「ゼロ戦」の正しい名前は 零式艦上戦闘機、航空母艦から発着できる戦闘機で、略して零戦、 またはゼロ戦と呼んでいました。

太平洋戦争(日本においては、大東亜戦争と呼称していた)が始まる一年前の
昭和15年に海軍の戦闘機として採用され、終戦までに一万機以上が生産されました。

 開戦初期には、世界の水準を超えた性能と、優秀なパイロットによって、無敵の
強さを誇っていました。 しかしゼロ戦の優位は、長くは続きませんでした。

 アメリカは、ケタ違いの工業力を背景に、次から次えと新鋭機を登場させてきました。
日本海軍も「紫電」、「彗星」など新鋭機を開発したが、いずれも生産は千機にいたらず
開戦中に、三十万機を生産したアメリカとは、いかんせん生産量が違いすぎました。

 やがて、高高度での運動性能低下、極限まで切りつめた防御装備等、ゼロ戦の脆弱性が
察知され、その優位性は逆転していったのです。

 また敵艦からの砲撃もすざましく、敵の高射砲から打ち出される弾丸一発一発に、
電子回路(近接信管)が内蔵され、狙った標的に最も近づいた瞬間、自動的に爆発す
るという、命中しなくても当たる砲弾によってゼロ戦の翼がもがれていきました。

最後には、特攻機一機に対して撃ち出された砲弾の平均数約12,000発という 弾雨の中を
敵艦に向って突入していったのです。

 ついに最後までゼロ戦は、海軍の主力戦闘機として酷使され続けました。
戦艦大和が、遅れてきたヒーローならば、ゼロ戦は、酷使された大空のエースでした。



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