寅日子句集 寺田寅彦 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鳴子引《なるこひき》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)尾花|丸《まる》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55] -------------------------------------------------------  明治三十一年 鳴子引《なるこひき》日に五匁の麻をうむ 鬼灯《ほほづき》やどの子にやろと吹き鳴らす 繕はぬ垣《かき》の穴より初嵐《はつあらし》 何虫ぞ今宵《こよひ》も簀戸《すど》に来て鳴くは 薬煮る鍋《なべ》の下よりきり/″\す 矢は尾花|丸《まる》は桔梗《ききやう》となりけらし 霧晴れて兀《こつ》として近し秋の山 枯野《かれの》行けば道連《みちづれ》は影法師かな 姉病むと柳散るころ便《たより》あり 地蔵堂に子守《こもり》来る日の落葉《おちば》かな  明治三十二年 [#ここから2字下げ] 手(春季結) 二句 [#ここで字下げ終わり] 搦手《からめて》の岩山つつじ盛りなり 桜散る堂の裏手は墓場なり 菜《な》の花や東《あづま》へ下る白拍子《しらびやうし》 傾城《けいせい》の疱瘡《はうさう》うゑる日永《ひなが》かな 春風や遊女屋並ぶ向《むか》ふ河岸《がし》 船を繋《つな》ぐ妓楼《ぎろう》の裏や蘆《あし》の角《つの》 革《あらたま》る妻が病や別霜《わかれじも》 韓客《かんかく》の詩を題し去る牡丹《ぼたん》かな 伴天連《ばてれん》の墓をめぐりて野茨《のばら》かな 柴垣《しばがき》に煙草《たばこ》干しけり鶏頭花 寺子屋の門を這入《はひ》れば鶏頭花 大《おほい》なる栗《くり》一つ飛んで失《う》せにけり 虫売《むしうり》や火の用心の莨入《たばこいれ》 客僧の言葉|少《すくな》き夜寒かな 莨刻む音や戸を漏る夜寒の灯 山賊の煙草くゆらす夜長かな 草枯れの道|鄒《すう》に入る道祖神 乾鮭《からざけ》に弓矢の神を祭りけり 仏舎利を祭る卓《つくゑ》や水仙花《すゐせんくわ》 [#ここから2字下げ] 仏(冬季結) [#ここで字下げ終わり] 仏壇の障子|煤《すす》けて水仙花  明治三十三年 藁《わら》屋根《やね》に鶏《とり》鳴く柿《かき》の落葉《おちば》かな 頭巾《づきん》着てわりごくひ居る木樵《きこり》かな 枯蘆《かれあし》やはた/\と立つ何の鳥 木兎《みみづく》の赤い頭巾をかぶりたる 煙草屋の娘うつくしき柳かな 玄上《げんじやう》は失《う》せて牧場の朧月《おぼろづき》 日当りや手桶《てをけ》の蜆《しじみ》舌を吐く 橋番の娘なりけり蜆売《しじみうり》 県庁と市役所と並ぶ柳かな 雨の家鴨《あひる》柳の下につどひけり 暮《くれ》六つや番所の柳風が吹く 窓に垂《た》るる柳や河岸《かし》の活版所 背戸川に泥船《どろぶね》繋《つな》ぐ柳かな 椎《しひ》の実や卵塔並ぶ苔《こけ》の上 初汐《はつしほ》の燈心草を浸しけり 鶏頭や小使《こづかひ》部屋《べや》の狭き庭 普請場や竹の矢来に桐《きり》一葉 口笛を吹くや唇《くちびる》そぞろ寒 [#ここから2字下げ] 不忍池《しのばずのいけ》 一句 [#ここで字下げ終わり] 池の鴨《かも》森の鴉《からす》や夕時雨《ゆふしぐれ》 人間の海鼠《なまこ》となりて冬籠《ふゆごも》る  明治三十四年 墓守《はかもり》の娘に逢ひぬ冬木立《ふゆこだち》 しばし待て今|足袋《たび》をはくところなり 刺史|淵《ふち》に※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55]《がく》魚《ぎよ》を祭る霰《あられ》かな [#ここから2字下げ] 終夜|柩《ひつぎ》を守りて 一句 [#ここで字下げ終わり] 何もなき壁や霜夜の影法師 藪陰《やぶかげ》の浮草《うきくさ》赤き冬田かな 総領の甚六《じんろく》と申す鳴子《なるこ》引《ひき》 夕凪《ゆふなぎ》の草に寐《ね》に来る蜻蛉《とんぼ》かな 縁に干す蝙蝠傘《かうもりがさ》や赤蜻蛉《あかとんぼ》 あらぬ方《かた》へ迷ひ入りけり墓参《はかまゐり》 野良《のら》犬《いぬ》がついて来るなり墓参 石門や蔦紅葉《つたもみぢ》してぶら下《さが》る 唐黍《たうきび》や庄屋《しやうや》が蔵の白い壁 朝寒の池に浮《うか》べる鵞鳥《がてう》かな 杉垣《すぎがき》に眼白《めじろ》飼ふ家を覗《のぞ》きけり 鴫《しぎ》飛んで路《みち》夕陽の村に入る 朝霜や木部屋《きべや》の裏のくされ繩《なは》 蓼《たで》の穂の風や鶉《うづら》の夜明《よあけ》顔《がほ》 沙魚《はぜ》釣《つり》や同じ処《ところ》に小半日 蓙《ござ》ひえて蚯蚓《みみず》鳴き出す別れかな 蕪大根《かぶだいこ》時羞《じしう》の奠《てん》を具《そな》へけり [#ここから2字下げ] 波 四句 [#ここで字下げ終わり] 荒波の何に驚く月夜かな 野分《のわき》やんで波を見に出る浜辺《はまべ》哉《かな》 朝寒う波打際《なみうちぎは》をあるきけり 行秋《ゆくあき》の波にただよふ卒堵婆《そとば》かな [#ここから2字下げ] 鉱毒 二句 [#ここで字下げ終わり] 出代《でがはり》や鉱毒を説く国訛《くになま》り 蟷螂《たうらう》の乱を好むにしもあらず [#ここから2字下げ] 山 三句 [#ここで字下げ終わり] 夜興引《よこひき》やそびらに重き山刀 禿山《はげやま》を師走《しはす》の町へ下りけり 築山《つきやま》を巽《たつみ》に築き小六月 [#ここから2字下げ] 髪 四句 [#ここで字下げ終わり] 髪洗ふ風呂場《ふろば》の口や秋西日 秋風や眼《め》を病む妻が洗髪《あらひがみ》 薙髪《ちはつ》して入道と号し芋頭 後朝《きぬぎぬ》や髪|撫《な》で上ぐる笹《ささ》の露  明治三十五年 篝焚《かがりた》く函谷関《かんこくくわん》の霜夜かな 埋火《うづみび》や煙管《きせる》を探る枕《まくら》もと [#ここから2字下げ] 在英の人の寄す 一句 [#ここで字下げ終わり] 唐辛子《たうがらし》糸瓜《へちま》の国を忘るるな 大石《おほいし》の浪宅跡や百舌鳥《もず》の声  明治三十六年 京《きやう》は今|愚庵《ぐあん》の柚味噌《ゆみそ》蕃椒《たうがらし》 五月雨《さみだれ》や根を洗はるる屋根の草 五月雨の町掘りかへす工事かな 足の出る夜着の裾《すそ》より初嵐《はつあらし》 道端《みちばた》や草の花とも実とも知れず  明治三十七年 朧夜《おぼろよ》や垣根《かきね》は白き牡蠣《かき》の殻《から》 柳の下に物ありと思ふ朧月《おぼろづき》 