2022年1月
『私は私であっていいよと、ほとけさまのよびかけ』〜紅白歌合戦での歌を聴いて〜
わたしたちは今日も生きています。
元気に、なんとか、一生懸命、なんとなく。楽しいばかりじゃなくて、悲しいことも、さみしいことも、くやしいことも、不安なこともあるなかで、今日を生きています。
「人に優しくしないと」「がんばってやらないと」とか言われると、なかなかそうはできないと感じる自分がいると思います。できない私ってだめなのか、と思うと悲しくなることでしょう。
その悲しい悔しい思いは、なかなかほかの人には認めてもらえないことが多いのではないでしょうか。
人間って、そんな頑張りたいけど思うようには頑張れない、善いことをすることの良さは知っていてもそのようにできるときばかりじゃない、だけどそんな自分に悲しくなる、そういうものじゃないかと見えます。
ほとけさまはそんなあなたを『知っていて』、知っているうえで、一緒に悲しんで一緒に泣いてくれて、「あなたはあなたであっていいよ」と一緒にいてくれています。
人が言うように、自分が思うように、頑張れない優しくなれない自分を、私の気づかないところで大切にしてくれます。
今日は報恩講のお話です。
しんらんさまが伝えてくれたほとけさまのお話は、現代にも歌い継がれていると思いましたよ。
2021年2月
『すいれんの花』
ある村の貧しい若者は、およめさんをもらう条件として、すいれんの花を持ってくることになります。すいれんの花はお城の中にしかありません。見つかりそうになったら、オシドリの鳴き声をまねてごまかすことにして、忍び込むことにしました。
そうして花を取ってこようとするのですが、結局お城の番人に見つかってしまいます。
「だれだ、そこにいるのは。」番人の大きな声がしました。若者はあわてて「はい、オシドリです。」と答えてしまいました。若者はすぐにつかまってしまいました。
どうしてお城に忍び込んだのか、わけを聞いたお城の番人は言います。「ばかなやつだな。そんなことをしたらおよめさんをもらうどころか、お前は殺されてしまうぞ。お城やぶりは大罪なのを知らんのか。」
それを聞いた若者は青くなって震えだし、ぽろぽろ涙を流しながらオシドリそっくりの声で泣きました。それは本当にオシドリそっくりでした。
番人はあきれて、「お前は、さっきどうしてその声で泣かなかったのか。そうすれば捕まることなどなかったのに。」と言いました。それから何か考えていましたが、急に縄をほどくと、「うん、わしはとんだ間違いをしていたわい。あやまって、オシドリを捕まえてしまった。」と大声で言いました。そして若者を牢屋の裏口へ連れていくと、花を持たせ、そっと外へ逃がしてくれました。
2020年5月
『4月8日ははなまつり〜おしゃかさまのお誕生日〜』
おしゃかさまのお誕生日をお祝いするのがはなまつりです。おしゃかさまの教えてくれた仏さまのお話は、私がどのように生きているのかを教えてくれます。
ほとけさまの教えは、私の思う正しいということは本当に正しいのだろうか、と私をドキッとさせます。ほとけさまとは、自分中心の悲しくつらい夢から目を覚まさせるはたらきかけです。
☆国からのお願い、県からのお願い
「(新型ウイルスの)感染者・医療関係者やそのご家族などを誹謗・中傷・差別しないでください」
今回の国からのお願い、県からのお願いの項目にこのようなことがあること自体、とても悲しく、残念でなりません。自分は正しい、相手は間違っている、という考え方や生き方の行きつく先は、お互い相手を滅ぼすまで行う争いです。
しかし、このようなお願いが出るということは、人間の本性を思わずにはいられません。私とはつい自分の思いから自分のことを棚に上げて相手を滅ぼすまで責め続けてしまうものなのだ、ということも思い知らされます。申し訳ないと思うとともに、少しでも気付きを持ち続けたいと思います。
2020年1月
『悲のにゃあとこには阿弥陀(ほとけさま)は立たん』
〜備後弁法語ポスターより〜
みなさんは煙はどんなときに起きてくるか知っていますね。そう、何かが燃えているときです。火があるから煙が立ちます。
それと同じように、ほとけさまは何かがある時にみんなのそばに立っています。それはみんなの、あなたの、悲しみです。あなたが悲しい、つらい、と思うとき、ほとけさまはみんなのそばに立っています。そして「悲しいよね」と寄り添ってくれています。
☆「神戸震災で亡くなったお母さん、会いたいよ」
25年前の1月17日に、神戸で大きな地震がありました。そのときに6歳の女の子のお母さんが亡くなりました。6歳の女の子は、たまたま別の部屋で寝ていて、お母さんと一緒に死なずにすみました。地震で家が無くなり、お母さんが亡くなったので、おじいちゃんおばあちゃんの家で暮らすようになりました。おじいちゃんたちに優しくしてもらい、学校でも友達ができました。そして5年たって11歳になったとき、お母さんへ手紙を書きました。
「お母さん、お元気ですか。私は元気にしています。おじいちゃんおばあちゃんが優しくしてくれます。学校ではお友だちがたくさんできました。」
続きがあります。
「でも、お小遣いをためてお母さんと一緒にディズニーランドにいくと約束していたのに、お小遣いは十分たまってきたのに、もう一緒に行けません。お母さんに会いたいなあ。お母さん、生き返ってよ。」
みんななら、どう声を掛けますか。「大丈夫だよ」?「せめて、おじいちゃんたちがいてよかったね」?「ディズニーランドにはぼくと、私と、一緒に行こうよ。」?「お母さんはもう生き返らないんだから、気持ち切り替えて前向いていこうよ」?
きっとそれでは悲しい思いは良くならないですよ。
みんなは11歳の小学5年生のお姉さんって、結構大きいしっかりした人って思うよね。でも、悲しみはあるんです。そして、そう簡単に悲しみは良くならないんです。
☆『悲しいよね。お母さんに会いたいよね』とほとけさまは寄り添ってくれます。
ほとけさまは奇跡を起こすものではありませんから、お母さんが生き返ることはありません。そんなことは女の子もよく知っています。そんな女の子を本当に支えるのは、悲しみ、不安、苦しみを最後まで大切にしてくれる、つまり、寄り添い支えてくれることです。そのはたらきをほとけさまというのです。
保育園のみんなも、いつかそんな悲しみに出あったら、併せてほとけさまにも出あう日が来るでしょう。出会う日までは、みんなを見守り続けてくれていますから。
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