贈答句集 高濱虚子 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)裝束《そうぞ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)神戸|會下《えが》山下 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定    (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) (例)※[#「魚+賁」、第4水準2-93-84] -------------------------------------------------------    序  贈答句といふのは手紙の端などに書いて人に贈つた句が多いのであるから、その場限りの句として書きとめて置くことが少い。また書きとめて置いてもそれほどの價値のない句も少なくない。この集にあつめたものは、たまたま何等かの機會に記憶にとどまつてゐた句とか、もしくは、あとからわざ/\知らしてもらつて、さういふ句があつたのかと氣づいて書きとめたものなどである。  贈答の句、慶弔の句の如きものは他の意の加はつたものであるから純粹の俳句といふことは出來ないかも知れない。然し、それでゐて平凡な句であつてはならない。他の意味も十分に運び而も、俳句としてみてもなほ存立の價値があるといふやうなものでなくてはならぬ。そこが普通の俳句よりもむづかしいと言へば言へぬこともないのである。  この集にのせた句は概ね古い時代の句である。それはたま/\ある人が私の贈答句として集めて置いてくれた草稿が筐底にあつたところから、それを取出して刻にのぼせることになつたのである。新しい時代のものも追加しようかとも考へたのであるが、それはまた他日別册にしてもよからうといふ菁柿堂主人の言葉にしたがつて、そのまま出すことにしたのである。   昭和二十一年四月二十九日 [#地から4字上げ]小諸山廬にて [#地から1字上げ]高 濱 虚 子 [#改ページ] [#ここから2字下げ] 明治二十六年十二月・飄亭を吉田の庵にとゞめて [#ここで字下げ終わり] 京に寢よ一夜ばかりは時雨せん [#ここから2字下げ] 明治二十八年・祝婚 [#ここで字下げ終わり] 春の夜の金屏に鴛鴦のつがひかな [#ここから2字下げ] 明治二十八年・わすれ筐をのこして、妻に死なれし人に [#ここで字下げ終わり] 行春やおもちやに交る黄楊の櫛 [#ここから2字下げ] 明治二十八年七月・須磨の子規子に別る [#ここで字下げ終わり] 常磐木の落葉ふみ憂き別れかな [#ここから2字下げ] 明治二十八年八月二十七日・母上に無事を知らする手紙の端に [#ここで字下げ終わり] 朝顏の花咲かぬ間に起きもする [#ここから2字下げ] 明治二十八年・吊古白 [#ここで字下げ終わり] 月白し面影に立つ人の顏 [#ここから2字下げ] 明治二十八年・幼兒を失ひける人に [#ここで字下げ終わり] 鬼灯に衣著せたる涙かな [#ここから2字下げ] 明治二十八年・送別 [#ここで字下げ終わり] 強飯に寒腹おこすこと勿れ [#ここから2字下げ] 明治二十八年・ほこらの圖に題す [#ここで字下げ終わり] 留守かやい封じこめたる狐ども [#ここから2字下げ] 明治二十八年・鬼面に題す [#ここで字下げ終わり] 誰がうちし豆があたりて靨かな [#ここから2字下げ] 明治二十八年・十六羅漢圖に題す [#ここで字下げ終わり] 枯芒枯芦扨ては枯柳 [#ここから2字下げ] 明治二十九年二月二日・舊友今村幸男の文に返す [#ここで字下げ終わり] 三年ほどうとき人の文梅の花 [#ここから2字下げ] 明治二十九年・愚庵十二勝のうち、梅花豁 [#ここで字下げ終わり] 散る梅の掃かれずにある窪みかな [#ここから2字下げ] 明治二十九年・一宿の耶馬溪に行くを送る [#ここで字下げ終わり] 耶馬溪に水ありと聞く梅ありや [#ここから2字下げ] 明治二十九年・鼠骨庵の障子に題す [#ここで字下げ終わり] 春の旅至るところに發句書く [#ここから2字下げ] 明治二十九年春・紅緑子の笠に題す [#ここで字下げ終わり] 陽炎がかたまりかけてこんなもの [#ここから2字下げ] 明治二十九年・漱石に別る [#ここで字下げ終わり] 春雨に傘を借りたる別れかな [#ここから2字下げ] 明治二十九年・友の妹を傷む [#ここで字下げ終わり] 美しき鳥さへ雲に入りにけり [#ここから2字下げ] 明治二十九年・古白子自ら刄を加ふるの前數日、今日は朝來氣分惡しとて運坐を辭する書端に曰、   花のころ西行もせぬ朝寢かな も一周忌のけふそゞろに思ひいでられて [#ここで字下げ終わり] 落花叩けども/\未だおき出でず [#ここから2字下げ] 明治二十九年・愚庵十二勝のうち、紅杏村 [#ここで字下げ終わり] 鴉ありて白李の種を盗みけん [#ここから2字下げ] 明治二十九年・古白子一周忌 [#ここで字下げ終わり] 永き日を君あくびでもしてゐるか [#ここから2字下げ] 明治二十九年・久松伯凱旋奉告祭 [#ここで字下げ終わり] 能のある神雲樣や花曇 [#ここから2字下げ] 明治二十九年・紫明樓主人に寄す [#ここで字下げ終わり] 二條通り柳植うべし君が門に [#ここから2字下げ] 明治二十九年・紅緑の木魚に題す [#ここで字下げ終わり] 柳緑花紅木を削つて魚と爲す [#ここから2字下げ] 明治二十九年・愚庵十二勝のうち、清風關 [#ここで字下げ終わり] 叩けども/\水鷄許されず [#ここから2字下げ] 明治二十九年・伊藤奚疑を哭す [#ここで字下げ終わり] 永き日の淨土を奚で疑はん [#ここから2字下げ] 明治二十九年・愚庵十二勝のうち、採菊籬 [#ここで字下げ終わり] 鋏誤つて白菊をきる黄菊かな [#ここから2字下げ] 明治二十九年・具庵十二勝のうち、嘯月壇 [#ここで字下げ終わり] 犢鼻褌を干す物干の月見かな [#ここから2字下げ] 明治二十九年・紅緑に寄す [#ここで字下げ終わり] 月の雨蓑着て歸り去り來れ [#ここから2字下げ] 明治二十九年・愚庵十二勝のうち、棗子徑 [#ここで字下げ終わり] 熟したる棗の下に徑をなす [#ここから2字下げ] 明治二十九年・愚庵十二勝のうち、古松塢 [#ここで字下げ終わり] 草枯れて松緑なる御法かな [#ここから2字下げ] 明治二十九年・人に寄す [#ここで字下げ終わり] 衣更へて八字の眉も可愛ゆらし [#ここから2字下げ] 明治二十九年・忍戀 [#ここで字下げ終わり] 夏籠を忍ぶ戀ともうたはれつ [#ここから2字下げ] 明治二十九年・嶺雲を送る [#ここで字下げ終わり] 凉しさに肥えて來たまへと送りけり [#ここから2字下げ] 明治二十九年・碧梧桐、把栗を送る [#ここで字下げ終わり] 秋風の雨俳士何ぞ笠を著ざる [#ここから2字下げ] 明治二十九年・吊古白 [#ここで字下げ終わり] 鳴くや竈馬古白は留守とちんちろり [#ここから2字下げ] 明治二十九年・少年を悼む [#ここで字下げ終わり] 蘭の香に訪ひよるものは誰なりし [#ここから2字下げ] 明治二十九年・初戀 [#ここで字下げ終わり] おもかげのかりに野菊と名づけんか [#ここから2字下げ] 明治二十九年・死戀 [#ここで字下げ終わり] 秋草の名もなきをわが墓に植ゑよ [#ここから2字下げ] 明治二十九年・明月百年忌 [#ここで字下げ終わり] 芋に串これ眞宗の教なり [#ここから2字下げ] 明治二十九年・送秋竹 [#ここで字下げ終わり] 朝寒の毛布冠りて別れかな [#ここから2字下げ] 明治二十九年九月・露石、四明、鼠骨等京阪俳友、滿月會を起し、陰暦八月十五日、京都智恩院山門下に第一囘を開く。席上、あす露石は大阪に我は東京にと別を惜みて [#ここで字下げ終わり] ころ/\と月と芋との別れかな [#ここから2字下げ] 明治二十九年九月・東都に歸る [#ここで字下げ終わり] ぼう然と野分の中を我來たり [#ここから2字下げ] 明治二十九年十月・目黒不動に露月の西下を送る [#ここで字下げ終わり] 芒わけて一路を得れば賢ぢやとよ [#ここから2字下げ] 明治二十九年・絶戀 [#ここで字下げ終わり] このごろは鴛鴦に恨もなかりけり [#ここから2字下げ] 明治二十九年・蕪村の像に題す [#ここで字下げ終わり] 芭蕉は時雨蕪村は霰にこそ [#ここから2字下げ] 明治三十年一月・柳原極堂、松山に「ほとゝぎす」を發刊す。祝句。 [#ここで字下げ終わり] 時雨木枯のあれ/\て生れ出しもの [#ここから2字下げ] 明治三十年元旦・鎌倉に在り偶々室を異にして同宿せる新婚の湖南に贈る [#ここで字下げ終わり] 先づ女房の顏を見て年改まる [#ここから2字下げ] 明治三十年三月二十五日・亡父七周忌に。老後の水練の技を見しことを。 [#ここで字下げ終わり] 上覽や藻の花に風矢立書き [#ここから2字下げ] 明治三十年・釋迦彈三弦圖に題す [#ここで字下げ終わり] 三弦の乾鮭になつてしまひけり [#ここから2字下げ] 明治三十年・大喪 [#ここで字下げ終わり] 猿雉に言つて曰く喪に籠るべく [#ここから2字下げ] 明治三十年・大喪 [#ここで字下げ終わり] 御棺埋め奉り已に草萌ゆべく [#ここから2字下げ] 明治三十年・大喪 [#ここで字下げ終わり] 悲しみの鶴も千鳥も飛ばざりき [#ここから2字下げ] 明治三十年・古臼三周忌 [#ここで字下げ終わり] 飛び去りしは蝶なりし虻の恨かな [#ここから2字下げ] 明治三十年・天龍山九勝閣、禪閣雨 [#ここで字下げ終わり] 隅の方にも佛立ち玉ふ五月雨 [#ここから2字下げ] 明治三十年・天龍山九勝閣、竹林風 [#ここで字下げ終わり] 先住の植ゑたる竹の風凉し [#ここから2字下げ] 明治三十年・碧梧桐を送る [#ここで字下げ終わり] 渇すれば清水ある旅にゆきたまへ [#ここから2字下げ] 明治三十年・蛙泡、妻を娶る [#ここで字下げ終わり] うち竝びて鏡にむかふ更衣 [#ここから2字下げ] 明治三十年・天龍山九勝閣、南嶺雲 [#ここで字下げ終わり] 秋晴れていささかの雲山の上 [#ここから2字下げ] 明治三十年・天龍山九勝閣、拓堤煙 [#ここで字下げ終わり] 出會ひあたりを汽車の煙や冬木立 [#ここから2字下げ] 明治三十年・紅緑を送る [#ここで字下げ終わり] 節季候の藝は身を賣る思ひあり [#ここから2字下げ] 明治三十一年元旦・何かの付録のために、東洋八景のうち佛陀迦耶の塔 [#ここで字下げ終わり] 月見るは日本の僧よ塔の外 [#ここから2字下げ] 明治三十一年・新婚を祝す [#ここで字下げ終わり] 二人して綱引なんど試みよ [#ここから2字下げ] 明治三十一年・新婚を祝す [#ここで字下げ終わり] 雛に似て色稍々黒き男かな [#ここから2字下げ] 明治三十一年・新婚を祝す [#ここで字下げ終わり] 神代より出代もなく目出度けれ [#ここから2字下げ] 明治三十一年・新婚を祝す [#ここで字下げ終わり] 雛より小さき嫁をもらひけり [#ここから2字下げ] 明治三十一年六月八日・暫く音信を絶ちたる東西の俳人を思ふ [#ここで字下げ終わり] 霽月といひ漱石といひ風薫る [#ここから2字下げ] 明治三十一年七月十七日・書屋の壁に題す [#ここで字下げ終わり] 十帖の白紙吹き散らす青嵐 [#ここから2字下げ] 明治三十一年八月七日・三津出港、留別 [#ここで字下げ終わり] 盥舟雲の峯迄至るべく [#ここから2字下げ] 明治三十一年・骨子の開業を祝す [#ここで字下げ終わり] 橘のすでに實になる頼みかな [#ここから2字下げ] 明治三十一年八月十七日・京都を發つて東京に歸る。