そぞろ寒|鶏《とり》の骨打つ台所  明治三十九年 ※[#「くさかんむり/意」、第3水準1-91-30]《ずず》苡《だま》の実も何とかにきくさうな 曼珠沙華《まんじゆしやげ》二三本馬頭観世音  明治四十年 御降《おさがり》や寂然《せきぜん》として神の鶴《つる》 御降や月代《つきしろ》寒き朝詣《あさまうで》 御降に尻《しり》ぞ濡《ぬ》れ行く草履《ざうり》取《とり》  明治四十一年 歳《とし》饉《う》ゑて庄屋《しやうや》が門の菊悲し 店先の菊美しやあづま鮨《ずし》  明治四十四年 霜柱|猟人《れうじん》畑を荒しけり 小笹原《をざさはら》下る近道霜ばしら  大正四年 曾遊《そういう》の友と憩《いこ》ひし茂りかな 山かげの虫田も今は刈田《かりた》かな  大正七年 骨を抱いて家を出《い》づれば寒き霧 亡《な》き魂《たま》も出迎へよ門の冬の月 [#ここから2字下げ] 〔大正六年〕十一月二十八日|亡《な》き人の着物を選《え》り分《わか》つ [#ここで字下げ終わり] 触れて見れど唯《ただ》つめたさの小袖《こそで》かな [#ここから2字下げ] 羊歯《しだ》の鉢植《はちうゑ》を得て燈下に置く [#ここで字下げ終わり] 一握《いちあく》の緑うれしき冬夜かな [#ここから2字下げ] 大学構内の池にて水の温度を測る [#ここで字下げ終わり] 椎《しひ》の影|蔽《おほ》ひ尽《つく》して池寒し [#ここから2字下げ] 月末決算をしながら自ら憫《あはれ》む [#ここで字下げ終わり] 先生の銭かぞへゐる霜夜かな [#ここから2字下げ] 某博士所蔵花画幅を見て 四句 [#ここで字下げ終わり] 舒《の》べ来れば脚下に寒き雲|湧《わ》きぬ [#ここから2字下げ] 枯柳|寒鴉《かんあ》の画〔大観《たいくわん》の柳〕 [#ここで字下げ終わり] 雪空の拡《ひろ》がり行くや湖《うみ》の上 [#ここから2字下げ] 栖鳳酔墨《せいほうすゐほく》 [#ここで字下げ終わり] 京は祇園《ぎをん》女は春の影法師 [#ここから2字下げ] 黒猫《くろねこ》の画 [#ここで字下げ終わり] 草紅葉《くさもみじ》何に飛び立つ雀《すずめ》かな  大正十五年 [#ここから2字下げ] 八月三十一日九月一日|塩原温泉《しほばらをんせん》 [#ここで字下げ終わり] 稲妻や谷の深きに湯船の灯《ひ》 稲妻や湯船に人は玉の如《ごと》 山の湯や霧に蒸されて樹々の苔《こけ》  昭和二年 [#ここから2字下げ] 殯宮祗候《ひんきゆうしこう》 [#ここで字下げ終わり] 只《ただ》寒し白き御帳《みとばり》黒き椅子《いす》 [#ここから2字下げ] 松島《まつしま》 一句 [#ここで字下げ終わり] 波に飛ぶ螢《ほたる》を見たり五大堂《ごだいだう》 文鳥や籠《かご》白金に光る風 [#ここから2字下げ] 或宵《あるよひ》の即景 [#ここで字下げ終わり] 名月や糸瓜《へちま》の腹の片光り  昭和三年 [#ここから2字下げ] 羽越《うえつ》紀行中 二十九句 [#ここで字下げ終わり] 駅の名の峠と呼ぶや雪の声 粉雪やいづこ隙間《すきま》を洩《も》るる風 雪の国もんぺの国へ参りける 温泉《ゆ》の町は雪に眠りて旭日《あさひ》哉《かな》 雪の汽車北と西とへ別れ哉 雪の原穴の見ゆるは川ならめ 山の根の雪の根を噛《か》む濁り哉 