
8月9日(水) 広島→立山
8時30分広島駅北口でI君と合流、I君の車で西条インターでK君を拾い一路立山
へ向かう。K君は尿道に残った結石に苦しんでいたが今回参加のためにわざわざ31日に
入院し砕石手術を受けて参加。入院前に靴やリュックを新調、並みの意気込みではない。
途中、昼食や休憩を取りながら山陽、名神、北陸自動車道を経由して18時、宿泊先の厚
生年金休暇センターに到着。先に到着していたY夫妻と合流し久々の再会を楽しみなが
ら夕食をとる。Y夫妻は黒部五郎が94座目。100名山達成は目前に迫り、帰ったら
14日から北海道に飛び2座(羅臼、トムラウシ?)に挑むとのこと。相も変わらぬこの
夫婦の行動力に感心する。アルコールで会話も弾んだが明日に備えて早めに床につく。
8月10日(木) 立山→折立→太郎平
朝食の後、休暇センターを後にして折立に向かう。折立に車を置き、9時前に1550mの登
山道入り口を登り始める。1870メートルの三角点で昼食。I君は相変わらずの細やかな
気遣いでラーメン、雑炊、卵スープなど持参、お湯を沸かしゴッタ煮とするがなかなか美味し
い。高度を稼ぐにつれ広葉樹から針葉樹と変わっていき、森林限界を過ぎると登りも緩や
かとなりハイマツと高山植物の世界が広がる。
コバイケソウ、ニッコウキスゲ、小さな紫はチシマギキョウか。空気もさわやかで別世界
の雰囲気となる。15時前に2350mの太郎平小屋に到着。
回りの広大なアルプスのパノラマを見ながら、缶ビールで疲れを癒す。この小屋には
高校の同級生のS君のご子息がおられ、大変気を使っていただいた。
我々だけに部屋を用意してもらったり、夕食後水割りの肴にと近くで採っ
た山菜を茹でたのを持ってきていただいた。
ご子息は大変爽やかな好青年で、奥さん(教員?)と一緒に混雑のピークの小屋を切盛りされ
ていた。I君によるとS青年は大学時代
に山に魅せられ、ネパールに行くなど活躍され山の雑誌の特集にも登場されている由。
Y隊長の発案で、明日は当初予定を変更し黒部五郎岳をピストンし、太郎平小屋に連泊
することに決定。早めに就寝。
8月11日(金) 太郎平←→黒部五郎岳
4時半起床、5時朝食の後、6時前に出発。不要な荷物は小屋に預け、往復18kmのピスト
ンに出発。ここでパプニング、出だしで道を間違えて、薬師沢方面に向かい、引き帰し
約1時間のロス、気ぜわしく黒部五郎を目指す。途中、北ノ俣岳(2661m)など緩やかなアップ
ダウンを繰り返す稜線を歩む。昨日と同じ高山植物と雪渓の世界、雷鳥にも出会う。
人を恐れる気配もない。下の方に雲ノ平の湿原が見える。
三俣蓮華、鷲羽岳が近づく。最後の300mの急登を終え12時頃に山頂(2840m)に到達。
K君とおにぎりを分け合った後、12時30分復路につく。
K君は日頃テニスで鍛えた脚力で快調に飛ばす。ゴロ石の転がる
登山道は疲れた足にこたえる。16時太郎平小屋に到着と同時に激しく雨が降り出した。
K君は後続のI君、Y夫妻を気遣っていた。雨が止む頃東の方に巨大な虹がかかる。
小屋にいたオバサマたちが嬌声をあげていた。我々が夕食を終えた18時頃3人も無事到着。
昨夜にもまして登山客が多い中、我々は叉も特別に部屋を用意してもらう。感謝感謝。
一日余裕ができたのだがY夫妻とI君は明朝下山、K君と小生は薬師岳に登ることに決定。
9時前に就寝、疲れのせいか皆のいびきの音が激しく寝つきにくい。
8月12日(土) 太郎平→薬師岳→折立→広島
5時朝食の後、K君と小生は薬師を目指し出発。Y夫妻とはここでお別れ、来年の再
会を約す。昨日と違いひたすらの登り、8時頃山頂(2930m)に到着。
山頂からの眺めは昨日にまして素晴らしい。槍、穂高、昨日
の黒部五郎、遠く雲の上に白山が浮かぶ。360度の世界が広がる。
眺めを惜しみながら下りにつく。9時半小屋に帰りつき、ヘリコプターで到着したばかりの生ビールで喉を潤す。
S青年に別れを告げて下山にかかる。Y夫妻は7時頃、I君は8時頃下山したとのこと。
台風接近の予報にもかかわらずアリのように人が登って来る。
12時半過ぎに折立にたどり着く。下界の蒸し暑さがこたえる。K君は最
後まで快調、小生は最後、へばってしまった。
気がつくと山の強い紫外線で手や首が真っ赤になっていた。待ってくれていたI君と合
流し、近くの国民宿舎で汗を流した後帰途につく。
京都の手前からお盆の大渋滞に巻き込まれ、結局家にたどり着いたのは翌朝6時半であった。
遠回りして送ってくれたI君、ありがとう。
今回は、天気にも恵まれ黒部五郎岳、薬師岳の上に立つことができ素晴らしい登山旅行であった。
皆さんありがとう。来年もよろしくね。
