安達祥句集『野分船』の世界

−俳句のよろこび

  こりや辛い坊主となりて野蒜かな    安達 祥

 この「野蒜」の句は、祥さんが俳句を始めてまだ間もない頃の作品である。始めて間もない頃の作にしては、何やら、「初真桑四つにや断(わ)らん輪に切らん」と詠んだ芭蕉の口ぶりを思わせる、堂々たる句だ。それにしても、この句の心の弾みようはどうだ。自分の心(それがたとえほんの小さな気づきのような事柄であっても)を外へ、誰かへ向けて表現できる「よろこび」に、満ち溢れているようだ。

 俳句を始めるまでは、自分の心を外に出したりなどできない状態だったのだと、祥さん自身のあとがきを読んで知った。それを知った上でこういう句を読むと、ほんとうに、祥さん、俳句に出会えて良かったね、桃子先生に出会えて良かったね、という気持ちになる。

 その後、十年近く俳句を作り続けることによって、祥さんは、自分の心の奥底を、自分の目で見つめることのできる強さを身につけたんだな、と句集の終わり近くの、原爆や母をテーマにした句群を読んで思う。体があまり丈夫でない祥さんが、十年以上も俳句を続けて来られたのも、強さを身につけることができたのも、自分の心を表現できる「よろこび」が、祥さんにとってかけがえのないものだったからに違いない。


(「童子」2007年12月号掲載)


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