「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会

子どもたちの感想文2013年


広島市内の小中学生の感想文
2013年
広島市立井口台小学校6年生

 「中野秀子さんのお話を聞いて」

 今日、平和学習会がありました。平和学習会では、中野さんが実際に経験したことを聞きました。
 お話を聞いて、印象に残ったことは、まだ中野さんが6年生の時のことです。中野さんが6年生の時に原爆は落ちて、周りの人はみんな「水をくれー、水をくれー」といったそうです。まだ6年生の子どもが、そんな光景を見たとしたら、かなりのしょうげきを受けると思います。それなのに、中野さんは淡々と話してくださいました。本当にすごいと思います。
 それから、もう一つ印象に残ったのが、中野さんとお父さんとの関係です。中野さんのお父さんや周りのお父さんはすごくこわかったそうです。中野さんがどうしても学校に行きたくないとお父さんに言おうとした時、中野さんの心ではおこられると思ったそうなんですが、実際にはちがったそうです。お父さんはおこらず、「学校に行きたくないのなら、行かなくていいんじゃない」と言ったそうです。
 それに、お父さんは病院の先生に原爆症と診断されて、かみの毛がぬけたりしたのにもかかわらず、必死に生きようと、少しのお金しかないのに、「お金はいくらでも出すので、助けてください」と言ったそうです。このころは、長女が一番大切にされていたということなので、お父さんは次女ではなく、長女の中野さんに家族をたくし、目の前で亡くなったそうです。お父さんの本当の気持ちは、中野さんをすごく大切に思っていたとおもいます。だからこそ、きびしくしていたのだと思います。
 こうして、多くの人々がなくなったのを忘れずに、次の世代へと伝えていきたいです。私たち、子どもができることは、次の世代へとうけついでいくことだと思います。当たり前のことでも、この話を思い出し、感謝して生きたいです。
                                                       女子

 「広島の子としてできること」

 ひばく体験者の中野さんのお話を聞きました。私は、中野さんが父のことを語ってくれたことが、一番心に残りました。「ひでこは長女なんじゃけ…いい子さするんよ…」と中野さんに、お父さんは言って息をひきとったそうです。その時、中野さんは六年生。同い年の私には、考えられないことでした。きる物も、食べる物も、はく物もなく、今とはちがって本当に大変だった、と中野さんは言いました。そんな中でもがまんしてのりこえた中野さんの心強さに感どうしました。
 あたたかな家族がいて、着る物もたくさんあって、おいしいごはんを食べることができる。時には給食をのこしてしまうし、勉強はいやだなぁと思ってしまうこともあります。
 今の世の中のあたりまえのことが幸せなんだと思いました。だから、少しのことで文句をいわないようにします。戦争の中で、強く生きてくれた人がいるから、今の私たちの命があるんだということを忘れずに、一秒一秒を精一杯生きていきたいです。
 中野さんが伝えてくださったことを、むだにしてはいけません。ただ、平和な世界になるように、ねがうだけではなく、これからは私たちが、ひばく者の方たちの体験や思いをうけついで、語りついでいく時だと思います。そのために、戦争とは何か、平和とは何かということを、もっと深く学ぼうと思いました。
                             女子

◆広島市立三入東小学校6年生

 『眞木さんが一番伝えたかったこと』

 私は眞木先生に話を聞いて、原ばくはとてもおそろしいものだと思いました。私は眞木先生が一番伝えたかったことは、自分がけがをして痛かったと、そういうことではなく、もうあのようなことがあってはならない、原ばくは落としてはいけない、戦争をしてはいけない、平和けん法をなくしてはいけない。そういうことだと思いました。私は、一年生〜五年生まで、ずっとひばく者の人の話を聞いてきましたが、将来のことを考えて、こうしないと将来はこうなるかもしれない、というような話をしてくださったのは眞木さんだけだったので、眞木先生の話を聞いて、もっとこうしよう、もっと考えてみようという気持ちが生まれたので良かったです。私が大人になったら、今日聞いた話を子どもや、いろいろな人に話して、今日話してもらったことをむだにしないようにして、語りついでいこうと思いました。広島の子として、忘れてはならない出来事なので、一つ一つの命の大切さを学ぶこともできました。今、勉強できている幸せさも学ぶことができました。今日話してもらったことを生かして、これからの問題について考えていこうと思いました。
                                                女子   

 同5年生

 上田満子先生へ

 わたしは、お話の時、絵をときどき見せてもらって、原子ばくだんが落ちてきた時のつらさや悲しさがすごく伝わってきました。
 同時に、わたしが原子ばくだんが落ちてきたときにいたら、どんなつらさや悲しみを味わうことになるだろう?どんな行動を取っただろう?と思いました。
 わたしだったら、うずくまってじっとして助けを待って、上田さんみたいに勇気を出した行動に出ることはできません。でも、上田さんは、わたし達と同じ小学生なのに、あんな勇気を出した行動に出られるなんてすごいです。
                               女子

