8月1日
朝8時過ぎ、I君と広島駅空港行きバス乗り場で待合わせ空港へ向かう。空港でK君とも合流、9時50分発羽田行きに乗る。広島は朝からうだるような暑さなのに、ニュースによると東北地方は大雨で秋田新幹線も遅れが出ているとの事、皆天候を気にしている。羽田でY夫妻と更に合流、一年ぶりの再会を喜び合いビールで乾杯。5人揃って13時45分秋田行きに乗る。北上につれ雲が厚くなるなかを予定通り秋田空港に到着。連絡バスから見る始めての東北は自然が強く残る濃い緑の地で、雨は上がっていたが川は溢れんばかりの水を抱えていた。秋田から庄内経由、由利高原鉄道で終点の矢島へ。更にそこからタクシーで宿泊地の鳥海荘に到着したのは19時前であった。電車の窓から見えた道路の温度表示は23℃、相当涼しい。「本当ならこの正面に見えるんですけど」と言うタクシーの運転手のズーズー弁に遠くに来た実感が沸く。国民宿舎鳥海荘は温泉も素晴らしい。ビール、冷酒、熱燗で盛り上る。K君は奥さんの強い勧めで「鼾防止リング」を用意してきたが、その効果を実感しないうちに寝入ってしまった。
8月2日
天気は相変わらずどんよりとした曇り。9時、タクシーで登山口の祓川へ。車窓からはブナやナナカマドが見える。運転手によると10月の初めの紅葉が見事だそうだ。1200mの登山口で記念写真のあと9時30分登山開始。竜ヶ崎湿原の木道を過ぎ、広葉樹林の中を登りにかかる。ミズバショウが咲いている。マイズルソウも目にする。しばらくすると雪渓が現われる。高度を稼ぐにつれて高山植物も目に入ってくる。下を向いて咲いているのはチョウカイアザミか。イワギキョウもしっかり根を張っている。黄色や白の可憐な花が美しい。図鑑を持ってくればよかった。登りがだんだん急になり七つ釜に着く。雪渓からの水は切れるように冷たいが素晴らしく美味しい。ここから大雪路に入る。アイゼンを購入してきたが幸い使う場面がほとんど無かった。雪渓は解けるに従って逆台形になり、淵に行くと崩れて怪我をすることがある。ガスが深いと雪渓の中で方向を見失うこともあるそうだ。Y夫妻は鳥海への最初のトライのとき深いガスで雪渓の中でギブアップし、引き帰したとの事。1800m付近で昼食。Y君の奥さんが前夜作ってくれたおにぎりを頬張る。残念ながら景色は期待できない。昼食後、さらに高度を稼ぎ最後の急路、舎利坂にかかる。鎖を頼りの急登のあと、七高山(2230m)に到達。回りは相変わらず深いガス。頂上の向うは切り立った崖。記念撮影のあと御室小屋(大物忌神社)へ。15時まえに到着、ビールで乾杯。今日は小さい小屋に70人が宿泊予定。中二階のような3畳スペースを割り当てられ車座で焼酎の水割りとなる。しばらくして外が少し明るくなった気配で、慌てて外に出ると雲が切れ始め、岩がゴツゴツした外輪山や、新山が姿を現す。日本海に沈む見事な夕日を見ることができたのも幸運であった。寒さが迫る中、ひたすら夕日に見入った。早めの夕食後19時頃には寝入ってしまった。
8月3日
3時過ぎ頃目を覚ました頃には満天の星で、ご来光を期待したが4時過ぎに新山に出発する頃には昨日と同じ曇天となった。享保元年(1719年)の大噴火で形成され、昭和49年(1974年)にも大爆発した新山(2236m)へは、ペンキで示された矢印に沿って大きな岩の上を伝い歩きして到達する。頂上には一足早く山小屋を出発した地元テレビ局スタッフの姿がガスの向うに見える。日の出が鳥海の影を雲海に映す陰鳥海を取るために7月30日から美人アナウンサー共々ずっと頑張っているとの事。貧しい小屋の食事と、強烈な便所の環境で滞在ご苦労様である。(Y君によれば4日の朝無事撮影に成功し、10日のズームイン朝で放映されたそうだ、目出度し目出度し。)5時半朝食、6時半出発。日本海側への下山ルートは緩やかな下り。七五三掛、御田が原、鳥海湖を左に見ながら小浜小屋(小浜神社)と進む道は整備され、左右には高山植物の花盛り、ニッコウキスゲも群生している。振り返ると鳥海山に傘雲がかかっている。登山者も非常に多く、小中学生も見受けられ昨日とは全く違った親しみやすい山の印象である。11時前には鉾立のレストハウス(1150m)に無事到着、ここで下山は終了、ビールで無事を祝う。Y君の提案で昼食は岩牡蠣コースとなりタクシーで向かう。象潟駅のすぐ近くにある店は有名な店だそうだ。広島の牡蠣の4〜5倍はあろうかという大きな岩牡蠣を堪能し電車で吹浦へ、そして最後の宿泊地のとりみ荘へ。吹浦駅からとりみ荘までの歩きは疲れもピークに達し荷物が肩に食い込み、とても長く感じた。早速温泉、そして夕食。また温泉。最後の夜は大いに盛り上がり、気が付けば二時であった。来年は南アルプスの塩見岳と決定。
8月4日
朝食後8時過ぎ、来年の再会を約しK君と小生が先に帰路に着く。I君はもう一日滞在、Y君夫妻は夕方の飛行機で東京へ。羽越線の車窓から見える鳥海山は、今日も雲の中。最後まで美しい姿を見せてくれなかった。途中家からの連絡で、隣家の奥さんが亡くなったことを知る。未だ50歳、ガンで数年間の闘病のすえであった。早速明日は葬式で忙しい。新潟から新幹線で東京へ、更に羽田から広島空港へ。迎えに来ていたK君の奥さんに途中まで送ってもらい、小生は山陽線で自宅まで。20時過ぎに帰宅。
帰宅後、同級生のM君、元同僚のM氏も相前後して亡くなったことを知り愕然とした。同世代が歯が抜けるように亡くなっていく。このような楽しみがいつまで続けられることか。