10月4日
9時甲府駅でAさんと待ち合わせ。予めAさん宅へ送っておいたリュックを車で持参して
もらい、駅前で茶髪の女子高生の視線を浴びながら背広をニッカに着替え、書類と背広を
紙袋に押し込んでコンビニから黒猫で送りさあ出発。しばらくはサラリーマンとお別れ。
時間があるからと、昇仙峡に立ち寄りビールを飲みながらのんびりしたので、山麓の別
荘地帯を通り過ぎて美濃戸口(1800M)へ着いたのは3時前。車を置いて気ぜわしく
出発。Aさんの登山靴は2年余り使っておらず、早くも底が抜け運動靴に急遽履き替えド
タバタでカメラを車に置き忘れての出発となった。沢(南沢)に沿っただらだらと緩やか
な登り。見事な苔がビロードのように覆った樹林を歩く。広葉樹は黄色く変わりは始めている。
約2時間、水の枯れた沢を通り過ぎると突然、視界が開け行者小屋
(2350M)が現れた。小屋の後ろは八ヶ岳連峰が取り囲み迫っている。左から硫黄岳、
横岳、赤岳、阿弥陀岳が連なる。見事な黄葉(紅葉というより)のパノラマがさながら
屏風のよう。行者小屋は200人はゆうに泊まれそうだが、今日はわれわれを含め4人だけ。
しかも食事は3人、「杉並から来ました。妻も子供も山は好きではありません」という
育ちの良い優しそうなおパパという感じの2代目さんと一緒に食事をし、バーボンの酔い
が回り、7時過ぎには早くもバタン。テンデに場所を取り鼾に悩まされることもナシ。
途中トイレに行ったときは、凍りつきそうな満天の星であった。

10月5日
5時半まで熟睡。この小屋は建替えて5年くらいと思われるが、トイレは昔のままでいただ
けない。鼻を歪めながら爆弾を投下、小屋の前のベンチでモーニングコーヒ−の後、
7時前に出発。快晴、ベンチはコチコチに凍っていた。しばらく歩くと赤岳の向こうから日が
昇り暖かくなる。一時間半で赤岳と阿弥陀岳の鞍部(2700M)に着く。荷物を置いて
最後の急登の後阿弥陀岳の頂上(2805M)に。秋晴れ、視界が素晴らしい。近くは北
岳、仙丈、甲斐駒それに去年の鳳凰山、右に穂高、槍さらに右は浅間山か、東には富士山が
雲の上にくっきりと浮かぶ。一休み後鞍部まで下り、中岳を経て赤岳を目指す。這い松の
間をきつい登りが続く。最後の50Mほどは急な鎖場。へばっている横を青い目の金髪の
娘がにこっと笑って登っていった。10時30分山頂に到着。赤岳山頂(2899M)は阿弥
陀岳に勝る360度の視界。5人くらいの学生風がハーモニカを吹いていた。頂上小屋を経て
横岳への道は梯子と鎖場の連続、左右崖あり・アップダウンありで体力を消耗する。12時
前に横岳到着(2825M)カロリーメイトを昼食代わりに休憩。この辺りは粘性の溶岩
による大同心、小同心など奇岩が多く道も歩きにくい。最後の鎖場の後、やっと穏やかな
尾根道となる。硫黄岳への道は途中石楠花の群生地もあり夏はさぞかし見事なお花畑を思
わせる。硫黄岳は外見は穏やかな形だが尾根が突然切り立った崖となる。そのためか緩や
かに頂上までケルンが転々と建てられ道案内をしてくれる。13時30分硫黄岳頂上
(2760M)ここが南八ヶ岳連山の北端。蓼科など北八を十分眺めて下山。距離は黒部
五郎の往復ほどではないが結構体力を消耗してしまった。15時前に赤岳鉱泉
(2340M)に到着、ビールで乾杯。16時から待望のお風呂。ハーモニカの学生たちが
どっと入ってきて芋の子状態。神戸からきて八ヶ岳を縦走中で5日間風呂に入っていない
との事。食事のとき、風呂上りのバーボンに酔ってAさんは上機嫌で向かいの中年夫婦に
話しかけていた。八ヶ岳のベテランのようで、色々気さくに話してくれた。八ヶ岳は山小
屋が多く、サービスを競い合って真冬でもやっているそうだ。Aさんは小生より4つ年長、
途中入社で何故か気が合い、30年の付き合い。3年前に早々と早期定年退職し、企業年金
をもらいつつ半ば趣味で税理士試験にチャレンジしている気楽な(?)身の上。食事の後
会社の同僚の消息などを肴に更にバーボンを傾ける。赤岳鉱泉は個室と大部屋があり、
大部屋は我々を含み3人だけ、今夜も鼾の心配なし、熟睡。

10月6日
5時半起床。今日は下山して帰るだけ。赤岳鉱泉のトイレは下に水の音がする天然の水洗?
昨日よりはるかにましで有難い。再びモーニングコーヒーのあと、快晴の八ヶ岳連山を
背にして下山。沢(北沢)に沿って緩やかな下りを1時間半。苔のビロードの間にトリカ
ブトが紫の花を咲かせていた。美濃戸口から車に戻り、小淵沢駅で又の山行きを約しAさ
んと別れる。9時12分乗車、塩尻で特急に乗り換え、12時名古屋着。駅地下で味噌煮込みう
どんに舌鼓を打ち、1時新幹線に。5時には家に着くと思いつつ缶ビールを傾けていたら、
京都手前で突然停止。山陰地震のためノロノロ運転を繰り返し、家にたどり着いたのは
9時30分であった。素晴らしい天気に恵まれた山行きであったが帰り道は何故かこうなる。
この前は、お盆の大渋滞、今回は地震、日頃の行いは悪くないはずなのに...