鼠骨に托して霞城老人に寄す [#ここで字下げ終わり] 秋立つと驚いて去るを止むるな [#ここから2字下げ] 明治三十一年八月十七日・静岡の約したる宿に着く。恙なき幼兒の母の膝に乘りておもちやなど弄べるを見る [#ここで字下げ終わり] 芋の葉の露いささかも恙なし [#ここから2字下げ] 明治三十一年・瀬田の人に申遣す [#ここで字下げ終わり] 人間の祭見に來よ東山 [#ここから2字下げ] 明治三十一年十一月十三日。根岸庵例會。亡命の支那人に贈る [#ここで字下げ終わり] 寒夜猪を煮る汝の國の詩を歌ふ [#ここから2字下げ] 明治三十二年・國民新聞三千號を祝ふ [#ここで字下げ終わり] 元日の三千號に當りけり [#ここから2字下げ] 明治三十二年一月・常磐座に水野一座の壯士芝居を見る。紳商松村子爵別莊、主人は子爵の息女美代子、侍女雪子、こゝに出入するもの陸軍大佐恩田、陸軍中尉吉武、文學士花田 [#ここで字下げ終わり] 各々も御慶申しに來られけり [#ここから2字下げ] 明治三十二年一月・常磐座に水野一座の壯士芝居を見る。場所、主人公、登場人物前句に同じ。美代子は吉武を思慕し、吉武と雪子と双美なるを妬み、雪子を恩田に嫁せしむ [#ここで字下げ終わり] 一對の松を妬むや軒の梅 [#ここから2字下げ] 明治三十二年一月・常磐座に水野一座の壯士芝居を見る。場所、主人公、登場人物前句に同じ。恩田は美代子の奸を憎み、陽に妻として雪子を美代子の手より奪ひ、直ちに娘分として吉武に嫁せしむ [#ここで字下げ終わり] 十ついて百ついてわたす手毬かな [#ここから2字下げ] 明治三十二年三月・露月の京都に行くを送りて [#ここで字下げ終わり] 春なかば病の何の別れかな [#ここから2字下げ] 明治三十三年五月二十六日・山口花笠來訪 [#ここで字下げ終わり] あつき日にやけてげんきな男かな [#ここから2字下げ] 明治三十四年四月・「ホトトギス」に募集せる「週間日記」の評句。香墨の臺灣日記 [#ここで字下げ終わり] 鶯や土の牢屋の女土匪 [#ここから2字下げ] 明治三十四年四月・「ホトトギス」に募集せる「週間日記」の評句。鴎盟の天津日記 [#ここで字下げ終わり] 紅梅や日本人の小料理屋 [#ここから2字下げ] 明治三十四年四月・「ホトトギス」に募集せる「週間日記」の評句。是の字の學生日記 [#ここで字下げ終わり] 鐵棒に柳の糸の垂れにけり [#ここから2字下げ] 明治三十四年四月・「ホトトギス」に募集せる「週間日記」の評句。樂齋の開店日記 [#ここで字下げ終わり] 新しき紺の暖簾や燕 [#ここから2字下げ] 明治三十四年四月・「ホトトギス」に募集せる「週間日記」の評句。竹舟郎の藁仕事日記 [#ここで字下げ終わり] 馬沓をつくる日永の爐邊かな [#ここから2字下げ] 明治三十四年七月・子規病篤し [#ここで字下げ終わり] 夕顏の花に涙を流すかな [#ここから2字下げ] 明治三十五年三月二十四日・蘇山人逝く。悼 [#ここで字下げ終わり] 春雨や唐撫子の死をいたむ [#ここから2字下げ] 明治三十五年・川上氏、賀 [#ここで字下げ終わり] 蝶の名は金十郎におれいかな [#ここから2字下げ] 明治三十五年九月十九日・未明子規歿す [#ここで字下げ終わり] 子規逝くや十七日の月明に [#ここから2字下げ] 明治三十五年一月六日・子規七七忌追悼 [#ここで字下げ終わり] 烏瓜墓を守るげに赤みたる [#ここから2字下げ] 明治三十六年十一月二日・泊雲、松茸を送り來るに [#ここで字下げ終わり] 松茸や天長節の鮓つけん [#ここから2字下げ] 明治三十六年・人の狐皮を送り來れるに [#ここで字下げ終わり] 狐皮を得る此日朝寒夜寒かな [#ここから2字下げ] 明治三十七年九月十八日・子規忌三囘忌俳句會。懷居士 [#ここで字下げ終わり] 柿の本の落柿舍の後の柿の主 [#ここから2字下げ] 明治三十八年四月・照洋の米國行を送る [#ここで字下げ終わり] 春雨につけて俳句を忘るるな [#ここから2字下げ] 明治三十八年九月・翠濤翁を悼む [#ここで字下げ終わり] 蓑蟲を養ふ記あり逝かれけり [#ここから2字下げ] 明治三十八年九月か・音樂學校校友會に、栗賣る籠の蔽ひにしるすホ句作れと、ある女人に望まれて [#ここで字下げ終わり] 賤が賣る栗めせ/\と夕日かな [#ここから2字下げ] 明治三十九年・大菫送別 [#ここで字下げ終わり] 春惜むこころを君にわかつかな [#ここから2字下げ] 明治四十年・陸中より碧梧桐來書、脚痛せしとのこと [#ここで字下げ終わり] 雪車に乘れ温泉のある里に下る迄 [#ここから2字下げ] 明治四十年・華園入牢を覺悟して排水工事を決行せりと聞き [#ここで字下げ終わり] 水仙のやうな男と思ひしが [#ここから2字下げ] 明治四十年・能樂會式能を觀て [#ここで字下げ終わり] 裝束《そうぞ》着《き》て涕うちかめり國栖の仕手 [#ここから2字下げ] 明治四十年・再び「國民俳句」を委任さるゝに際し [#ここで字下げ終わり] 昔戀し樂天三川も歸り咲け [#ここから2字下げ] 明治四十年五月十七日・武田醉佛逝く。追悼 [#ここで字下げ終わり] 袷着て假の世にある我等かな [#ここから2字下げ] 明治四十一年三月三日。松本翠濤、鎌倉小町の僑居に逝く。年七十三。梅丘、守水老亦既に亡し [#ここで字下げ終わり] 白梅や三つの翁の墓どころ [#ここから2字下げ] 明治四十一年九月・修善寺にあり。