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毎年、広島市中区の鯉城会館で「平和のための広島の戦争展」が開かれています。
2000年の 展示資料の中に、原爆禍の惨劇を物語る2通の手紙がありました。
今を去ること62年前の昭和二十年八月六日の朝、当時22歳の山崎安子さんも、
広島市内で、爆弾が落ちた時の火災の延焼を防ぐため、建物を取り壊して道幅を広げる
作業に従事していました。
そのとき 市街の真ん中に投下された「原爆」によって 彼女も全身に熱線を浴び、
瀕死の 重傷を受けたのです。
地獄の一夜が明けた七日の午後、被爆者の収容に当たっていた一兵士が瀕死の彼女
を発見し、その最期を看取り、遺髪と最期の様子を、手紙でご両親のもとえ伝えました。
「中国新聞」によると、安子さんの親御さんが、たれにも見せずしまっていた その
手紙を、平和の祈りを込めて 初めて公開されたとのことです。
ガラスケースの中にたたずむ、歳月を経て黄色く変色したその手紙からは、悲惨な
戦争の側面と純朴な人間愛とが、胸の奥に重悲しくしみ込んできました。
この手紙を他の人にも読んで貰らいたいと思い、会場の担当者から許可を頂き、メガネを
お借りして 手帳に 行数まで正確に書き写してきたものです。
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