白百合保育園では毎週月曜日にほとけさまの前で礼拝をします。
おひかり(ろうそく)、お花、お香(線香)をお供えし、みんなでお誓いの言葉を唱和し、ほとけさまの歌を歌います。
そして、園長をはじめ、担任の先生が法話(ほとけさまのお話)をします。
ここでは、園長の法話を紹介します。
2013.7.31
園長先生の月曜礼拝の法話
『もうひとつのものさし』 〜宮沢賢治の童話『どんぐりと山猫』より〜
今日は月曜礼拝で読んでもらう絵本の中にある『どんぐりと山猫』というお話です。
ある日、小学生の一郎は手紙をもらいます。山猫からの手紙で、面倒な裁判があるので来て下さい、ということでした。そして、一郎は裁判の日に裁判官の山猫に会いに行きます。するとそこには、
「誰が一番偉いか」と、けんかばかりしているたくさんのどんぐり達がいました。
「なんといったって頭のとがっているのがえらいんです。私が一番とがっています。」
「いいえ、まるいのが一番えらいんです。わたしが一番まるいんです。」
「大きいことがえらいんだよ。私が一番大きいから私が一番えらいんだよ。」
「いや、背が高いのがえらいんだよ。」「力が強いのがえらいんだよ。」
山猫の裁判官は一郎に聞きます。「こんな状態です。どうしたらいいでしょう。」
一郎の答えを聞いて、山猫の裁判官は申しわたしをします。
「よろしい、しずかにしろ。申しわたしだ。この中で、一番えらくなくて、ばかで、てんでなってなく
て、あたまのつぶれたようなやつが、一番えらいのだ。」
どんぐりはしいんとしてしまいました。しいんとして、かたまってしまいました。
☆ほとけさまなら、なんていう?
みなさんはこのお話を聞いて、どう思いましたか。それでもやっぱりあたまのとんがっているのが一番えらいどんぐりだと思いますか。大きいのがえらいと思いますか。そう思う人もいるかもしれませんね。でも、何がえらいかは人によって違うんじゃありませんか。
私たちは誰でも自分の考え方があります。それは一人ひとりみんな少しずつ違っています。もし誰かが「偉いかどうか、わしが決める。」といったらどうなるでしょう。あなたは、もしかしたらその人に「おまえはえらくない」と言われてしまうかもしれませんね。
ほとけさまなら、どのように教えてくれるでしょう。
「えらい、えらくない、なんて、誰にも決められない。頭がとがっている、丸い、大きい、力が強い、という違いがある、ただそれだけですよ。」
えらい、えらくない、というのはひとまず置いておいて、ありのままの事を知ることが、ほとけさまの智慧のはたらきなのです。
私たちはつい、自分の考え方が一番正しいと思ってしまいます。まるいのが良い、大きいのが良い、とがっているのが良い・・・。それはそれで良いのですが、それだけではなく、ありのままの事を知る、というほとけさまの智慧の目、『もうひとつのものさし』としてはどうですか。自分が、自分が、という自己中心な姿を知ってしまえば、自己中心な心が、消えていくでしょう。
2013.5.20
園長先生の月曜礼拝の法話
『はなまつりでの7つのアメ』
4月8日は花祭りをしましたね。花祭りとは、おしゃかさまの誕生日をお祝いする日です。おしゃかさまの像に甘茶をかけてお祝いをしました。みんなはさらに、甘茶アメをもらいます。何粒ありましたか。そう、7粒です。今日はなぜ7(粒)なのか、お話しましょう。
おしゃかさまは、今から約2500年前インド地方にある小さな国の王様の子どもとして生まれました。さあ、ここからが大変です。言い伝えでは、なんと、おしゃかさまは生まれてすぐに7歩歩いて、一方の手で天を、もう一方の手で地を指差し、
「私たち一人ひとり全ての人は誰でも、天も地上も含めてこの世に他に比べるものはないほど尊い。(天上天下唯我独尊)」
とおっしゃったそうです。・・・う〜む、この言い伝えの真偽のほどはともかくとしてですね。
おしゃかさまは仏(目覚めた者)の教えを教えてくれました。それは、人間は6種類の残念な世界を繰り返している、それを超えた世界を生きてこそ人間に生まれてきた意味があるのですよ、ということです。6種類を簡単に説明しましょう。
1.地獄(地獄の鬼(自分の事を棚に上げて他を責める者)に責められ続けて苦しい世界)
2.餓鬼(延々とむさぼる、欲求の止まらない者の世界)
3.畜生(道理(⇔無理、無茶)を知らない者の世界)
4.修羅(醜い、果てしない、激しい感情むき出しの争いの世界)
5.人間(人間とは依るべき道理がすぐに分からなくなるので、常に不安に悩まされる)
6.天 (食べる、寝る、など、本能的欲求に良くも悪くもこだわる世界)
こんな残念な世界、いやじゃありませんか。だからおしゃかさまは、これら6つの世界を超えることに目覚めた世界(ほとけさまの世界)に行くことを教えてくれたのです。
7粒のアメから、7歩の言い伝えとその意味、願いを、心に留めていきたいですね。
2013.4.20
園長先生の月曜礼拝の法話
『三帰依文』 〜今日からあなたもブッディスト!〜
今日は保育園のみんなは『三帰依文』の歌の練習をしましょう。
で、三帰依文とは何でしょう。まずは説明いたしましょう。
三宝(仏、法、僧)に帰依する(敬って、心の拠り所にする)文(言葉)ということです。
今から約2500年前、お釈迦さまが生きておられた頃、インド地方の人々は三帰依文を唱えてお釈迦さまの弟子になったと伝えられています。
では、仏、法、僧とは何のことでしょう。