十四日、東洋城より電報にて「センセイノネコガシニタルヨサムカナ」と漱石の「吾輩は猫である」の猫の訃を傳へ來る。返電 [#ここで字下げ終わり] ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ [#ここから2字下げ] 明治四十一年秋・岳樓、はぎ女出産祝句 [#ここで字下げ終わり] 三人になりし二人や芋の秋 [#ここから2字下げ] 明治四十一年・格堂の渡佛を送る [#ここで字下げ終わり] 田螺和くひたくならばすぐ歸れ [#ここから2字下げ] 明治四十三年五月二十日・秋田に於て和風の頭の髮、寫眞のマグネシウムにて燒けけるを平癒祈祷 [#ここで字下げ終わり] 牡丹の芽芍藥の芽と生え給へ [#ここから2字下げ] 明治四十三年五月・百穗筆露月の像に題す [#ここで字下げ終わり] 鹽蓼の壺中にへるや自から [#ここから2字下げ] 大正元年十一月・腸を病んで血便に苦しむ。同病の渡邊香墨へ [#ここで字下げ終わり] 枕頭に媚びたるは菊の花ならん [#ここから4字下げ] 香墨より「縁側や痩せ菊僅か三鉢程」との返句あり。同十二月十八日歿。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから2字下げ] 大正二年・俳句に復活す [#ここで字下げ終わり] 霜降れば霜を楯とす法の城 [#ここから2字下げ] 大正二年・俳句に復活す [#ここで字下げ終わり] 春風や鬪志いだきて丘に立つ [#ここから2字下げ] 大正二年・越後の耐雪庵にて [#ここで字下げ終わり] 藤多き間道のへにいでにけり [#ここから2字下げ] 大正二年五月・飛行家武石天郊を弔む [#ここで字下げ終わり] 雷公の轟き落ちし如くなり [#ここから2字下げ] 大正二年十月十二日。大野酒竹逝去。北陸旅行中、山中温泉にて其訃を知る [#ここで字下げ終わり] 秋重疊俳書萬卷の主なりしが [#ここから2字下げ] 大正三年一月・松山歸省。松山清樂館に極堂、爲山、霽月等と會したるとき [#ここで字下げ終わり] どび六を以て會名とするいかならん [#ここから2字下げ] 大正三年五月・たけし渡鮮送別 [#ここで字下げ終わり] 袷着てうかと風邪引くな夕冷に [#ここから2字下げ] 大正三年五月・父君を亡へる青峰、的浦兄弟へ [#ここで字下げ終わり] 兄弟の喪にこもり寢る蚊帳一つ [#ここから2字下げ] 大正三年十月・在朝鮮救世軍大尉雉子郎に寄す [#ここで字下げ終わり] 而して柿中將に座《おは》しけり [#ここから2字下げ] 大正三年十月・讃岐善通寺の織田枯山樓等寄波吟社を創設するよし。句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 俳諧の札所出來たり柿の村 [#ここから2字下げ] 大正四年四月・噴火會に寄す [#ここで字下げ終わり] 晩紅來る春雷はためきぬ而して [#ここから2字下げ] 大正四年九月・山本静華逝去。君が死せしといふ數日前發行所に來りて一間隔てたるところに雜誌投稿を認め居りしこと思ひ出でられて [#ここで字下げ終わり] 君が來し面影秋海棠に在り [#ここから2字下げ] 大正四年九月二十四日・(舊暦八月十六日)大同江畫舫進水式ある由を聞きて [#ここで字下げ終わり] 大空に滿月水に畫舫かな [#ここから2字下げ] 大正四年九月二十四日・(舊暦八月十六日)大同江畫舫進水式ある由を聞きて [#ここで字下げ終わり] その上に飛ぶ雁あらば我と見よ [#ここから2字下げ] 大正四年・大同江税關長鯨岡濱太郎を追憶す [#ここで字下げ終わり] 滿月に缺けたるものの一人かな [#ここから2字下げ] 大正四年十二月・王城男兒を得たるに [#ここで字下げ終わり] 冬牡丹亭々として男ぶり [#ここから2字下げ] 大正四年十二月・禪寺洞頓に進境あり [#ここで字下げ終わり] 霜の聲いづくともなく聞こえけり [#ここから2字下げ] 大正四年十二月・十月神戸の俳句會に列せし時、或人より俳號を附することを依頼されしこと此頃思ひ出でて [#ここで字下げ終わり] 水仙白し水仙と號すいかならん [#ここから2字下げ] 大正五年二月十一日・高商俳句會。卒業生諸君へ [#ここで字下げ終わり] これより後戀や事業や水温む [#ここから2字下げ] 大正五年二月十一日・高商俳句會。卒業生諸君へ [#ここで字下げ終わり] 新藷や素鈴と號し喝鞭と號す [#ここから2字下げ] 大正五年四月・磐城の新城世Zの兄吼生死す [#ここで字下げ終わり] 山吹藤躑躅牡丹あり吼生死す [#ここから2字下げ] 大正五年六月二十九日・茅花女を送る [#ここで字下げ終わり] 藻にかくれ去る紅は金魚かな [#ここから2字下げ] 大正五年・丹波の西山泊雲、四十二の厄年に [#ここで字下げ終わり] 厄年に汝《な》は入りわれは出し團扇 [#ここから2字下げ] 大正五年八月二十三日・肺を病みて夭折せる大橋菊太の訃 [#ここで字下げ終わり] 糸瓜忌の梢の花と落ちたりな [#ここから2字下げ] 大正五年秋・大勢にて惠那ラジウム鑛泉に到る。先づ歸宅せんといふ泊雲を引とめ、其の自宅に送る繪葉書に [#ここで字下げ終わり] 去ぬといふ泊雲とめる紅葉かな [#ここから2字下げ] 大正六年一月・三河の渥美溪月逝く [#ここで字下げ終わり] 雪折れの竹を惜むに似たるかな [#ここから2字下げ] 大正六年二月三日・下關にあり、大雪、同地俳句會に於てはじめて句作する來住、鈴木、内田三君へ [#ここで字下げ終わり] 今日の雪におどろいて句に志す [#ここから2字下げ] 大正六年五月十二日・虚吼の上京を機とし、青嵐、楚人冠、煙村と共に鶴見花月園みどりに會す。