特攻をめざした若者は、何を思って死んで逝けたのでしょうか。 出撃までの、想像を絶する苦悩を克服し、人間の本能である 生への執着を 断ち切れた動機は、一体 何だったんだろう。 とあるHPで、一つの答えにつながるような手紙に出会いました。 「名も無き野の花にも 美しい物語がある」と人はいいます。 一人の若者がその短い人生を閉じようとしたとき、勇ましくも美しい、 そしてあまりにも悲しい 珠玉のドラマがあったのです。
昭和二十年五月十二日未明鹿児島県串良基地から特攻機一機が出撃しました。 搭乗員三名の中に、高知県大野出身の村田正作海軍二等兵曹の姿がありました。 その日からほどなくして一通の手紙が、鹿児島県串良町の一女性から大野の村田家 に届きました。 みごとな変体仮名まじりの文面でした。
昭和二十年五月二十一日 聯合艦隊司令長官 豊田副武