海やまのあひだ 釋迢空 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)地《ヂ》蟲 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)黒|檜《ビ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66] -------------------------------------------------------  大正十四年 ―一首― [#ここから2字下げ] この集を、まづ與へむと思ふ子あるに、 [#ここで字下げ終わり] かの子らや われに知られぬ妻とりて、生きのひそけさに わびつゝをゐむ [#改ページ]  大正十三年 ―五十二首― [#ここから2字下げ] 島山 [#ここで字下げ終わり] 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり 谷々に、家居ちりぼひ ひそけさよ。山の木の間に息づく。われは 山岸に、晝を 地《ヂ》蟲の鳴き満ちて、このしづけさに 身はつかれたり 山の際《マ》の空ひた曇る さびしさよ。四方の木《コ》むらは 音たえにけり この島に、われを見知れる人はあらず。やすしと思ふあゆみの さびしさ わがあとに 歩みゆるべずつゞき來る子にもの言へば、恥ぢてこたへず ひとりある心ゆるびに、島山のさやけきに向きて、息つきにけり ゆき行きて、ひそけさあまる山路かな。ひとりごゝろは もの言ひけり もの言はぬ日かさなれり。稀に言ふことばつたなく 足らふ心 いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり 澤の道に、こゝだ逃げ散る蟹のむれ 踏みつぶしつゝ、心むなしもよ いまだ わが ものに寂しむさがやまず。沖の小島にひとり遊びて 蜑の家 隣りすくなみあひむつみ、湯をたてにけり。荒《アラ》磯のうへに [#ここから3字下げ] ゆくりなく訪ひしわれゆゑ、山の家の親鳥は、くびられにけむ [#ここで字下げ終わり] ※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]の子の ひろき屋庭に出でゐるが、夕燒けどきを過ぎて さびしも [#ここから2字下げ] 蜑の村 [#ここで字下げ終わり] 網曳《アビ》きする村を見おろす阪のうへ にぎはしくして、さびしくありけり 磯村へますぐにさがる 山みちに、心ひもじく 波の色を見つ すこやかに網曳《アビ》きはたらく蜑の子に、言はむことばもなきが さぶしさ 蜑をのこ あびき張る脚すね長に、あかき褌《ヘコ》高く、ゆひ固めたり あわびとる蜑のをとこの赤きへこ 目にしむ色か。浪がくれつゝ 蜑の子のかづき苦しみ 吐ける息を、旅にし聞けば、かそけくありけり 行きずりの旅と、われ思ふ。蜑びとの素肌のにほひ まさびしくあり 赤ふどしのまあたらしさよ。わかければ、この蜑の子も、ものを思へり 蜑の子や あかきそびらの盛り肉《ジシ》の、もり膨れつゝ、舟漕ぎにけり あぢきなく 旅やつゞけむ。蜑が子の心生きつゝはたらく 見れば。 蜑をのこのふるまひ見れば さびしさよ。脛《ハギ》長々と 砂のうへに居り 船べりに浮きて息づく 蜑が子の青き瞳は、われを見にけり 蜑の子のむれにまじりて經なむと思ふ はかなごゝろを 叱り居にけり [#ここから2字下げ] 山 [#ここで字下げ終わり] 若松のみどりいきるゝ山はらに、わが足おとの いともかそけさ 目のかぎり 若松山の日のさかり 遠峰《トホミネ》の間のそらのまさ青《ヲ》さ 田向ひに、黒|檜《ビ》たち繁《シ》む山の崎 ゆたになだれて、雨あるに似たり [#ここから2字下げ] 氣多川 [#ここで字下げ終わり] きはまりて ものさびしき時すぎて、麥うらしひとつ 鳴き出でにけり 麥うらしの聲 ひさしくなきつげり。ひとつところの、をぐらくなれり むぎうらし ひとつ鳴き居し聲たえて、ふたたびは鳴かず。山の寂けさ ふるき人 みなから我をそむきけむ 身のさびしさよ。むぎうらし鳴く [#ここから4字下げ] 麥うらしは、早蝉。鳴いて、麥にみを入れる、と言ふ考へからの名。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] * [#ここで字下げ終わり] 山|中《ナカ》に今日はあひたる 唯ひとりの をみな やつれて居たりけるかも にぎはしく 人住みにけり。はるかなる木むらの中ゆ 人わらふ聲 これの世は、さびしきかもよ。奥山も、ひとり人住む家は さねなし 氣《ケ》多川のさやけき見れば、をち方のかじかの聲は しづけかりけり ひるがほの いまださびしきいろひかも。朝の間と思ふ日は 照りみてり あさ茅原《ヂハラ》 つばな輝く日の光り まほにし見れば、風そよぎけり 家裏に 鳴きつゝうつる鷄の聲。茅の家《ヤ》壁を風とほり吹く [#ここから2字下げ] 夜 [#ここで字下げ終わり] 啼き倦みて 聲やめぬらし。鴉の止《スマ》へる木は、おぼろになれり 山の霧いや明りつゝ 鴉の 唯ひと聲は、大きかりけり 鴉|棲《ヰ》る梢 わかれずなりにけり。山の夜霧はあかるけれども さ夜ふけと 風はおだやむ。麓べの澤のかや原そよぎつゝ聞ゆ 山|中《ナカ》は 月のおも昏《クラ》くなりにけり。四方のいきもの 絶えにけらしも 山深きあかとき闇や。火をすりて、片時見えしわが立ち處《ド》かも [#ここから2字下げ] 山住み [#ここで字下げ終わり] 夕かげの明りにうかぶ土の色。ほのかに 靄は這ひにけるかも ほの/″\と 道はをぐらし。土ぼこり踏みしづめつゝ われは來にけり 青々と 山の梢のまだ昏れず。遠きこだまは、岩たゝくらし はたごの土間に 餌をかふつばくらめの 聲ひそけさや。人おとはせず をとめ一人 まびろき土間に立つならし。くらきその聲 宿せむと言ふ [#改ページ]  大正十二年 ―三十首― [#ここから2字下げ] 十二月二十七日 [#ここで字下げ終わり] あまつ日の み冬來向ふ色さびし。わが大君は ものを思へり 霜月の 日よりなごみの あまりにも寂けき空の したおぼゝしも [#ここから2字下げ] 木地屋の家 [#ここで字下げ終わり] うちわたす 大茅原となりにけり。茅の葉光る暑き風かも 鳥の聲 遙かなるかも。山|腹《プク》の午後の日ざしは、旅を倦ましむ 高く來て、音なき霧のうごき見つ。木むらにひゞく われのしはぶき 篶《スヽ》深き山澤遠き見おろしに、轆轤音して、家ちひさくあり 澤なかの木地屋《キヂヤ》の家にゆくわれの ひそけき歩みは 誰知らめやも 山々をわたりて、人は老いにけり。山のさびしさを われに聞かせつ 夏やけの苗木の杉の、あか/\と つゞく峰《ヲ》の上《へ》ゆ わがくだり來つ 山びとは、轆轤ひきつゝあやしまず。わがつく息の 大きと息を 誰びとに われ憚りて、もの言はむ。かそけき家に、山びとゝをり 澤蟹をもてあそぶ子に、錢くれて、赤きたなそこを 我は見にけり わらはべのひとり遊びや。日の昏るゝ澤のたぎちに、うつゝなくあり 友なしに あそべる子かも。うち對ふ 山も 父母も、みなもだしたり [#ここから3字下げ] 戻るとき、よびとめて手にくれたのは、木ぼつこ[#「ぼつこ」に傍点]であつた。木地屋でなくてはつくりさうもない、如何にもてづゝ[#「てづゝ」に傍点]な、親しみのある、童子《ボツコ》といふ名のふさはしい人形である。 [#ここで字下げ終わり] 木ぼつこの目鼻を見れば、けうとさよ。すべなき時に、わが笑ひたり 山道に しば/\たゝずむ。目にとめて見らく さびしき木ぼつこの顏 [#ここから3字下げ] * [#ここで字下げ終わり] 山峽の激ちの波のほの明り われを呼ぶ人の聲を聞《キ》けり [#ここから2字下げ] 供養塔 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 數多い馬塚の中に、ま新しい馬頭觀音の石塔婆の立つてゐるのは、あはれである。又殆、峠毎に、旅|死《ジ》にの墓がある。中には業病の姿を家から隱して、死ぬるまでの旅に出た人のなどもある。 [#ここで字下げ終わり] 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寢かさなるほどの かそけさ 道に死ぬる馬は、佛となりにけり。行きとどまらむ旅ならなくに 邑《ムラ》山の松の|木《コ》むらに、日はあたり ひそけきかもよ。旅びとの墓 ひそかなる心をもりて をはりけむ。