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特攻発動

 かつて フィリピンのマニラ市北方のクラーク基地に、日本
海軍第201航空隊マバラカット西飛行場がありました。
飛行機が爆弾を抱えて敵艦に体当たりするという、若者たち
の命を代償にした特攻作戦が、かの地で発動されたのです。    「神風特別攻撃隊」 の序章です。


昭和十九年十月十九日の深夜、関行男大尉が所属する201航空隊本部に第一航空艦隊
司令長官  大西滝次郎中将が、 参謀 を伴って訪れた。
寝ていた関大尉は、従兵 から「副長がお呼びです」と起こされた。

関大尉は、服装を整え何事かと、階下に降りて行った。 士官室には201航空隊副長玉井
浅一中佐のほか、 猪口力平大佐、指宿正信、 横山岳夫 両飛行隊長の姿があった。

「お呼びですか?」 関は玉井副長に声をかけた。 玉井副長は、目の前の椅子をすすめその隣りに座り、彼の肩を抱くようにし て語りかけた。

 「関、今日大西長官がじきじきに当隊に来られたのは、〇〇作戦を成功させるため、
ゼロ戦 に250キロの爆弾を搭載して敵に体当たりを‥(中略)ついては、 この攻撃隊の
指揮官として 貴様に白羽の矢を立てたんだが、どうか?」‥‥ 関にとっては思いがけない
事態であった。

「一晩、考えさせて下さい」‥‥‥‥‥  「どうだろう、君が征ってくれるか」 玉井副長が
重ねて関に訊いた。 もはや決断をのばすことはできなかった。 関は玉井副長の顔を見つめ、 無造作に一言洩らした。

「承知しました」 猪口参謀が階上に上がり、大西長官を迎えにいった。
降りてきた大西と関が どんな会話をかわしたかはわからない。

ただそのとき 猪口参謀が 関に「関大尉はまだチョンガー だっけ‥‥」と訊ねた。 関は 
「いや」 と言葉すくなく答え、「そうか、チョンガー(独身)じゃなかったか」と 猪口参謀が
答えた。 関が妻帯者であることを、幹部たちは知らなかったのだ。

 「ちょっと失礼します」といって、関は背を向け、薄暗いカンテラの下で 何かを書きはじめた。  大西長官も猪口参謀も、玉井副長も指宿、横山両 飛行隊長も黙ってそれを見ていた。

遺書であった。 関行男大尉は遺書を二通書いた。 一通は愛媛県西条市の母と妻の
両親あて、もう一通は、妻、満里子自身へのものである。

(「完本太平洋戦争(下)」文芸春秋編から



「特攻敷島隊の出撃 決別の水盃」

昭和十九年十月二十日
フィリピン マバラカット西飛行場
水を注ぐ玉井副長、盃を受ける関大尉
見つめる背中が特攻を発令した大西長官
特攻出撃前日のセレモニーです。

同場面の絵画「神風特攻隊敷島隊出撃の図」
(御厨 純一 作)が館内に展示中




「再び踏むことのない大地をけって」

昭和十九年十月二十一日、隊員総員
のうち振る帽子に見送られての出撃。
 しかし攻撃の目標とした敵航空母艦に
遭遇できず、引き返すこと三度、地獄の
ような試練の日を耐えて 十月二十五日
敵空母めがけて、爆弾もろともその若い
肉体を砕いたのです。

「特攻」は、関行男大尉を初めとした第一陣が昭和十九年十月二十一日に
飛び立ってから日本が降伏する昭和二十年八月十五日までの間、連日の
ように出撃して逝きました。  空から、海から、海軍も、そして陸軍も