仏とは、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)のことです。お釈迦さまを尊い仏さまと敬って心の拠り所にします、ということです。
法とは、お釈迦さまの説かれた真理、教えのことです。お釈迦さまは、全てのものは移り変わり、永遠に続くものは何もないこと、いろんなものが縁あって集まって今ここに私がいる、ということを教えてくれました。
僧とは、インドの古い言葉でサンガといい、仏の教えによって生きる人たちの集まりをいいます。
つまり、三帰依文は、「み仏であるお釈迦さまを敬い、その説かれた真理の教えを守り、その教えを学び伝える人たちの集まりを大切にいたします」と言う意味です。
南無帰依仏 Buddham Saranam Gacchami. ブッダーン サラナーン ガッチャーミ
南無帰依法 Dhammam Saranam Gacchami. ダンマーン サラナーン ガッチャーミ
南無帰依僧 Sangham Saranam Gacchami. サンガーン サラナーン ガッチャーミ
この三帰依文は広く世界の仏教徒によって大切に唱え継がれているんですよ。
2013.1.25
園長先生の月曜礼拝の法話
『あなたがいるから、私もあなたもみんな幸せ。』
〜プリキュアが教えてくれたほとけさまのお話〜
今日はプリキュアのお話をします。簡単にあらすじを紹介します。
世界をバッドエンド(いやな結末)にしようとしている者たちがいます。オニとオオカミと魔女もそうです。
そして世界が幸せになるように、プリキュアは戦います。
オニとオオカミと魔女のセリフです。
「いつも幸せに過ごしているお前たちに、おれたちが何度も味わった寂しさ、悔しさ、痛みが分かってたまるか。」
「絵本の中ではいつも嫌われ者。怖がられ、嫌われて、誰にも相手にされないおれたちの悔しさ、寂しさ、痛みが、お前たちに分かるか!」
それを聞いてしまったら、プリキュアの戦う気持ちはなくなります。
「あなたたちの気持ちを知ってしまったら、あなたたちをやっつけることはできない。」
「あなたたちの痛みが少しだけ分かったから。」
「絵本の中のあなたたちが大好き。あなたたちがいてくれたから、絵本は夢や希望を与えてくれる。」
「絵本の世界が素敵なのは、あなたたちがいるおかげよ。ありがとう。」
「良かったら友達になってほしいな。仲良くすれば、きっとたのしいよ。」
オニたちはびっくりします。同情か、バカにするな、とも思います。でも、プリキュアの『ありがとう』という言葉、自分たちを受け入れる笑顔の前に、涙を流してこう言います。
「こんなおれたちにも、友達になろうと言ってくれるのか。」
私たちは、自分が正しいと思ったら、悪いやつをやっつけてしまえばいいと思ってしまいます。やっつけてしまえば、勝った方は「ざまあみろ、悪者めが。」という相手を蔑(さげず)んだ気持ちが残ります。負けた方も「畜生、この恨み、死んでからも祟ってやる。」という憎しみの気持ちが残ります。そんなの、正義の味方が勝ったところでバッドエンドではありませんか。
プリキュアはオニたちが寂しい悔しい思いをしてきたことを思いやります。ありのままの自分を受け入れられ、感動の涙を流すオニたちがいます。そこにはもはや寂しさも悔しさも痛みもありません。あるのは笑顔と、喜びと、温かさです。
ハッピーエンド(幸せな結末)ってどんな世界なのか、あなたはどう思いますか。
2012.7.25
園長先生の法話 『ほとけさまって、誰かな、何かな』(盆法要の法話より)
今日は白百合保育園の盆法要ですので、ほとけさまのお話をします。ほとけさまとは、何でしょうか。昔いた誰かかな。確かに、お釈迦様は昔いた人です。
ほとけさまとは、私たちのありのままの姿を知らせてくれるはたらき、そして、あなたの悲しみを私の悲しさと思わせるはたらき、です。
☆「正しさとは、ありのままを知ること」
私のありのままの姿は、実はとてもわがままです。独善的ともいえます。自分が良いと思うことをしようとするのも、自分の価値判断が中心の生き方なのです。それに気づくためには、そのままありのままを知らされることが必要なのですが・・・。
でも、しょうがないんです。そうしないと私たちは生きていけないんだから。
じゃあ、どうしたらいいんでしょう。それはね・・・。
簡単なことでも良いんです。
たとえば、自分の思い通りにならないことがある、するとイライラする。腹が立つ。イライラして腹が立つと楽しくない、結局悲しいことになる。そうなっている自分に気付いてください。気付けば、はっと我に返ります。自分の思い・価値観を押し付けようとしている私の姿が見えます。
☆「優しさとは、ありのままの私たちを認めること」
そして、私のイライラを自分のことのように受け止め、悲しんでくれる人がきっと、います。一緒に悲しむのは、ほとけさまの優しさのはたらきです。ほとけさまのお話を聞いたことのある人は、ほとけさまの優しさのはたらきに気付いているから、優しくなります。
ほとけさまは、私たちに「今、どんなふうに生きているかね」と私のありのままの姿を知らせるはたらきです。そして、そんな私をほっておけない、寂しいときも悲しいときも嬉しいときも、一緒にいてくれる優しさのはたらきです。
だからね、ほとけさまは、あなたにも、私にも、そして誰の中にもあるのです。あなたも、わたしも、みんな誰でも、あなたの中のほとけのはたらきに気付いてくれよ、と願われているんですよ。