 上田満子さんへ

 お話を聞いてわたしが一番心に残ったことは、上田さんの優しさです。原子ばくだんが落ちて暗くなったのに、自分だけにげずに弟やお母さんといっしょににげていたので優しいんだなご思いました。それに、他の人は水をほしがっている人がいてもあげなかったのに、上田さんは水をほしがる人に水をくんであげていたので、優しくて周りの人を助けれる人なんだなぁと思い、私も周りの人を助けれる人になりたいと思いました。
 わたしは、大人になっても戦争をしません。小さなケンカから大きな戦争になると上田さんが話をしてくれたので、なるべくケンカもしないようにします。それと、今日話をしてもらったことは、次の世代に伝えていきたいです。
                               女子

 同4年生
 日高敦子先生へ

 お話を聞かせてくださりありがとうございました。
 私が一番心にのこったことは、日高先生のいとこの子が家の下じきになってなくなられたことです。わたしの弟とおなじ年ぐらいなので、そんな子がたくさんせんそうでなくなったと思うとすごくかわいそうです。
 せんそう中は、外に明かりがもれないように電球に黒い布をかぶせてとてもくらい生活をしていたことは、初めて知りました。今では考えられないぐらい不便な生活をしていたんだなと思いました。
 せんそうはすごくこわいことがわかりました。
 先生のお話をわすれずにずっと覚えておきたいです。
                              女子
 日高先生へ

 日高先生は、9才のときに広島で原子ばくだんにあったとても悲しい想い出をぼくたちのためにお話してくださりありがとうございました。
 ぼくがこわいと思ったのは、三つあります。一つ目は、人がたくさん死んだことです。電車の後ろにつかまったままの車しょうさんや、防火水そうの中に入って死んでいた女の人がとても印象に残りました。
 二つ目は、いとこのよしえちゃんがなくなったことです。家の下じきになってとてもかわいそうです。ぼくの妹と同じ四才です。
 三つ目は、八月六日に落ちた原子ばくだんのい力です。「ピカッドカーン」なんてこわいです。
 ぼくは戦争はいやです。ぜったいにしてはいけません。友だちと仲よくしていきたいです。
                                男子

  同3年生
  
 石津ユキエ先生へ

 今日はいろんなことをお話してくださってありがとうございました。私はそのお話を聞いてこれから自分はなにをすればいいのかが分かりました。「せかいを平和に」ということです。一人一人が手をつなぎ合いなかよくして命を大切に生きるということです。原ばくのことやどんな出来事が起きたのかということなど、他にも家族をなくしつらい思いをした人などの事も知り、少しかなしい話ではあるけど、決してわすれてはいけない出来事なので、知っておけばこれからの生活に生かしていけるからいいと思います。
 まだ原ばくについてかんぺきに知ってないので、また教えて下さい。今日は本当にありがとうございました。
                              女子

 平和学習をしてげんばくは、おそろしくてこわいんだということがわかりました。
 今日のお話はこわかったけど、本当にあったことが石津ユキエ先生から聞けたのでうれしかったです。でもはじめてしったこともあったけど、命、友だち、心と物をたいせつにしたいです。絵は本当にあったことをうつしていたのですごかったです。げんばくにあった人がどんなにくるしかったかがわかりました。
                              男子

 同2年生

 田中武司先生へ

 げんばくのこわさをはじめてしりました。草むらで何もたべずにすごすなんてすごいですね。もしぼくだったらすぐなくとおもいます。いしきがもどってほんとうによかったですね。いろいろな話をしてくださってちょっとこわかったけど、だいじな話だとぼくは思いました。
                               男子

 きゅうごしょに行くまでにしんでいる人やけがをしている人がたくさんいたなんてびっくりしました。家がたくさんつぶれていたんですね。げんしばくだんはぜったいつかっちゃいけないものなんだなとおもいました。
                               男子

 同1年生
 野間知枝さんへ

 のませんせいのおはなしをきいて、せんそうはもうにどとおきてほしくないです。のませんせいは、おおやけどをしたのにげんきでよかったですね。のませんせいは、おおやけどをしていたかったんですね。のませんせいは、なんでもがんばりますね。そこがいいですね。ぼくもがんばります。
                               男子

 のませんせいのおはなしをきいて、せんそうはもうぜったいにやってほしくないです。のませんせいはおおやけどをしていてもえがおがあってすごいとおもいました。へいわなせかいでいてほしいです。わたしたちができることは、ともだちとなかよくすることです。やってみたいとおもいます。
                                女子

◆広島市立安佐中学校3年生

 野間知枝さんの話を聞いて

 昔のことより今を大切に生きているという感じが強かった。前向き。友達とか近所の人が支えになってくれるから大事にしなさいということが心に響いた。自分じゃなくて子どもや孫のことをほこりのように話していて、生きる希望だということをきいたとき、自分が母に愛してもらっていたことを実践しているところがすごいと思った。
                                 女子