あのやうに曲《まが》りて風の氷柱《つらら》哉 庄内《しやうない》の野に日は照れど霰《あられ》哉 しべりあの雪の奥から吹く風か 渡船《わたしぶね》は帆を巻きおろす霰哉 やう/\に舟岸につく霰哉 象潟《きさかた》は陸になりける冬田哉 しんかんと時雨《しぐ》るる末や蚶満寺《かんまんじ》 やよ鴉《からす》汝《なれ》もしぐれて居る旅か 有耶無耶《うやむや》の関は石山《いしやま》霰哉 あの島に住む人ありて吹雪《ふぶき》哉 自動車のほこり浴びても蕗《ふき》の薹《たう》 雪霰《ゆきあられ》帆一つ見えぬ海|淋《さび》し 荒波に消え入る雪の何ともな 残雪や名のない山の美しう 御山雪《みやまゆき》裾野《すその》芝原蕗の花 眠るかや湖《うみ》をめぐらす雪の山 しばらくの留守をたづねて来た春か 飛行機と見えしは紙鳶《たこ》に入る日哉 三毛《みけ》よ今帰つたぞ門の月|朧《おぼろ》 珍らしや風呂《ふろ》も我家《わがや》の朧月《おぼろづき》 蝸牛《ででむし》の角《つの》がなければ長閑《のどか》哉《かな》 蝸牛は角があつても長閑哉 うなだれて灰汁《あく》桶《をけ》覗《のぞ》く柘榴《ざくろ》哉 コスモスやつがね上げてもからめても 客観のコーヒー主観の新酒哉  昭和四年 蜘蛛《くも》の囲《ゐ》に夢の白玉《しらたま》明け易《やす》き 翡翠《かはせみ》や亭《ちん》をくぐりて次の池 山午蒡《やまごばう》の葉陰ほのかや茎の紅《べに》 遠花火開いて消えし元の闇 [#ここから2字下げ] 塩原 [#ここで字下げ終わり] 釣橋《つりばし》の下は空《そら》なる蜻蛉《とんぼ》哉 [#ここから2字下げ] 追悼 二句 [#ここで字下げ終わり] ありし日の若葉にあらたなる思ひ 忘れめや別れを吹きし青嵐《あをあらし》  昭和五年 淡雪や通ひ路細き猫《ねこ》の恋 朧夜《おぼろよ》を流すギターやサンタ・ルチア アメリカは人皆踊る牡丹《ぼたん》かな [#ここから2字下げ] 秦野《はたの》震生湖《しんせいこ》 [#ここで字下げ終わり] 山裂けて成しける池や水すまし 穂芒《ほすすき》や地震《なゐ》に裂けたる山の腹 [#ここから2字下げ] 屋上納涼園(東京会館にて) [#ここで字下げ終わり] 卓上の灯《ひ》わたる風や青薄《あをすすき》 涼しさやジャズに星降る楼の上  昭和六年 栗《くり》一粒秋三界を蔵しけり 乗合は今出たといふ吹雪《ふぶき》かな  昭和七年 参らせん親は在《おは》さぬ新茶|哉《かな》  昭和八年 哲学も科学も寒き嚔《くさめ》哉  昭和九年 [#ここから2字下げ] 小諸《こもろ》城跡 [#ここで字下げ終わり] 蝉《せみ》鳴くや松の梢《こずゑ》に千曲川《ちくまがは》  昭和十年 まざ/\と夢の逃げ行く若葉|哉《かな》 なつかしや未生《みしやう》以前《いぜん》の青嵐《あをあらし》 底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店    1961(昭和36)年9月7日第一刷発行 ※本作品は句集として刊行されたものではなく、『寺田寅彦全集 第十二巻』に俳句編として収録されたものを便宜上『寅日子句集』と呼称するものである。 ※底本においては各句の下に初出を明記してあるが、本ファイルにおいては省略した。 ※序文及び跋文は存在しない。 入力:小川春休 2009年7月5日公開