命のきはに、言ふこともなく ゆきつきて 道にたふるゝ生き物のかそけき墓は、草つゝみたり [#ここから2字下げ] 谷中C水町 [#ここで字下げ終わり] 家ごとを處女にあづけ、年深く二階に居れば、もの音もなし 水桶につけたるまゝの菊のたば 夜ふかく見れば、水あげにけり [#ここから2字下げ] 靜物 [#ここで字下げ終わり] 紫陽花の まだとゝのはぬうてなに、花の紫の、色立ちにけり あぢさゐの蕾ほぐれず 粒だちて、うてなの上に みち充ちにけり [#ここから2字下げ] 風の日 [#ここで字下げ終わり] さるとりの若き芽生《メオ》ひの、ひたぶるに なよめくものを 刺《ハリ》たちにけり さるとりの鬚しなやかに濡れにけり。露はつばらに、こまやかにして うす緑 まだやはらかに、つゞらの葉。つやめく赤《アケ》に筋とほりたり たえまなく 梢《ウレ》すく風に日かげ洩り、はげしきものか。下草のかをり [#改ページ]  大正十一年 ―四十五首― [#ここから2字下げ] 遠州奧領家 [#ここで字下げ終わり] 山ぐちの櫻昏れつゝ ほの白き道の空には、鳴く鳥も棲《ヰ》ず 燈《ヒ》ともさぬ村を行きたり。山かげの道のあかりは、月あるらしも 道なかは もの音もなし。湯を立つる柴木のけぶり にほひ充ちつゝ 山深く こもりて響く風のおと。夜の久しさを堪へなむと思ふ 山のうへに、かそけく人は住みにけり。道くだり來る心はなごめり ほがらなる心の人にあひにけり。うや/\しさの 息をつきたり 山なかに、悸《イキドホ》りつゝ はかなさよ。遂げむ世知らず ひとりをもれば 山深く われは來にけり。山深き木々のとよみは、音やみにけり [#ここから2字下げ] 輕塵 [#ここで字下げ終わり] 人ごとのあわたゞしさよ。閭《チマタ》より立ちうつり行く ほこりさびしも 庭土に、櫻の蕋のはらゝなり。日なか さびしきあらしのとよみ もの言ひの いきどほろしき隣びとの家うごくもよ。あらしに見れば 春のあらし 靜まる町の足《ア》の音を 心したしく聞きにけるかも 春の夜の町音聽けば、人ごとに むつましげなるもの言ひにけり 心ひく言をきかずなりにけり。うと/\しきは、すべなきものぞ ひとりのみ憤りけり。ほがらかに、あへばすなはち もの言ふ人 人の言ふことばを聞けば、山川のおもかげたち來ること 多くなれり 人來れば さびしかりけり。かならず 我をたばかるもの言ひにけり ほがらに 心たもたむ。人みな はかなきことを言ひに來にけり かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。さびしき心 遂げむと思ふに [#ここから2字下げ] 雪のうへ [#ここで字下げ終わり] 雨のゝちに、雪ふりにけり。雪のうへに 沓あとつくる我は ひとりを 十年あまり七とせを經つ。たもち難くなり來る心の さびしくありけり 新しき年のはじめの春駒の をどりさびしもよ。年さかりたり 道なかに、明りさしたる家稀に、起きてもの言ふ聲の 靜けさ 町|中《ナカ》に、鷄鳴きにけり。空|際《ギハ》のあかりまされるは、夜深かるらし 犬の子の鳴き寄る聲の 死にやすき生きのをに思ふ戀ひは、さびしも 遂げがたき心なりけり。ありさりて、空しとぞ思ふ。雪のうは解け 軒ごもりに 秋の地《ヂ》蟲の聲ならで、つたはり來るは、人|鼾《イビ》くらし うるはしき子の 遊びとよもす家のうちに、心やすけき人となりぬらむ 直面《ヒタオモテ》に たゝひ滿ちたる暗き水。思ひ堪へなむ。ひとりなる心に 水の面《オモ》の暗きうねりの上あかり はるけき人は、我を死なしめむ 水のおもの深きうねりの ゆくりなく目を過ぎぬらし。遠びとのかげ 闇夜の 雲のうごきの靜かなる 水のおもてを堪へて見にけり みぎはに、芥燒く人居たりけり。靜けき夜らを 戀ひにけるかも 川みづの夜はの明りに うかびたる木群《コムラ》のうれは、搖れ居るらしも くら闇に そよぎ親しきものゝ音。水蘆むらは、そがひなりけり 遠ぞく夜風の音や。いやさかる思ひすべなく 雨こぼるめり 父母の庭の訓へにそむかねば、心まさびしき二十年を經つ 川波の白くゝだくる橋柱の あらはれ來つゝ 人は還らめや あかり來る橋場の水に、あかときのあわ雪ふりて、消えにけるかも [#ここから2字下げ] 夏になりゆく頃 [#ここで字下げ終わり] 春山の青葉たけつゝつやめける 日となりながら、晝のさびしさ はやち吹く 竝み木の木原《コハラ》。なきみてる蝉よりほかの聲 たゝずけり [#ここから2字下げ] かの二三子に寄す [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 一 [#ここで字下げ終わり] この日ごろ ことばけはしくなりたりけり。さびしき心 人を叱るも 若き人の怠りくらす心はさびし。いましめ易きことにあらず [#ここから2字下げ] 二 [#ここで字下げ終わり] うつそみの人はさびしも。すさのをぞ 怒りつゝ 國は成しけるものを [#ここから2字下げ] 土佐へ歸る人に [#ここで字下げ終わり] 洋《ワタ》なかに おだやむ風や。目をあきて、親のいまはの息の音 きけり [#改ページ]  大正十年 ―三十四首― [#ここから2字下げ] をとめの島  ―琉球ー [#ここで字下げ終わり] 朝やけのあかりしづまり、ほの暗し。夏ぐれけぶる 島の藪原 [#ここから4字下げ] 「なつぐれ」は、ゆふだちの方言。 [#ここで字下げ終わり] 藷づるのすがるゝ砂は けぶりたち、洋《ワタ》の朝風 島を吹き越ゆ 洋《ワタ》なかの島に越え來て ひそかなり。この島人は、知らずやあらむ [#ここから4字下げ] 地べたから十歩二十歩、深いのになると、四五十歩もおりねばならぬ水汲み場さへ、稀ではない。降《ウ》り井《カア》・穴井《アナカア》など、方言では言ふ。 [#ここで字下げ終わり] をとめ居て、ことばあらそふ聲すなり。穴井《アナト》の底の くらき水影《ミヅカゲ》 處女のかぐろき髪を あはれと思ふ。穴井の底ゆ、水汲みのぼる 島の井に 水を戴くをとめのころも。その襟細き胸は濡れたり 鳴く鳥の聲 いちじるくかはりたり。沖縄じまに、我は居りと思ふ あまたゐる山羊みな鳴きて 喧《カマビス》しきが、ひた寂しもよ。島人の宿に 島をみなの、戻りしあとの靜けさや。緑の明りに、しりのかたつけり かべ茅ゆ洩れゆく煙 ひとりなる心をたもつ。ゆふべ久しく [#ここから4字下げ] 壁は、茅の葺きおろしである。内地の古語のまゝ、えつり[#「えつり」に傍点]と言うてゐる。 [#ここで字下げ終わり] 目ざめつゝ聽けば、さびしも。壁茅のさやぎは、いまだ夜ぶかくありけり 人の住むところは見えず。荒濱に向きてすわれり。刳《ク》り舟二つ 絲滿《イトマン》の家《ヤ》むらに來れば、人はなし。家五つありて、山羊一つなけり [#ここから4字下げ] 絲滿。絲滿人を、方言風の言ひ方で、かう言ふ。絲滿の町から、一軒二軒五六軒、出れふ[#「れふ」に傍点]に來る。寂しい磯ばた・島かげなどに小屋がけして、時を定めて、來ては歸る。一年中の大方は、そこで暮してゐる。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 夜 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 下伊那の奧、矢矧川の峽野《カフチ》に、海《ウミ》と言ふ在所がある。家三軒、皆、縣道に向いて居る。中に、一人の翁がある。何時頃からか狂ひ出して、夜でも晝でも、河原に出てゐる。色々の形の石を拾うて來ては、此|小名《コナ》の兩境に竝べて置く。其の一つひとつに、知つた限りの聖衆の姿を、觀じて居るのだと聞いた。どれを何佛・何大士と思ひ辨《ワカ》つことの出來るのは、其翁ばかりである。 [#ここで字下げ終わり] ながき夜の ねむりの後も、なほ夜なる 月おし照れり。河原菅原 川原の樗《アフチ》の隅の繁《シ》み/\に、夜ごゑの鳥は、い寢あぐむらし 川原田に住みつゝ曇る月の色 稻の花|香《ガ》の、よどみたるかも かの見ゆる丘根《ヲネ》の篶《スヽ》原 ひたくだりに、さ夜風おだやむ 月夜のひゞき をちかたに、水霧《ミナギラ》ひ照る湍《セ》のあかり 龍女《リユウニヨ》のかげ 群れつゝをどる 光る湍の 其處につどはす三世《ミヨ》の佛《ホトケ》 まじらひがたき、現身《ウツソミ》。われは ひたぶるに月夜《ツクヨ》おし照る河原かも。立たすは 藥師。坐《ヰ》るは 釋迦|文尼《モニ》 湍を過ぎて、淵によどめる波のおも。かそけき音も なくなりにけり 時ありて 渦波《ウヅナミ》おこる淵のおも。何おともなき そのめぐりはも うづ波のもなか 穿《ウ》けたり。見る/\に 青蓮華《シヤウレングヱ》のはな 咲き出づらし 水底《ミナソコ》に、うつそみの面わ 沈透《シヅ》き見ゆ。