少年戦士の出撃

 特攻をめざした若者は、何を思って死んで逝けたのでしょうか。
出撃までの、想像を絶する苦悩を克服し、人間の本能である
生への執着を 断ち切れた動機は、一体 何だったんだろう。
とあるHPで、一つの答えにつながるような手紙に出会いました。

 「名も無き野の花にも 美しい物語がある」と人はいいます。
一人の若者がその短い人生を閉じようとしたとき、勇ましくも美しい、 そしてあまりにも悲しい 珠玉のドラマがあったのです。


 昭和二十年五月十二日未明鹿児島県串良基地から特攻機一機が出撃しました。
搭乗員三名の中に、高知県大野出身の村田正作海軍二等兵曹の姿がありました。

その日からほどなくして一通の手紙が、鹿児島県串良町の一女性から大野の村田家 に届きました。  みごとな変体仮名まじりの文面でした。





「この原稿は、高知の門田様から頂戴しました。」

連合艦隊司令長官布告

海軍から届いた文書はザラ紙にガリ版ずりの一枚の紙片でした。
聯合艦隊布告第二百六号
 神風特別攻撃隊第三正気隊
 百里原航空隊付
  海 軍 少 尉  堀江 荘次
  _______小田切徳一
  海軍二等兵曹  村田 正作
神風特別攻撃隊第三正気隊員トシテ昭和二十年五月十二日菊水第六号作戦ガ開始
セラルルヤ 沖縄周辺二蟠踞セル敵艦隊群ノ攻撃二勇躍出撃、敵ノ至厳ナル哨戒網
並二猛烈ナル防御砲火ヲ冒シ 敵戦艦一隻二対シ必死必中ノ体当タリ攻撃ヲ決行シ
党ク英ノ成華ヲ発揚シテ 悠久ノ大義二殉ズ 忠裂万世二燦タリ 仍テ、ココニ 其ノ
殊勲ヲ認メ全軍二布告ス

   昭和二十年五月二十一日   
   聯合艦隊司令長官 豊田副武


この布告には、17歳の村田戦士が命を捧げた戦果が明記されていません、
この時期の特攻隊は、護衛も無く、戦果の確認もされない出撃でした。


最期の手紙
其の後、正作氏からご両親宛に 最後の手紙が届きました。一瞬の青春を彩ってくれた
その人の頭上で、翼を振って出撃して逝った 若き特攻隊員が 書き残した「遺書」です。
「炎と散らん 君のため」と、辞世の中に叶わぬ青春の想いを残したのではないでしょうか。









 







村田様の御芳名は、江田島の教育参考館内の「海軍特別攻撃隊銘碑」に
共に散華された堀江様、小田切様と並んで 深く刻まれています。

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