戲嘲吏青嵐 [#ここで字下げ終わり] 人間吏となるも風流胡瓜の曲るも亦 [#ここから2字下げ] 大正六年十一月三日・長女眞砂子、眞下喜太郎に嫁す [#ここで字下げ終わり] 我子錦繍の帶を背負ひて鴛の妻 [#ここから2字下げ] 大正六年十二月・帝大俳句會卒業生におくる。みづほ其他 [#ここで字下げ終わり] 各々は白玉椿衿青し [#ここから2字下げ] 大正七年一月八日・一茶の研究者たりし束松露香逝く [#ここで字下げ終わり] 冥土一番の顏して御慶申しけん [#ここから2字下げ] 大正七年五月・佐々木北涯を悼む [#ここで字下げ終わり] 雨の日の芭蕉卷葉に訃到る [#ここから2字下げ] 大正七年・立子女學校三年のとき學校にて七夕樣を祭るにつき何か出品するといふに、芭蕉葉に句を認め與ふ [#ここで字下げ終わり] 梶の葉にかへて芭蕉に星のうた [#ここから2字下げ] 大正七年十月・歸省、遂に霽月に逢はず [#ここで字下げ終わり] 母の喪にこもりて月のあろじかな [#ここから2字下げ] 大正七年・舊暦九月六日の夜、神戸|會下《えが》山下の俳句會に柴淺茅と久濶を敍す。淺茅曰「只今子供が生れたところです」と [#ここで字下げ終わり] 玉の如き月の如き子の名を何と [#ここから2字下げ] 大正七年十月二十三日・堺の杉山一轉宅一宿 [#ここで字下げ終わり] 秋雨の風呂二度わかす朝寢かな [#ここから2字下げ] 大正八年十一月・北海道旅行。登別驛長に [#ここで字下げ終わり] 五分ほどよりし煖爐の暖かさ [#ここから2字下げ] 大正八年十二月・ひさ子へ [#ここで字下げ終わり] 人妻となりて師走の髷太し [#ここから2字下げ] 大正九年一月・細川侯母堂を悼む(十二月二十八日、三水會にて面謁) [#ここで字下げ終わり] 御前にて亂舞せしより冬七日 [#ここから2字下げ] 大正九年一月・小樽にある年尾急病、急行。三十日歸る。寺田先生恩借の蒲團を返すとて [#ここで字下げ終わり] 五六日夢見し蒲團かへしけり [#ここから2字下げ] 大正九年二月・京都美術倶樂部にて。乙字追悼(本年一月二十日歿) [#ここで字下げ終わり] 三幹竹に會ひて乙字をいたむ春 [#ここから2字下げ] 大正九年三月・酒井默禪、松山赤十字病院長として赴任するを送る [#ここで字下げ終わり] 東風の船博士をのせて高濱へ [#ここから2字下げ] 大正九年五月二十七日・伊豆の關萍雨に送る手紙に舊名飄雨と書く [#ここで字下げ終わり] 蚊帳と書かず蚊屋と書きたる類ひかや [#ここから2字下げ] 大正九年七月・別府にあり。楢重の畫ける浴みせる女の圖に題し、白蓮女史に贈る [#ここで字下げ終わり] 此旅のここに浴をせし事を [#ここから2字下げ] 大正九年七月。觀海寺温泉松屋旅館にて。帆足村長の著「石垣原合戰」を讀む。吉弘加兵衞統幸の忠死を書きしもの。村長に請はるゝまゝに [#ここで字下げ終わり] 神鳴も汝《な》を弔うてどよもせり [#ここから2字下げ] 大正十年二月二十四日・堺の杉山一轉逝く。弔電 [#ここで字下げ終わり] 鎌倉に春の雪降る訃到る [#ここから2字下げ] 大正十年・新宮の平松いとゞ、兄郊外(「濱子」といふ雜誌を發行、大正四年三月十六日歿)の七囘忌に、「郊外遺稿」を編んで送り來りければ [#ここで字下げ終わり] 亡き兄を戀ひ泣く聲はいとどかな [#ここから2字下げ] 大正十一年四月八日・帝大俳句會復興。會者、みづほ、風生、誓子、秋櫻子等 [#ここで字下げ終わり] 古株に萩の若芽の見えそめし [#ここから2字下げ] 大正十二年八月十八日・みさ子を悼む [#ここで字下げ終わり] 曇りなき月影盆の十二日 [#ここから2字下げ] 大正十三年五月六日・大岡龍男、長男龍一を得 [#ここで字下げ終わり] 今日よりは父とよばれて春暮るる [#ここから2字下げ] 大正十三年八月・女兒を失ひし木國に [#ここで字下げ終わり] とめどなき涙の果ての晝寢かな [#ここから2字下げ] 大正十三年八月・女兒を失ひし木國に [#ここで字下げ終わり] 涙痕の頬に乾きたる晝寢かな [#ここから2字下げ] 大正十三年八月十八日・みさ子一年忌追悼 [#ここで字下げ終わり] 二つ三つ萩咲きそめし忌日かな [#ここから2字下げ] 大正十三年十月・滿洲より新潟に歸往せる酒井野梅、その子息高校生に慘殺さる [#ここで字下げ終わり] 彌陀の手に親子もろとも歸り花 [#ここから2字下げ] 大正十三年十二月・神戸の五十嵐播水、結婚祝賀 [#ここで字下げ終わり] 鴛鴦の水も正月近きかな [#ここから2字下げ] 大正十四年一月・中田みづほ、獨逸留學出發に際し醫學博士の學位を受く [#ここで字下げ終わり] 笠の雪博士の蓑も新しく [#ここから2字下げ] 大正十四年四月・鳴雪喜壽祝 [#ここで字下げ終わり] 老松の若きみどりをたたへけり [#ここから2字下げ] 大正十四年四月二十五日・二女立子、星野吉人に嫁す [#ここで字下げ終わり] ぼうたんや神二柱影さして [#ここから2字下げ] 大正十四年十一月十四日・月舟逝いて六年、追悼 [#ここで字下げ終わり] 木犀の香に惜みてもあまりあり [#ここから2字下げ] 大正十四年十二月・神戸の播水、兒を喪ふ [#ここで字下げ終わり] 大霜にいたみしものの一つかな [#ここから2字下げ] 大正十五年一月三十日・熊本の宮部寸七翁逝く、悼 [#ここで字下げ終わり] 寒梅にほ句の佛の上座たり [#ここから2字下げ] 大正十五年二月二十日・内藤鳴雪逝く。