來む世も、我の 寂しくあらむ 川霧にもろ枝|翳《サ》したる合歡《ネム》のうれ 生きてうごめく ものあるらしも 合歡の葉の深きねむりは見えねども、うつそみ愛《ヲ》しき その香たち來も [#ここから2字下げ] 午後 [#ここで字下げ終わり] 霜|凍《イ》ての、ぬくもり解くる西おもては、夕かげすでに もよほしにけり 「飯田町國學院の庭」 [#ここから2字下げ] 友よ [#ここで字下げ終わり] 目ふたぎて いまだは睡《ネ》ねど、しづごゝろ 怒りに堪ふる思ひになり來《ク》 たはやすく 人の言をまことあるものとし憑む。さびしき我がさが 鐵瓶の 鳴り細りゆくゝら闇の 燠火《オキビ》のいろに、念ひ凝すも 面《オモ》むかへば、たゞちに信じ、ひたぶるに心をゆるす すべなきわがさが とまりゆく音のまどほさ。目に見えぬ時計のおもてに、ひた向ひ居り いきどほる心おちつく すべなさや。門弟子ひとり 今宵とめたり もろともに 若きうれひはとひしかど、人の悔しき年にはなりつ [#改ページ]  大正九年 ―四十七首― [#ここから2字下げ] 大阪 [#ここで字下げ終わり] 風吹きて 岸に飄蕩《カヒロ》ぐ舟のうちに、魚を燒かせて 待ちてわが居り 川風にきしめく舟にあがる波。きえて 復《マタ》來る小き鳥 ひとつ はやりかぜに、死ぬる人多き町に歸り、家をる日かず 久しくなりぬ ふるさとの町を いとふと思はねば、人に知られぬ思ひの かそけさ ふるさとはさびしかりけり。いさかへる子らの言も、我に似にけり をり/\に しいづる我のあやまちを、笑ふことなる 家はさびしも 久しくはとまらぬ家に、つゝましく 人ことわりて、こもる日つゞく 兄の子の遊ぶを見れば、圓くゐて 阿波のおつるの話せりけり いわけなき我を見知りし町びとの、今はおほよそは、亡くなりにけり [#ここから2字下げ] みぞれ [#ここで字下げ終わり] よろこびて さびしくなれり。庭松に 霙のそゝぐ時うつりつゝ 國さかり この二十年を見ざりけり。目を見あひつゝあるは すべなし をぢなきわらはべにて 我がありしかば、我を愛《カナ》しと言ひし人はも つぶ/″\に かたらひ居りて飽かなくに、年深き町のとゞろき聞ゆ 若き時 旅路にありしことおほく 忘れずありけり。われも わが友も 過ぎにし年をかたらへば、はかなさよ。牀の黄菊の 現《ウツ》しくもあらず 酒たしむ人になりたる友の顏 いまだわかみと 言に出でゝほめつ 宵あさく 霙あがりし闇のそら なほ雪あると 言ひにけるかも あはずありし時の思ひあり。夜の街 小路《コウヂ》のあかり、大路にとゞく 雨のゝち あかりとぼしきぬかり道に、心たゆみのしるきをおぼゆ 星滿ちて 霜|氣《ゲ》霽れたる空濶し。値ひがたき世に あふこともあらむ 行きとほる 家《ヤ》竝みのほかげ明ければ、人いりこぞる家 多く見ゆ 夜の町に、室《ムロ》の花うるわらはべの その手かじけて、花たばね居り 道なかに 花賣れりけり。別れ來し心つゝしみに 花もとめたり 過ぐる日は、はるけきかもと 言ひしかど、人はすなはち はるけくなりつ [#ここから2字下げ] 山うら [#ここで字下げ終わり] 御柱《オンバシラ》海道 凍てゝ眞直なり。かじけつゝ 鷄はかたまりて居る うちわたす 大泉《オホヅミ》 小泉《コヅミ》 山なほ見え、刈り田の面は、昏くなりたり [#ここから4字下げ] その山かげには、赤彦さんの生家がある。 [#ここで字下げ終わり] 八《ヤツ》个|嶺《ネ》の その山竝みに、蓼科の山の腹黄なり。霧霽れ來れば 八个|嶽《タケ》の山うらに吸ふ朝の汁。さびしみにけり。魚のかをりを 諏訪びとは、建《タケ》御名《ミナ》方《カタ》の後といへど、心|穩《オダ》ひの あしくもあらず [#ここから2字下げ] 母 [#ここで字下げ終わり] この心 悔ゆとか言はも。ひとりの おやをかそけく 死なせたるかも かみそりの鋭刃《トバ》の動きに おどろけど、目つぶりがたし。母を剃りつゝ あわたゞしく 母がむくろをはふり去る心ともなし。夜はの霜ふみ 見おろせば、膿《ウナ》涌《ワ》きにごるさかひ川 この里いでぬ母が世なりし まれ/\は、土におちつくあわ雪の 消えつゝ 庭のまねく濡れたり 苔つかぬ庭のすゑ石 面かわき、雨あがりつゝ 晝の久しさ 古庭と荒れゆくつぼも ほがらかに、晝のみ空ゆ 煙さがるも 町なかの煤ふる庭は、ふきの薹《タフ》たちよごれつゝ 土からび居り 庭の木の立ち枯れ見れば、白じろと 幹にあまりて、蟲むれとべり 二七日《フタナノカ》 近づきにけり。家深く 藏に出で入る土戸のひゞき 家ふえてまれにのみ來る鶯の、かれ 鳴き居りと、兄の言ひつゝ 靜けさは 常としもなし。店とほく、とほりて響く ぜに函の音 さびしさに馴れつゝ住めば、兄の子のとよもす家を 旅とし思ふ はらからのかくむ火桶に唇《クチ》かわき、言《コト》にあまれる心はたらへり 顏ゑみて その言しぶる弟の こゝろしたしみは、我よく知れり たま/\は 出でつゝ間ある兄の留守。待つにしもあらず 親しみて居り 若げなるおもわは、今は とゝのほり、叔母のみことの 母さびいます 遠くより 歸りあつまるはらからに、事をへむ日かず いくらも殘らず [#改ページ]  大正八年 ―百二十七首― [#ここから2字下げ] 霜夜 [#ここで字下げ終わり] 竹山に 古葉おちつくおと聞ゆ。霜夜のふけに、覺めつゝ居れば わがせどに 立ち繁《シ》む竹の梢《ウレ》冷ゆる 天《アメ》の霜夜と 目を瞑《ツブ》りをり とまり行く音と聞きつゝ さ夜ふかき時計のおもてを 寢て仰ぎ居り 枕べのくりやの障子 あかりたり。疊をうちて、鼠をしかる ひき※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]のがらすにあたる風のおと 霜の白みは、夜あけかと思ふ くりや戸のがらすにうつる こすもすの夜目のそよぎは、明け近からし 息ざしの 土に觸りたる外《ト》のけはひ 誰かい寢らし。わが軒のうちに [#ここから2字下げ] 蒜の葉 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 叱ることありて後 [#ここで字下げ終わり] 薩摩より、汝がふみ來到《キタ》る。ふみの上に、涙おとして喜ぶ。われは [#ここから3字下げ] 蒜の葉 [#ここで字下げ終わり] 雪間にかゞふ蒜《ヒル》の葉 若ければ、我にそむきて行く心はも おのづから 歩みとゞまる。雪のうへに なげく心を、汝《ナ》は 知らざらむ 朝風に、粉雪けぶれるひとたひら。會津の櫻 固くふゝめり 雪のこる會津の澤に、赤きもの 根|延《ハ》ふ野※[#「木+虎」の「儿」に代えて「且」、第4水準2-15-45]《シドミ》は、かたまり咲けり 踏みわたる山高原《ヤマタカハラ》の斑《ハダ》れ雪。心さびしも。ひとりし行けり 會津|嶺《ネ》に ふりさけゝぶる雪おろしを 見つゝ呆《ホ》れたる心とつげむ 榛《ハリ》の木の若芽つやめく晝の道。ほと/\ 心くづほれ來る [#ここから3字下げ] 鹿兒島 [#ここで字下げ終わり] 島山のうへに ひろがる笠雲あり。日の後の空は、底あかりして ゑまひのにほひ なほいわけなき子を見まく 筑紫には來つ。心たゆむな 憎みつゝ來し汝がうなじに 骨いでゝ 痩せたる後姿《ウシロ》見むと思へや うなだれて、汝はあゆめり 渚の道。憎しと思ふ心にあらず 憎みがたき心はさびし。島山の緑かげろふ時を經につゝ 汝が心そむけるを知る。山路ゆき いきどほろしくして、もの言ひがたし 叱りつゝ もの言ふ夜はの牀のうちに、こたへせぬ子を あやぶみにけり 庭草に、やみてはふりつぐつゆの雨 心怒りのたゆみ來にけり わが默《モダ》す心を知れり。燈のしたに ひたうつむきて、身じろかぬ汝《ナレ》は 虔《ツヽ》ましきしゞまに 對《ムカ》ふ汝がうなじに、一つゐる蚊を、わが知りて居り ころび聲 まさしきものか。わが聲なり。怒らじとする心は おどろく 燈のしたに、怖《オ》ぢかしこまる汝《ナ》が肩を 痩せたりと思ひ、心さびしも からくして 面《オモテ》を起す 汝が頬 白くかわきて 胸はかりがたし 一言を言ひ疏《ト》くとせぬ汝の顏 まさに瞻《モ》りつゝ あやぶみにけり 言に出でゝ言はゞゆゝしみ、搏動《イキドホ》る胸を堪へつゝ 常の言いへり 待ちがたく 心はさだまる。庭冷えて 露くだる夜となりにけるかも さ夜深く 風吹き起れり。待ち明す 心ともあらず。大路のうへに 額《ヌカ》のうへに くらくそよげる城山の 梢を見れば、夜はもなかなり 篠垣の夜深きそよぎ 道|側《ヅラ》に、立ちまどろめる心倦みつゝ はるけき 辻ゆ來向ふ車の燈。音なきはしりを瞻《モ》る夜はふけぬ をちこちの家に、ま遠に うつ時計。大路の夜の くだつを知れり 夜なかまで 家には來ずて、わが目|避《ヨ》く汝があるきを 思ひ苦しも [#ここから3字下げ] 寄物陳思 [#ここで字下げ終わり] 尾張ノ少咋《ヲグヒ》のぼらず。