2006/10/4
reading impressionistic

夏休みに書いた読書感想文です。
われながらちょっと気に入っているので載せてみます。
読んだ本は小澤征爾さんの「ボクの音楽武者修行」です。
「ボクの音楽武者修行」を読んで
 
僕は、この夏休みに小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」をよんだ。後に「世界のオザワ」となる筆者がヨーロッパへと旅立ち、ニューヨーク・フィルの副指揮官に就任するまでを描いたエッセイである。この本の存在は中学校1年生のときから知っていた。僕は幼い頃からピアノをやっていたので、音楽とは比較的親しい間柄にあり、この本には少しながら興味があった。しかし、当時のボクはクラッシク音楽に対し疲れを感じており、今まで読もうという気にはなれなかった。しかし、この中学3年生というところにきて、僕がクラシック音楽を愛する気持ちが再び目覚め、読んでみようというところへと至った。
 この本を読んではじめに思ったのは、筆者はとてつもない冒険者だということだ。戦後まだ間もない時代。クラシック音楽がまだあまり日本に浸透していなかった時代。また日本は敗戦国という現実が色濃かった時代である。そのような状況の中で、海外へ旅立とうということが、まずゆうきある行動だ。その上持っていったものは、1台のスクーターと1本のギターだけというのも驚かされる。お金にしても、そんなに持ち合わせていない。また交通手段は貨物船という冒険者ぶりである。自分の音楽を学びたいという気持ちだけを頼りにしていたのだろう。向こうに行けば何とかなるさという気持ちがにじみ出ている。そういった点から見ると、筆者は「武者」と呼ぶにはあまりふさわしくないように思う。「武士は食わねど高楊枝」とあるように、武士はいつでもどっしりと構えているようなイメージがあるからである。
 さて、そのような筆者の行動から音楽家になるための大事な二つの要素を見出した。
 一つは「経験」だ。ある作曲家がこう言っていた。「高い機材を買うお金があるなら、旅をしろ。色んなものを見て、いろんなものを感じろ」と。そうなのである。どんなに知識や才能があっても経験が伴わなければ、良い音楽を奏でることなどできないのである。
 もう一つは「現実を見ること」だ。夢を見るな、ということではない。ただ、夢ばかり見ていたら、いつかつぶれてしまうぞということである。筆者の場合、お金や生活に対する考え方は非常に現実的である。自分のやりたいことと、収入とをうまく照らし合わせながら物事を決めている。音楽家もひとつの職業であり、それには生活もかかっている。もうけることを考えることも大切なのだ。たくさんの経験をして、心を豊かにする。夢を見つつ現実的に。筆者はこれらのことを忘れなかったから、夢を成功へと導くことができたのだ。
 経験と現実を見ること。このほかにも「充実した家族関係」も音楽家にはとても大きな役割をもつものだと感じた。作品中にはたくさんの筆者から家族に宛てた手紙が載せられている。誕生日の祝いの手紙や病気を心配する手紙、そして何気ない日常を綴った手紙。短くても真心のこもった手紙である。これを読むと、筆者から家族への想いや、家族からの筆者への想いというのがじんわりと伝わってくる。僕もピアノをもうかれこれ十年くらい続けてきたが、ここまでやってこられたのも家族の支えがあったからだ。リビングにピアノが置いてある我が家では、僕がピアノを弾くときにはテレビの音量を下げてくれ、下手くそな練習にも我慢して耐えてくれる。もちろんピアノを始めたのも家族が発端であるし、僕がピアノをやめたいなどと言ったときに、引き止めてくれたのも家族だった。巻末の解説によると、小澤家には「家族全員が個性的に生きるのが当たり前」という家風があったらしい。それは、筆者の今に何かしらつながっているはずである。そう、どんな家族関係を過ごしたかが今後の人生、音楽家ならば今後の音楽性に大きく影響してくるわけである。そう考えると充実した家族関係をおくることもいわば「経験」のうちのひとつなのかもしれない。                    
 音楽家という仕事は、需要が少なく、なかなか安定もしない。筆者のように活躍できるのはまさしく氷山の一角といえよう。それでも自分の志を信じ、音楽家を目指す人々が今でもたくさんいるわけで、それは今後も変わることはないと思われる。自分もたくさんのことを経験し、たくさんのことを学び、もっと深く音楽と向き合えるよう精進していきたい。
                      
 

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