 汚れなき秋の団扇や客設 松蟲を聞きに来にけり城ケ島 松蟲にささで寝《ね》る戸や城ケ島 [#ここから2字下げ] あふひ夫人病む [#ここで字下げ終わり] 萩遅し病み臥す人に早く咲け [#ここから2字下げ] 名越・妙法寺 [#ここで字下げ終わり] 曼珠沙華多しこの寺絵巻めく 秋水に五色の鯉の主かな 秋水に大鯉騒ぐこともなし 底本:「川端茅舎 松本たかし集 現代俳句の世界 3」朝日新聞社    1985(昭和60)年2月20日第1刷発行 底本の親本:「鷹」    1938(昭和13)年龍星閣発行 ※献辞、序文及び跋文は底本において省略されている。 入力:小川春休 校正:(未了) 2008年12月3日公開