年滿ちて、きのふも今日も、人|續《ツ》ぎて上る つくしの遊行《ウカレ》孃子《ヲトメ》になづみつゝ、旅人《タビト》は 竟《ツヒ》に還りたりけり よき司 われは持《モ》たらぬ憶良ゆゑ、汝がゐやまひは、受け得ずなりたり [#ここから3字下げ] かの少咋の爲に [#ここで字下げ終わり] 國遠く、我におぢつゝ 汝が住みてありと思ふ時 悔いにけるかも 何ごとも、完《スデ》にをはりぬ。息づきて 全《マタ》く霽《ハル》けむ心ともがな 寛恕《ユルシ》なき我ならめや。汝を瞻るに、心ほとほと息づくころぞ 庭の木の古葉掃きつゝ、待ちごゝろ失せにし今を 安しと思はむ [#ここから2字下げ] めひ [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 私の姉なるその母と、十一二の頃から、私の生家に來てゐた女姪福井富美子は、去年女學校もすまして、今年十九になつてゐたのであつた。 [#ここで字下げ終わり] わが家のひとり處女の、常默《ツネモダ》すさびしきさがを 叱りけり。わが をとめはも。肩の太りのおもりかに、情《ヨ》づかず見えし その後姿《ウシロ》はも われの家にをとめとなりて、糾《アザ》ね髪 たけなるものを 死なせつるかも 茨田《マムダ》野の水涌き濁る塚原を、處女の家と 思ひ堪へめや あきらめてをり と告げ來る 汝が母のすくなきことばは、人を哭かしむ [#ここから2字下げ] 郡上八幡 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 八月末、長柄川の川上、郡上《グジヤウ》の町に入る。この十二日の晝火事で、目抜きの街々、家千二百軒が燒けてゐた。 [#ここで字下げ終わり] 燒け原の町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて、秋近づけり ゆくりなき旅のひと日に、見てあるけり。家亡びたる 山の町どころ 町びとは、いまだ愕くことやまず 家建ていそげり。燒け原の土に 燒け原の町の庭木は、幹焦げて 立ちさびしもよ。山風吹くに 夕されば、丘根《ヲネ》吹きくだる山颪の 青葉散りわたる。燒け土の原 青山の山ふところにほこり立ち、夕日かすめり。燒け原のうへ 山の際《マ》にほこりたなびき うらがなし。夕日あらはに、町どころ見ゆ [#ここから2字下げ] 姶羅の山 [#ここで字下げ終わり] もの言ひて さびしさ殘れり。大野らに、行きあひし人 遙《ハル》けくなりたり はろ/″\に 埃をあぐる晝の道。ひとり目つぶる。草むらに向きて 夏やまの朝のいきれに、たど/″\し。人の命を愛《ヲ》しまずあらめや 遂げがたく 心は思《モ》へど、夏山のいきれの道に、歎息《ナゲキ》しまさる 言《コト》たえて 久しくなりぬ。姶羅《アヒラ》の山 喘《ア》へつゝ越ゆと 知らずやあらむ 日の照りの おとろへそむる野の土の あつき乾きを 草鞋にふむも 火の峰の山ふところに 寢て居りと思ふこゝろは おどろかめやも 木々とよむ雨のなかより 鳥の聲 けたゝましくてして、やみにけるかも 兒湯の山 棚田の奥に、妹《イモ》と 夫《セ》と 飯《イヒ》はむ家を 我は見にけり つばらに さゝ波光る赤江《アカエ》灘。この峰《ヲ》のうへゆ 見|窮《キハ》めがたし 海風の吹き頻《シ》く丘の砂の窪。散りたまる葉は、すべて青き葉 木のもとの仰ぎに 疎《アラ》き枝のうれ。朝間の空は、色かはり易し 朝日照る川のま上のひと在所。臺地の麥原《ムギフ》 刈りいそぐ見ゆ 緑葉のかゞやく森を前に置きて、ひたすらとあるくひとりぞ。われは 燒き畑のくろの立ち木の 夕目には、寂しくゆらぐ。赤き緒の笠 兒湯《コユ》の川 長橋わたる。川の面《モ》に、搖れつゝ光る さゞれ波かも 森深き朝の曇りを あゆみ來て、しるくし見つも。藤のさがりを 青空になびかふ雲の はろ/″\し。ひとりあゆめる道に つまづく 山原の茅原《チフ》に しをるゝ晝顏の花。見過しがたく 我ゆきつかる 裾野原 野の上《ヘ》に遠き人の行き いつまでも見えて、かげろふ日の面《オモ》 諸縣《モロガタ》の山にすぐなる杣の道。疑はなくに 日は夕づけり 山下《ヤマシタ》に、屋庭まひろきひと構へ。道はおりたり。その夕庭に 山の子は、後姿《ウシロ》さびしも。風呂たきて、手拭白く かづきたりけり この家の人の ゆふげにまじりつゝ、もの言ひことなる我と思へり 旅ごゝろのおどろき易きを叱りつゝ、柴火のくづれ 立てなほし居り 日のゝちを いきれ殘れり。茶臼|原《バル》の夏うぐひすは、草ごもり鳴く こすもすの蕾かたきに、手觸りたり。旅をやめなむ 心を持ちて 谷風に 花のみだれのほの/″\し。青野の槿 山の邊《ヘ》に散る 燒けはらの石ふみわたるわがうへに、山の夕雲 ひくゝ乗れ來も ゆふだちの雨みだれ來る茅原ゆ、むかつ丘かけて 道見えわたる 野のをちを つらなりとほる馬のあし つばらに動く。夕雲の下《シタ》に 幹だちのおぼめく木々に、ゆふべの雨 さやぐを聞きて、とまりに急ぐ 麥かちて 人らいこへる庭なかの 榎のうれに、鳥あまた動く 庭の木に、ひまなくうごく鳥のあたま 見つゝ 遠ゆくこと忘れ居り 竝み木原、車井のあと をちこち見ゆ。國は古國。家居さだまらず 峰《ヲ》の上《ヘ》の町 家竝みに人のうごき見ゆ。山高くして、雲行きはやし 道のうへにかぐろくそゝる高山の 山の端あかり 居る雲の見ゆ 窓のしたに、海道《カイダウ》ひろく見えわたり、さ夜の旋風《ツムジ》に、土けぶり立つ 山岸の葛葉のさがり つら/\に、仰ぎつゝ來し。この道のあひだ [#ここから2字下げ] 一周忌 [#ここで字下げ終わり] 山茱萸《サンシユユ》のふゝめるまゝの冬の枝 傾ける 土の霜はとけたり 山茱萸の 春のさかりはまだ遠し。母います土を偲びて居らむ [#ここから2字下げ] 冬木原 [#ここで字下げ終わり] 梢《ウレ》高き椚《クヌギ》が原に、朝日さし、仰げは 目につく。山繭のから 森の木のほつ枝にのこる山繭のから ひとり すべなき心を持てり 默《モダ》ゆく心たへがたし。下向きて その孔見ゆれ。山繭のから まだ暮れぬ檜原《ヒバラ》をゆする風のおと、あゆみをとめて、ひとりと知れり 風の音は 暮れしに似たる檜原のなか。梢を見れば、まだあかりあり 枯れ茅の 見おろし遠きどてのもと 穴に吸はるゝ 水の音すも かれ茅のなづさふ川の雪消の水 青みふかくして、上《ウハ》にごりをり 朝來たり ふたゝびとほる雪のうへに、鳥の足がた みだれてありけり 檜原の うしろにさがる丘根《ヲネ》の側面《ツラ》。斑雪《ハダレ》の色は、いまだもくれず 宵の間の冱《サ》えはゆるべる夜のくだち 雨ふるらしも。雪道のうへに きさらぎの朝間の照りに、霜けぶる 茅枯れ原の臥しみだれはも [#ここから2字下げ] 枯山 [#ここで字下げ終わり] 枯山《カラヤマ》の梢 さや/\雪散りて、こがらし吹きたつ。山の窪みに から山の木《コ》むらに向きて吐く息を ひとりさびしめり。深く入り來て 冬山の木原《コバラ》の霜の見わたしに、おのづからひらく。いきどほる胸 霜とくる冬草の葉の濡れ色の 目に入りきたる。心なごみに [#ここから2字下げ] 正月、梧平に寄す [#ここで字下げ終わり] よべいねし部屋にさめたる あかつきの目に搖れてゐる 牀の山蘰《ヤマカゲ》 さ夜深く醒めて驚く。こは早も 年變りぬる時計のひゞき 子どもあまた育つる家に 子らい寢て、親は起き居り。春のいそぎに いとけなき太郎|男《ヲ》の子の、肩はりて横座に坐《ヰ》るを 笑み瞻《マモ》る親 仲子《ナカチコ》と 末の女《メ》の子《コ》の赤ら頬に、つきをかしもよ。おしろいの色 三人子の母となりて、友の妻 つまさびゐるも。春立てる家に [#ここから2字下げ] 春隣 [#ここで字下げ終わり] 草の株まじりて黒き冬畑の 畝はぬ土は、霜にふくれたり [#ここから2字下げ] 朝山 [#ここで字下げ終わり] おのづから まなこは開く。朝日さし 去年のまゝなる部屋のもなかに 猿曳きを宿によび入れて、年の朝 のどかに瞻《マモ》る。猿のをどりを 遠き代の安倍《アベ》の童子《ドウジ》のふるごとを 猿はをどれり。年のはじめに 目の下の冬木の中の村の道 行く人はなし。鴉おりゐる 麥の原《フ》の上にひろがる青空を こは 雁わたる。元日の朝 元日は 悠々《ウラ/\》暮れて、ふゆ草の原 まどかに沈む赤き日のおも 故《モト》つびと 山に葛掘り、む月たつ今朝を入るらむ。深き林に [#改ページ]  大正七年 ―五十六首― [#ここから2字下げ] 金富町 [#ここで字下げ終わり] この家の針子は いち日笑ひ居り。