お通夜をするとて飄亭、肋骨、笑門、碧梧桐、鼠骨はじめ多くの人々の集ひたる時、いづれも老いたる中に、笑門の殊に白髮たりしに [#ここで字下げ終わり] 各々の鬢春霜の置きまさる [#ここから2字下げ] 大正十五年六月・池田あきら病氣見舞 [#ここで字下げ終わり] 浴衣著て早籐椅子にありぬべし [#地付き](七月十日逝く) [#ここから2字下げ] 大正十五年十一月・たけし息洋の袴著 [#ここで字下げ終わり] 袴著や我もうからの一長者 [#ここから2字下げ] 昭和二年・朝鮮光州の大塚楠畝、娘宮子を亡ふ。余の命名せるところ [#ここで字下げ終わり] 宮柱ゆるぎなかれとまつりしに [#ここから2字下げ] 昭和二年三月下旬・ブラジルに赴く佐藤念腹におくる [#ここで字下げ終わり] 東風の船着きしところに國造り [#ここから2字下げ] 昭和二年三月下旬・ブラジルに赴く佐藤念腹におくる [#ここで字下げ終わり] 鍬取つて國常立の尊かな [#ここから2字下げ] 昭和二年三月下旬・ブラジルに赴く佐藤念腹におくる [#ここで字下げ終わり] 畑打つて俳諧國を拓くべし [#ここから2字下げ] 昭和二年六月・山王の瀧の主に與ふ [#ここで字下げ終わり] 山王の瀧の主と翁さび [#ここから2字下げ] 昭和二年八月・枴童上京 [#ここで字下げ終わり] 俳諧の旅に日燒けし汝かな [#ここから2字下げ] 昭和二年・對馬の豐田鳴子母を亡ふ [#ここで字下げ終わり] 新涼の寒さをさへも覺えけり [#ここから2字下げ] 昭和二年九月十日・品川川崎屋觀月。宮川如山の尺八をきゝて [#ここで字下げ終わり] 花芒月にさはりし音なるかや [#ここから2字下げ] 昭和二年十月・結婚を祝す [#ここで字下げ終わり] 白菊に黄菊のちぎり深緑 [#ここから2字下げ] 昭和二年七月・松本長の關寺小町を聞く [#ここで字下げ終わり] 有明に殘る櫻の一二片 [#ここから2字下げ] 昭和二年八月・退官せし横田前大審院長に [#ここで字下げ終わり] 清閑にあれば月出づおのづから [#ここから2字下げ] 昭和二年十一月二日・三女宵子、男爵新田義美に嫁す [#ここで字下げ終わり] 菊日和汝の爲といひつべし [#ここから2字下げ] 昭和二年十一月二日・三女宵子、男爵新田義美に嫁す [#ここで字下げ終わり] けなげにも船出する日の秋日和 [#ここから2字下げ] 昭和二年十一月・たけし庵横濱三溪に近し [#ここで字下げ終わり] 此庵に住みて時雨も待たるらん [#ここから2字下げ] 昭和二年十一月・たけし庵横濱三溪に近し [#ここで字下げ終わり] 枯萩の庵ともいはばいひつべし [#ここから2字下げ] 昭和三年三月六日・山本岬人臺灣赴任送別 [#ここで字下げ終わり] 春泥をふんで濶歩す赴任かな [#ここから2字下げ] 昭和三年九月十八日・石井露月逝く [#ここで字下げ終わり] 絲瓜忌の一日前の南瓜佛 [#ここから2字下げ] 昭和三年十月・誓子新婚祝 [#ここで字下げ終わり] 野路ゆけば野菊を摘みて相かざす [#ここから2字下げ] 昭和四年三月五日・三女宵子の長女恭子、生後八十日にして夭折、其初七日 [#ここで字下げ終わり] 雛よりも御佛よりも可愛らし [#ここから2字下げ] 昭和四年三月五日・三女宵子の長女恭子、生後八十日にして夭折、其初七日。 [#ここで字下げ終わり] 軒端なる薄紅梅を面影に [#ここから2字下げ] 昭和四年一月・大分中津の田原木人を悼む [#ここで字下げ終わり] 耶馬溪の夕立待たで逝かれけり [#ここから2字下げ] 昭和四年二月・福岡の竹下しづの女、新築祝 [#ここで字下げ終わり] 白梅の影壁にある新居かな [#ここから2字下げ] 昭和四年四月二日・夢香四男、藤男出生 [#ここで字下げ終わり] 藤男とはやさしき名なり然れども [#ここから2字下げ] 昭和四年四月・京都祇園某亭にあり [#ここで字下げ終わり] よく見たる都踊のひろ子かな [#ここから2字下げ] 昭和四年・佐藤眉峰結婚 [#ここで字下げ終わり] 而して蠅叩さへ新らしき [#ここから2字下げ] 昭和四年九月三十日・福岡、平岡孝子贈る所の博多人形、熊野《ゆや》、地震のために倒壞。代りに逆髮(蝉丸)の博多人形を送り來る [#ここで字下げ終わり] この度は地震《なゐ》も野分もよせつけじ [#ここから2字下げ] 昭和四年十月・小杉未醒筆、奥の細道繪卷に題す [#ここで字下げ終わり] 春ゆきて秋ゆきてゆく繪卷かな [#ここから2字下げ] 昭和四年十月十日・七寶會。たかし庵にて主人に [#ここで字下げ終わり] 藪の穗の動く秋風見て居るか [#ここから2字下げ] 昭和四年十一月・石井柏亭によつて「淺井忠」出版さる [#ここで字下げ終わり] 梅が香の脈々として傳はれり [#ここから2字下げ] 昭和四年十二月二十九日・丹毒にて病臥中の水竹居見舞の端に。折節、あふひ亦風邪にて臥床中 [#ここで字下げ終わり] 病床にある誰彼も年暮るる [#ここから2字下げ] 昭和五年三月二日・富士見に在る佐久間法師、急性肺炎にて逝く [#ここで字下げ終わり] 愚鈍なる炭團法師で終られし [#ここから2字下げ] 昭和五年・田中菊坡、長男不二夫を亡ふ [#ここで字下げ終わり] 悲しさは金魚を見るにつけてかな [#ここから2字下げ] 昭和五年八月二十九日・友次郎横濱出帆、龍田丸にて亞米利加經由、再び渡佛の途に就く [#ここで字下げ終わり] 月夜よし必ず波も平らかに [#ここから2字下げ] 昭和六年・太田百日紅結婚 [#ここで字下げ終わり] 紅梅か薄紅梅か黄梅か [#ここから2字下げ] 昭和六年春・山口青邨、工學博士の學位を受く [#ここで字下げ終わり] まれに居る深山黄蝶の紋所 [#ここから2字下げ] 昭和六年六月・臺北の山本孕江長女葉子を失ふ [#ここで字下げ終わり] 籐椅子に芭蕉のかげに泣くは誰そ [#ここから2字下げ] 昭和六年十一月十四日・村尾せつ子銀婚記念 [#ここで字下げ終わり] もろともに手をかざしたる桐火桶 [#ここから2字下げ] 昭和六年十一月十四日・畠山陸子結婚祝 [#ここで字下げ終わり] 爐開きにはじめて父の客となる [#ここから2字下げ] 昭和六年十二月十六日・根崎萍舟逝く [#ここで字下げ終わり] 一枚の銀杏落葉を又見たり [#ここから2字下げ] 昭和七年一月六日・菊枕をつくり送り來し小倉の久女に [#ここで字下げ終わり] 初夢にまにあひにける菊枕 [#ここから2字下げ] 昭和七年二月・三河の耿陽結婚 [#ここで字下げ終わり] 烏賊※[#「魚+賁」、第4水準2-93-84]に語つて曰く春立ちぬ [#ここから2字下げ] 昭和七年四月十六日・京都中村屋にあり、いはほ招宴。