「童子賞」受賞にあたって

−これから作るべき俳句−


 俳句を始めて七年少々、所属する結社の賞「童子賞」を受賞することができた。
 正直なところ、七年前俳句を始めた頃から、一体何を身につけたのか、自分でもはっきりとは分からない。分からないなりにも、やっぱりいくらかは成長したんだろう。せっかくだから、今俳句について考えていること感じていることを、まとめてみようかと思う。

1.なぜ俳句?

 私は学生時代、詩や童話を書いていた。俳句を作ってきた七年の間にも一時期、俳句と並行して短歌を作っていた時期もある。そして今は専ら俳句だけを作っているわけだ。しかし、なんでまた俳句だけを作っているのか。その事を突き詰めて考えてみよう。
 俳句が面白いから、だろうか。当たらずとも遠からず、と言ったところか。面白い、ということで言えば、短歌だって俳句と同じくらい面白い。映画も漫画も音楽も面白い。が、今は短歌を作ろうとは思わない。気まぐれに一首や二首詠むことはあっても。それと同じように、映画を撮ろうとも思わないし、漫画を描こうとも思わないし、ミュージシャンになろうとも思わない。
 他にも面白いものが沢山あるのに、俳句だけを作るのはなぜか。それは、自分の書きたい、伝えたいと思うことに、俳句という器が最も適しているからではないだろうか。俳句は短い。極端な言い方をすれば、「花が美しい」とか「米が旨い」とか、その程度のことで一杯になってしまう器なのである、俳句は。しかし私には、その短さこそが魅力だ。大体私の伝えたいと思うことは、あまりボリュームがない。「花が美しい」それで十分だ。「米が旨い」その事だけで一つの作品が成り立つ、そんなことができるのは俳句だけだろう。そして、それ以上余計な事は言わない。清々しい。その清々しさにも惹かれる。

2.俳句とは?

 七年前初めて参加した句会で、

   瞬きとはばたきと似てしじみ蝶

という句を作った。初めての句会での作にしては、上出来と言って良い句だと思う。自画自賛である。この句も含めて最初の三年程は、蕪村を始めとする先達の句、現代詩や短歌、小説、エッセイ、浮世草子、紀行文、映画、漫画、音楽、何でも自分の俳句に吸収しようとした。やってる本人は、「自分の俳句は新しいぞ」と意気込んでいるのだが、しばらくすると、「その程度のことなら、いろんな人が既にやり尽くしている」ということに気づく。(話は少し脱線するが、現代詩や現代短歌の影響を強く受けたような俳句ばかり作っている人を総合誌などでよく見かけるのだが、あれは止めた方が良いんじゃないの、と思う。「現代詩のような俳句」が現代詩より面白くなることはないだろう。そんなら最初から詩を書いた方が良い。)
 その後は、他のジャンルから何かを吸収しようとすることはあまりなくなった。どちらかと言えば、他のジャンルと俳句とを比較して考え、その事によって俳句の特質をつかもうとした。俳句でしか表現できないものとは何か、それを模索していたのである。その転換期の頃の作が、

   弁当の蓋で麦茶を飲む男
   縄跳びの眼鏡がくがくがくがくす

こういった句である。さっきの「しじみ蝶」の句は、たとえば後に七七をつければたやすく短歌になりそうな句だが、「麦茶男」も「がくがく眼鏡」も、絶対に短歌になどなってやるものか、という気概が感じられないだろうか。もしかすると感じられないのかも知れないが、作った本人は、「俳句でしか表現できない世界を打ち立てるのだ!」と大真面目なのである。
 時代はさかのぼって芭蕉の頃、そもそも俳諧というジャンルは、漢詩・和歌・連歌という他のジャンルより下に位置していた。そんな俳諧の存在意義は、「他のジャンルにはできないやり方で『詩』を生み出す」その一点に掛かっていたのである。他のジャンルでは使わない俗な用語を使うことから始まり、浄瑠璃やら芝居、漢籍からも貪欲に句材を吸収し、芭蕉によって他のジャンルに(質の点では)並び立つまでに完成されたわけだ。時代は異なるが、今だって俳句の存在意義は「他のジャンルにはできないやり方で『詩』を生み出す」ことだ。

3.これから作る句

 基本的には、「麦茶男」「がくがく眼鏡」の延長線上で「他のジャンルにはできないやり方で『詩』を生み出す」にはどうすれば良いか考えながら、今は坦々とやっている。
 ただ、最近改めて、俳句の短さを身にしみて感じている。「花が美しい」「米が旨い」本当に、そのくらいの事しか言えない。しかし、その「花が美しい」という句が読み手に届いたときに「なぜ花が美しいのか」その本質まで感じさせるような句を作ること、それが今現在の目標である。そして、そういう本質とは、身近な、日々の生活の中にたぶん隠れているんだろうな、という漠然とした感触を感じながら、句を作る毎日である。


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