こがらしゆする障子のなかに 晝さめて こたつに聞けば、まだやめず。弟子をたしなむる家|刀自《トジ》のこゑ 馴れつゝも わびしくありけり。家|刀自《トウジ》 喰はする飯を三年はみつゝ はじめより 軋みゆすれしこの二階。風の夜ねむる靜ごゝろかも 雇はれ來て、やがて死にゆく小むすめの命をも見し。これの二階に [#ここから2字下げ] お花 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 高梨の家のお花が死んだのは、ちぶすでだつた。年は十三であつたと思ふ。 [#ここで字下げ終わり] したに坐《ヰ》て もの言ふすべを知りそめて、よき小をんなとなりにしものを 朝々に 火を持ち來り、炭つげるをさなきそぶり 牀よりぞ見し よろこびて 消毒を受く。これのみが、わがすることぞ。うなゐ子のため [#ここから2字下げ] 村の子 [#ここで字下げ終わり] 笹の葉を喰みつゝ 口に泡はけり。愛《カナ》しき馬や。馬になれる子や 麥芽たつ丘べの村の土ぼころに 子どもだく踏む。馬のまねして [#ここから2字下げ] 雪 [#ここで字下げ終わり] さ夜なかに 覺めておどろく。夜はの雪 ふりうづむとも 人は知らじな ひそやかに あゆみをとゞむ。夜はの雪踏み行くわれと 人知らめやも 鴉なくお濱離宮の松のうれ つら/\白き 雪のふりはも 足柄の小峰《コミネ》の原に、晝の雪|淡《アサ》らにふりて、雀出てゐる 松むらに、吹雪けぶれる丘のうへ 閑院さまの藁の屋根 見ゆ [#ここから2字下げ] 堀の内 [#ここで字下げ終わり] 藪そとの石橋に出て、道ひろし。夕さゞめきて 人つゞき來る [#ここから2字下げ] 端山 [#ここで字下げ終わり] やどり木の、枯れて繁《シ》み立つ谷の※[#「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25]《カシ》 梢見かけて、なぞへ急《キフ》なり 谷ごしに、黒く墳《ウゴモ》る松山や、青嶺《アヲネ》の斑雪《ハダレ》 夕日かゞやく 級畠《シナバタ》の 柑子《カウジ》の山に殘る雪。あかり身にしむ。春の 日の入り まさ青《ヲ》に ゆふべなだるゝ草の原。この峰《ヲ》のあかりきえはてにけり 日のゝちの 明り久しき岨道《ソバミチ》に、そよぎをぐらし。柑子の葉むら 峰|亘《ワタ》す崖路《ホキ》のはだれは、草かげの昏れての後ぞ、目に冱え來る ひた落ちに、丘根《ヲネ》はさがれり。夕深き眼のくだり 雪の色見ゆ 峰《ヲ》の上《ヘ》には、さ夜風おこる木のとよみ。たばこ火あかり、人くだり來も [#ここから3字下げ] * [#ここで字下げ終わり] 奧山の樒が原ゆ立つ鳥の 一羽のあとは、立つ鳥もなし [#ここから2字下げ] 大つごもり [#ここで字下げ終わり] この霜にいで來ることか。大みそか 砂風かぶる。阪のかしらに 乾鮭《カラサケ》のさがり しみゝに暗き軒。錢よみわたし、大みそかなる 病む母も、明日は雜煮《ザフニ》の座になほる 下《シタ》ゑましさに、臥《ネ》ておはすらむ この部屋に、日ねもすあたる日の光り 大つごもりを、とすれば まどろむ 屋向ひの岩崎の門《モン》に、大かど松たつるさわぎを見おろす。われは [#ここから2字下げ] 除夜 [#ここで字下げ終わり] ふろしきに 鱈の尾見えて來る女の、片手の菊は、雨に濡れたり [#ここから3字下げ] * [#ここで字下げ終わり] 年の夜の雲吹きおろす風のおと。二たび出で行く。砂捲く町へ 年の夜の阪のゝぼりに 見るものは、心やすらふ大|※[#「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25]《カシ》のかげ 年の夜《ヨル》 あたひ乏しきもの買ひて、銀座の街をおされつゝ來る 戻り來て、あか/\照れる電燈のもと。寢てゐる顏に、もの言ひにけり 第一高等學校の生徒來て、挨拶をしたり。年の夜ふかく 槐の實 まだ落ちずあることを知る。大歳《オホトシ》の夜 月はふけにけるかも 髣髴《ケシキ》顯《タ》つ。速吸《ハヤスヒ》の門《ト》の波の色。年の夜をすわる疊のうへに 年玉は もてあそび物めきて見ゆ。机に竝べ、すべながりつゝ 金太郎よ 起きねと 夜はによびたれば、湯にや行かすと ねむりつゝ聞けり 人こぞる湯ぶねの上のがすの燈を 年かはる時と 瞻《マモ》りつゝ居り 湯のそとに、はなしつゝ洗ふ人の聲。げに 事多き年なりしかも 五錢が花を求めて 歸るなり。年の夜 霜のおりの盛りに わが部屋に、時計の夜はの響きはも。大つごもりの湯より戻れば 年の夜は 明くる近きに、水仙の立ちのすがたをつくろひゐるも 年の夜を寢むと言ひつゝ 火をいけるこたつは、灰のしとりしるしも 年の夜の明くる待ちつゝ 久しさよ。こも/″\起きて、こたつを掘るも 臥て後も しばし起きゐる 年の夜のしづまる街を、自動車來たる しづまれる街のはてより、風のおと 起ると思《モ》ひつゝ うつゝなくなる [#ここから2字下げ] だうろく神まつり [#ここで字下げ終わり] 乾《カラ》風の 砂捲く道に日は洩れて、睦月|八日《ヤウカ》の空 片ぐもる 磯近き冬田に群れて 鳥鳴けり。見つゝ聞きつゝ 道ゆく。われは 道なかに、御幣《オンベ》の齋串《イグシ》たちそゝり、この村深く 太鼓とゞろく 七ぐさの 今日は明くる日。里なかのわらべに問へば、道饗《ミチア》へに行く もの忘れをして 我は居にけり。夫婦《メヲト》神《ガミ》も、目を見あひつゝ 笑み居たまへり 村の子は、女夫《メヲ》のくなどの 肩|擁《ダ》きています心を よく知りにけり 供へ物 五厘が鹽を買ひにけり。こゝの道祖をはやさむ。われも [#改ページ]  大正六年 ―百十二首― [#ここから2字下げ] 霜 [#ここで字下げ終わり] ※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]の外は、ありあけ月夜《ヅクヨ》。おぼゝしき夜空をわたる 雁のつらあり おのづから 覺め來る夢か。汽車のなかに、夜ふかく知りぬ。美濃路に入るを 陸橋の 伸《ノ》しかぶされる停車|場《バ》の 夜ふけ久しく、汽車とまり居り 眉間《マナカヒ》に、いまはのなやみ顯《タ》ち來たる 母が命を死なせじとすも 死にたまふ母の病ひに趨くと ゐやまひふかし。汽車のとよみに 汽車はしる 闇夜にしるき霜の照り。この冷《サヤ》けさに、人は死なじも 汽車の燈は、片あかりをり。をぐらき顏うつれる※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]に、夜深く對へり ※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]の外《ソト》は 師走八日の朝の霜。この夜のねぶり 難かりしかも 汽車に明けて、野山の霜の朝けぶり すがしき今朝を 母死なめやも 病む母の心 おろかになりぬらし。わが名を呼べり。幼名によび いわけなき母をいさむるみとり女《メ》の 訛り 語りの 憑《タノモ》しくあり [#ここから2字下げ] 山および海 [#ここで字下げ終わり] 速吸《ハヤスヒ》の門《ト》なかに、ひとつ逢ふものに くれなゐ丸の 艫じるし見ゆ 道の邊《ベ》の廣葉の蔓《カヅラ》 けざやかに、日の入りの後《ノチ》の土あかりはも 汽車の※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68] こゝにし迫る小松山 峰《ヲ》の上《ヘ》の聳《ソヽ》りはるけくし見ゆ 夕|闌《タ》けて 山まさ青《ヲ》なり。肥後の奧 人吉の町に、燈の つらなめる 温泉《ユ》の上に、煙かゝれる柘《ツミ》の枝。空にみだるゝ 赤とんぼかも 遠き道したにもちつゝ、はたごの部屋 あしたのどかに、飯《イヒ》くひをはる この町に たゞ一人のみ知る人の 彼も見たてぬ 船場《フナバ》を歩く [#ここから2字下げ] 熊野 [#ここで字下げ終わり] 朝海の波のくづれに、あるく鴉。こゝの岸より行くわれあるを 鳥の鳴く朝山のぼり、わたつみのみなぎらふ光りに、頭をゆする 朝の間の草原《クサフ》のいきれ。疲れゆく 我《ワレ》を誰知らむ。熊野の道に 朝あつき町を來はなれ、道なかに、汗をふきつゝ ものゝさびしさ [#ここから2字下げ] 濱名 [#ここで字下げ終わり] 晝あつき家にこもれば、濱風の まさごはあがる。竹の簀の子に 夕かげの まほなるものか。をちかたに 洲崎の沙の、靜まれる色 [#ここから2字下げ] 夾竹桃 [#ここで字下げ終わり] さめ/″\と 今朝は霧ふる夾竹桃。片枝の荒れに、花はあかるき 群花《ムラバナ》の垂り著《シル》けれど、まともには、色おとろへず。夾竹桃の花 わが庭に、夾竹桃はしなえたり。