何か食物に註文はないかとのことであつた。私は無いと答へたが暫くして田樂を所望した。それに、初子、富貴子姉妹が都踊をすませてから來るとのことであつたので戲れに [#ここで字下げ終わり] 田樂と初子とほかに望みなし [#ここから2字下げ] 昭和七年四月十七日・大阪曾根萩の寺、相島虚吼句碑除幕式に列す [#ここで字下げ終わり] 咲きみちて散りもはじめぬ花にあり [#ここから2字下げ] 昭和七年四月二十日・西宮の荒賀粥味、還暦祝句を求めければ [#ここで字下げ終わり] 耳遠く壽《いのちなが》しや日永し [#ここから2字下げ] 昭和七年四月・田中蛇湖夫人を悼む [#ここで字下げ終わり] 母として妻として散る櫻かな [#ここから2字下げ] 昭和七年五月十七日・大阪の本田一杉長女恒子を亡ふ [#ここで字下げ終わり] 藤の花ただ長々と恨かな [#ここから2字下げ] 昭和七年夏・四谷の飯田岳樓母堂古稀祝賀 [#ここで字下げ終わり] 三伏もさらに心にかからざる [#ここから2字下げ] 昭和七年九月十九日・吉田孤岳、繼嗣壽雄(都詩緒)を失ふ [#ここで字下げ終わり] 秋霖のこの日にききし訃音かな [#ここから2字下げ] 昭和七年十月・丹波に到る。泊雲居 [#ここで字下げ終わり] 山|間《あい》の霧の小村に人と成る [#ここから2字下げ] 昭和七年十月・「山陰毎日新聞」の發刊を祝す [#ここで字下げ終わり] 筆縛る赤のまんまの水引に [#ここから2字下げ] 昭和七年十一月二十六日・石見の井戸平左衞門の靈を祀り、「いも供養」といふ。今年はその二百囘忌に當る [#ここで字下げ終わり] いも供養いもは好かねど謹みて [#ここから2字下げ] 昭和八年二月四日・茅舍父君逝去 [#ここで字下げ終わり] 枕頭に置きたる梅も散りけんか [#ここから2字下げ] 昭和八年・花卷温泉に句碑を立つるとて句を請はれて [#ここで字下げ終わり] 春山もこめて温泉《いでゆ》の國造り [#ここから2字下げ] 昭和八年五月十一日・水竹居令閨逝去 [#ここで字下げ終わり] 牡丹に埋もれ涙に包まれぬ [#ここから2字下げ] 昭和八年・宮城白石の鈴木綾園の父君逝去 [#ここで字下げ終わり] ほととぎす思はぬ空の訃音かな [#ここから2字下げ] 昭和八年六月・大阪の一杉、伊賀上野に遊び、同所の土産、水鷄笛を送り來る。返事の端に [#ここで字下げ終わり] 水鷄笛圖面の通り吹いて見る [#ここから2字下げ] 昭和八年・夫に死別し、自ら職を求めて子供の教育に沒頭する福岡の竹下しづの女に [#ここで字下げ終わり] 女手の雄々しき名なり矢筈草 [#ここから2字下げ] 昭和八年八月十日・橙黄子母堂祝 [#ここで字下げ終わり] 白菊の如き人なり壽《いのちなが》 [#ここから2字下げ] 昭和八年・岩手、岩淵蜻蛉の一子追悼 [#ここで字下げ終わり] 盆の月阿子の面影ありにけり [#ここから2字下げ] 昭和八年九月十六日・玉島謙郎養子したる時 [#ここで字下げ終わり] 芍藥に牡丹をつぎし如くなれ [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 此|朝《あした》大内山の冬霞 [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 紫の冬霞とぞなりにける [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 梅早し日嗣の皇子は生坐《あれま》しし [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 和歌の浦に鶴來りしがひんがしへ [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 北海に鷹現れてみんなみへ [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 東海に鯨浮みて潮をふく [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 鶴來る東西南北四方より [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 鶴來り鳳凰來り龜浮ぶ [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 一齊に櫻橘返り咲く [#ここから2字下げ] 昭和八年十二月二十三日・皇太子殿下御誕生。