 今日、野間さんのお話を聞き、あらためて原子爆弾の恐ろしさを感じました。だけど、その中でも被爆した後、野間さんが元の自分に戻るために、前向きにやけどと向き合う中で、近所やお母さんに治療してもらったり、特にお見舞いに来てくれた友達へ感謝しましたとおっしゃられた時、僕は友達を大切にしているかな、平和とかいう前に家族、友達に感謝できているかなということを考えさせられました。平和に対して、次の世代に語り継ぐだけでなく、同時に、友達、家族を大切にするということも語り継いでいきたいです。                                      
                                               男子

 石津ユキエさんの話を聞いて

 本当は思い出したくもない体験を私たちに一生懸命に伝えて下さった。また、この話を聞いて、私たちに変わってほしい、平和な世界にしてほしいと願ったんだと思います。そして、この話を次の世代へと受けついでほしいと願ったんだと思います。
 印象にのこったことは、「どんなにつらいことがあっても乗りこえられる。だって自分は被爆して大変な目、命にかかわるようなことがあったけど、こうして生きているんだから」ということです。私は勇気を持ちました。今から受験シーズンとなりますが、どんなにつらくても、ダメだと思ってもあきらめず、この言葉を思い出して乗りこえようと思いました。また同時に、弱音をはいてはいけないと思いました。石津さんの体験に比べると、私の前に立ちはだかる壁は、そんなに高くないもののような気がします。本当に良い体験になりました。
 今日聞いた話を無駄にするのではなくて、私の人世にも生かそうと思います。また、世界が平和になるために、次の世代へと伝えていきたいです。自分の子にも、つたえられたらなと思います。このことで本当に平和になるかはわかりませんが、小さな一歩でもすすむことで、何か変わることを信じ、伝えていきたいです。私の夢は小学校の先生になるということなので、生徒へ伝えていきたいです。
                               3年女子

 石津さんの知っているもののをすべてを話してもらいました。石津さんの義理のお母さんから聞いたこともすべてお話していただきました。次世代に伝えてほしいという思いが伝わってきました。
 朝、普通に学校に行ったのに、もう帰ってこないということに衝撃を受けました。その当時の教科書や通学かばんも見たり、さわったりしましたが、大変貴重な体験になりました。勉強の内容としては、今とほとんど変わらないような気がしました。なのに、一家の柱として家のことをやったり、勉強したりとすごいと思いました。
 自分ができることはかぎられているけど、広島市で育ったからには、こういった体験を世界中に伝えるという使命があると思います。だから僕は、もっと勉強をして伝えていけるようにしていきたいです。
                                3年男子

 五日市小学校6年生

 森永ヨシヱさんの話を聞いて

 森永さんのお話がこの6年間で一番心に残りました。一番心に残っているのは、お話の途中、森永さんが泣かれた時、悲しい思い出を思い出すのはつらいんだなと思いました。悲しいことを思い出すのはつらいんだなと思いました。森永さんのお話を聞いて、今学校へ行き、おいしいごはんが食べれることは、自分ではあたりまえですが、今ではそれを幸せだと思っています。森永さんのお話を聞くと、どんどん胸がくるしくなっていきました。森永さん、被爆のことや原爆の事を泣きながらもいっしょうけんめい話してくださってありがとうございました。もう一つ心に残ったのは、「この世で一番こわいのは核兵器」という言葉です。これを森永さんが何回も言われて、そのとき森永さんが言いたかったことがわかりました。それは、「人の一生は核兵器でいっしゅんにして消える」ということを思いました。さいごに、これからぼくがしていきたいことは、次の世代にこの悲げきの出来事(原爆)を伝えていかなければならないと思いました。
                                   男子

 私は、森永さんの話を聞いて、戦争ほどおそろしいことはないと思いました。わたしが、もしその時代に生きていたらと思うとぞっとします。家族はどこにいるか、生きているかもわからない、周りはじごくのようなこうけい、自分もいつ死ぬか分からない生きじごくを本当に体けんした森永さんは、本当につらかったと思います。
 わたしは、戦争の話を聞いたりするのはすきではありませんが、森永さんの話を聞けてよかったです。今回聞いた貴重な話をしっかりとおぼえておいて、口だけじゃなく、みずから平和につながることをしたり、戦争はとてもおそろしいということ、してはいけないということをしっかりといろんな人に伝えていこうと思います。
                                   女子

 ぼくは森永さんの話を聞いて、改めて原ばくはおそろしくて、戦争はこわいことだと思いました。ぼくは、戦争やかく実験は、ぜったいにしてはいけないことだと思いました。森永さんがなみだをながしながら話してくれたことは、強くいんしょうに残っています。特に「一生けん命やればできる」の言葉は、しっかりと心に残っています。ぼくは、何事もない平和な日々がずっとずっと続いてほしいので、全世界が平和になるように、小さな平和をたくさん作っていきたいです。
                                   男子

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