ほこりをあびて、町より戻る 夕かげの庭のおくかの 隅深く 片あかりして、夾竹桃はある たま/\に目|屬《フ》りやすらふ。いぶせさは、夾竹桃の花にさだまり 古がめに一枝をりさし はれ/″\し。庭にも 内にも、夾竹桃の花 提燈のあかりのゝぼる闇の空 そこに さわめく 夾竹桃の花 片枝のすがれは、まほに あらはに見ゆ。日だまりに照る 夾竹桃のはな [#ここから2字下げ] ある生徒 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 十月十二日、もとの生徒の、自殺した噂を聞く。 [#ここで字下げ終わり] 血あえたる汝《ナレ》がむくろを、いぬじもの 道にすてつゝ 人そしりけり [#ここから2字下げ] 左千夫翁五年忌 [#ここで字下げ終わり] 水むけの茶碗の湛《たヽ》へ 搖れしるし。備《ソダ》れる墓のぬしと なりませり 吹きとほる風のそよめき、線香は、ほむら立ち來も。卒都婆のまへに 包み紙の赤きが濡れて、塚のうへにくゆり久しも。線香のたば さかりゐし松葉牡丹 へりにけり。み墓さやかになりにて 寂し たゞひと言 ほめくれたりと思ふ翁《ヲヂ》がことば うや/\しけれど、思ひ出でず。今は おくれ來て 寺の廣間にとほる茂吉 あつさ暑さと 扇ならすも 大川のさつきの水の濁り波。秀《ホ》がしら光る。そのくづれ波 [#ここから2字下げ] 夏相聞 [#ここで字下げ終わり] ま晝の照りきはまりに 白む日の、大地あかるく 月夜のごとし ま晝の照りみなぎらふ道なかに、ひそかに 會ひて、いきづき瞻《マモ》る 青ぞらは、暫時《イサヽメ》曇る。軒ふかくこもらふ人の 息のかそけさ はるけく わかれ來にけり。ま晝日の照りしむ町に、顯《タ》つおもかげ ま晝日のかゞやく道に立つほこり 羅紗のざうりの、目にいちじるし 街のはて 一樹の立ちのうちけぶり、遠目ゆうかり 川あるらしも 「ゆうかり」木の名 目の下に おしなみ光る町の屋根。こゝに、ひとり わかれ來にけり [#ここから2字下げ] 鑽仰庵 [#ここで字下げ終わり] うつり來て 麥原《ムギフ》廣原 たゞなかに、夜もすがら 燭《アカ》す庵なりけり 豐多摩の麥原のなかに、さ夜深く覺めてしはぶく。ともし火のもと こよひ早 夜なか過ぐらし。東京の 空のあかりは薄れたりけり 長き日の默《モダ》の久しさ 堪へ來つゝ、このさ夜なかに、一人もの言ふ 十方の蟲 こぞり來る聲聞ゆ。野に、ひとつ燈を守《モ》るは くるしゑ 更けて戻る夜戸のたどりに 觸りつれば、いちじゆくの乳《チ》は、ふくらみて居り 梅雨ふかく今はなりぬれ、暫時《イサヽメ》の照りのあかりを いみじがり居る 刈りしほの麥の穗あかり昏《ク》れぬれど、いよよさやけく 蛙子《カヘルゴ》は鳴く 刈りしほの麥原のなかは 晝の如《ゴト》明り殘りて 蛙鳴きゐる 二三人 汽車おり來つる高聲の こゝにし響く。おし照る月夜 さ夜|霽《バ》れのさみだれ空の底あかり。沼田の瀁《フケ》に、螢はすだく 曉《アケ》近き瀁田の畦《クロ》の 列《ツラ》竝《ナ》みに 螢はおきて、火をともしをり さみだれの夜ふけて敲く 誰ならむ。まらうどならば、明日來りたまへ さ夜風のとよみのなかに、窓の火の消えで殘れる たふとくありけり 鼠子の一夜のあれに 寢そびれて、曉はやく起きて、飯《イヒ》たく めう/\と あな うまくさき湯氣ふきて、朝餉《アサゲ》白飯《シライヒ》 熟《ウ》みにけるかも くりやべのしづけき夜らのさびしもよ。よべの鼠の こよひはあれず ゆふあへの胡瓜もみ瓜 醋《ス》にひでゝ、まだしき味を 喜びまほる [#ここから2字下げ] 朝の森暮の森 [#ここで字下げ終わり] 耳もとの鳥の羽ぶきに、森深き朝の歩みを とゞめたりけり むしあつき昨夜《ヨベ》ひと夜さに 生れいでゝ 朝森とよめ 初蝉はなく 朝森の砂地に 長くうごもれる ※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84]鼠《モグラ》の道は、土新らしも かの森の雜木のうら葉 さわだちに、照りみだりつゝ 風つのり行く 夕やけの空のあかりに ほのぐらく 枝はゆれゐる 向つ峰《ヲ》の松 森の葉のをぐらきそよぎ あまた夜を こゝには聞きつ。家さかりをり [#ここから2字下げ] 野あるき [#ここで字下げ終わり] 白じろと 經木眞田を編みためて、うつゝなきかも。草の上《ウヘ》のをとめ 道なかの庚申塚に穗麥さし、わが來て去ると、誰知るらめや 草の藪深く入り立ち、火をもやす男もだせり。さびしともなく [#ここから3字下げ] 桑 [#ここで字下げ終わり] 桑の畑 若枝のもろ葉うちゆすり、とほり照りつゝ 光りしづけし さ芽だちのみどひのいろひ にほはしき桑の若枝は 塵かうむれり うちわだす窪田のなだれ ひとゝころ。桑の若枝の、日にかゞやけり 吹きとよむ桑の中路の向ひ風 眩《マギラ》はしもよ。若葉の光り [#ここから3字下げ] 荒蕪 [#ここで字下げ終わり] 草のなか 光りさだまるきんぽうげ。いちじるしもな。花 群れゆらぐ きんぽうげ きわだつ花はほのかなれど、たゞこゝもとに、ま晝日は照る きんぽうげ、むら/\黄なり。風のむた その花ゆらぐ。いろひ かげろひ 草かげに、九品《クホン》佛《ボトケ》はいましつれ。現《ウツ》しくゆれて、きんぽうげの花 [#ここから3字下げ] 麥畑 [#ここで字下げ終わり] かゞやかに 穗竝みゆすれて、吹きとほる 麥原《ムギフ》の底の風はほとれり 麥の原《フ》の穗だち はるけくおしなみに、照り白む日は 光りしづめり 黒土の畝に、穗立ちのひたさ青《ヲ》に 端正《イツク》しきかも。麥|秀《ホ》き竝ぶ 麥の花 ひそかなれども、目につきて咲きゐる暮れを 風のさびしさ 山岸に 穗麥のあかり照りかへり、あらはなるかも。赤松の幹 夕畑や 黒穗の立ちのまざ/″\と をちこち見えて さびし。入る日の 夕かげる麥|原《フ》中道おち窪に、蹈み處《ド》をぐらく 日は洩り來る 草のうへに 蹈みためがたきわが歩み。はだしになれど、いたもすべなし 晝ぎらふ麥原めぐりて來たる音 車かたりと、土橋にかゝる [#ここから3字下げ] 午後二時 [#ここで字下げ終わり] わが山に戻り來にけり。くりやべに、晝を鳴けるは、こほろぎならむ ゆくりなく 目につきにけり。薔薇の後《ノチ》、庭木のうれの みな緑なる わが庭のやつでの廣葉 ゆすりたち、さやかに こゝを風の過ぎゆく [#ここから2字下げ] いろものせき [#ここで字下げ終わり] うすぐらき 場すゑのよせの下座の唄。聽けば苦しゑ。その聲よきに 白じろと更けぬる よせの疊のうへ。悄然《ボツサリ》ときてすわりぬ。われは 衢風《チマタカゼ》砂吹き入れて、はなしかの高座のまたゝき さびしくありけり 誰一人 客はわらはぬはなしかの工《タクミ》 さびしさ。われも笑はず 高座にあがるすなはち 處女ふたり 扇ひらきぬ。大きなる扇を 新内の語りのとぎれ おどろけば、座頭|紫朝《シテウ》は 目をあかずをり 「富久《トミキウ》」のはなしなかばに 立ちくるは、笑ふに堪へむ心にあらず [#ここから2字下げ] 清志に與へたる [#ここで字下げ終わり] 臥《ネ》たる胸しづまりゆけば、天さかるひなの薩摩し さやに見え來も 告げやらば 若き心に歎かめど、汝《ナ》が思ひ得むわびしさならず しごとより疲れ歸りて、うつゝなく我は寢《ヌ》れども、明日さめにけり 朝鮮の教師に ゆけと慂め來る あぢきなきふみに、うごく わが心 [#ここから2字下げ] 校正室 [#ここで字下げ終わり] まのあたり ま日薄れ來る※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]がらす 今はほのめくわが手の動き 捲きたばこ 藁灰ふかくさしたれば、夕づく部屋に、いぶりいでつも [#ここから2字下げ] 新橋停車場 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 金澤先生の、東京を去られた時 [#ここで字下げ終わり] こがらしの凪ぎにし後のあかるさや ゆきとゞまらず。あすふぁるとの道 いさゝめの町のあるきに、竝み來つゝ 相知らなくも、さびしかりけり 芝口の車馬のとよみの、晝たけて け近く聞ゆ。この足もとに 高架線のぷらっとほうむ 長ながと、今日も冱えつゝ 昏るゝなりけり 汽車のまど そこにさびしく さし對ひ めをといませて 汽車遠ざかる [#改ページ]  大正五年 ―二十五首― [#ここから2字下げ] 火口原 [#ここで字下げ終わり] しんとして 聲あるものか。わが脚は、明星个嶽の草に觸り行く 靡き伏す羊齒はをれつゝ、重れる葉裏 目いたし。霜じめる色 日だまりの山ふところに居たりけり。