東京日日新聞に句を徴されて [#ここで字下げ終わり] 冬草の離々として萌え出でにけり [#ここから2字下げ] 昭和九年二月・還暦自祝 [#ここで字下げ終わり] 六十の寒が明けたる許りなり [#ここから2字下げ] 昭和九年二月・還暦自祝 [#ここで字下げ終わり] 春立つや芝居にもある賀の祝 [#ここから2字下げ] 昭和九年二月・還暦自祝 [#ここで字下げ終わり] 春や昔賀の祝する白太夫 [#ここから2字下げ] 昭和九年二月・還暦自祝 [#ここで字下げ終わり] 還暦の春や昔の男なる [#ここから2字下げ] 昭和九年三月一日・中兄先妻、たけしの實母、梅影大師、三十七囘忌 [#ここで字下げ終わり] 玄孫《ひこ》もあり安んじたまへ梅影忌 [#ここから2字下げ] 昭和九年三月二十七日・友次郎太平洋横斷三度び巴里に赴く、氷川丸。無電にて [#ここで字下げ終わり] ニツポンハソノノチハルノユキ五スン [#ここから2字下げ] 昭和九年三月二十七日・友次郎太平洋横斷三度び巴里に赴く、氷川丸。無電にて、再び [#ここで字下げ終わり] ナヌカニハバンクーバーノハルノヤマ [#ここから2字下げ] 昭和九年か十年・人の金婚を祝す [#ここで字下げ終わり] 黄梅に黄なる蝶々のいつまでも [#ここから2字下げ] 昭和九年四月二十八日・四女晴子、高木良一に嫁す [#ここで字下げ終わり] ぼうたんに巖を得たる思ひかな [#ここから2字下げ] 昭和九年五月一日・古川迷水逝く、弔句 [#ここで字下げ終わり] 春の日のとみにかげりし思ひかな [#ここから2字下げ] 昭和九年五月・富岡犀川、砧女夫妻、銀婚式 [#ここで字下げ終わり] 牡丹の二つの影の重なりぬ [#ここから2字下げ] 昭和九年秋・土浦の根崎梧樓、亡妻ふくの追念句集を編むに與ふ [#ここで字下げ終わり] 亡き妻の爲句帖編む人の秋 [#ここから2字下げ] 昭和十年・越後より上京したる耐雪の鼠の繪に贊す [#ここで字下げ終わり] 良寛も日向ぼこりや耐雪も [#ここから2字下げ] 昭和十年四月四日午後十時四十三分・相島嘘吼逝く。飛電を受取りしは夜半 [#ここで字下げ終わり] 花の雨嵐さへ添ひ夜半の事 [#ここから2字下げ] 昭和十年四月四日午後十時四十三分・相島嘘吼逝く。飛電を受取りしは夜半。 越えて七日・岡町萩の寺にて葬儀 [#ここで字下げ終わり] 句碑のある花の御寺に今來しか [#ここから2字下げ] 昭和十年五月・ぼたん觀音三週忌に [#ここで字下げ終わり] ぼうたんに佛の歳も三つかな [#ここから2字下げ] 昭和十年十月六日・武藏野探勝。多摩川日活撮影所。暫くぶりに入江たか子に會す [#ここで字下げ終わり] 麗人とうたはれ月もまだ欠けず [#ここから2字下げ] 昭和十年十月・藤田耕雪を哀悼す [#ここで字下げ終わり] 月の秋上品上生の佛たり [#ここから2字下げ] 昭和十年十月・素十におくる [#ここで字下げ終わり] 與一郎素十富士子や家の春 [#ここから2字下げ] 昭和十年十一月・戲曲「髮を結ふ一茶」を作りて [#ここで字下げ終わり] 一茶忌や髮結ふことを尚餐《こひねがはくはうけよ》 [#ここから2字下げ] 昭和十一年一月十二日午後三時十五分・松藤夏山逝く [#ここで字下げ終わり] この寒さにくみもせずに逝かれけん [#ここから2字下げ] 昭和十一年二月三日・中村草田男結婚 [#ここで字下げ終わり] めでたさは春立つあすの今宵かな [#ここから2字下げ] 昭和十一年二月十九日・晴子安産女兒分娩とのことを渡佛途上西ノ宮にて聞く [#ここで字下げ終わり] 九人目の孫も女や玉椿 [#ここから2字下げ] 昭和十一年二月二十七日・香港に近く、二・二六事件を船内發行の新聞にて知る [#ここで字下げ終わり] 水仙に日本のニユース聞いてただ [#ここから2字下げ] 昭和十一年三月二日・ボルネオ海より吉右衞門に贈る同船客より「髮を結ふ一茶」の話あり [#ここで字下げ終わり] 髮を結ふ一茶の話船涼し [#ここから2字下げ] 昭和十一年五月二十一日・歐羅巴より歸船途上印度洋にて。皿井旭川夫人を悼む。 [#ここで字下げ終わり] 海草の流るる悲し雲の峰 [#ここから2字下げ] 昭和十一年五月二十六日・歸朝途上、古倫母を出て、大毎紙上に本田不二麿の死を知る。四月二十六日 [#ここで字下げ終わり] 春かなし先月今日のことなりし [#ここから2字下げ] 昭和十一年六月五日・素十息與一郎初節句 [#ここで字下げ終わり] 素十抱き富士子受取る菖蒲の子 [#ここから2字下げ] 昭和十一年六月十日・歸航途上玄海に於て大朝九州支社より「吉井勇氏今宵來社對談し貴下を思ふの歌あり御知らせ申す、『虚子の船赤馬ケ關に寄らで過ぐ今宵の月夜ほくな讀みそね』」とありければ [#ここで字下げ終わり] 短夜を寢ず門司の灯を見て過ぎん [#ここから2字下げ] 昭和十一年六月・伊藤泥子息克也を悼む [#ここで字下げ終わり] 悲しみの長梅雨晴れぬ然れども [#ここから2字下げ] 昭和十一年八月十日・垂水の山岡三重史三男正稔出生 [#ここで字下げ終わり] 秋晴の垂水五色の家居かな [#ここから2字下げ] 昭和十一年十一月・としを男兒出生、孫十一人目はじめての男なり [#ここで字下げ終わり] 小春日の春を抱いて生れけり [#ここから2字下げ] 昭和十二年一月九日午後五時・大阪の松瀬青々逝く。年六十九 [#ここで字下げ終わり] ささ鳴の大いなる訃をもたらせし [#ここから2字下げ] 昭和十二年一月七日・川崎利吉息結婚 [#ここで字下げ終わり] 七草に更に嫁菜を加へけり [#ここから2字下げ] 昭和十三年七月二十四日・堺の山本梅史逝く [#ここで字下げ終わり] 落つる露止むすべもなし伏し拜む [#ここから2字下げ] 昭和十三年九月十七日・村上鬼城逝く [#ここで字下げ終わり] 鬼城忌や露月忌子規忌相並び 底本:「定本高濱虚子全集 第三巻」毎日新聞社    1974(昭和49)年1月30日発行 底本の親本:「贈答句集」菁柿堂    1946(昭和21)年10月発行 入力:小川春休 2010年1月1日公開