遠ざかりゆくものへ

−芝不器男『芝不器男句集』を読む−


 芝不器男は、二十六歳という若さでこの世を去っている。私は今年で、二十七歳になった。そのことに、何か不思議な感じを覚える。高校球児たちが年下になったときも、年下の横綱が誕生したときもそうだった。自分とはまるで違う人生を生きている人たちがここにいるんだなぁ、と至極当然でありながら普段は忘れてしまっている事実を、突きつけられたような気持ちになるのである。そして、その不思議な感じは、不器男の作品を読むことによって肉付けされ、より具体的でよりリアルな感覚へと変わっていった。

   永き日のにはとり柵を越えにけり

 不器男といえば、真っ先に想い起こされるのがこの句だ。この句は、良い。確かに良い。だが、この句の良さを説明せよと言われると困ってしまう。躍動感がある、というのとも違う気がする。確かに句の中に動きはあるのだが、躍動感は句の主眼ではないようだ。本来「にはとり」を閉じ込めておくための柵がやすやすと飛び越えられてしまうおかしさ、これもちょっと違う。季題が、これ以上考えられないくらい合っていて、読み手にどこまでもイメージを広げさせてくれる、ということは言えるだろうか。そうやって、いろいろと考えを巡らせた結果私は、この句は「にはとり」と「柵」との関係性において読むべきではないかと考えた。

   人入つて門のこりたる暮春かな

 私はこの句を読むと、なぜか漢詩を思い出してしまうのであるが、この句においても、「人」と「門」という二つの対象が詠まれている。句の中からフェードアウトして消えていく「にはとり」と「人」に対して、句の中に取り残される「柵」と「門」。この二句は、「残される」ということの本来的なさみしさと季題との相乗効果によって、多くの読み手の共感を得られる、普遍的な作品に成り得ているのではないだろうか。
 句集を読み進めていくと、これらの句と同様に、句の中から何かが去っていくという内容の句が多いことに気付かされる。

   汽車見えてやがて失せたる田打かな
   水流れきて流れゆく田打かな

 「田打」は時間の流れを超越したかのように悠然と続けられているが、「汽車」や「水」は一瞬のうちに過ぎ去ってゆく。

   向ふ家にかゞやき入りぬ石鹸玉

 一読、明るい句のようにも読まれるこの句であるが、「石鹸玉」は輝きながら読み手の視界から遠ざかり、ついには消え去ってしまう。目前に残されるのは、いつもと変わらぬ向かいの家だけだ。

   あなたなる夜雨の葛のあなたかな

 「みちはるかなる伊予の我が家をおもへば」と前書のされたこの句では、実際に遠ざかっているのは、旅をした作者自身である。しかし、句の中では「葛」が遠ざかって行ったように感じる。そして、さらにその向こうにある郷里もまた。
 不器男の句には、こういうモチーフの句が多い。遠ざかってゆくもの、過ぎ去って行くもの、消えゆくもの、そういうものたちがたくさん詠み込まれている。そして不器男にこのような句を作らせたのは、彼自身の、遠ざかりゆくものへの強い哀惜の念だったのであろう。このような強い哀惜の念と、彼の夭折の事実とを重ね合わせると、切ない。

   白藤の揺りやみしかばうすみどり

 風に揺られて輝くように白く見えた藤の花房。風が止んでしまえば、葉や蔓の薄緑の方がくっきりと見え、花の色は薄れてしまう。そんな淡い花の色なのである。この句において、遠ざかり、過ぎ去って行ったのは、「藤の花が白く輝いていた時間」だ。

   椿落ちて色うしなひぬたちどころ
   白浪を一度かゝげぬ海霞
   たはやすく昼月消えし茅花かな

 いつだってそうなのだ。美しいもの、愛すべきものは一瞬にして過ぎ去り、私一人だけが、何事もなかったかのようにそこに取り残されてしまう。不器男の句の底に流れているものは、そんな孤独やさみしさだ。
 しかし俳句は、俳句という形式は、孤独やさみしさをあらわにすることを許さない。だから、そんな感情は、普遍的な季語や、切れ字によるナンセンスな詠嘆に託すしかないのだ。もどかしい。だが、もどかしい表現方法を用いているからこそ、強く伝わる心情もある。不器男の俳句とは、そういう俳句なのかもしれない。

   新藁や永劫太き納屋の梁

 納屋の梁は未来永劫太いまま存在し、そして人間は毎年藁を生活に役立てて暮らしていくのであろう。かつてどこにでもあった風景。句の意味は明解だ。
 しかし私は、その先を読まずにいられない。どこにでもある、永遠を感じさせる風景の前で、過ぎ去り、消えようとしているものは、何か。それは他ならぬ作者不器男自身であり、彼の「時間」であったのかもしれない。

   蜜柑山警察船の着きにけり

 ほとんど制作年次順に配列されているというこの句集の中で、その終わり近くにこういうかるみの句があることに、私は少し救われたような気持ちになった。


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