四方の梢のこがらし 聞ゆ 峰ごしに 鳴く鳥居つゝ 時久し。山ふところに、日はあたり居り 足柄の金時山に 入り居りと 誰知らましや。この草のなか 峰遠く 鳴きつゝわたる鳥の聲。なぞへを登る影は、我がなり 這ひ松の這ひの上《ノボ》りや。はる/″\に 目をまかせつゝ、山腹《ヤマハラ》に居り をちこちに 棚田いとなみ、足柄の山の斜面に、人うごく見ゆ 向つ峰《ヲ》の※[#「木+無」、第3水準1-86-12]《ブナ》の梢の 霧ごもり、今はしづまる。夕空のもと ころぶせば 膚にさはらぬ風ありて、まのあたりなる草の穗は搖る 日の後《ノチ》のうすあかるみに、山の湯へ 手拭さげて、人來たるなり [#ここから2字下げ] 森の二時間 [#ここで字下げ終わり] 森ふかく 入り坐《ヰ》てさびし。汽笛鳴る湊の村に さかれる心 この森の一方に はなしごゑすなり。しばらく聽けば、女夫《メヲト》 草刈る この森のなかに 誰やら寢て居ると、はなし聲して、四五人とほる 此《コ》は 一人 童兒|坐《ヰ》にけり。ゆくりなく 森のうま睡《イ》ゆ さめしわが目に まのあたり 幹疎《モトアラ》木々の幹あまた 夕日久しくさして居にけり 楢の木の乏しき葉むら かさ/\と 落ちず久しみ、たそがれにつゝ [#ここから2字下げ] 初七日 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 今西甚三郎のために [#ここで字下げ終わり] この家の伊豫|簾《ス》のなかに、汗かきて 酒のみをらむ心にあらず わが前に、ふたり立ち舞ふ をみな子の手ぶり見まもり、いぶかしくあり 今日の日の すべなきかもよ。おもしろき手ぶりを見れば、心哭かれぬ 初七日のほとけを持てり。この酒に、今し くるしく 醉ひてあるべしや 夕かげに 呆《ホ》れつゝ居れば、蜩も 今は声絶え しづまりにけり 生き死にの悠《ヒサ》なるものか。うつそみの人のわかれに、目をとぢにつゝ [#ここから2字下げ] いろは館 [#ここで字下げ終わり] 夏かげの この居間に客來るなり。四方のもの音 しづまるま晝 ま日深くこもれる家に 待ち久し。蚊は鳴き寄り來。ほのに ま遠に [#改ページ]  大正四年以前、明治四十四年迄 ―八十七首― [#ここから2字下げ] おほとしの日 [#ここで字下げ終わり] 除夜の鐘つきをさめたり。靜かなる世間にひとり 我が怒る聲 大正の五年の朝となり行けど、膝もくづさず 子らをのゝしる 墓石の根府川石に水そゝぐ。師走の日かげ たけにけるかも どこの子のあぐらむ凧ぞ。大みそか むなしき空の たゞ中に鳴る 机一つ 本箱ひとつ わが憑む これの夜のくまと、目つぶりて寢《ヌ》る [#ここから2字下げ] 左千夫翁三周忌 [#ここで字下げ終わり] 牛の乳《チ》のにほひつきたる著る物を、胸毛あらはに 坐《ヰ》し人あはれ あぢきなき死にをせしかと、片おひのうなゐを哭きし その父もなし 裏だなを 背戸ゆ見とほし 夏の日の照りしづまりに けどほき墓原 あわたゞしく 世はありければ、たま/\も 忘れむとする墓をとぶらふ [#ここから2字下げ] 菟道 [#ここで字下げ終わり] わが腹の、白くまどかにたわめるも、思ひすつべき若さにあらず 如月の雪の かそけきわがはぎや。白き光りに 目をこらしつゝ 順禮は鉦うちすぎぬ。さびしかる世すぎも、ものによるところある なむあみだ すゞろにいひてさしぐみぬ。見まはす木立ち もの音もなき ざぶ/″\と、をり/\水は岸をうつ。ひとりさびしく 麥蹈みてゐむ 白じろと たゞむき出し畝をうつ 畠の男 あち向きて 久し 日の光り そびらにあびて寒く行く百姓をとこ。ものがたりせむ [#ここから2字下げ] 錢 [#ここで字下げ終わり] たなぞこに 燦然としてうづたかき。これ わが金と あからめもせず 道を行くかひなたゆさも こゝろよし。このわが金の もちおもりはも 目ふたげば、くわう/\として照り來る。紫摩《シマ》黄金《ワウゴン》の金貨の光り たなそこのにほひは、人に告げざらむ。金貨も 汗をかきにけるかな [#ここから2字下げ] 海軍中尉三矢五郎氏を悼む [#ここで字下げ終わり] わたつみの海にいでたる富津《フツ》の崎 日ねもす まほに霞むしづけさ そのむくろ覓《ト》むと わがいはゞ、わたなかの八尋さひもち こたへなむかも うろくづのうきゐる浪になづさひて ありとし君を 人のいはずやも [#ここから2字下げ] 家びとの消息來て [#ここで字下げ終わり] 家のため博士になれと いひおこす親ある身こそ さびしかりけれ [#ここから2字下げ] 我孫子 [#ここで字下げ終わり] 道のうへ 小高き岡に男ゐて、なにかもの言ふ。霙ふるゆふべ 野は 晝のさえしづまりに、雜木山 あらはに 赤き肌見せてゐる 藪原のくらきに入りて、おのづから、まなこさやかに ※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]きにけり 心 ふと ものにたゆたひ、耳こらす。椿の下《シタ》の暗き水おと 霙ふる雜木のなかに、鍬うてる いとゞ 女夫《メヲト》の唄の かそけき [#ここから2字下げ] 太秦寺 [#ここで字下げ終わり] 常磐木のみどりたゆたに、わたつみの太秦寺《ウヅマサデラ》の晝の しづけさ 二人あることもおぼえず。しんとして いさごのうへに 鵄一羽ゐる おそろしき しゞまなりきな。梢より、はたと 一葉は おちてけるかな ほれ/″\と人にむかへば、晝遠し。寺井のくるま 草ふかく鳴る まさびしくこもらふ命 草ふかき鐘の音しづみ、行きふりにけり [#ここから2字下げ] 鹽原 [#ここで字下げ終わり] 馬おひて 那須野の闇にあひし子よ。かの子は、家に還らずあらむ わがねむる部屋をかこめる 高山の霜をおもひて、燈を消しにけり 神のごと 山は晴れたり。夜もすがら おもひたはれし心ながらに にはとりの蹈みちらしたる芋の莖 泣きつゝとるか。山の處女ら 朝日照る山のさびしさ。向つ峰《ヲ》に斧うつをとこ。こちむきてゐよ かくしつゝ、いつまでくだち行く身ぞや。那須野のうねり 遠薄《トホスヽキ》あり [#ここから2字下げ] 生徒 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 一 [#ここで字下げ終わり] 夜目しろく 萩が花散る道ふめば、かの子は 母の喪にゆきにけり [#ここから3字下げ] 二 [#ここで字下げ終わり] 白玉をあやぶみ擁き 寢ざめして、春の朝けに、目うるめる子ら このねぬる朝けの風のこゝちよき。寢おきの 顏の ほのあかみたる こゝちよき春のねざめのなつかしさ。片時をしみ、子らが遊べる 砂原に砂あび 腰をうづめゐつ。たはぶれの手を ふと 止めぬ。子ら わが子らは 遊びほけたる目を過《ヨギ》る何かおふとて、おほゞれてをり わが雲雀 今日はおどけず。しかすがに つゝましやかにふるまひにけり くづれふす若きけものを なよ草の牀に見いでゝ、かなしみにけり 倦みつかれ わかきけものゝ寢むさぼる さまはわりなし。かすかにいびく やせ/\て、若きけものゝ わが前にほと息づきぬ。かなしからずや すく/\と のびとゝのほりゆく子らに、しづごゝろなき わがさかりかも [#ここから3字下げ] 三 [#ここで字下げ終わり] 二三尺 藜のびたるくさむらの 秋をよろこびなく蟲のあり 沓とれば、すあしにふるゝ砂原の しめりうれしみ、草ぬきてをり わが病ひ やゝこゝろよし。なにごとかしたやすからず やめる子のある [#ここから3字下げ] 四 [#ここで字下げ終わり] 小鳥 小鳥 あたふた起《タ》ちぬ。かたらひのはてがたさびし。向日葵の照る はるしゃ菊 心まどひにゆらぐらし。瞳かゞやく少年のむれ かの子こそ われには似つゝものはいへ。十年の悔いにしづむ目に來て 人の師となりて ふた月。やう/\に あらたまりゆく心 はかなし わかやかに こゝちはなやぎあるものを。さびしくなりぬ。子らを教へて おろ/\に 涙ごゑして來つる子よ。さはなわびそね。われもさびしき いくたびか うたむとあぐる鞭のした、おぢかしこまる子を泣きにけり [#ここから2字下げ] 阿蘇をこえて [#ここで字下げ終わり] よすがなき心 あやぶくゆられゐつ。馬車たそがれて、町をはなれつ つまづきの この石にしもあひけるよ。遠のぼり來て、阿蘇のたむけに 盆すぎて をどりつかふる里のあり。阿蘇の山家に、われもをどらむ [#ここから2字下げ] 奧熊野 [#ここで字下げ終わり] たびごゝろもろくなり來ぬ。志摩のはて 安乘《アノリ》の崎に、燈《ヒ》の明り見ゆ わたつみの豐はた雲と あはれなる浮き寢の晝の夢と たゆたふ 闇に 聲してあはれなり。志摩の海 相差《アフサ》の迫門《セト》に、盆の貝吹く 天づたふ日の昏れゆけば、わたの原 蒼茫として 深き風ふく 名をしらぬ古き港へ はしけしていにけむ人の 思ほゆるかも 山めぐり 二日人見ず あるくまの蟻の孔に、ひた見入りつゝ 二木《ニキ》の海 迫門のふなのり わたつみの入り日の濤に、涙おとさむ 青山に、夕日片照るさびしさや 入り江の町のまざ/\と見ゆ あかときを 散るがひそけき色なりし。志摩の横野の 空色の花 奧牟婁の町の市日《イチビ》の人ごゑや 日は照りゐつゝ 雨みだれ來たる 藪原に、むくげの花の咲きたるが よそ目さびしき 夕ぐれを行く 大海にたゞにむかへる 志摩の崎 波切《ナキリ》の村にあひし子らはも ちぎりあれや 山路のを草莢さきて、種とばすときに 來あふものかも 旅ごゝろ ものなつかしも。夜まつりをつかふる浦の 人出にまじる にはかにも この日は昏れぬ。高山の崖路《ホキヂ》 風吹き、鶯のなく 那智に來ぬ。竹柏《ナギ》 樟の古き夢 そよ ひるがへし、風とよみ吹く 青うみにまかゞやく日や。とほ/″\し 妣《ハヽ》が國べゆ 舟かへるらし 波ゆたにあそべり。牟婁の磯にゐて、たゆたふ命 しばし息づく わが乘るや天《アメ》の鳥船 海《ウナ》ざかの空拍つ浪に、高くあがれり たま/\に見えてさびしも。かぐろなる田曾《タソ》の迫門《セト》より 遠きいさり火 わたつみのゆふべの波のもてあそぶ 島の荒磯《アリソ》を漕ぐが さびしさ わが帆なる。熊野の山の朝風に まぎり おしきり、高瀬をのぼる うす闇にいます佛の目の光 ふと わが目逢ひ、やすくぬかづく [#改ページ]  明治四十三年以前、三十七年頃まで ―七十五首― [#ここから2字下げ] 焚きあまし その一 [#ここで字下げ終わり] 竹の葉に 如月の雪ふりおぼれ、明くる光りに心いためり 「京、西山」二首 大空のもとにかすみて、あか/\と くれゆく山にむかふ さびしさ 木の葉散るなかにつくりぬ。わが夜牀《ヨドコ》。うづみはてねと、目をとぢて居り かれあしに 心しばらくあつまりぬ。みぎはにゐつゝ ものをおもへば ちまたびと ことばかはして行くにさへ 心ゆらぎは すべなきものを 「所在なく暮した頃」五首 夕波の 佃の島の方とへど、こたへぬ人ぞ、充ち行きにける さびしげに 經木眞田の帽子著て、夕河岸たどる人よ もの言はむ 兩國の橋ゆくむれに、われに似て、後姿《ウシロ》さびしき人のまじれり 町をゆく心安さもさびしかり。家なる人のうれひに さかる 春の日のかすめる時に、つかれたる目をやしなふと、若草をふむ 戸を出でゝ、百歩に青き山を見る。日ねもす おもひつかれたる目に 庭のくま ひそやかに鳴く蟲あるも、今あぢはへる悔いにしたしき ひそやかにぬればさびしも。たそがれの窓の夕かげ 月あるに似たり 青やまの草葉のしたに、ながゝりし心のすゑも みだれずあらむ 「宮崎信三、死んだにきまつた後」 あはれなる後《ノチ》見ゆるかも。朝宮《アサミヤ》に、祇園をろがむ匂へる處女 「母のつきそひに、京都大學病院にゐた頃」六首 ひやゝけき朝の露原 あしにふみ、なにか えがたきしたごゝろやむ 京のやま。まどかにはるゝ見わたしに、なにぞ、涙のやまずながるゝ 秋の空 神樂个丘の松原の、け近く晴るゝ見つゝさびしき この道や 蹴上《ケアゲ》の道。近江へと いやとほどほし。あひがたきかも しづかなる晝の光りや。清水の地主《ヂシユ》の花散る徑を 來にけり 大空の鳥も あぐみて落ち來たる。廣野にをるが、寂しくなりぬ 中學の廊のかはらのふみごゝち むかしに似つゝ ものゝすべなさ 「卒業後五年」 雪ふりて昏るゝ光りの 遠じろに、小竹《シヌ》の祝部《ハフリ》のはかどころ見ゆ 「紀伊國日高」 [#ここから2字下げ] 焚きあまし その二 [#ここで字下げ終わり] わがともがら 命にかへし戀ながら、年|來《サ》り行けば、なべてかなしも いくさ君 武田がのちに、はかなさよ。わび歌多し。あはれ わが友 「祐吉に」一首 君にわかれ ひとりとなりて入りたてば、冬木がもとに、涙わしりぬ はつくさに 雪ちりかゝる錦部《ニシゴリ》の 山の入り日に、人ふりかへる 牟婁の温泉《ユ》の とこなめらなる岩牀《イハドコ》に、枕す。しばし 人をわすれむ 「紀州鉛山温泉」 月にむき、ながき心は見もはてず わかれし人のおとろへをおもふ 木がらしの吹く日來まさず。わがゝどの冬木がうれの 心うく鳴る そのかみの 心なき子も、世を經つゝ、涙もよほすことを告げ來る ひたすらに、荒山みちは越えて來つ。清きなぎさに、身さへ死ぬべし 「紀州由良浦」 十年へつ。なほよろしくは見えながら、かの心ひくことのはのなき このわかれ いく世かけてはおぼつかな。身さへ頼まぬ はかなさにして 「出羽に歸り住む友に」 あはむ日のなしとおもはず。ふみわたる茅生の ほどろに 心たゆたふ 秋の山 なく鳥もなし。わが道は、朝けの雲に末べこもれり 石川や 二里も 三里も、若草の堤ぬらして、雨はれにけり はた/\と翼うち過ぐ。あはと見る まなぢはるかに きその鳥行く 冬ぐさの堤日あたり 遠く行く旅のしばしを 人とやすらふ 萩が花はつかに白し。ひとりゐる 山のみ寺のたそがれの庭 「西山の善峯寺」 山の石 とゞろ/″\と落ち來る。これを前に見、酒をたのしむ 「人に役せられて」二首 旅にゐて、さむき夜牀のくらがりに、うしろめたしも。いねしづむ胸 山のひだ さやかに見えて、大空に、昏れゆく菟道《ウヂ》の春をさびしむ ともしびの見ゆるをちこち 山くれて、宇治の瀬の音《ト》は 高まりにけり 木ぶかく蜩なきて、長岡のたそがれゆけば、親ぞこひしき 春雨の古貂《フルキ》のころも ぬれとほり、あひにし人の、しぬにおもほゆ 杉むらを とをゝに雪のふりうづむ ふるさと來れど、おもひ出もなし 明日香風 きのふや千年。やぶ原も 青菅山《アヲスガヤマ》もひるがへし吹く 「高市郡」三首 なつかしき故家《フルヘ》の里の 飛鳥には、千鳥なくらむ このゆふべかも 山原の麻生《ヲフ》の夏麻《ナツソ》を ひくなべに、けさの朝月 秋とさえたり あるひまよ。心ふとしもなごみ來ぬ。頬をたゞよはす 涙のなかに 天つ日の照れる岡びに ひとりゐて、ものをしもへば、涙ぐましも 冬がれのうるし木立ちのひま/\に 積み藁つゞく 國分寺のさと 遠ながき伏し越えみちや。うら/\に 照れる春日を、こしなづむかも 「伏越峠」地名 庭の面《モ》にかり乾す藁の 香もほのに、西日《ニシビ》のひかり あたゝかくさす 目をわたる白帆見る間に、ふと さびし。やをら 見かへり、目のあひにけり をり/\は かなしく心かたよるを、なけばゆたけし。天ぞ來むかふ 見《ミ》のさびし。そともの雪の朝かげの ほのあかるみに、人のかよへる ねたる胸 いともやすけし。日ねもすにむかひし山は、わきにそゝれど わがさかり おとろへぬらし。月よみの夜ぞらを見れば、涙おち來も わが戀をちかふにたてし 天つ日の、まのあたりにし おとろふる見よ いにしへびと あるは來逢はむ。神《カム》南備《ナビ》の萩ちる風に、山下ゆけば 「飛鳥の村」 むさし野は ゆき行く道のはてもなし。かへれと言へど、遠く來にけり 「親の心にそはないで、國學院にはひつた年の秋」二首 夕づく日 雁のゆくへをゆびざして、いなれぬ國を また言ふか。君 わがゝづく朽葉ごろもの袖 たわに、ゆたかに 春の雪ながれ來ぬ いふことのすこし殘ると 立ち戻り、寂しく笑みて、いにし人はも こちよれば、こちにとをより なづさひ來《キ》、ほのに人香《ヒトガ》の。身をつゝむ闇 車きぬ。すぐる日我により來にし。今あぢきなくわがゝどをゆく おもふことしば/″\たがひ、おきどころなき身暫らく 君にひたさる 夕山|路《ヂ》 こよひまろ寢むわがふしどの うき思はする 鶯のこゑ この里のをとめらねり來《ク》。みなづきの 夕かげ草の ほの/″\として おもひでの家は つぎ/″\亡びゆく。長谷の寺のみ さやは なげかむ 「大和初瀬寺炎上」 牧に追ふ馬のかず/″\ 何ならぬ 目うるみたりし後《ノチ》も忘れず ほうとつく息のしたより、槌とりて うてば火の散る 馬の蹄鐵《カナグツ》 [#ここから3字下げ] 明治卅七年、中學の卒業試驗に落第して、その秋 [#ここで字下げ終わり] 秋たけぬ。荒涼《スヾロサム》さを 戸によれば、枯れ野におつる 鶸《ヒワ》のひとむれ 「大和傍丘の洪一の家にやどる」 底本:「日本現代文學全集53 折口信夫集」講談社    1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷発行 底本の親本:「海やまのあひだ」改造社    1925(大正14)年5月発行 ※序文及び跋文は省略した。 入力:小川春休 校正:(未了) 2009年2月22日公開